マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.10.23
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カテゴリ: 日本史全般
≪ 湖畔の暮らしと祈り ≫ 


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 夜が明けると、船が湖上を走り出す。汽水湖の浜名湖は豊かな漁場でもある。ここはかつての遠江国(とおとうみのくに)で、古くは遠淡海(とおつおうみのくに)と表記した。つまり都(京都)から遠い淡水湖のある国の意味。因みに都に近い淡水湖のある国が近江(近淡海)。こちらは現在の滋賀県で、湖はもちろん琵琶湖だ。

 浜名湖が淡水湖から汽水湖に変わったのは、400年ほど前に相次いだ地震のせい。このため砂州が破壊され、海水が浸入するようになった。湖と海をつなぐ「今切口」がホテルのまん前に見え、ここに有料道路の巨大な橋が架かっている。(上の右側の写真)



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 船を待つ間私が訪ねた舘山寺は曹洞宗のお寺だが、元々は真言宗だったようだ。何故だかここに天狗の面や秋葉三尺坊大権現の図絵があった。神仏混淆だった頃の名残だ。同じ境内にある愛宕神社は古い寺院の建物を借りたようで、ちっとも神社らしくなかった。



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 これは浜名湖唯一の島である礫島(つぶてしま)で、私は瀬戸港までの船中から見た。伝説上の巨人ダイダラボウが琵琶湖の土を運んで富士山を造った時に食べた、お握りから吐き出した「小石」がこの島だそうだ。この小島にも弁天神社が祀られている由。

 ダイダラボウ伝説は全国各地にあり、民俗学者の柳田國男は元来「大太郎法師」だったと唱える。つまり一寸法師の逆パターンだ。ダイダラボウの足跡だとする池がこの付近にある。また巨人が転んで手をついた跡が浜名湖になったとも言う。なるほど浜名湖を上から眺めたら、手の形に似ている。


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 湖畔の幾つかの集落では秋祭が行われていた。私はその写真を撮りながら湖畔を走った。遠州は風が強いが気候は温暖で、作物も良く実るのだろう。おまけに湖からは魚介類だ。湖の割合奥までカキの貝殻があった。淡水魚と海水魚が獲れる豊かなこの地を巡って、戦国時代は今川、徳川、武田、織田が激しく戦った。



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 四国八十八か所の寺々を巡る遍路の菅笠には「同行二人」と書かれている。これは弘法大師空海と二人連れの旅と言う意味だ。今回の私の旅も「同行二人」。ただし私の方はウルトラマラソンの神様との二人連れだ。腰には「熊よけの鈴」をつけた。このためちっとも淋しくはなかった。人生最後のウルトラレースも、こうして無事に走り終えることが出来た。

 帰途の車中で、私は小松左京著の『日本沈没』を読み始めた。「東日本大震災」のあった後だ。さらには「東海地震」、「東南海地震」、「南海地震」が連動して起きるとも言われる。もしそうなれば、標高がわずか数メートルしかない浜名湖周辺でも大きな災害が起きるだろう。かつての淡水湖が汽水湖に変わったように。

 「天災は忘れたころにやって来る」。これは物理学者であった寺田寅彦の言葉。『日本沈没』は小説の作り話だが、油断は禁物。普段から心の備えをしっかりしておきたいものだ。

 懐かしい風景がどんどん車窓から遠のいて行く。サヨナラ浜名湖。そして富士山。次に会えるのは、一体いつになるだろう。旅は祈り。そして人生もまた旅に似ている。





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Last updated  2013.10.23 10:45:18
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