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2006年01月30日
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カテゴリ: イスラム
先週の私の”コーランをイスラム・キリスト・ユダヤ教以外の人間が読むと、あなたは自動的に地獄に落ちます、と読めて気分を害する”、というコメントから発展して、今日は誰が信者"Believer"で誰が非信者"Disbeliever"か、ということを話し合った。

結論から言うと、Disbelieverの範囲は幅広くもあり狭くもある、と言うもの。幅広い解釈は、イスラム教徒でもちゃんと教えに従わない行動をすればDisbelieverと神によってカウントされるだろう、と。なのでちゃんと教えに従っていないイスラム教徒、プラス、イスラムの教えを学んだけれど受け入れなかった人々が含まれる。狭い範囲は唯一神を信じないひと、となる。

イスラムを聞いたことがない人、イスラムの悪い情報のみしか知らせられていない人、イスラムの正確な情報を伝えられなかった人、はDisbelieverの枠の外に配置され、いわゆるニュートラルな状態。この条件に当てはまる人が自動的に地獄に落ちたりはしない、という。


アラビア語ができない私はコーランの英語訳もしくは日本語訳に頼らなくてはならない。アラビア語というのは本当に豊かな言語でとても英語で意味を正確に訳すことはできないと言う。他言語で読めば当然翻訳者の意図や理解が織り交ざってきたり、ごく忠実に訳してあったとしても、表現し切れていないものがあまりにも多く、正確にコーランのメッセージをつかむことは大変なことだ。

英語でコーランを読んだ私はかなり大きなショックを受けた。世の中は”経典の民”とそれ以外に分かれいて、”それ以外=偶像崇拝、多神教の民”はとにかく有無を言わさず地獄に落ちる、と読めたから。

時代背景を知らずに読んだ私は、繰り返されるかなり暴力的な表現(異教徒を見つけしだ殺せ、異教徒とは友達になるな、等)に、多大なるショックを受けた。

ディスカッションの度に、私はどう自分が感じたかを話してきた。ずっと不思議に思っていたのは、彼女たちが、みんなそろって、”あら、そんな表現あったかしら?”という顔をすることだった。

”異教徒”の私が読むから攻撃的に読め、イスラム教徒の彼女たちが読むとまったくそういった側面はスルーされるのだろうか?と不思議に思っていた。

今日わかったこと。彼女たちは”Disbeliever"へ向けたメッセージを、信仰にちゃんと従わなければ信仰の道をはずれ、外れたときの罰則としてこういったことが起こる、と読んでいたという事。すべて己の姿を振り返る材料として使われていたのだ。

なーるほど。コーランは読む人が読む人の立場で違ったメッセージを受け取るように書かれているのかもしれない、そんな2重、3重な厚みがあるものなのかもしれない、と考えたら納得できた。

そして、”イスラム”と”イマン”(かな?少なくともそう聞こえた)との違いも話した。”イスラム”は神への服従を意味し、”イマン”は信仰(Belief)、を意味する。私たちの理解ではイスラムはイマンの集合の中にそっくり含まれてしまうもの。(イマンのほうが大きい集合)

コーランを理解し、イスラムの五行を理解し、基本概念を理解し、それに応じた生活をする、というのがイマン。イスラムはさらにそれらを踏まえたうえで神は絶対だと心から信じ服従するもの。

この2つの概念を知って、ようやく私は自分が今どの状態にあるのかがわかった。イマンの(微妙に)内側、でもイスラムの外側だ。イスラムの教えを学び、理解し、(少なくともしようとし、)それを尊重する、基本概念に沿うように生活していくようにする。ここまでは何の抵抗もない。いままで学んだイスラムの概念に限って言えば。

でも私は心から信じ、服従する、という段階からは程遠い位置にいる。服従するというのは、自分の理解を超えていても、コーランにそう書かれているから従う、というような行動を示すと思う。私は納得や理解ができなければ盲目的になにかを信じることはできない。少なくとも今は。

かねてから、唯一神を信じること、モハンマドを預言者だと信じること、イスラムの生活規範を尊重しできる範囲で従うこと、=イスラム教徒になることなのか、と自問していた私。心のどこかで、違う、私はイスラム教徒ではない、と感じていた。

それが今日、何が欠けていたのか、がわかってある意味すっきりした。


ディスカッションには数ヶ月前にイスラム教徒にカソリックから改宗したアメリカ人が参加している。彼女に帰りの車の中で、どういった瞬間に自分は改宗する準備ができた、と思った? と聞いたら、こういう答えが返ってきた。

”ある日ふっと、あ、準備ができた、ってわかったのよ。ただ、そうわかったの。”

彼女は続けた。

”私も知り合いから聞いたのだけど、そういう準備ができたら、理屈なんか関係なく、わかるものなのよ”


素直に納得した。だって、私は準備ができていないって、こうもはっきりわかっているもの。準備ができたら同様にわかるに違いないって。

なんだか妙にすっきりした一日だった。





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最終更新日  2006年01月30日 10時21分02秒
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