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2004年01月06日
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昨年自殺を図った友人の日記を見た。
彼女は春から学校に戻ってくる予定だそうだ。留学するのが夢だそうだ。
現実を語りながら、彼女は死を口にする。習慣のように腕を切る。
私には、彼女の死に対する姿勢が分からない。
日記には楽しそうな顔文字が並ぶ。楽しそうな顔文字と「死」という言葉が同居している。
「死」「逝」そんな文字が頻繁に出てくる。楽しそうに。まるで「死」が本当に楽しく、素敵なものであるかのようだ。
TVでリスカやアムカを繰り返す女性達を取材した番組を見た。
ある女性は言った。「リスカやアムカをしている人に対して、やめろとは言わないで欲しい。それは私達にとって、死ねと言っているのと同じだから」と。
手首や腕を切ることと、自殺を図ることは別なのだろうと思う。では、彼女は何故いつも死を考えているのか。何故腕を切るのか。死なないために腕を切っているのではないか。だが、彼女は死にたいと言う。
私は彼女に「やめろ」と言ったことはない。無理にやめさせても、私にはその後の責任を取ることなど出来ないからだ。私には何も判断出来ないからだ。どうすればいいか分からないからだ。
私は彼女の死など望まない。だが、彼女にかける言葉も見つからない。
「キレイに逝ければいい」と彼女は言う。
キレイに逝くとは何なのか。苦しまずに逝くことか。体に傷一つつけず逝くことか。誰にも迷惑をかけず逝くことか。一瞬で逝くことか。
以前は、彼女の言葉や表情で、彼女の望む言葉、態度が分かった。
今は何も分からない。何を望んでいるのか。何も望んでいないのか。
そもそも、本気で死のうと考えているのかどうかさえ分からない。
彼女を引き止めたいと思うのは、私の我侭だろうか。





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最終更新日  2004年01月06日 12時30分18秒
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