2011年12月22日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 日露戦争が終り、連合艦隊も平時編成に戻されることになり、

 明治38年12月21日に解散式が行われています。

 この時、「秋山真之」が起草したと言われる訓示が読み上げられています。


 真之は連合艦隊の参謀職を解かれ、再び海軍大学校の教官になりました。

 この頃、国会では日露戦争の報告会が行われています。


 陸軍の報告演説は、満州軍の高級参謀であった松川敏胤(トシタネ)少将が担当し、

 海軍は真之が担当したのです。


 中佐という低い位で海軍を代表して演説を行ったのですから、

 やはり目立ったでしょうし、

 「舷舷相摩す」に代表される海軍の公報が真之の筆であるという風聞と相まって、

 一般にその名を知られるようになったようです。


 俳人で松山人の高浜虚子が他県人から

 「ご同郷人に秋山参謀をお持ちになるのはお国の方のご名誉です」

 と言われのもこの頃でしょう。


 次に、真之は海の勤務となり、明治41年には大佐になっています。

 大佐になると艦長になれるわけで、艦長は一国一城の主ですから、海軍士官の一つの目標であったそうです。


 真之も、

 巡洋艦「音羽」(3,000トン)、

 巡洋艦「橋立」(約4,000トン)、

 装甲巡洋艦「出雲」(約10,000トン)、

 巡洋戦艦「伊吹」(約15,000トン)

 の艦長を歴任しました。

 そして、明治44年3月、真之は第1艦隊参謀長になり、約1年8ヶ月の間、この職にあったのです。


 しかし、真之の大佐時代の勤務ぶりについては、真之の伝記にも一切記述が無く、

 どうも、暗闇の中に姿を消してしまっていたと言われても仕方が無いようです。





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最終更新日  2011年12月23日 13時59分05秒
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