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2010年01月27日
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 昭和20年5月、海軍航空廠の計器部で働いていた当時20歳の叔母は、連日続く米軍の激しい銃砲激、艦砲射撃で小録にあった司令壕を出て、各所に散在する壕を転々と逃げ回っていた。そして、最後に、追い詰められた壕内で、手榴弾を用いて自決する事となった。

凄惨な地獄絵巻が展開された。負傷した兵隊や、民間人が次々と手榴弾の爆発によって死んだ。壕内は肉片や骨片が飛散し、岩肌全体は血のりで赤黒く汚れた。叔母もうつ伏せになり、胸の下で手榴弾の栓を抜いた。だが、それは不発に終わった。その壕で生き残ったのは十数人中、叔母一人だけであった。

二週間ほど前、その叔母から電話が来た。胸が痛んで苦しい、という。私は急いで彼女のアパートに駆けつけ、那覇市立病院へ運んだ。病状から心筋梗塞の恐れがあり、即入院となった。検査の結果、叔母は「蛸壺心筋梗塞」という聞いた事のない心臓病であった。医師の説明によると、普通の心筋梗塞とは違い、冠動脈への血流は正常だが、心臓の半分だけが動き、残りが動かない珍しい病気で、半分が収縮した際の形が蛸壺に似ているので、そういう病名が付いた、という。

叔母の心臓の動きをモニターで見せてもらった。その半分が収縮した時の形状は確かに蛸壺に似ている。だが、私にはそれが手榴弾のように見えた。64年経った今、叔母は再び手榴弾の不発によって命が助かったのだ、叔母が退院する日、私はそう思った。






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最終更新日  2010年01月27日 09時09分59秒
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