2011年11月23日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 203高地が陥落(明治37年12月5日)し、ロシア太平洋艦隊が壊滅したので、

 東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊は一息ついたことになります。


 明けて明治38年1月12日、日本海軍は、

 連合艦隊の大幅な人事異動を断行しました。


 東郷の参謀は、参謀長以下4名であり、

 開戦時から参謀は、秋山真之だけになってしまいました。


 参謀長の島村速雄少将は、第2戦隊の司令官に転出し、

 代わって、連合艦隊の参謀長に補されたのは、第2艦隊参謀長であった加藤友三郎少将でした。


 真之の伝記には次のようなエピソードが記載されています。

 『夜中将軍(真之のこと)は幕僚室の寝台に横たわっていても、

 じっと天井を睨んだまま深夜に至るも眼を閉じなかった。


 そして一にも作戦二にも作戦、そればかり考えて、一睡だにしなかった晩も少なくは無い。

 殊に日本海海戦の迫った数日間というものは全く不眠不休であった。


 当時の参謀長加藤友三郎少将が心配して

 「君、それじゃ身体が持つまい。

 少し睡眠をとったらどうだ」

 と注意したことがあった。


 将軍は感謝しながら、ただ笑っていたそうだが、それほど余事の時間を惜しんで、

 全勢力を作戦へ傾けていたのである。』


 当時の真之のルール無視は相変わらずであったようで、

 参謀長を通さずに、直接、司令長官に意見具申することがたびたびあって、

 当然、加藤はそれを好ましくは思っていなかったそうです。


 日露戦争後、加藤が「海軍大臣」、真之が「軍務局長」(海軍省の大臣と次官の次に重要なポスト)であった時期に、

 加藤が、

 『秋山もいいけれど、もう少し俺をたててくれないと困るよ』

 と愚痴ったという話が残っています。





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最終更新日  2011年11月24日 02時02分07秒
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