マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.11.20
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 私が訪れた神社の中でもっとも国宝の数が多かったのが宗像大社だと思う。本来の祭主である宗像氏は古代の豪族で、日本海を通じて古代出雲と同盟関係にあったとも聞く。同大社は福岡県北部にあり、3つの社から成り立っている。まず玄界灘の沖合い沖ノ島にあるのが沖津宮、海岸にあるのが辺津宮、そして少し山手の本宮の3つである。

 沖ノ島には縄文時代以来の遺跡が多く、山頂部や岩陰には土器などが散乱しているようだ。島全体が神域のため、漁船は台風などでの遭難時以外は上陸できないことになっていて、年に数回神主が乗った船が島に横付けされるとか。

 奈良時代、今は無人のこの島に特別な任務が存在した。それは遣唐使や遣隋使が乗った船の航海の安全を祈ることだった。つまり使節が乗った船は博多の那の津などから出航して、沖ノ島周辺を通り、中国大陸へと向かったのだ。国家の威信をかけて安全を祈願する際に、神前に供えた品々が時代が下ってから国宝に指定されたと言う訳だ。銅鏡、金製の細工、宝石、古い太刀など、どれも素晴らしい芸術品だった。

 同じ国宝でも瀬戸内海の島にある大山祇神社のものは一風変わっている。この周辺は古来から交通の要衝で、戦国時代は村上水軍の支配地だった。そのような地の利の関係で、この神社に奉納されたのは数多くの武具だった。平氏、源氏それぞれが戦勝を祈って、太刀、鎧(よろい)、兜(かぶと)、弓、薙刀などを供えている。どれも見事な作りのものばかりだった。

 さて、これから訪れたい神社の第一は諏訪大社だろうか。日本の奇祭の一つである御柱祭もこの目で見たいが、境内に立つ柱だけでも十分その価値はあると思う。古事記には「国譲り」の際、反対派だった大国主命(大黒さん)の息子が、遠く諏訪湖の畔まで逃げたとの記述もあり、縁起に出雲との何らかの関係を示す痕跡が残ってないか確かめて見たいような気もしている。

 訪れた神社の名から漏れていたのが香川の琴平宮(金比羅神社)である。この神社は山上にあり900段以上もの石段を登って参拝するのだが、航海の神であることが面白い。全国各地にこの神社を勧請した末社が置かれるのは、やはり航海の安全を祈ったのであろう。ついでながら森の石松が親分の代わりに代参したのがこの金比羅さんだった。

 沖縄の代表的な神社として挙げた波の上宮、普天間宮、白銀堂だが、いずれも現在は立派な社が建立されている。だがそればかりではなく、本来の原始的な痕跡も残っている。つまり三社に共通するのは洞窟だ。波の上宮裏の海岸には幾つかの洞窟がある。ここは元々風葬墓だった所だ。普天間宮は洞窟の真上に後代神社の建物が建てられ、白銀堂の境内には今も洞窟が残っている。両社とも本来は聖なる洞窟が信仰の対象だったと思われる。

 私は神道を信じる者ではないが、日本人の遥かな祖先達が大自然の脅威に慄き、あるいはその恵みに心から感謝し、尊崇の念を抱いて自ずから神と仰ぐようになった心情を容易に理解することが出来る。ただ、国家神道として国民を戦争に導いた愚だけは繰り返してはいけないと思う。日本はもう神国ではないのだから。<続く>





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Last updated  2007.11.20 19:32:08
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