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佐倉駅での販売はなくなりましたが、駅前の店もなくなりましたが工場に行けば直接購入できます伊勢屋の焼き鳥弁当です久し振りに工場近くを通ったので電話で予約注文購入とにかく美味しくて完食で体重計が恐い?鳥のそぼろと甘めのタレの鶏肉が堪りません!!
2010年05月03日
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第二十二回東京大賞典(昭和51年)のことです。たった33年前の出来事でした持ったままでゴールに向かうファインポート(竹島春三)ステッキを上げファンの声援にこたえる竹島春三騎手、中央が井上調教師----------------------- ☆☆☆ 脅威のレコードタイム!昭和50年東京大賞典この東京大賞典、四歳馬が人気になっていた。東京王冠賞馬プラスワンと中央競馬招待競走で中央勢を一蹴したファインポートである。 当時距離は3000メートルだったが、、レース前、井上調教師は、愛弟子である竹島春三騎手に「前半の千八を1分54秒で行け!」と指示していた。好スタートを切った竹島=ファインポートは実に指示通りのひとハロン12秒5-12秒5のラップを刻む。この鮮やかな走りは、正に真田幸村が大阪入城の際、隠遁生活をしていた村から馬を御し走り去ったときの「鞍上に人なし・鞍下に馬なし」と形容された人知を超えた動きそのものであった。(例えが古いねえ…)この正確無比の逃げには、アイアンボーイの福永二三雄やバトルメントの高橋三郎ばかりか、兄二三雄の応援に来ていた中央競馬の天才福永洋一も驚き「実に上手い逃げだ。あれでは、後ろの馬は動けない!」と絶賛した。<巧者竹島春三の早期廃業は惜しみても余りある>ファインポートのこの逃げを見てプラスワンの田部は三角から仕掛けたがニ番手に上がるのが精一杯であった。勝ちタイムの3分8秒6は、昭和47年にフリューファスト がマークしたレコードタイムを1秒4上回るもの。さらには、中央競馬・菊花賞でのグリーングラスの3分9秒9(芝ですよ!)も大きく上回っていた。レース後井上調教師の口から「天皇賞挑戦・好勝負」と気炎が上がったが、それも当然のファインポートの強さであった。このエピソードは井上調教師の指示のことを小耳に挟んだ普段は来ない記者が、天皇賞挑戦.とともにスクープしたため知れ渡った
2009年12月20日
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第三十六回東京ダービー・大井競馬場ヒロツルチカラを先頭に1周目スタンド前、アウトランセイコーはいつもどおり後方からの競馬早めに先頭に立ったキングフォンテンをジワジワと追い詰めて根性でアタマ差交わしたアウトランセイコー今回は納得の表情の高橋三郎騎手優勝アウトランセイコー父ハイセイコー<父チャイナロック母ハイユウ<父カリム母豪サラ・ダルモーガン》母エランドール<父ボールドアンドエイブル母ラデジデレード>騎手高橋三郎、調教師廣瀬龍夫、馬主山口克己、生産者平取山口克己
2009年08月13日
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ばんえい農林大臣賞典・帯広競馬場タカラフジが引退レースを飾るキンタロウに続く一億円馬となったタカラフジばんえい競馬を観戦に来ていた作家?阿部譲二氏も加わり口取り優勝タカラフジ父半血タカラコマ母ブル系能信<父ブル鉄鯉 母半血能竹>騎手久田守、調教師小北定一、馬主桑田茂一、生産者豊頃町川向義信
2009年09月09日
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78馬の祭典のために書き下ろした地方競馬賛歌!---------『 わが谷は緑なりき 寺山修司 時には思い出してみても いいのではなかろうか 都会の片隅のアパートの壁に貼られた 秋の草原の写真のことを 時には思い出してみても いいのではなかろうか 人が故郷に帰りたくなるように 馬も又望郷の思いに駆られることを 時には思い出してみてもも いいのではなかろうか 都会の雑踏から遠くはなれて 馬たちが生き生きと走る姿を 地方競馬は故郷の競馬 そこには生きる馬と人の原点がある 人目はあたらなくとも陽はあたる わたしたちが 何度でも帰ってゆくことのできる 人生の想いの場所だ』
2008年12月22日
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昭和60年です
2009年10月15日
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第十二回高知新人王争覇戦・大物登場!前夜祭で橋口アナウサーからインタビューを受ける下條知之騎手(優勝)========まだ、800勝前なのが歯がゆいほど同じく、宮下瞳騎手(二位)===今や、女性騎手最多勝記録更新中(韓国でも大活躍)
2010年01月13日
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