マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.11.09
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カテゴリ: 生活雑記
~わが身と比べても仕方ないけど~



 昨日の月曜日、体調と相談しながら庭に出た。そろそろモロッコインゲンを片付けるころと考えたためだ。だが改めて探すとかなりの莢が見つかった。さすがに11月、少し黄ばんで堅そうな感じ。でも十分食べることは可能。懸命に探すと60本以上収穫出来た。ブロッコリーが見事。真っ白なカリフラワーも虫食いがない。それで獲れたてのブロッコリーとカリフラワーをKさん宅に届けた。

 Kさんからは前日柿をいただいていた。作業中にTさんがお土産のお菓子を持って来られた。そこでTさんには、必要なだけモロッコインゲンを持って行ってと言うと、20本ほどを持って帰ったようだ。それから気になっていた庭の雑草を鍬で抜いた。さらに裏の畑の中国野菜を収穫。昼食後は忙しかった。モロッコインゲンは全部茹でて冷凍した。これで冬まで持つはず。いや持って欲しい。



 次に冷蔵庫に残っていたカリフラワー半分と、獲れたてのブロッコリーを切って茹でた、こちらは冷蔵庫へしまい、日常のおかずに。次に中国野菜を茹で、ナス、ニンジン、鶏の挽肉と一緒に炒め煮。最初に油で軽く炒めてから調味料を適量入れてコトコト煮る。何しろ大量なのでなかなか火が通らず時間がかかったが、やがて野菜から水分が沁み出して来ると楽。最後にごま油を少々。



 土曜日の夜、NHK制作の歴史ドラマ「聖徳太子」を観る。前後編の2部作だが3時間の大作を一気に観た。前半は堅い椅子に座って。こちらは腰痛に耐えて最後まで頑張った。後半は布団に横たわりながら観たが、途中で眠ってしまった。ああ残念無念。主演は本木雅弘で見事な太子役だった。宝田明が出演すると聞いて驚いた。てっきり死んだと思っていたのに88歳で、物部守屋役を見事に演じていた。

               太子像1幼児期  

 ところで私たちが良く知っている「聖徳太子」は実在の人ではなく、後世に付けられた尊称もしくは諡号(しごう=死んだ後に貴人に付けられたおくり名)。古代の資料に「聖徳太子」の名はない。俗に言われる「厩戸皇子」(うまやどのおうじ)も戦後になってある研究者が言い始めた説だが、これも未だ確認されないままに定説化されたのが実態のようだ。

  太子像2少年期

 「聖徳太子」は飛鳥時代の皇族で政治家。用明天皇の第二皇子。幾つもの別名があるが「うまやと」と呼ばれていたことは本当のようだ。母は蘇我氏の娘。叔母である推古天皇の「摂政」として蘇我馬子と共に天皇を支えたとされる。妃や妻は7人ほどおり、子供も多数いた。当時は大陸に「隋」があり、倭国は遣隋使を送って大陸の優れた文化や政治方式を取り入れたとされる。

         成人した聖徳太子像   

 彼が「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定したことは名高い。また「日の出づる国の天子日の没する国の天子に文をいたす。恙なきや」と隋の皇帝に文を送ったことも有名。当時の朝鮮半島は高句麗、百済、新羅が鼎立する三国時代で、何かと争いが絶えなかった時代で、争いに負けた半島の王族がわが国に逃げて来たとも伝わり、太子は百済語を話せたとの説もある。

  摂政時代の太子像か

 やがて国家と宗教の在り方を巡って豪族同士の戦が始まった。日本古来の神道を崇めるべきと言うのが物部氏。仏教を国教として敬うべきとするのが蘇我氏。蘇我の血を引く太子は仏法を信じて物部氏と戦って勝利する。こうして強大となった蘇我氏が滅ぼされるのは後の乙巳の変と大化の改新。中臣氏(後の藤原氏)の台頭だ。当時は朝鮮半島にわが国の拠点があり、鉄の輸入に貢献したと言われる。

          四天王寺  

 聖徳太子が建立したと伝わる仏教寺院が少なくとも8つはあるようだ。これはそのうちの一つである大阪の四天王寺。私も訪れたが、建物の多くがコンクリート造りだったのがガッカリ。きっと何度か焼失したのだろう。元巨人の元木が卒業した上宮高校は仏教系。太子には上宮太子の別名があり、後に聖人としての太子信仰が広まり、聖徳太子の名が広まり定着したのだろう。

  法隆寺

 また太子の霊を慰めるために建立されたのが法隆寺で、確か妃の一人の発願にょるものと記憶している。ただし、伽藍は一度焼失しており、少し離れた場所に方位をずらして第二次の伽藍を再興したことが考古学上の研究で判明している。付近には有名な「藤ノ木古墳」がある。写真は講堂(手前)と五重塔(後方)共に国宝に指定されている。

          法隆寺金堂の壁画   

 金堂の壁画は国宝に指定された名作だが、戦後壁画の模写作業中の失火で大部分が焼失した。今も焼けたままの状態で保存されているが、別途模写による復活も試みられている。上は壁画の一部で観音菩薩か。確か戦後の一時期20円切手として通用していたはず。このブログは自分の記憶に基づいて書いたため、一部事実と異なる部分や誤字がある可能性があることを付記しておきます。

 さて、私が眠って観なかった部分は一体だどんな内容だったのでしょう。そのうち再放送があることを心待ちしています。では腰が痛むためこの辺で。





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Last updated  2021.11.09 09:49:17
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