2011年07月08日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 正岡子規が小学校に入学したのが1874年(明治7年)ですから、1歳年下の秋山真之はたぶんその翌年に入学したのでしょう。

 当時、旧松山藩では、旧来からの漢学を教える私塾があって、武家の子弟なら当然のようにこれに通わせていたといいます。


 真之は、朝早く起きて、松山で最も厳しいとされた「近藤塾」で素読をやって、その後「勝山小学校」に通いました。

 素読とは、漢文の意味も判らずに暗記して音読することであって、それが後の人間形成に役立つのかどうかは判りませんが、

 とりあえず、意味の判らぬ漢字の読みを暗記するのですから、暗記力や忍耐力などが鍛えられるような気がします。

 また、漢字の形状を見て、子供の柔らかい頭脳からはいろいろなイメージが創造されたのではないでしょうか。


 後に真之の存在を世間に知らしめた

 「舷舷相摩す(ゲンゲンアイマス、船と船とが接近して激しく戦う様子)」

 の造語も、意外と素読のおかげなのかもしれません。


 当時、小学校は義務教育ではありませんので、学費が必要であり、私塾は小学校よりもさらに学費が高かったそうです。

 下級武士であった秋山家の家計は火の車であったようですが、それでも子弟を私塾に通わせるところが「松山藩流」であったのかもしれません。


 ただ、明治も20年、30年となると、田舎である松山にも文明開化の波が押し寄せてきて漢学の私塾は衰退していきました。

 特に、日清戦争での勝利は、漢学の権威を失墜させることになり、これが致命傷になったのか、これ以後松山に漢学の私塾は見られなくなったそうです。

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最終更新日  2011年07月09日 02時13分52秒
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