明芳の交易日記   ~お気に入り大公開~

明芳の交易日記 ~お気に入り大公開~

Jan 16, 2006
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カテゴリ: 歴史探訪
 天文11年は4月8日に足利幕府が大掛かりな撰銭令を出している。渡来銭がそのまま日本国内の貨幣として利用されていたので、質的な劣化や私鋳銭の流通が増大していったのね。このころは銭貨を良銭(精銭)と悪銭(鐚銭=びたせん)に区別して、悪銭については受け取りを拒否する、あるいは割り増しをつけて受け取るという選別行動が特にひどかったの。撰銭(えりぜに)って言うんだけど商人には由々しき問題よ、巨商伝みたいに世界共通の貨幣があれば安心して交易できるのにね。もっとも鯖間マネートレードに似ているところがあるとも言えるかな? なお、悪銭には良銭の2分の1から10分の1の価値でしか取引してもらえないものもあったようね。
 足利幕府が全く貨幣鋳造に興味を持っていなかったし、流通銭貨の管理すらしていなかったから撰銭は避けられなかったんだけど、時々幕府や戦国大名は撰銭を禁止する令(これが撰銭令)を出して取り締まろうとした。でも無理よね、商人は本来自由人で拘束できないもの。17世紀後半に徳川幕府が貨幣制度を統一するまで解消できなかったんだって。
 この撰銭はわが国に固有のものではなく、中国も1460年代以降に同様の問題に直面していたというから、中国から伝播した貨幣現象といえそうね。明との貿易を通じて日本へと移入されたのではないかしら。中国へ交易にいった商人さんたちが撰銭に遭遇し、帰国後に博多・堺・京都などの有力商人に伝えられ日本においても広まっていったのだと思う。
 文化的には池坊専応さんが立花の口伝書『池坊専応口伝』を著作、「対照的花材を接近して配置することにより各花材の特性を際立たせる」などかなり実践的な内容を残している。彼は翌年に亡くなっているので、これが最後の口伝書というわけ。
 神事では北条氏が鶴岡八幡宮を再建した。また津和野で厄病が猛威をふるったので、領主吉見正頼が居城近くの山ろくにある祇園社で鷺舞神事をやっているけど、これは京文化を取り入れた証ね。
 攻城戦関連では8月10日に今川義元が織田信秀に敗れている(第一次小豆坂の会戦)、織田家と今川家は戦争の真っ最中だけど、その最中12月26日に岡崎城で城主松平弘忠の嫡男竹千代(のちの徳川家康)が生まれている。





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Last updated  Jan 16, 2006 09:34:31 AM
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