2011年12月13日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 連合艦隊参謀長「加藤友三郎」少将が、三笠艦長「伊地知彦次郎」大佐に

 『艦長、取舵一杯に』

 と伝達したとき、

 伊地知は、瞬時に

 『え、取舵になさるのですか?』

 と、反問したのです。


 伊地知は、海軍兵学校は加藤と同期で、

 切羽詰まったときにでも加藤に敬語を使うとは、

 よほど律義な男であったのでしょう。


 常備艦隊の参謀長職も歴任していますので、参謀職の大変さも良く理解していたでしょうし、

 東郷の幕僚たちへの信頼もあったはずです。


 だからこそ、先ほどまで、先任参謀「秋山真之」中佐に、

 三笠のコントロールを任せきっていたのです。


 しかし、バルチック艦隊との距離が、

 8,000mをきったところでの取舵には、反対せざるを得ません。


 なぜなら、三笠は取舵を取っている間、

 無防備となり、バルチック艦隊に袋叩きにあう可能性があり、

 最悪の場合、沈没してしまうかもしれないと思ったからです。


 連合艦隊の旗艦の沈没は、この戦いの敗北であり、

 その責任は一人、戦艦「三笠」の艦長が負わねばならないのです。


 伊地知は激昂し、「それは、末代までの恥だ」と思ったとしたなら、

 この奇策を考案したであろう真之に飛び掛かろうとしたかもしれません。

 しかし、この露天艦橋から真之は消えていたのです。


 それでも、伊地知は、加藤に対して、

 このまま直進して、反航戦を仕掛けるべきだと訴えたのですが、

 加藤は、冷酷にもそれを無視したのです。


 三笠が取舵の動作を行っていないにもかかわらず、

 『長官、取舵に致しました。』

 と、「過去形」で復命し

 連合艦隊司令長官「東郷平八郎」大将は、その復命に対し静かにうなずいたのです。


 それを見た伊地知は、もう腹をくくるしかありません。

 東郷の旗艦「三笠」の艦首は左に向けて大角度変換を開始したのです。


 戦後、伊地知は、

 『いやああれは私は恥ずかしいような気がする。

 あれは一遍やり過ごして、そうして、陣形を整えてやらんと負けるとおもったから、

 一遍反航することを主張したが、

 もし自分の意見が通ったら、恥ずかしい事になったのだ。』

 と、語ったそうです。


 それを聞いた当時第2艦隊先任参謀「佐藤鐡太郎」中佐は、

 『私は武人としての名誉等のことを繕うという考えのない、

 非常に高潔な偉いことだと思いました。』

 と語っていて、

 佐藤もたまには良いことを言うようです。





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最終更新日  2011年12月14日 00時51分10秒
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