2011年06月26日
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 今日は、両舷の艤装です。

 写真の浮き輪用の格子は、ハセガワのエッチングパーツ「スーパー」にセットされていました。

 この格子のパーツの精度の高さはなかなかのものです。

 浮き輪には、真っ赤な十字は入っていなかったのでしょうが、浮き輪らしくするために彩色しました。



 アンカー(錨)は、ホワイトメタル製です。

 エッチングパーツでアンカー用のシャックル(アンカーと鎖をつなぐ金具)とアンカークレーンのチェーンを再現しています。





 現時点での船体はこんな感じです。

 後は、マストと両舷の魚雷よけの取り付け、そして張り線を張ったら終了です。

 もう8割ぐらい組み立てが終わったという感じでしょうか。



 秋山真之「三笠」副長のエピソード

 沈没した「三笠」が甦って、最初の副長として赴任したのが秋山真之中佐でした(1905年(明治38年))。

 「三笠」に乗艦した8ヶ月の間に、真之は色々と艦内の改革を実行したといいます。

 その内の一つが軍艦内各部の呼称の日本語化でした。


 『従前は軍艦の各部は英語で呼んでいたものであったが、将軍(真之のこと)は日本の海軍は日本の海軍である、

 それ自身独自の立場にあるのだから艦艇の呼称を何も英国に学ぶ必要はない、

 宜しく日本語をもって呼ぶべきであるという主張から、

 軍艦内の英語の呼名を片っ端から日本語に改めた。


 そして艦上の要所要所にそれらの日本語の改称を書いて貼り付けた。

 たとえば「ブリッジ」を「艦橋」

 「ボートを「端艇」というが如きである。』


 そう言えば、真之と同郷で友人の正岡子規は1896年(明治29年)に野球用語の日本語化を試みています。

 野球用語の日本語化の試みを日本で最初にやったのは「中馬庚(チュウマン、カナエ)」という人で、当時はそのような情報が子規に伝わることもなく、

 どうも子規自身、自分が最初の野球用語の翻訳者であると思っていたようです。

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最終更新日  2011年06月27日 01時32分16秒
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