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故郷の斎宮跡の記事を新聞で見つけました。
約30年前の学生時代 アルバイトで斎宮跡の発掘をした経験があります。
土の中から出てくる土器の不思議な魅力に感動した事を思い出します。
三重・斎宮跡:最古の平仮名「いろは歌」 土師器に墨書、出土
三重県立斎宮歴史博物館は17日、同県明和町の国史跡「斎宮跡」から出土した平安時代後期(11世紀末から12世紀前半)の土師器(はじき)の破片に、平仮名としては最古のいろは歌が書かれていたと発表した。博物館は「平仮名をいろは歌で習う王朝文化が、いち早く伝わっていたことを示す貴重な資料だ」と説明している。
博物館によると、10年6月から11月までの調査で、皿型の土師器の破片を4個発掘。つなぎ合わせると縦6・7センチ、横4・3センチになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨で書かれていた。従来は、岩手県平泉町で出土した12世紀後半の木簡に書かれたいろは歌が、平仮名としては最古だった。
斎宮は、飛鳥時代から南北朝時代にかけて、天皇に代わり伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」の住居を中心とし、斎王に使える女官や役人などが住んでいた。当時は、不要になった土器を使って文字を習う風習があったらしい。
筆跡が繊細で、一般的な土器の両面にまで書かれていることから、博物館は地元の女官が平仮名を覚えるために書いたと推測。「比較的身分の低い女官にまで幅広く文化が広まっていたことを示す発見だ」と話している。21日から3月11日まで、破片を公開する
女人しのぶ「いろは歌」
三重県明和町の国史跡斎宮跡から「いろは歌」が墨書された土器片が出土したニュースを、十八日付朝刊で報じました。平仮名で書かれたいろは歌としては最古。平安時代後期、十一世紀末から十二世紀前半、女官が字の手習いに書いたと推測されています。
この四十七字の歌、誰がいつ、何のために作ったか、はっきりしていません。解釈もいろいろ。「散りぬるを」「常ならむ」「浅き夢」など諸行無常を感じさせる言葉から、仏教思想が背景にあるのは確かなようですが、暗号説も。
「いろはにほへと」から始まって「ちりぬるをわか」…と七字ずつに区切っていくと文末が「とかなくてしす」。「科(とが)なくて死す」つまり「罪がないのに死んだ」と読めるからで、江戸時代に作られた四十七士の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」も、それを意識していたという説があります。
とはいえ土器片の流れるような筆跡からは、謎多い斎宮の女人の生活が、にわかに優雅に浮かび上がってくるかのよう。権勢を誇った白河院のころか、平清盛の時代にも重なります。字を書く機会がめっきり減った現代。筆跡から人をしのぶ心が、思い出されました。千年の時空を超えて。
三重県明和町の国史跡斎宮跡から「いろは歌」が墨書された土器片が出土したニュースを、十八日付朝刊で報じました。平仮名で書かれたいろは歌としては最古。平安時代後期、十一世紀末から十二世紀前半、女官が字の手習いに書いたと推測されています。
この四十七字の歌、誰がいつ、何のために作ったか、はっきりしていません。解釈もいろいろ。「散りぬるを」「常ならむ」「浅き夢」など諸行無常を感じさせる言葉から、仏教思想が背景にあるのは確かなようですが、暗号説も。
「いろはにほへと」から始まって「ちりぬるをわか」…と七字ずつに区切っていくと文末が「とかなくてしす」。「科(とが)なくて死す」つまり「罪がないのに死んだ」と読めるからで、江戸時代に作られた四十七士の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」も、それを意識していたという説があります。
とはいえ土器片の流れるような筆跡からは、謎多い斎宮の女人の生活が、にわかに優雅に浮かび上がってくるかのよう。権勢を誇った白河院のころか、平清盛の時代にも重なります。字を書く機会がめっきり減った現代。筆跡から人をしのぶ心が、思い出されました。千年の時空を超えて。
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