マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.12.14
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 それぞれのゴール 

 完走証を受け取る。順位は4622位。ゼッケンナンバーが5300番だから、今回も番号よりも早くゴール出来た。NAHAの完走証は月桃で作られた紙。それにカラフルな印刷はとても貴重で、大抵の人はラミネート加工して保存してるのだろう。次に完走メダルを首にかけてもらう。琉球ガラス製のメダルはとてもきれい。私は完走記を書き終えると完走証もメダルも捨てることにしている。思い出は自分の胸中にあれば良いからだが、NAHAのメダルは美術品のように思えて捨てがたい。

 最後に飲み物をもらう。レース中あれだけ水分を取った積りなのに、もう喉が渇いている。歩いて仲間の待つコーナーへ移動中に、沖縄出身のランナーY良ちゃんとバッタリ。私がサングラスをかけていたにも関わらず彼は私を見つけ、まるでシーサーのような笑顔で近づいて来た。最初に彼と会ったのが昨年の「八丈島一周」。その後も今年の「伊豆大島一周」や「秋田内陸」でも会えたのだ。

 歓談中に通りかかったのが仙台明走会のI藤Eちゃん。彼女も一緒に入って記念撮影。彼が後で送ってくれた写真を見たら、1枚は動画で音声まで入っていたのにはビックリ。さて元の職場仲間で既にゴールしたのは5名ほど。学生の中にはサブスリーを達成した人もいたようだが、職員の方は3時間37分のY彦さんが最高か。彼が廻したノートにゼッケンやタイムなどを記入。

 その後、体調が落ち着くのを待って缶ビールをご馳走になる。N村さんの家族が今回も冷たい沖縄式のぜんざい、具だくさんのお握り、サラダ、ミカンなどを差し入れしてくれた。母上は今年79歳になる由。と言うことは彼女が58歳の頃から、私はお世話になってる訳だ。T原先生が戻って来た。彼には15km地点辺りで抜かれたが、ゴールタイムは私より10分ほど速かったようだ。

 時間が経つにつれてグラウンドに戻って来るランナーが増える。翌日の新聞によれば出走者は23402名で、完走者は16845名。完走率は72%弱とのこと。私がゴールした後の1時間25分で12223名がゴールした計算だ。制限時間は6時間15分。それまでにグラウンドのゲートを潜れば完走と見なされ、場内にいるランナーは同タイムとなるとか。

 「地デジ」ランナーも戻って来た。あの重量に耐え、良く完走出来たと思う。巨大な頭のゴーヤマンもフラフラのゴール。彼とは3年前の宮古島ワイドーで一緒だった。私は100kmの部だが、彼はハーフの部。東平安名岬の強風に煽られながら、ふらついて走っていた姿が目に浮かぶ。アイアンを持った石川遼選手は、良く見たらチョイ悪親父だった。ウエディングドレスとタキシード姿で走った男女はレース後婚姻届を出したとか。

 後日NAHAマラソンのニュースを動画で観たら、制限時間直前にゲートの前で倒れた女子選手を必死になって場内へ引っ張ったランナーがいた。あのランナーは、きっと痙攣で脚が動かなかったのだろう。そしてゲートが閉まった後も続々と詰めかけるランナー達の姿も。

 なかなか戻って来なかったI礼さんは、6時間を越えてのゴールだった。そして26回連続完走がかかっていたH嘉さんだが、Y彦さんが携帯で連絡したら、やはり6時間以上かかってのゴールだった由。私がNAHAへ出た時は、最後の日に一緒に沖縄そばを食べるのがこれまでの恒例だったのだが、その後彼の姿を見ることはなかった。きっとアップダウンと暑さの厳しい沖縄では、フルマラソン完走に耐えるだけの練習もままならないのだろう。それに加齢による衰えもあるのかも知れない。

 ちょっと淋しい気持ちになったが、新たな想いも生まれた。それはY彦さんがまだ40代であることを知ったためだ。後10年間、つまり喜寿くらいの歳までNAHAマラソンに挑戦する積りの私にとって、沖縄にランナー仲間が居り、このグラウンドに来れば必ず会えると言うのが嬉しい。さらに驚いたのは彼がブログを趣味としていること。これも私と共通しており、新たな楽しみを見出せた気になった。4時前。皆に別れを告げ、ホテルに帰る。<続く>





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Last updated  2010.12.14 19:08:56
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