伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年01月18日
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鍵屋の辻駅跡とおもわれます。
一番北側にあるトンネルの石垣の向こうにあるのが跡地でしょう。 
大正3年(1914)伊賀軌道(株)が設立され、大正5年(1916)に上野駅から上野町駅に至る鉄道が
開通して、鍵屋辻駅と西大手駅が設置された。鍵屋辻駅は昭和20年に休止、昭和45年に廃止さた。
駅は、開化寺門前の道を西に行ったトンネルの北方辺りにあった。線路の下を抜けるトンネルは
3か所あるが、一番大きな南のトンネルは、天井がアーチ型に赤レンガ積まれた小田隧道、市役所の
土木書類には第二暗渠と記載されていますアーチカルバート型です。北側にボックスカルバート型の
第一暗渠があります。






平井神社旧地 
明治3年(1870)に午年の水害と言われる大洪水があって、小田村に甚大な被害があり、村は、避水
移居と呼ばれる高台への移転事業を実施し、明治10年(1877)に移転が完了。平井神社も旧小田小
学校の隣に移った。開化寺前の本通りを西へ行き右へ入った路地に旧社地を示す石柱が建っている。






 大峯山参拝記念碑・役行者像 伊賀は、大峰山への信仰が厚く、役行者を祀る行者堂が各地に
ある。各村で大峰講・行者講を作り、大峰山に詣でた。 寺の南を通る道路脇に、大峰山に詣でた
回数を刻んだ記念碑が並び、役行者の石造がある。




小六坂 
小田村から藤堂藩の鉄砲練習場のあった西ノ丸へ登る坂を開削者田村小六の名前から小六坂と呼ぶ。
この道を利用し、平成9年から12年にかけて上野市ウォーキングトレイル事業を施行。甚七郎の散歩
道、西のルートの一部として整備された。小六坂周辺の道は竹藪が多くあり、伊賀の嵯峨野ともいう
べき佇まいがある。坂の途中右に、今は、個人の住宅地であるが、中世、伊賀の守護職であった仁木
義視の城館があり、丸山城と呼ばれ、筒井定次も一時居住したことがある。 






矢尼母神社(やにもじんじゃ) 伊賀越資料館の左側に稲荷を祀る社があり、矢尼母神社と称する。
拝殿はあるが、本殿はなく樹木がその位置にある。以前は丸の内の神宮奉斎会伊賀支部の傍らにあっ
たが、奉斎会が解散した大正12年、奥田奈良太郎というひとがこの地に遷し矢尼母講を作り祭祀を
行い、現在まで信仰がある。




参道の左手に三基の句碑が建つ。句の作者は、いずれも故人、右から
「烏ゆき鳶ゆきもとの凧の空 きよなみ」 宮城きよなみ(伊賀ホトトギス会の俳人)
「行年の伊賀に尋ねん古俳諧 年尾」    高浜年尾(虚子の子)
「逢ふ人の皆祝しきや初詣 干柿」    杉森干柿(初代上野市長)





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Last updated  2024年09月10日 21時49分50秒
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