2011年12月03日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 明治38年5月27日早朝、

 連合艦隊の主力は、朝鮮半島の南端、加徳水道に碇泊していました。


 5時5分、第3艦隊からの電報「敵艦隊出現」を受け、

 第2艦隊司令長官上村彦之丞中将は、

 加徳水道に碇泊している総艦艇に「出港用意、総缶点火」を命じました。


 この時、連合艦隊司令長官「東郷平八郎」大将の旗艦「三笠」は、

 独り鎮海湾に停泊していました。


 それは、大本営との通信の便宜のためであったのでしょうが、

 大日本帝国の存亡をかけた決戦の前に、独り静かに佇む「三笠」の情景は、

 ロマン性を感じざるをえません。


 三笠は大本営(軍令部)に対し、次の電文を打電し出港しました。

 『敵艦見ゆとの警報に接し、

 連合艦隊は直ちに出動し之を撃滅せんとす、

 本日天気晴朗なれども浪高し』


 この電文こそは、連合艦隊先任参謀「秋山真之」中佐の名を広く世に知らしめ、

 秋山文学とさえ称賛されたのですが、

 実は暗号であったとする説もあるようです。


 つまり、対バルチック艦隊の秘策は、

 11月 19日 20日 に書いた連繋水雷作戦であって、

 「波高し」の電文により作戦の中止の可能性を軍令部に伝えたというのです。


 波が高く海が荒れると、

 これを敷設する水雷艇は100トン程度の小船であったため、目的地に回航することは困難ですし、

 連繋水雷自体も本来の機能を発揮することが困難だからです。


 しかし、この暗号説は、ちょっと無いのではないかと思うのです。

 というのは、

 東京中央気象台からの「本日天気晴朗なるも浪高かるべし」という天気予報の電文を見て、

 真之が「本日天気晴朗なれども浪高し」を付けくわえたとされているからです。


 つまり、東京中央気象台の天気予報は、

 当然の如く軍令部にも届けられていたでしょうから、

 連合艦隊からの電文を待つまでもなく、

 軍令部の参謀たちは当日波が高くなることを知っていたと考えるられるからです。


 それでは、真之は何故この文章を付けくわえたのでしょうか。

 真之の伊予松山藩から受け継がれた文学的素養に関係している様にも思いますし、

 その時の真之の心情が、その日の天気予報の電文とシンクロして、

 決戦前の荒ぶる気性が、それを付けくわえさせたのではないかという気がします。


 6時34分、連合艦隊旗艦「三笠」は、連合艦隊艦艇と合流し、総艦艇に

 「序列に従い各隊揚錨出港せよ、通常速力15節(15ノット、28km/時)となせ」

 と命令し、艦隊の先頭に占位したのです。





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最終更新日  2011年12月04日 01時42分58秒
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