マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2008.07.03
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カテゴリ: 生活雑記
 昨日は珍しく朝のうちに日記を書き、自転車に乗って外出した。この日は「太白歴史塾」の最終回で、いつもは午後からの講義が午前中に遺跡の見学が組まれていたのだ。歴史塾のテーマは「郡山遺跡」と言う古代の官が(「行」の間に吾の字:役所の意味)について学ぶもので、毎回180名ほどの参加があり、見学会にも92名が参加した。

 遺跡はJR東北本線の長町駅(仙台の1つ南)の東側2kmくらいのところにあるのだが、爺さん婆さんが4班に分かれ、暑い中2時間半も歩き回り自分の目で遺跡を確かめた。発掘当初は古代の名取郡の役所跡だと考えられていたが、出土品がまるで違っていたようだ。

 代表的なのが石組池。唯一の出土例は飛鳥の石神遺跡しかない。そこは服属した蝦夷(えみし)が天皇に恭順を誓う神聖な場所。そんなものが地方の役所にある訳がない。他にもお経を書写するための定規、「学生」と書かれた土器、四方に庇がある建物跡、付属寺院の存在などから、ここは多賀城が出来る前まで陸奥国府が置かれていたと考えるのが妥当との結論になったようだ。

 第2期の官がは真北を向いている。その周囲は堀と材木塀で2重に囲われ、蝦夷の襲撃を防御できるようになっていたようだ。正殿跡、石組池の場所はロープで位置が分かるようにしてあった。ここはAさんと言う農家の敷地の中。このお宅が代々農業を続けてくれていたお陰で遺跡を発掘出来たのだ。付属寺院の五重塔跡推定地にはマンションが建っていて、残念ながら発掘が出来ないとか。

 遺跡は国指定の史跡になったため、仙台市が周囲の土地を少しずつ買い上げているが、まだ「虫食い状態」のまま。後5年から10年はかかるとか。駅から近い発掘地は官がを造った人々が暮らしていた場所で、やはり溝と塀で区切られていた。ここも蝦夷の襲撃から守るためだったのだろう。詳しくは日を改めて紹介するが、この遺跡は日本古代史を書き直すほど大変な発見なのだ。

 現地見学を終え、昼食後第2現場でシュレッダー作業後、第1現場で遅番勤務。帰宅したのは夜の9時近かった。一通の封書が届いていた。「立山登山マラニック」実行委員会からのものだった。中は見ず、まずラジオで楽天対ロッテ戦を聞きながら風呂へ入り、遅い夕食を食べた。その後封筒を良く見るとゼッケンナンバーがある。それで選考されたことを確信した。

 ブログを開くと掲示板に亀仙人さんの書き込み。彼も念願かなって選考されたようだ。同学年だが実力者ランナーの彼と、初めて会うことが出来るのが楽しみ。選考に漏れたY田さんには気の毒な結果になったが、まだ若い彼にはこれからもチャンスがあると思う。私は今回が最後の挑戦。申請書にもそう書いた。人気の高いこのマラニックは毎回選考漏れのランナーが数多く出るとか。それらの人にもこの大会の素晴らしさ味わってもらうため、チャンスを上げたいと思ってのことだ。Y田さんの分まで気合を入れて走って来たい。





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Last updated  2008.07.03 18:51:39
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