マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.03.11
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カテゴリ: 東日本大震災
~復興に向けて~



 2011年3月11日(金)の午後2時46分。大地は激動し、家も電線も揺れに揺れた。噴き出す地下水。道路には亀裂が入り、ビルは倒壊した。それから何分か後に、どす黒い津波が東北の太平洋側を襲った。特にリアス式の三陸海岸では未曽有の大被害が生じ、福島原発の数基が最終的にメルトダウンした。逃げ惑う人々。津波に飲まれた人々。そして故郷を失った多くの人々。



 あれから今日でまる8年。今再び宮城県沖での大地震が予測されている。今後30年以内に、M7の地震が発生する確率は90%以上だそうだ。福島原発に近い大熊町は、全員が強制的に避難させられた。走友Yさんの故郷だ。彼の家族は会津若松に避難し、その間に父親が亡くなった由。今は同じ福島県の郡山に家を建て、やがては彼もその家に帰ると話していた。



 震災後JR常磐線は内陸寄りに軌道を変え、駅も新しい場所に出来た。何せ常磐線は原発の直ぐ傍を通るのだ。さらに安全が確認されるまでは全線開通とは行かないだろう。先日大熊町にも帰宅可能地域を設定する由。そのため町役場をかなり山の方へ移動した。それでも果たして帰郷する住民はどれくらいいるのだろう。果たして働く場があるのか。店や病院はあるのだろうか。



 大地震当日に起きた黒い津波の実態が分かり始めた。猛烈な津波が狭い湾内の海底を削り、底に溜まったヘドロや油や重金属を巻き込んで黒い凶器になった由。重さが20%ほど増して破壊力が加速され、浮力も強まった。そして強い「引き波」も加わって家やビルが簡単に浮き上がって流されたそうだ。その汚れた海水を飲んで、窒息した犠牲者も多いと考えられるそうだ。泥水が肺に入ったら助からないと聞く。



 「三陸道」が9割方完成した。「釜石道」はようやく貫通。だが防潮堤が未だに工事中の市町村も多く、高台に避難した住宅地の造成も全てが完成した訳ではない。40年来の念願だった気仙沼湾の大島への架橋が間もなく完成する。こんな大きな被害が起き、ようやく政府も重い腰を上げたのだ。沖縄の離島のほとんどに、あっという間に橋が架かったのとはえらい違いだ。



 宮城県内では、「災害科」を設置した高校もある。海岸沿いの県道では「かさ上げ工事」が進み。海沿いには公園を兼ねた「避難所」が整備された。その一方で住むことを許されない地区もあり、小中学校の幾つかが廃校になった。まさに故郷の消滅だ。「震災」のシンボルとして残された建物は10以上に上るはずだ。だが、浜辺の松原はいつになったら元通り蘇るのだろう。



 停電が4日間。給水停止が1週間。そしてガスの供給停止が35日間。それがあの時の我が家。その間の入浴はたったの3回。その時入れた近所の温泉で、隣り合った人がガタガタ震えていた。石巻市で津波に飲まれ、辛うじて助かって避難所を転々とした由。その恐怖が忘れられないと話していた。浮いていたペットボトルを飲んだら油の味がしたとも。あの彼はその後元気になったのだろうか。



 あの大震災で家を失った人。家族を失った人。故郷を失った人。借金をし、生きる希望を失った人。思い出を失った人。記憶を失い、病気になった人。運命は過酷で、様々な試練を神は与えた。私はその数年後に家庭を失った。前妻が大金を持って家を出て行ったのだ。それでも生きている分、まだ良い。今も太平洋の海底には、たくさんの瓦礫と身元不明の白骨が累々と横たわっているのだ。



 あれから8年。今もなお苦しむ多くの人がいる。仮設住宅住まいの人。被災した自宅で暮らす人。見知らぬ街へ転居した人。入院中の人や施設に入った人。それでも少しずつ漁獲量は戻り、作物の収穫も増え始めた。中には震災を知らない幼子もいる。そして間もなく平成の御代にも幕が下りる。くよくよばかりはしていられない。災害列島日本に住むなら、覚悟がなくちゃね。犠牲者のご冥福を祈り合掌。





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Last updated  2019.03.11 15:12:50
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