2011年12月19日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 第1戦隊が左に回頭を開始した時、

 後続する第2戦隊の先頭艦「出雲」(第2艦隊旗艦)に乗艦していた

 上村彦之丞司令長官の幕僚たちはさぞかし驚いたことでしょう。


 第2艦隊先任参謀「佐藤鐡太郎」中佐は、

 戦術家というよりむしろ戦史家であったとされていて、

 その戦術は堅実で、受動的であったそうですから、

 実戦的な戦術家の連合艦隊先任参謀「秋山真之」中佐の戦術などは、

 理解できなかったというより、理解したくもなかったのかもしれません。


 戦後、日本海海戦の大勝利の原因は何であったかと聞かれた佐藤は、

 「6分が運で、残りの4分は人による運(バルチック艦隊よりも連合艦隊の方が砲撃が正確であったなど)」と答えていて、

 連合艦隊司令長官「東郷平八郎」大将の幕僚達の功績については、

 これを認めるつもりは無かったようです。


 次々に左に回頭していく第1戦隊の艦艇を目前にして、

 「なんと、乱暴な事をする」そう思ったのは佐藤だけでは無かったでしょうが、

 とりあえず、第2戦隊を第1戦隊に続いて左に回頭させるのか、

 それとも直進してバルチック艦隊をやり過ごした後に、

 その後を追うかを決めなければならなかった筈です。


 この時、上村の幕僚たちは、「露探艦隊」と罵倒された忌まわしい過去を引きずっていたかもしれず、

 直進して「逃げた」と言われたくはなかったでしょうから、

 左に回頭する選択肢しか無かったのかもしれません。


 14時15分、東郷の旗艦「三笠」の左回頭から10分遅れて、

 上村の旗艦「出雲」も左への回頭を開始したのです。


 戦艦「三笠」が砲撃を開始したのは14時10分で、

 順次、後続の回頭を終了した艦艇がこれに続きました。


 連合艦隊は、左に回頭している間は、

 砲撃することもできず、非常に不利な状態でしたが、

 回頭終了後は、最も有利な陣形(丁字戦法)で砲撃戦を行うことができたのです。


 連合艦隊の砲火は、第1戦艦隊旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」と第2戦艦隊旗艦「オスリャービャ」に集中され、

 約30分の砲撃戦で、この2艦は戦闘能力を喪失してしまいましたので、

 日本海海戦の勝敗は、この30分間で決定したといわれています。



(第2戦隊の装甲巡洋艦「浅間」が遅れているのは、舵機が被弾したためです。)





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最終更新日  2011年12月19日 22時44分59秒
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