マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.12.16
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~那覇の裏道を歩く(2)~

  波之上宮

 次に向かったのが「波之上宮」。扁額には「沖縄総鎮守」とあった。へえ、ここが沖縄総鎮守ねえ。どうして沖縄全体を守れるほどの霊力(地元の言葉でセジ)を持ってると言うのだろう。ちょっと頑張り過ぎじゃないの。元々沖縄の神社はこんな日本式の姿じゃなかったんだよ。それが「琉球処分」後は近代日本に組み入れられ、すっかり「垢」が抜けてしまったんだよなあ。



 ネットで画像を探すと、こんなのが見つかった。これだと本来の沖縄の神社の様子が少しは感じられる。ここは海岸で小さな岬の突端部。こういうのを「端」(はな)と呼んだ。そこに小さな社を建てたのが「はなぐすく」の始まり。今では「花城」なんて美しい字を当ててるけど、本当はごく自然な信仰の地で、もっと言えば島の「根っこ」には洞穴がたくさん見える。多分昔はそこが風葬地だったはず。

  御嶽(うたき=聖なる場所)

 気温が高く、かつ湿度が高い沖縄では、洞窟に人を葬ると、あっという間に腐敗が進んで人骨が残る。これがもっとも効率的な遺体の処理方法だったはず。そして死者を葬った洞(現地の言葉ではガマ)が聖地になった。なぜならそこは祖先たちが眠る場所。そこに拝所(うがんじゅ)を設け、ノロ(祝女)が祈った。この「のろ」も古代日本との接点だ。

   今でも沖縄の各地にいるノロ (祝女)  

 「のろ」は「祝う、のる=話すの意」、そして祝詞(のりと)、呪う(のろう)とも共通する古語。人名の野呂(東北の「のろ」さんは神職が多い)と言う系譜もあるんだよね。昔の女性は誰も熱心に神に祈ったが、霊力(せじ)が強く専門の祝女になった方もいる。久米島の(君南風=きみはえ=現地語で「ちんべー」)や久高島の、外間祝女や西銘祝女などはその代表格。

  聞得大君(きこえおおぎみ)

 その祝女の頂点に立つのが「聞得大君」(きこえおおぎみ)で、王の親族で未婚の女性がこの職に就いた。王は政治の頂点だが、聞得大君は神行事の頂点。琉球王朝時代は神事で国の政(まつりごと)を占った。古代の卑弥呼や、天皇家と斎宮の関係と酷似している。「琉球八社」は波之上宮、沖宮、識名宮、普天間宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮、末吉宮。私はこのうちの5社を知っている。

     夫婦瀬公園    

 さらに幾つかの公園を見ながら歩いた。奥の岩山は琉球王朝時代の小島だ。当時の那覇には平地が少なく、海中の小島へは長矼(ちょうこう矼=橋)と呼ぶ人がすれ違える程度の橋を架けてつないだが、土砂で海水面が上がって不便になり、新しい石橋に架け替えた。それが今も名前が残る「美栄橋」(みえいばし)で、モノレールの駅名にもなっている。



 夫婦瀬公園で初老の男と話す。私が宮城県から来たと言うと、東日本大震災当時仙台で解体工事をしたと男。27階建ての倒れかけた建物だそうだが、そんな話は聞かない。妻と別れ孫とも会えないと私が話すと、彼も同じく孫と会いたいとこぼす。子と会う権利はあるが、孫と会う法的な権利はないと教えるとガッカリした表情。二人ともマスクなしでしゃべった。もしコロナ感染なら原因は彼。夕暮れが迫る。さあそろそろ居酒屋「赤とんぼ」へ急ごう。<続く>





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Last updated  2020.12.16 14:05:05
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