J.BOYの日記 ~ A PLACE IN THE SUN ~

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2011.03.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(続き)


この直後、兵庫営業所から電話があり宿泊所を確保出来た事を告げて総務部長に

連絡をして貰い会社とのアクセスは終了。(PM18:30頃)


当ても無く車を動かしていたのですが、友人宅にカーナビをセットしたのですが

ワタシが居た国道15線の道路状況は30分で数百メートル動くかどうか?

夕方の帰宅ラッシュ(電車で帰れない人が車で帰る為に増加してるはず!)で

車の量は一気に増え、それに加えて友人同様に徒歩で歩く帰宅者が歩道から溢れ

車道にも沢山溢れてきて危険な状態でした。

やっとの思いでわき道に出てカーナビを目的地まで最短ルートで最検索して

走り出しました。(最短ルートだと脇道をふんだんに使い、幹線道より交通量が格段に

少なかったからです)。

渋滞と脇道のドライブを何度も重ね14キロあった友人宅までの距離が少しずつ

縮まって行きました。

渋滞に捕まっては、携帯TVを見ながら地震の被害を目にし

お腹が空いて、岩手で買った割れ煎餅をかじり、トイレに行きたくなると困るので

水分は取らず(コンビニは開いていますが路中は、出来る状態では無かったのです)

走り続けました。

PM20:00前には新潟に居た上司から携帯が掛かってき、PM21:00過ぎには工場の方から

携帯が掛かってき、PM23:00前には一昨年退社した元社員から携帯に電話が掛かって

来ました。。


その合間に、ブログ仲間の中にあった地震のアップに状況をコメさせていただきました。

(状況を広めて頂きましてありがとうございました。。)

正直、携帯からのブログアクセスも時間が掛かり、何度も何度もやり直さないと

繋がりませんでした。。


友人宅まであと2キロになってから、細い細い路地に入り、対面通行ですが電柱があると

どちらかが止まらないと通り抜け出来ない道で抜けるのに約2時間掛かったと思います。


そして、やっとの思いで友人宅に着いたのが丁度0:00を過ぎた頃でした。。。



道中の話をしながら、友人が2時間半かけて徒歩で帰った話を聞き、深夜の3:00まで

地震経過のテレビを視ました。


翌日は、AM8:30に起き電車が一部動き出したのを確認して9:00過ぎに友人宅を出ました。


月極駐車場に車を置き、新幹線に乗る品川駅から最寄駅はひと駅の所です。

普段は、数人しか並ばないみどりの窓口ですが20人以上の列が出来ています。

新幹線の電光運行表を見てみるとのぞみは全て×で開きが有りません。(10:30頃)

のぞみがダメならこだまでも何でもいいから帰りたい! そんな思いで自分の番が来て

『一番早く新大阪に着く電車をお願いします』と言うと

『12:17(品川発)が有ります。』と言うので迷わずそれを!と頼んだのですが

直ぐに『あっ、11:17に1席開きが出ました。』と駅員。

『ならば、それを!』とワタシ。 しかし、その駅から品川までは1駅ですが

通常の30%程度の運行状況でホームには人がごった返しています。

『スイマセン、あと30分ですが乗れますか?』と聞くと

『スイマセン、朝からずーっとこの業務で全く情報が入って来ていません。』と駅員。


もう、いちか罰かです。。

その11:17の切符を握りしめてホームまで駆け下りていくと電車が出たばかりでしたが

相当数の人がホームに残っています。

どう考えても一度に乗れる人数じゃないし。。。。


背負ったリュックを背負い直し、キャリーバッグのシャフトは短く戻し押し蔵饅頭の

臨戦態勢を整え次の電車を待ちました。


10分ほどで電車がやってきましたがたくさんの乗客で自分が居た駅のホームの人を

載せるには困難だと理解するには容易なことでした。

するとどうでしょう?

ホームに並ぶ列に比べてかなり扉の位置がズレました。。。

すかさず、数人と一緒に進んだ扉の方へ進み渾身の力を込めて押し蔵饅頭でした。。

体は何とか入ったのですが、キャリーバッグが中々車内に引き込めません。。

最後は扉に挟まれ・扉の側面に擦り付けながら車中に収まりました。。。


やがて品川駅につくと・・・・・

普段は何本ものJR線が通っている品川駅も運行している線は1つか2つのようで

ワタシが乗ってきた線のホームは危険なのでコンコースで入場制限をしており

コンコースは乗れるJR線が限られているので動いているJR線に乗るために長蛇の列を

作り、品川駅改札内のコンコースは溢れんばかりの人・ヒト・ひとで目のめりになって

体重を掛けて前に進まなければ立ち往生してしまうほどです。

恐らく、昨晩は品川駅周辺の会社で一夜を過ごした帰宅困難者の方々だったんだと思います。


人ごみを掻き分け、品川駅新幹線改札を抜けたのは11:00過ぎでした。


博多駅行きののぞみで指定席は、4号車3番C席(通路側)。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、東海道新幹線の1-3号車は自由席で

前日のお昼下がりから止まっていた新幹線の乗車客は普段のそれとは数が違います。

ワタシが取れた4号車3番C席は、限りなく自由席車両に近い所で、当然のように

自由席を溢れた人々が4号車の通路に大きな鞄を持って立っていました。。。


普段なら気なってイラつくかも知りませんが、昨日は色んな疲れが重なって

横浜から名古屋まで熟睡でした。。。。

そして新大阪を降りて地下鉄でも居眠り。。

PM15:00過ぎに自宅に到着しました。。


和室でDSをしていたTK。

ワタシの声を聞いて『お父さん! ただいま。。違った、おかえり!!』と。。

『只今、TK。』JB

『お父さん! 電車が止まってしまったんだ。。』TK

『そうだよ! TK 何が起きた?』JB

『大地震だ!』TK

『何処で?』JB

『東日本』TK


全てTVを見ながらであるが、今の日本で起きてることが何なのかは

少し解っているようだ。。。。。

程なくして、寝室に行って眠り次に目が覚めると19:00でした。。





被災地に居るTKと同じ障害を持つ子供や成人達は、一瞬にして変わってしまった

町や地域、そして避難所やライフラインの無い生活をどのように感じどう理解して

いくのだろう?

その障害者の周りの者は、どう?伝えていくのだろう?




先ずは、安否の確認。

明日の業務の中でもそんな話もでるであろう。。(得意先に対して)

災害による残骸の除去から清掃、仮設住宅の建設・確保。

生活物資の供給。

日常の社会復帰へと戻る日は何時になるのだろう??


普通に笑って展示会で会話したのが、たった一瞬の自然災害で全て見通しが

付かなくなる。。。

ほんの数日前の出来事だったのに、今度はいつその会話が出来るのか解らないんですよね。



でも、せめて生きていて欲しいです。

生きていれすれば、またきっとあの日の会話が戻って来ると信じれますからね。


東北地方にて被災された方々には、どんな言葉を掛ければ良いのか分かりません。

ただただ、お見舞い申し上げます。


一刻も早い安否確認と暖の取れる生活をお祈り申し上げます。





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Last updated  2011.03.13 13:46:10
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