2011年06月22日
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 日露戦争時の三笠の写真を見ると、艦橋の手すりの外側はキャンパスが張られていて、内側には、マントレット(弾よけ)が張り付けられています。

 マントレットとは、水兵のハンモックを丸めて閉じたものです。

 ホワイトメタル製のパーツ(ハセガワのエッチングパーツ「スーパー」に付属)は、それを上手に再現してくれていますが、プラパーツのように正確な成形はされていません。

 何とか組上げることはできましたが、残念ながらとてもアップに耐えられるようにはなりませんでした。

 前にも書きましたが、妥協、妥協です。



前部艦橋の裏側です。



 艦橋の最上部(羅針艦橋)には、測距機と羅針盤が置かれていました。

 この羅針盤には、マントレットが巻かれていて、これが東郷平八郎長官の命を救ったという話を昨日書きました。

 ハセガワのエッチングパーツ「スーパー」には、マントレットが巻かれた羅針盤が2個(前部艦橋と後部艦橋用)ホワイトメタルで提供されていて、当然これを使うつもりだったのですが、組み立てている間に2個とも失くしてしまいました。

 ちょっとショックでしたが、仕方が無いので、プラパーツを使っています。



 前部艦橋を船体に組み込みました。




 日露戦争30年のエピソード

 1935年(昭和10年)は、日露戦争30年で、それを記念して生き残った将軍たちが対談を行いこれが新聞に掲載されました。

 これをまとめたのが、海軍関係では、

 朝日新聞社編 名将回顧日露大戦秘史 海戦編

 東京日日新聞社 大阪毎日新聞社編 参戦二十提督 日露海戦を語る

 です。

 昨日書いた、前部艦橋と司令塔のエピソードは、安保清種大将(日露戦争当時少佐、戦艦「三笠」砲術長)の回想(参戦二十提督 日露海戦を語る)によるものです。


 世の中には面白い人もいるもので、将軍たちの話では無く、当時下士官や兵卒であった人の話を聞きたいと考えて、彼らを9人集めて座談会を行った人がいます。

 この座談会の内容は「話」という雑誌に掲載されたそうです。


 座談会の参加者の中には、旅順の閉塞で、 広瀬武夫中佐の壮絶死 を間近に見ていた兵曹もいて、実に生々しい体験談を語っています。

 安保清種は大将になり爵位までもらっているのに、広瀬と共に決死の覚悟で閉塞を行った兵曹はチンドン屋をやっているというのですから、どうも割が合いません。


 この元兵曹は、座談会が終わった後、帰り際に次のように語ったそうです。

 『戦争なんて、つまらんもんですよ(文藝春秋編、文藝春秋にみる「坂の上の雲」とその時代)』

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最終更新日  2011年06月23日 00時59分38秒
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