マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.05.10
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カテゴリ: 俳句
 弘前城さくら紀行ー4 


 「北のまほろば」には石場家のお婆さんが登場するらしい。「お婆さんはお元気なんですか」と尋ねると、「もう亡くなりました」との返事。教えてくれたのはお孫さんみたい。本当に残念そうな口ぶりに、深い家族愛を感じた。50巻にものぼる司馬の「街道をゆくシリーズ」は、30年ほど前の著作なので、亡くなっていてもおかしくない年齢だ。

 同じシリーズの「陸奥の道」によれば、青森県東部の八戸南部藩と、西部の弘前藩とは仲が悪かったようだ。元々津軽の支配者は安東氏。戦国時代には南部の支配下となったが、南部の支族である大浦氏が最終的に手中に収め、以後津軽氏を名乗る。明治には両藩不仲の影響で県庁を中間の青森に置いた由。弘前藩は最大10万石だったが実質上は4万6千石。それにしては城郭が巨大過ぎる。

 石場家を辞し、濠沿いに集合場所の「津軽藩ねぷた村」まで戻る。その街角に花木。「お父さん、リンゴの木だよ」と妻。なるほど白い花は紛れもなくリンゴ。きっと観光客へのアピールのため、わざわざ街中に植えたのだろう。弘前城、岩木山と共に、リンゴもまた津軽地方の人々の心の拠り所なのかも知れない。「りんご追分」など、美空ひばりの名曲が幾つもある。


   ああ津軽 林檎も城を向きて咲く  (ねぷた村)


 有名なねぶた祭りだが、青森では「nebuta」と発音し、ここ弘前では「neputa」と半濁音。やはりそれぞれに「こだわり」があるようだ。この「ねぷた村」で暫し買い物。名物の「ニシン寿司」や「タケノコ寿司」、リンゴなどを買った。リュックがずっしりと重たい。

 帰りのバスは連休の洗礼を受けた。ちょうどUターンの真っ只中だったのか、岩手県の前沢SAを先頭に約30kmの渋滞。結局仙台に着いたのは10時を過ぎていた。ところが乗って来た自転車がない。どうやら「始末」されたようだ。幸いにも付近を捜したら見つかった。11時から愛犬の散歩を済ませ、風呂に入る。ああ疲れた!

 石場家で買った日本酒を飲んで寝ようとしたのだが、急に一句浮かんだ。それをきっかけに起き出し、弘前城の地図を眺めながらヘボ俳句作りに没頭した。季語もヘチマもない自己流の俳句。それでも20句ほど書き留めてようやく床に就いた時は、既に1時を廻っていた。探していた「北のまほろば」を自室の片隅で発見したのは、それからさらに4日後のことだったのでR。<完>





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Last updated  2012.05.10 15:50:43
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