太っ腹母ちゃんのボコボコ日記

太っ腹母ちゃんのボコボコ日記

gravity 3

右の天使・左の天使


 事務所のビルを一歩出たとたん、着信音が響いた。

 何だよ。久しぶりに早く帰れると思ったのに。
 軽く舌打ちをして、相手を確かめる。

 - 耀 -

 耀から掛かってくるなんて、初めてだ。慌てて「通話」にする。
「もし……」
「助けて」
「……? 耀? 今、どこにいるんだ」
「……。ここ」
 前方の店の陰から、洋画ひょこっと姿を現した。

「助けてって、なんだよ」
 少しムッとして、問いかけた。
「お腹すいた……」
 悪びれる様子もなく、耀は答える。
「お腹すいたって、なあ」
「だって、朝からママとケンカして、何も食べてないんだもん。ランチだって、ムカムカして食べられなかったし。静の顔見たら、なんだかお腹すいちゃったんだもん」

 踵で地面を蹴りながら、一気にまくしたてる。
 なんで俺の顔を見たら腹減るんだよ。そんなに旨そうな顔なのかよ。
 などと思っていたら、
「安心したからかな」
と、耀が照れくさそうに笑った。

 ダメだ。この笑顔で、もう怒れなくなっちまう。
 頭の天辺をくしゃと撫でて、
「何か食いに行くか」
と、言ってしまった。

 ダメだろ。
 何でケンカしたんだ、とか、家に帰らなくていいのか、とか。
 大人なら、聞かなきゃいけない事が色々あるじゃないか……。

 右側の天使がボヤく。

 まあ、それはメシ食った後でいいじゃないの。

 左側の天使が快哉を叫ぶ。


 右側の天使は理性を司り、左側の天使は本能を司るのだという。
 俺はキリスト教徒ではないけれど、この例えはちょっと面白いと思う。耳元で囁いているのは、使いっ走りの天使なのか……。

「やったー。なぁにが、いいか、なあ」
 耀は歌うように言って、俺の周りを一周した。

 何て言うか……、まだまだ子ども、だよな。
「今、まだコドモだなって思ったでしょ」
 目の前でピタッと止まると、耀は拗ねたように言った。
「え……。いや。思ってない」
「思った。顔に書いてあるもん」
 疑わしげに下から俺の顔を覗き込む。大きな目がキラッと光る。
 一瞬、見とれてしまう。

 もし十代の頃に、こんな風に見つめられたら、とても正気ではいられなかっただろうと思う。

 耀は綺麗な子だ。
 しかも全く自覚がないようだ。

 無自覚の小悪魔   
 ヤなものに引っ掛かったかも知れない。

「静。早く行こうよ」
 耀が軽く走り出した。
 さて、何にするかな……。



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