2011年06月28日
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 当時、船体の両舷には魚形水雷対策として、網が張られていたそうです。

 それで、どうもこの網を張る作業のためにキャットウォークが取り付けられていたらしいです。


 これまで、エッチングパーツの取り付けを行って思ったことは、

 いくら薄いといっても金属なので重い

 瞬間接着剤を使っても接着しずらい

 ということです。


 その対策を考えてみたのですが、

 エッチングパーツは、下から上に着けたり、横から付けずに、重力に逆らわずに、上から下に付けるということです。


 そこで、船体を横にしてキャットウォークの取り付けを行いました。

 これは、反対側の艤装品が外れたり、一歩間違うと全損の可能性もありますから、あまりお勧めできる方法ではありません。

 しかし、横からは取り付ける自信がありませんでしたので、いわゆる苦肉の策というやつです。



 このように上から下に付けると驚くほど簡単に接着できます。



 キャットウォークの支柱を折り曲げて、少量の液体状の接着剤を流し込んで終了です。



 船体を戻しました。反対側に心配したほどのダメージは無く安心しました。



 最後に、副砲を取り付けました。

 張り線を除いて、これでほとんどの作業が終了しました。



 太平洋戦争後の三笠のエピソード

 1945年に太平洋戦争が終結し、日本は無条件に降伏したのですから、連合軍の極東委員会が、

 三笠を軍艦の形態を許さない状態で存続させると決議したことは、

 仕方がないというより有り難いことであったのかもしれません。


 もし、三笠が岸壁に繋がれた状態で記念艦として存続していたとしたなら、当時の物資不足から解体されていたのかもしれません。

 しかし、三笠はコンクリートに埋められていて、これを解体するには相当の費用が必要であったでしょうから、これを免れたと考えることもできます。


 三笠は平和利用されることとなり、三笠の甲板上の艤装は全て取り払われ、今から考えると信じられないことですが、水族館とダンスホールが建設されたのです。

 日本海海戦で活躍した東郷平八郎司令長官と加藤友三郎参謀長の名にちなんで、三笠艦上では「バー東郷」と「カフェ加藤」が営業されているという根も葉もない風説が流れたともいいます。


 ダンスホールや水族館の乗っかった三笠の写真は、とても見るに堪えないものではあるのですが、

 世を忍ぶ仮の姿で戦後の混乱期を乗り切ったからこそ、現代まで生き残ることができたとも言えると思います。

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最終更新日  2011年06月29日 01時27分51秒
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