マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2022.04.23
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カテゴリ: 生活雑記
~嬉しい知らせ~

                  ハナズオウ  

 木曜日の夜、弟から電話があった。ブログを毎日読んでくれており、私の体調を気遣ってくれていたのだ。本当は子供たちに親父が元気かを確認するため読んで欲しいのだが、ブログどころか電話もない。きっと元気で暮らしていると何の心配もしてないのだろう。ところで弟が驚くべきことを話した。何と今月中に九州から関東地区に転居する由。それは奥さんの希望でもあり、今後のことを考えての決断とのこと。



 それはわたしにとっても朗報。関東ならいつでも仙台に来れるだろうし、何かと相談にも乗ってもらえると思う。老化は誰にでも必ず訪れ、いずれ決断を迫られる。普段はあまり焦らないが体調が悪い時は正直苦しいのが実情。弟が関東に来ると思ったら、何だか少し安心した。お互いに転勤族で、顔を合わす機会は限られていた。老人にとって、肉親の存在はとてもありがたいものだ。



 金曜日の朝ドラ。暢子の東京行きが決まって、家族は最後の別れをする。暢子が弾く三線(さんしん)に合わせて、唱歌「椰子の実」を歌う兄妹たち。これは本物のではなく、「カンカラ三線」。カンカラとは「空き缶」の意味。米軍お下がりの空き缶を三味線の胴にした粗末な楽器。豆腐屋の息子は暢子に「ゆし豆腐」をご馳走する。にがりの代わりに海水を入れる、とても柔らかくて美味しい豆腐だ。



 しかし「パスポート」まで作って東京へ出発した日。暢子はバスから降りて家族の許へ。やはり別れが辛くなったのだ。皆で抱き合う一家。バスは名護行きになっていた。名護市で那覇行きに乗り換えるのだろう。だが行き先表示が現在の「電子表示」になっていたのが可笑しい。昔は行き先表示は布製で、ハンドルでぐるぐる回して所定の行き先で止める。

 それに当時は車体の前が飛び出た「ボンネットバス」が普通。もうそんなバスは残ってないのだろう。
ただしナンバープレートだけは当時のアルファベットと数字の組み合わせで、沖縄ならではのもの。きっとどこからか探して来たのだろう。昭和46年暢子は高校生になった。相変わらず食いしん坊の暢子。ヤンバルの西海岸で県立高校があるのは、国頭村の辺士名集落だけだと思うが、ドラマは架空の話。

  ハクモクレン

 郵便局へ歩いて行った。途中で交通事故があったようで、パトカーと救急車が来ていた。傍には自転車と白髪のお爺さん。そして一台の乗用車。乗用車にには誰も乗っておらず、バンパーなどに傷もない。郵便局で生活費を下ろし、再び事故現場へ行くと救急車が病院に向かうみたい。老人はおらず、乗用車はそのまま。腰も痛まずに良く歩けた。一旦帰宅し、今度はリュックを背負って自転車で出かけた。

 ところが道を間違えて、別の道路に出た。最近あまり外へ出ずその道も通らない。さてどこで迷ったのだろう。リカーショップで超安物の焼酎を買って帰宅。別の道を通って間違えた場所を確認すると。曲がりべき角を真っすぐ行ったことが判明。帰宅して直ぐ上着を脱いだ。23度ほどの暑い日。まあ自分が事故に遭わないで良かった。目が悪いため段差が良く見えなかったりするのだ。



 夕方、便利屋さんに電話した。庭の草刈りを依頼しようと思ったのだ。だが、いつまで経っても連絡が来ない。先方の都合もあるのだろうが、折角やる気になったのになあ。ニッサンの元社長、カルロス・ゴーンにフランス検察が国際逮捕状を発令した。フランスで犯した罪のためだ。彼はレバノンに逃亡中で、パスポートはレバノン政府に取り上げられている。彼が逮捕されて裁かれる日が来るかは不明。



 一番の心配はウクライナの人々の命。プーチンは嘘をついて世界を騙した積もりだろうが。騙されているのはロシアのお年寄りだけかも。いや、ロシアにもプーチンの行動を批判する勇気ある国民もいる。彼はいずれ権力の座から引きずり降ろされるだろう。そして戦争犯罪人として世界史に残るのではないか。





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Last updated  2022.04.23 00:00:07
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