マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2018.06.24
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カテゴリ: 俳句
~6月の俳句教室にて~



 梅雨寒が一転して蒸し暑くなった日の午後、6月の俳句教室へ行った。前回と違った雰囲気を感じて、席を変えた。寝不足のせいか体調は今一。冷房などない部屋の窓が少し開いていて、講師の声が聞き取りにくい。これは意識を集中させる必要があるな。だがそんなことにはお構いなく、講師の声が小さい。耳鳴りがさらなる緊張を誘う。



 話は「なれど」の用法から始まった。この場合は以後が否定される必要がある由。なぜそんな話をと訝しく感じたのだが、それは前回のある句の批判だった。確かにそうだ。なれどの後はそれを否定しないと意味は成り立たない。「季重なり」に関しても講師はシビア。論外と言ってそれ以上評価はしない。前回と全く同様の反応だ。有名な句を例に出した人がいたが、それでも良くないものは良くないと講師。



 造語への戒めもあった。例えば「限界村」。本来は限界集落だが、字数の点からそんな風に詰めたのだ。「法被すずめ」。これは法被を着たすずめ踊りの踊り手の表現だが、勝手な造語は慎むべきとのこと。もっと違った言い方を探せと講師は言う。有名になったら許されるんじゃないのと受講生。だがそれも直ちに却下。より適切な言葉を探す努力を、さらに重ねよと師の指導はあくまで厳しい。



 「一手打ち込む黒の石」。これは「一手打ち込む石の音」と直された。囲碁を嗜む講師ならではの指摘。石の音が効果を増すことを、彼は十分に理解している。そして与謝野晶子の短歌を俳句に直して言う。「こんなことは自分にしか出来ない」と。確かに31音が17音にはなった。だが歌に籠められた心情は、どこにも感じられない。17音に情感をどう詠むのかが勝負ではないのか。



 私の提出した句は、「雷鳴ののちのしじまや夜半の雨」。先生は「後の静寂」と漢字の方が良いと一言。漢字は真名で男の字。ひらがなは仮名で女の字だからと。元の句は漢字だったのを、わざわざひらがなにしたのだ。俳句を始めて何年になるかとの質問には、歳時記を確認しながら作るのは初めてと答えた。もう一人同じ質問を受けた方がいた。確かに優れた表現だが、同時に出した別の1句は月並み。全ての作品のレベルを上げるのは大変なものだ。



 その日の朝、ローズコーンさんの作られた俳句を私流に詠み替えたのが最初の句。その夜は気になる夏の季語を使って、作句の練習をした。つまり絵で言えば習作と言う訳だ。

        白南風やバスを待つ間のひと眠り   *しろはえ
        黒南風や男やもめの弱り顔      *くろはえ
        冷奴けふもやうやく終はりけり
        梅の実のまだ青きまま笊ひとつ    *ざる
        夏蒲団いささか早き目覚めかな



     行く雲や山裾までの遠青田
     トマト熟れもぎ取る畑の朝の露
     山鳩のくぐもる声やトマトもぐ
     馬鈴薯を抜きて畑の清々し
     ドクダミや我が物顔の庭の主 

 おまけの一句 
     初物や安売りなれどサクランボ     お後がよろしいようで。





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Last updated  2018.06.24 16:54:40
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