マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.11.15
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 つい最近、新聞の連載小説が終わった。何とも不思議な感覚の話で、特に最後の終わり方が謎めいていた。話は変わるが、沖縄勤務の頃は3時の休憩が待ち遠しく、職場の新聞コーナーに行って連載小説を読むのが楽しみだった。当時(17~19年前)の沖縄では、本土の新聞は午後の飛行機で着くのが通常だったのだ。

 前職を辞めた後、図書館から借りた小説を読み耽った時期があった。特に藤沢周平の時代小説は全集を読破したものの、最後には何故か物足らなくなった。やはり小説は「作り物」の世界でしかなく、真実にはとても敵わないのだろう。「事実は小説より奇なり」と言ったところか。

 2月から続いていた沖縄料理店通いがこのほど終わった。たまたま訪れた料理店に沖縄関係の本が何冊かあり、店の方にお願いして借りて来ては読んでいた。それを月1度の通院時に返し、改めて次のを借りると言う方法で、そこの店で昼食を取るのがお礼代わりだった。

 借りたのは歴史関係が多かったものの、文化、社会風俗、言語、宗教関係、児童文学など内容は様々で、中には泡盛に関する本もあった。それらの本は沖縄にいる父上の蔵書で、店の主人が帰省した時に持って来たようだ。専門書は一般市民が読むような内容のものではなく、とても不思議に思っていたのだが、父君が開業医と聞いてようやく納得した私だった。

 「今度は私の本を持って来ましょう」。そう言って退散したものの果たして沖縄関係の本が何冊あったか。書架を探すと11冊ほど見つかった。だが、そのほとんどは歴史や文化に関する専門書で、あの店に置いてもお客さんが手に取って読む内容のものではない。本当は主人の父上に読んでもらいたいのだが、わざわざ重たい本を沖縄に届けてもらうのは無理だと思う。このままあの店との縁は切れるのだろうか。

 さて、私が考古学や古代史に魅かれるようになったきっかけは、小学生の時に初めて貝塚を見たことだろうか。父親が借金を作って夜逃げした先の松山では、小学校高学年の頃から古本屋に出入りして、大型の美術書などを眺めていた。世界の美術家の作品や、ミロのヴィーナス、古寺の仏像などを観て、異常な興奮を覚えていたように思う。

 高校1年の時に父が四国で客死し、再び故郷の仙台に戻った。当時遠見塚の近くにあった叔父の家に厄介になったのはそんな事情からだったが、ある日そこで不思議な物を拾った。つるつるしたきれいな石に丸い穴が開いたものだ。当時はそれが何か全く分からなかった。

 「紡錘車」と呼ばれる古墳時代の遺物と知ったのはずいぶん後のことだった。多分滑石と言う石で作ったものだと思う。案外柔らかくて加工し易い石のようで、糸を紡ぐ時糸がよらないように使うみたいだ。あんな整った紡錘車が東北で出るのは珍しいようだが、残念ながらそれに気づいた時には行方不明になっていた。昭和35年当時遠見塚周辺は一面の畑で、畑の上を良く見ると赤い色をした土器の破片が幾らでもその辺に転がっていた。紡錘車もたまたま何かの拍子に拾ったものだった。

 私が歴史学を身近に感じたのは、自ら希望して大学図書館に転勤してからのことだった。新しく出来た大学の初代の図書館長が日本史専攻の教授で、私は館長に可愛がられ仕事の傍ら「使い走り」をしているうちに、学生と一緒に歴史の研修旅行にまで行くようになっていた。<続く>





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Last updated  2007.11.15 19:06:03
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