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今日岩手へ来ました。またもや雨降られました。 試合||(;-_-)|||負けてしもうた。(T_T) (T_T) (T_T)明日はありませんo(><;)(;><)o予定通り明日決勝戦見て帰ります。
2007年08月22日
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青森からです。 実は一昨日あたりからまたパソコンの不具合で、書き込みできませんし、以前の書き込みが消える可能性があります。 一時ブログを休止します。 なお、今日の試合で、東北大会でベスト4入りし、全国大会出場が決定しました。 全18チームのうち4チームになりました。明日は準決勝と決勝です。 応援頑張ります。 取り急ぎ携帯からです。
2007年08月09日
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今日、暇を持て余していたチビタマとオコジョをつれて、隣市へ。チロの迎えがてら、ちょっと遊びに行った。噴水のある公園。オコジョより小さい子供たちが、水着だったり、服を着たままだったり、オムツ一丁だったりしながら、水遊び。ここで最年長の我が家の子供たちも、童心に戻って水遊び。着替えを持ってないし、濡れないようにしながら、噴水に向かっていく。意外なところに霧状の水が出てくる場所があり、マイナスイオンシャワー。チビタマ、オコジョが一番楽しんでた。チロも一緒になって水を触ったりして楽しんだ。子供たちの様子を見ながら、私も楽しかった。日は傾いていたけれど、日焼けするよね、と言いながら、しばらく過ごした。こんなにイキイキしているのを見られてよかった。
2007年07月26日
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みんなの人気者、なっとう(別名 なつき)でーーす。し~子とともにソファーにやってきて、寝ます。
2007年07月23日
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夕飯作ってご飯食べて、少しゆっくりして、今見たら、アクセス数が4000を越えていました!自分勝手に書きたいことを書いて暮らしているのに、見に来てくださった方がいるのはとてもうれしく、励みになりますまだまだ書きつづけます。よかったら見に来て下さいね
2007年07月10日
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ずっと気になっている。すぐそばのスーパーに買物に行くと、どうみても不自然な女性の姿をした人がいる。黒くてまっすぐな髪、濃い目の化粧、いつも黒い皮のパンツをはいた腰高な足、こんな田舎でこの時期はかないでしょう?なブーツ・・・そして一番おかしいのは胸。いくら垂れてもあの位置はないでしょう。私も垂れてるが(恥)、いくら垂れたってお腹の位置には来ない。とっても巨乳(何を言ってるんだ)なので、すれ違うおじさん、おじいさんは胸のあたりに目がくぎ付け。でも、女にはわかる。あれはニセ乳だってことを。そしてあの人はおかまだってことを。どうしてそんな格好をしているんだろうと思ったけれど、おかまだからなんだよね。いろいろあるだろうけど、自分に正直に生きているんだよね。いつもひとりで来るそのおかまの人は、とってもいい匂いがした。いつも同じ格好だけど、しぐさは女の人そのもの。生活感のない買物だけど、かわいいバッグを持ってブランド物の財布から会計する姿はなんだかかわいい。腰高で足が長くてスタイルがいいのはうらやましい。テレビで見るおかまの人は、もっときれいなんだけど、山形にもおかまbarがあるって言うし。実はこのおかまの人を、スーパーで見かけるのが楽しみ。
2007年07月10日
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2007年07月03日
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実はまだパソコン問題解決してないし、復旧してない。 とうとうパソコンやメカに詳しい義弟に見てもらい、モデムが悪いかもということになった。 業者から新しいモデムを送ってもらいしだい義弟の都合のいい日にまた見てもらう。 義弟は義妹とはきょうだいとは思えないくらい優しい。義妹とは絶縁しているが義弟とは付き合いを続けようと思っている。 もう少しで嫌なお墓参りの時期が来る。 実家とも旦那実家ともいろいろあったからあまりいい印象がない。だから両家とも嫌になった。 今年はどっちから行くとか揉めないですむと思う。旦那実家とは私絶縁してるからお墓参りには行かない。ばちがあたるかもしれないけど、義祖父や義父母には心の中で供養しようと思っている。 義妹と付き合えないし、いつも揉めるよりよっぽど供養にならないかな? 去年お墓参りのことでパパと揉めて、それがきっかけになっていろいろあったし。これまでもずっと揉めてきたんだし。
2007年07月03日
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昨日はチビタマの後輩の応援に行って来た。車を飛ばして高速で1時間半走っても出掛けたいくらい後輩達の試合が気になっていたので。 決して特別に強いチームじゃない。でもこの子たちには未知の力がある。 一試合一試合頑張っていた。一点とってとられて、一セットとられてとっての試合。 高学年の少ないチームだけど、不思議なパワーがあった。絶対に全国大会へ行きたいという子どもたちの思いを試合の様子から感じられた。 私たちも精一杯応援した。応援しかしてあげられないんだ。 そして暑い中頑張りぬいた子どもたちは、自分たちより明らかに体が大きくて強いチームと決勝で闘い、優勝したのだ。 (ノ^^)八(^^ )ノ (T_T)(T_T)(T_T) すごい良かった! みんなおめでとう。 すごいいい試合だったよ。二人の6年生は本当に力を出し合い、後輩達もそれに着いて行った。全員試合。 みんな泣いた。私やパパも泣かずにはいられなかった。念願の全国大会への切符を手にしたんだもの。 夜は祝勝会に顔出してきた。おいしいお酒とシェフ特製のおいしい料理をいただいた。 夏休みにはぜひ全国大会への応援に行きたい。 その前に、チビタマのほうの全国大会へ応援に行くから、全国大会が二週続くんだけど。
2007年06月25日
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昨日扇風機を出した。去年しまったり出した記憶がない。パパがやってくれたのだろう。 通院もせず薬も飲まなくなってしばらく経った。気分の上がり下がりは相変わらずだけど決まった日に通院することも薬に頼ることもなくなって、病気に支配されたくない自分を実感している。これがいいことかどうかはわからない。でも、生活するにはあまり困らない。 パパと言い合いになった時、母と言い合いになった時と同じ気持ちになった。私のためと言いながら、私にああしろこうしろって言うんだなと。私を認めていないんだと。 「人と争うこともなく穏やかに、人に甘えないでひとりで行きては行けないんだよ。神様や仙人みたいな理想論では暮らせないんだよ。」ってパパに言われた。 私が社会をしらなすぎるの?理想的には暮らせないの? 私は人に甘えるのが下手だから、唯一甘えていい存在のパパにも甘えられない。いつもしっかりしなきゃと思いすぎるのかな。 ひとりで生きているつもりはないけど、ひとりで生きているような可愛げない私にパパは嫌気がさしたのかな。人を心から信用してないんじゃないかとパパに言われたけど、そうかもしれない。いつも相手の顔を心をうかがっている。 そして思ってもいないことを言ってしまい、相手に期待させ私は相手に合わせて本心を押し殺すことさえある。 いろいろな疑問。 どうしてこんなことを考えてしまうのかな? パパは「ママは病気だから考えてしまうんだよ。でも仕方ないんだよ。ママが悪いわけじゃない」 なんて風なことを言っていた。 昔から男の人に甘えるのが下手だった。結婚前に付き合った人にも言われたな。 「もっともっと甘えて欲しかった」と。それが過去の破局の原因。 うまく甘えられたらこれからでもかわいい妻になれるのかな? 私は今、うつ病になっていろんな病気や症状が重なって苦しかった時よりも、それまでのストレスをためながらも周りにいろいろ言われながら我慢してきた自分が可哀想だったとやっと思えてきた。 誰かに何か言われるのは私が悪いことをしているからだと思いいつも後ろめたくて、できない自分が自分を苦しめているんだと思っていた。 でも違う。私は頑張ってきたんだよ。もっと自信を持って良かったんだよ。 人に認めて欲しかった。 つらい時つらいって言えたら良かった。 そんなことを考えたら、自分のことなのに可哀想で涙が出た。 自分のために何かして自分が行きやすくなるようにしていこうと思うようになった。 死にたいと思い、死に場所を探して、結局死にきれなかったあの日は皮肉にも自分に正直になる一歩だった。 もう嫌だと思ったらそう言えばいい。弱音を吐いて、泣いて吐き出せばいいよ。 死にたいと思うことがあっても、死んではだめだよ。死ぬのは思ったより大変だった。死ぬことはつらいこと。つらい自分をもっとつらくするんだよ。 いつかはみんな必ず死ぬんだから、言うことは言ってしまわねば。すべきことはやってしまわねば。 家族でこうやって暮らすの、あと何年あるのかな。子どもたちは自立するだろう。パパはパパの付き合いもあるだろう。私ひとりぼーっとして過ごすのかな。私の中のいくらかはただ年老いていくのを待ってる。目標もなく目的もなく、木が朽ちていくのを見てるみたいに。 でも目標は見つけよう。 小さな目標はパパと仲良く暮らすこと。小さな部屋で二人で笑って過ごすこと。
2007年06月22日
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気分が重い。朝から疲れた。おまけに雨。 昨日は午前中ずっと寝ていて、午後オコジョと一緒に図書館と買い物に行った。親としてオコジョに何もしてあげてなかったような気がしていたから。 昨日から首や肩が張って痛む。手も治ってない。日曜日右手を新たにぶつかって打撲してまたひどくなった。医者には行きたくない。動きがとれない姿勢で電気マッサージすることは私には苦痛。すぐにパニック発作が起きる。看護士さんに知らせてしまえばいいのに結構我慢してしまうから余計苦しくなる。そんなちっぽけなことで行きたくないと思ってしまう。ダメだな。
2007年06月21日
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昨日はパパが遅く帰って来たらしい。11時過ぎたらしい。 私は疲れて早く眠ってしまった。 暑かったこともあるけど、チビタマの宿題に親子で考えながら作文を書くというのがあったので、昨日やろうと言ったらチビタマやる気なし。いろいろあって疲れたのは私の方だ。 チビタマ、遊んで来たんだから、宿題やれよ(-_-メ) 今日も学校休みだからって、午前中は眼科行くし、午後は部活だよ。帰ってからなんて疲れて出来やしないと思うけど||(;-_-)||| 心配しても、チビタマやらないし、第一チビタマの問題だから。 私考え過ぎてお腹も頭も痛くなりました。病気になりそうです。 昨日洗濯した時、ユニフォームと保護者会揃いの応援Tシャツを干した。スポ少のチームでもあったけど、特別な洗濯物だから大事に干す。頑張ってきた先輩たちの時代に作った大切な物だし、重みをわかって欲しいと監督に言われてなるほどと思った。以来、どこのどんなユニフォームを見ても、そう思う。 卒業したらユニフォームもTシャツも後輩達に受けつがれる。 保護者会がある部活は面倒とか大変とか言われるが、私はそう思わない。 いろんなことを教わったし、一丸となって応援することは私の生活の一部になってしまったんだ。
2007年06月19日
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昨日は朝から中体連の応援に行った。チビタマは一年生だけど昨日一昨日と試合に出ていた。チビタマはリベロ。大きい先輩たちに混じってコートにいると大人の中にいる子供みたいだ。 決勝では先輩たちのすごいプレイと精神力を見せてもらった。苦戦しても苦しまず仲間たちと乗り切る。結果の優勝(ノ^^)八(^^ )ノ 県大会へ進み、やがて東北大会、全国大会へ進むだろう。 私たちは応援するしかないんだけど、子供達すごいな。 それで昨夜はおいしいお酒を呑んだ。祝勝会という子供達の頑張りを讃えた会だった。 これからも素晴らしい先輩たちと一緒にやれるなんて本当に幸せだ。 強いのにみんな仲がいいチーム。最高だとチビタマは言った。 昨夜眠れなかったオコジョは寝坊したし、チロは朝から体育があるのが嫌で支度が遅かったので二人とも学校へ送って行った。 オコジョはいいよ、市内だから。でも、チロは隣市だからね。 案の定ラッシュにあいチロは遅刻した。初遅刻。でも焦らず割と元気だったなぁ。 とりあえず良かった。 ちなみに今日はチビタマ、昨日一昨日の代休だからゆっくり。 くつろぎすぎて掃除ができない。部屋にでも行ってくれればいいのに。
2007年06月18日
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今日中体連。チビタマ試合に出られるかもしれないのに、外に出るの疲れた。 人と会うのも、話すのも嫌だ。 昨日、母と電話で言い合いになった。 母が遅い時間にわざわざ電話してきた。 かなり前、オコジョが具合悪かった時に子供達の行事が重なり、みていて欲しいと私が言ったら、「私に病気移す気か」ってみてくれなかった、ということ。 妹から、私がそう言っていたと聞いて、母は言ってないと言い張った。 うちではチロが具合悪くなり今日中体連の応援行けないかも、とかパンクしそうになっていたのに、母が応援行く車がないとか自分のことばかり言って自分勝手な母に怒りでいっぱいだった。 それなのに、今更母が自分は言ってないと言うので呆れた。 実際私は言われた側だし、言いがかりをつけたみたいに言われたことにブチ切れた。 今までも、いろいろあった。母は頼れないという気持ちはずっとあった。 同居しながら妹の子供を面倒見ない母は、自分は面倒見のいい人だと思っているんだろうか。普段構わないくせに、うちの子供達を連れて近所に自慢することも私は不満だったけど、ファッションみいなものだとあきらめていた。 私は自分で頑張ってしまうけど、どうしようもない時、一番困って頼りたい時にいつもつっぱねられる。 孫の面倒より自分が大事。 家事はしないが園芸だけはする。母の留守中乳飲み子の世話をしながらご飯を作ると、自分の植木はどうするんだと怒鳴る。 生きている人より植木か、と呆れ果てる。 そんなこともあり、私はとてもやる気もない。元気に暮らすことに疲れた。 今日はひたすらねてたい。
2007年06月16日
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相変わらず携帯から。パケット代が怖い。 昨日あれから出かけて、いろんな用事をすべて済ませて帰って来たら、午後3時だった。思い立ったらすべて一気にやってしまいたいから、元気のあるうちにと頑張りすぎた。 首の痛みもひどくなった。腰椎椎間板ヘルニアと頚椎椎間板症も持病だからしょうがない。 今日はゆっくりできるし、ゆっくりしましょうか。もぐらみたいにひっそりと、誰か帰って来るまでゴロゴロしたい。ご飯も面倒。 後で買い物と洗濯はしなくちゃね。今日のノルマです。やりたくないけどどうしてもやらなくてはいけないこと。 自分の意志でなく必要に迫られてやることはこんな事以外にもたくさんある。
2007年06月15日
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前から少し気になっていたチビタマの目。この季節必ずアレルギーで眼科行くし。それが昨夜一気に悪化した。 今日は魔の木曜日だからね。本人は体育の時間はバレーボールやるから行くって言っている。 でも間が悪すぎだよ。学校へ連絡した時なんてクラスと名字だけで、学年の先生にフルネームで当てられたからね。 いつもいつもこの子は月曜木曜日休むなぁと思っているのだろう。事実だからしょうがないけど、それをなんとか克服したいと思っているのです。 眼科行くにも時間を決めていたのに、もたもたと支度始めて、私はイライラしている。 今日私は午前中のうちにやってしまいたいことがあった。 私は午後から忙しく動きまわるのが嫌いだ。子供の帰って来る時間を気にしながらバタバタすると切羽詰まって事故ったり、何かと問題が起きることが多い。それで疲れて動けなくなる。 放課後部活だから通院できない分を今通院することにしているのだ。早くして、と言っているがあまり言うと、学校行かなくなってしまう心配もあるから我慢だ。 頼むよ!チビタマ。
2007年06月14日
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今日は暑かった。 タンスの中も布団も夏仕様に変えたが、暑くて異常なほど汗かいた。 そういえば私はあまり汗をかかない人だった。去年、通院して気がついたのは私も汗をかくんだなということ。もともと暑いのは割と平気なのに、去年春から肌寒くてもひとり汗をかいていた。 更年期がきたんだなと勝手に思い、先生に聞いたほどだ。結局更年期ではないですね、ということだったけど、私のような人こそ更年期が来るのは早いんじゃないかなと思っている。 今日はテストで早い帰りのチロと隣市で待ち合わせて帰った。待ち合わせまでにひとりで隣市をぐるぐるまわってみた。店で買い物したり、見て来るだけでも楽しい。 うちの市にはない隣市の百円ショップが好きで、一時間いた。ダイソーも好きで、あっちのダイソーは広いからカゴや園芸用品が豊富だとか、ここは狭いけどギフト関係やアロマグッズが豊富だとか、使い分けている。 今日は園芸用品が欲しかったからじっくりダイソー、のんびりうろうろがもう一カ所と歩いた。 腰が痛いのがつらい1日だったけど、草むしりを五分位やったし、満足。 不満のはまだパソコンが復旧しないこと。 自力では無理だからパパの弟の指示を仰ぐか。義妹は嫌だけど、義弟は害がないから私も発作が起きないし。
2007年06月12日
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今日はチビタマも学校へ自分の足で歩いて出かけた。 休んだ次の日はいつも気が重いらしく、たいてい車で送るはめになる。 掃除や洗濯を始めてからもやもやし始めるチビタマに多少イライラしながら送って行くので、帰ってからは続きをやる気ゼロ、体力ゼロになる。今日はそれがないからナイスだよ。 朝から天気もいいし、気になっていた掃除や洗濯をした。小学生がいるとズボンや靴下に砂が入っているらしく、必ず家や床に砂が運ばれてくる。しかも毎日。オマケにし~子さんが度々実家である我が家へ来るので、ここでも砂が運ばれてくる。 毎日ご飯を作り、掃除洗濯買い物などの繰り返し。一回で現状維持で三年とかってあればいいのに…。ズボラも面倒くさがりもここまで来れば、廃人同様だな。 最近し~子はひとり度重なる里帰り。 「やっぱり家は涼しいですね」 って。暑いからし~子たちの毛皮に地肌に直射日光直撃なんだろうな。 「ガングロはもう時代遅れなの」 …そうですね。でもまだ山形にガングロヤマンバメイクのギャルいたよ。おばちゃんが教えてあげたかったよ。「東京行く勇気なかったら、テレビでもみて勉強しなさい。」って。 そういえば、ここで猫を飼っていることはこの前大家さんにしっかりはっきりくっきりとばれてしまいました。 一家で引っ越す覚悟で落ち込んでいたのに、(パソコンが壊れた日あたりにばれていたことが判明した)ブログにも書けない位私はショックだったのに、「最後まで面倒みてあげないとダメだよ。」って大家さん! なんだ。あんなに心配して損した感じがする。でも、みつかる危険はあるのに内緒で飼うというストレスを一年近く持っていて、自分さえ楽になればいいと思っていたときはあった。し~子たちがいなくなったらどんなにか楽かもしれないって思ったのも事実だった。し~子がいなくなった事件でし~子がいなくなった時の心配や悲しみは耐えられなかった。それで猫かわいさに引っ越す覚悟ができたのに。 猫が住むには十分な環境だし、し~子たちったら大家さんにもなつき始めた。 「ジジみたい」 なんていわれてまんざらでもなさそうなし~子さん。 おかげで私たちは相変わらずここで暮らせている。安心していいとは思うが相変わらず住宅情報は見ている。
2007年06月12日
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昨日応援に行った時、当たり前だけどあのチームにはチビタマもSもKもいないんだなと実感した。新しいメンバーは頑張っていたけど調子が悪いかなと思う試合だった。ま、チビタマ達なんていつも緊張してたし、調子が悪い時もあった。今の子達がのびのびとプレイしてくれたらそれでいいんだ。また応援行きたいな。 結果は三位だったけど県大会でも頑張ってくれるでしょう\(^_^ )( ^_^)/ 帰り道、一緒に行ったSのお母さんとパパとお昼食べて来た。冷たい鶏そば、初めて食べた。鶏のだしが良く出て中細のそばによくからんでうまいっ♪d(⌒〇⌒)b♪ 西川のまるき屋。さすが空気も水もいいところ。前から気になっていたけど行って良かった。今度は家族で行きたいな。 帰ってから一品料理作って出かけた。 激励会では同じ小学校出身の先輩のお母さんたちもいたから、歓迎され日本酒も飲んじゃった。 飲まないつもりだったのに、飲んだ方が盛りあがる場合もあるんだな。 いっぱいしゃべったし、いろんな話を聞いたし、困り事の相談もした。私がチビタマで悩んでいることは周りの人たちも知っていたから、いろいろアドバイスをもらえて嬉しかった。緊張して出かけた会だけどとても楽しかった。 私は慣れないうちは人と話せない。飲んでしまえば大丈夫だけど。でも年中飲むわけにはいかないから、自然に慣れて行けたらと思って焦らないつもりだ。子供がらみの集まりなんだから、子供たちが楽しく頑張れたらいいんだし。 今日もいろいろあったけど、昨日のおかげで楽に暮らせた気がした。 チビタマは今日、魔の月曜日で案の定休んだ。金土日元気だったのに、今朝は青い顔でいつもの休む時と同じ状態だった。 何時からでもいいから学校に来るように、という先生の言葉は親にとってもプレッシャーだ。 どんなに親子二人で考えても煮詰まってしまえばどうにもならない。焦れば焦るほどお互いかみ合わない。気持ちがすれてしまうし、傷つけてしまう。 学校に行けないという事自体チビタマにとって苦痛なのに、周りで責めてもしょうがない。 何でもいいから誉めてあげて、という先輩のお母さんの言葉を思いだした。 今日からチロはテスト週間で、お昼は一緒に食べた。ほんとなら、チロと静かなランチを過ごす予定だったけど、チビタマも一緒のにぎやかなランチになった。 明日からは学校へ行く気でいるチビタマ。休まないで頑張れ(=^▽^=)
2007年06月11日
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今日は子供がらみの用事で多忙。 まず今日はチビタマが朝から練習試合だから、お弁当作って送り出しOK。 お弁当箱のでかいこと||(;-_-)||| パパよりおかずが多い。 次に、これから買い物行って、夕方からの集まりの時持って行く一品料理を作らなければ! そしてお昼前にはチビタマの後輩達の試合の応援へ。県大会へつながる試合だから応援しなきゃね。 応援行きたいけど自分も練習試合で忙しいチビタマの分も、応援してきますか。 そして夕方近くに集まって、中体連の激励会。 一気に何日分もの用事がきたo(><;)(;><)o
2007年06月10日
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またタイトルを長くして遊んでみたりする。\(^_^ )( ^_^)/ パソコンまだダメで、なんとかならんか(-_-メ)と思うけど、まだダメでした。 ブログ生活15日目にしてパソコンが動かなくなって、不便だと言いつつ3日たったということは、思いのたけを書きまくれない不満が溜まりまくりです。 そして天気は1日あやしかったので、今降るか…とハラハラ過ごし、やっと?降って来た!! 降るなら降って欲しいのですよ。降らないように見えて、降る、なんて嫌ですね。 洗濯物干した途端降るとか、出かけた途端降るなんて姑息な仕打ちはやめて欲しいわけです。 我が家は家族が多いから洗濯物も多いんです。 干した洗濯物を取る作業は大変なんだけど、雨に濡れたら更にその数倍大変なんだけど(ノ_-;) イライラともやもやとむかむかと眠いのがコラボです(ノ^^)八(^^ )ノ ||(;-_-)||| ヾ(≧∇≦*)〃 明日は忙しいぞ~o(><;)(;><)o
2007年06月09日
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炊事や車の運転、買い物などやっては痛みと手のしびれが不安だ。 曲がりにくい手にイライラo(>ε<)o パソコンはダメだしo(>ε<)o 一昨日し~子を乗せて近所をドライブしたら、後部座席にちょこんとすまして乗っていていい感じだったので、昨日もドライブ。 ところが、近くのコンビニでドアを開けたらし~子が降りてしまった(-。-;) 一昨日は窓を開けてもドアを開けても出なかった。なのにだ。 探してもいなかった。私たちの知らないケモノミチというものがあったらしい。 午後4時に見失って7時に無事自力で帰って挨拶にきた。車で2分程度の距離とは言え、エリア外だし大きな旅だったに違いない。家族みんなし~子の力に感動した\(^◇^)/ 子猫たちはお母ちゃんがいない、なんて騒ぐことなく、静かに過ごしていた。お母ちゃんの言いつけを守っていたのか? 子猫たちはネコパレスが気に入ったようで出入りしているのに、し~子は遠慮気味。頑固なのはし~子だけだよ(-_-メ)
2007年06月08日
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やっとスーパーのチラシ見る気力出てきたぞ(^_^) 午前中はたっぷり眠って終わってしまったし(;_;) それでもまだ眠いけど。 起きてから、チラシ見て買い物した。晩ご飯はチロが作ってくれるので、せめて買い物ぐらいして、メニューなど考えておかなきゃね。 昨日来ていた服は、雨に濡れ泥水がついたから、洗濯。 誰か干して~ と思うけど、洗濯物干し奉行な私は、きっとケチつけてしまうだろう(-。-;) こういうややこしい人は一人で暮らすがよい、と自分をいさめますか…
2007年06月07日
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まだパソコンダメだよ! どうやらうちのパソコンは古いからいろいろ不都合が出るらしい。 人間だけじゃなく、パソコンもガタがきたのね||(;-_-)||| 今日はチビタマダメそう。月曜日と木曜日は鬼門だo(>ε<)o 体力気力共にダメだよ。 昨日一昨日学校行けたからって一瞬夢を見たのかもね。チビタマ元に戻ったって、おもっちゃったからね。 手の痛みは指まで広がったし、痛み止めのおかげで眠いし、やる気ゼロ。
2007年06月07日
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いつの間にか、訪問者数が二千人を超えました。 見に来てくれた皆さん、間違って飛んできた皆さん、ありがとうございますm(_ _ )m 不意の怪我で、炊事が出来ない不自由な手ですが、食べることとブログに書き込めることが何よりです。
2007年06月06日
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タイトルから、篠原涼子の愛しさと切なさと心強さと、みたいになってしまったけど、実際のところそう言うしかない1日だった。 午後は人に会う用事があったし、その後小学校へ迎えに行って、中学校へ行き、終わったら雷雨! 一旦うちへ帰ってずぶ濡れの洗濯物を中へ入れて、窓を閉めてから、隣市のチロの学校へ迎えに行って来た。 帰ったらし~子が騒ぐのでご飯をあげたら、静かになった。 ゆっくり一息して晩ご飯を食べた。今日はホカ弁だ。 チビタマは部活だしパパはまだ帰ってないから、後で二人で何か食べてもらうことにした。 一安心したのはいいが、雷雨の関係か原因不明だがパソコンが使えない。 ニュースは見られないし、2ちゃんねるも、ブログも出来ないなんて(T_T) 携帯からです。あぁ不便o(>ε<)o 今日は珍しく人に会い、学校へ行き、迎えにも行って忙しく過ごしたというのに、雨には濡れたし雷はひどかったし、今日だけは頑張った私に何か文句あるの? と言いたい1日だった。 痛み止めの飲み薬のおかげか、疲れか、もう眠くて眠くて、ダメだー!! 今日はすべての用事を終了としたいところです。 (-.-)zzz
2007年06月06日
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チビタマは、昨日・今日続けて学校行ったし、部活にも参加して、元気になった。ホッとしていいんだと思うけれど、また明日あたりぶり返さないかと心配が残る。チビタマが学校行けるようになったら、したいことはたくさんあったはずなんだけど、ボーっとしてるか、寝てるか、何か食べてるか・・・。手だけじゃなくて体に力が入らない。今日は出かける用事があるので今から少し頑張ろうと思い、鏡を見たら、「疲れた・具合悪そう・むくんだ」怖そうなおばさん顔で、我ながらびっくりした。昨日は暑かったので、やたらと水分をとったなあ。私は普段、あまり鏡を見ない。今日、一回早起きして、みんなが出かけてから寝て、さっき起きたからかもしれないが、これが本当の姿。天気が崩れそうだけど、今日は洗濯物を干した。力が入らないから、しわを伸ばすことが出来ない・・・振ってもしわは伸びないんだ。・・・しょうがないから、しわしわのまま干した。昨日は医者でかなりの時間と気力を使ってしまった。何もしないつもりだったのに、生協で注文していた花の苗が届いた。・・・なぜこんな時に。たまたま遊びから帰ってきたオコジョに植えてもらった。ついでに、花の種を植えるために、左手だけでほかの場所に少し土を足したら、すごく大変だった。昨日の晩ご飯はチロが作ってくれた。学校で調理実習をやって、随分腕が上がった。私がいつも人に任せないでやってしまうから、チロがやってみる機会がなかんたんだね。朝、お弁当を作るのにチロとパパが四苦八苦していた。でも、出来なくはないんじゃないの?と思った。できないということは悔しいんだ。人に頼むということは耐えることでもある。
2007年06月06日
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整形外科ではレントゲンをとり、骨には異常がなく靭帯を痛めていることがわかった。今はまだ指を曲げられないし、重いものも持てない。物がつかめず、力が入らないなんて思ったより大変だ。待合室で骨折治療中のおばあさんがいて、友達らしき人や同じような症状の人と話をしていた。ギブスをする手が痛々しい。ぎちぎちに固められたこの手で何ができるんだろう。自分だけでは生活上困るのだろう。世話をするのって、初めはいいけど、周りも疲れてこないのかな・・・本人も気を使ってしまうんだろうな。レントゲンの結果待ちだった私は、そんなことを考えた。自分が骨折だったらギブスするんだろうか・・・拒否したい。爪が伸びたら切らなきゃと思うけど、不自由だったらそんなことさえ自分で出来ない。年老いたり、体が不自由になったとき、私は人の手を借りるのはきっと嫌だ。でも、人の手を借りないと暮らせなかったらどうするんだろう。人と関わりながら暮らすことはできるけど、誰かに甘えることが私の性格上無理で、もしも何かを頼んでも申し訳なくて気に病む。だから人には頼めない。何かあっても自分で抱えて処理してしまう私は、よく妹に、「家族なんだから、何かあったら言って。言って甘えても大丈夫な人と、ダメな人の区別くらいつくんでしょう?!」といわれてしまう。頭ではわかってるんだけど、身につかないんだよね。とりあえずギブスではなかったが、大そうな怪我に見えるような湿布の処置をされてきた。ギブスでなくても充分不自由。「あまり動かさないで下さい」と、お医者さんに言われたけれど、無理です。
2007年06月05日
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何ヶ月前かに、ここでパニック発作起きたんだなあと思い出したらブルー 手が痛いから、頑張ろう。
2007年06月05日
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傷といっても、昨日の怪我ではない。心の傷。私はパパと結婚して18年目だが、パパのほうの家族となじめないまま、今は決別している。義祖父母、義母、いくつも年上の義弟、義妹、親戚・・・パパが跡取だから、結婚して同居しなかったということが、向こうの家の恥だったのかもしれない。行けばいつも「同居をするのが当たり前なんだから早く帰って来い」「孫たちはここの幼稚園・学校に行くこと」「机を買ってあげるから帰ってきて住みなさい」「息子(パパ)が転勤になったのは、あんたと結婚したせい」「私たちの面倒は見てもらわなきゃ」・・・みんなで私に言った。パパのいないところで。いてもパパには家族の言うことは悪気がないというが。パパにも不信感、義家族には嫌悪感しかなかった。何年たっても、私はなじむことが出来なかった。足は遠のく。行かなかったら行かないで何かいわれるけど、行っても言われるんだし、行かない方がましだった。義母が亡くなったことで、私は何かが吹っ切れた気がした。嫁姑としての関係は薄かったけど、子供たちをかわいがってくれた。義母の言葉で苦しんだこともあったけど、亡くなったら苦しい気持ちは薄れてきた。私は、義妹がこの世で一番嫌いだということに去年気がついた。今まで18年近く鬱鬱した気持ちを常に持ったまま暮らしてきたのも、パパのほうの家族との関係が大きく原因していた。今まで何をしていても気が晴れることがなかった。先生は言った。「18年も積み重なってきたというのはつらいことです。本当の自分を取り戻すことを目標に、少しずつ解消していきましょうか」でも、あまりに長くて、何から紐解いたらいいのかわからない。「嫌なことを嫌と思い、口にするのもいいかもしれません」という、先生の言葉がなんだかしみた。「重圧で苦しんでいる」「私を否定されてつらい」「パパは何もわかってくれない」そう思いながら、その気持ちを蓋して、取り繕ってきたのだ。「パパの家族と会うだけでも体中の血の気がひいて息苦しくなって、体が震えて、このまま倒れそうになる」「つきあえない」って、言えていたら私の心の傷はこんなにこじれることはなかったかもしれない。通院して半年経った頃、パパに、「義妹と付き合うことは出来ない。顔も見ることが出来ない。声も聞きたくない」と、宣言した。パパは、「信じられない。あいつは悪いやつではない」と答えた。・・・・今はここで書けないが、いろいろ壮絶な出来事と、やり取りがあった。パパに、私をわかってもらうには先生から話をしてもらうのもいいかもしれないと思った。私は、通院日、パパも連れて行って、先生から説明してもらった。「だんな様にとっては受け入れたくないかもしれませんが、話を聞く限り何年も前からずっと、軽い鬱状態にはなっていたはずです。義妹さんとの関係が、奥様が今回うつ病を発症したきっかけになっていることは間違いありませんが。」「薬と通院で治りますか?」「・・・内科的なものではありませんから、薬で治るというものではありません」「ずっとこのままなんですか?」「・・・しばらく通院してもらいます。パニック発作もあるようですから薬も飲むことにはなりますが。」その後、またいろいろあって不眠症も出てきた。冬はずっと、苦しいときと、少し回復した時と、もっと苦しい時の繰り返しだった。今は落ち着いている。もしかしたらまた、いろんなことをためてしまっているときなのかもしれないけど。
2007年06月05日
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昨日の夕方から怪我したところが腫れて来た。曲げるのも力を入れるのも出来ない。晩ご飯は作れず外食になったが、今日からチロやチビタマが作ってくれるというので、お願いしようと思う。昨日は洗濯物をつかめず、干すことが出来なくなって、チロが帰ってくるまで待っていた。今日は、整形外科へ行って診てもらおう。レントゲンから何かで、午前中つぶれるだろう今朝早起きしたし、怪我と昨日の疲れのダメージで、力が出てこないから、寝ていたいんだけど。でも、とりあえず医者へ行っておかないとパパから「医者行ったか?何で行かなかったんだ?!医者行かないとダメなんだ」といわれるだろうし、私もまた我慢して家事などをやってしまい、みんなに「だいじょうぶなんだな」「何でもできるんだろう」と思われていたわってもらえないどころか、「何で何にも出来ていないんだ?」と怒りをかってしまうんだろう。「キーボードは打てるじゃないか?」って思うけど、親指とその周辺以外の指は何とかなる。段々右腕にも痛みが広がっていて、筋肉疲労?がひどくなってきた。
2007年06月05日
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先月飲み会のとき、ぶつけてきた左ひじがまだ痛む。普段は大丈夫だが、押すと痛い。(押さないといいの?)決して私が酔っ払ったからこんなところをぶつけてきたのではない。店のトイレでぶつけたのだが、座った時の左ひじの所に、水道管があった。狭いトイレだから10人入ったら9人はぶつけてくるはずだ。あとで入った人もひじをさすっていた。水道管は細いが頑丈なもので、思った以上に痛かった。今度この店に行くとき、のこぎりを持っていこうか。今日はまた新しい怪我をした。チビタマを無理やり学校へ連れて行ったので、通学かばんは私が持った。それを車に乗せるとき、なぜか右手親指にからまったままで、ひねってしまったらしい。痛くて騒ぎたかったが、真剣な状況だったので我慢した。段々痛くなり、とりあえず湿布を張っている。こんなことで思わぬ負傷をしてしまうものだ。そういえば、昔、酔っ払った祖父の動きの物まねをして、台所で足をぶつけてしまい、「なんだかジンジンしてあったかいなあ」と、足元を見たら、親指の爪が割れて血が流れていた。一緒にいた妹と2人で、「ぎゃー!!」と悲鳴をあげるくらいびっくりした。(はいていた厚地のスリッパに血がしみた)後で迎えに来たパパに、(結婚してチロも生まれていたのだ・・・馬鹿です)「足、どうした?」と、聞かれて即答できなかった。もちろん爪が割れているから、痛いし、靴下を履くことも怖くて出来ない。お風呂に入る時は負傷した足をスーパー袋で二~三重に包んで輪ゴムで止め、粘着テープで密封してから入らなければならない。こんな簡易包装じゃ、当然湯舟に負傷した足は入れられないから、浴槽のふちに足を乗せる。・・・というような、自分でしたこととはいえ爪が生え変わるまでの間、随分不自由な時期を過ごした。さっき、先生が帰っていった。チビタマは、先生とたくさん話をしたし、私も何だか楽になった。部活のハードさと、体力のなさで、部活を休むかやめるかの選択になるかと思っていた私たちは、担任の先生に、「好きな部活をやりたいという気持ちを大事にしたいし、あの練習について行ける人はなかなかいないんだから頑張ってみようか」ということだったので、とりあえず頑張ることになった。「学校にも毎日来て、疲れたり気持ちが悪くなったら保健室で休む方法もあるぞ」といわれたチビタマは、「じゃ、明日から頑張ってみます」と、明るく答えることが出来た。とりあえず、OK!じゃあ、私の右手の負傷は、「名誉の負傷」ということでいいか。
2007年06月04日
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晩ご飯に「ウーさんのしゅうまい」を作った。「ウーさん」というのは、料理研究家の「ウー・ウエン」先生だ。雑誌か何かでたまたま目にしたこのレシピが、簡単なのにジューシーな仕上がりで、以来私は度々作る。1 卵白一個分と片栗粉大さじ四杯を菜ばしでぐるぐる混ぜてふわふわにする。2 ひき肉250gに、酒・しょう油・オイスターソース・ごま油各大さじ1、こしょう少し、をいれて菜ばしでこれまたぐるぐる混ぜて粘りが出たら、みじん切りの玉ねぎ半個分、1のふわふわ卵を投入。またぐるぐる混ぜる。3 これをしゅうまいの皮約24枚で包んで、蒸す。こんな感じだった。包むのが一番手間だけど、失敗なく作れるし、おいしい。冷めてもおいしいので、お弁当にもいい。家族みんなで「ウーさんのしゅうまい」を食べ、そのおいしさに今日も、「ウーさん、ありがとう」と言いながら、争ってたくさん食した。お試しあれ。
2007年06月03日
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昨日のネコパレス工程 間違えてカットしたのに気づき、呆然とする。
2007年06月03日
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昨日、オコジョの汚してきたレインコートを洗った。泥がついたので水で洗っても取れなかった。石けんをつけたらきれいになった。良かった、また使えるじゃないか。私は結構しょうもないものを大事に使うんだなあ。小物用ハンガーの洗濯バサミが壊れてきたので交換して紐でつける。大事にされたしょうのないものがあることを自覚する。私は麻痺してわからないけど、よその人が「えっ?!」って思うのもあるんだろうな・・・。そのくせ変なこだわりがあるから粗末にしてしまうのが「紙類」。手紙を書いたり、自分で記録して残したいものは、何度も書き直すから納得いくまで書いていると、相当数の紙を消費する。もったいないよね。学生の頃もレポートや作文など、納得いくまで何度書き直したなあ。高校生だったからか?と思っていたけど、その時期だけではなかった。ちょっと先生に手紙を書く必要があっただけなのに、何枚も費やしてしまったり。今、手紙はできるだけ書かない。書き直す億劫さを考えたら、電話したほうがいい。紙類こそ大事にできるはずなんだが。だからお金が貯まらないのか。
2007年06月03日
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カーペットをクリーニングに出そうとして、表示ラベルを見たら、クリーニングできない。手洗いは大丈夫らしいが、こんな重いのに・・・億劫だったからそれを気に病んだまま最近まで敷いたままだった。でも、子猫がおもらししてしまったため、洗わねば・・・とりあえず洗濯機にいれて見たら入ったので、無謀にも洗濯を始めることにした。・・・大丈夫、回る。失敗したら子供たちもし~子もがっかりするだろう。3人と1匹でごろごろするのだ。洗濯終了後干したが異常なし。良かった。
2007年06月03日
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なかなかし~子達はネコパレスへ入らず。帰って来たチビタマが、「ちくわもダメなんだったら、またたび置けばいいんじゃね?」と言う一言で、またたびの枝を買いに行った。し~子や子猫たちはまたたびに超反応する。し~子も子猫もついて来る。それをネコパレス入口と内部に入れ、子猫を入居させたら喜んでいたが、夢から覚めた?し~子が呼びに来ると、再び外に出る・・・・・。し~子も決してまたたび入りネコパレスに興味がないわけではない。くんくん匂いをかいで、枝を齧って恍惚の表情になるが、それをネコパレス付近へ戻すと、夢から覚める。・・・・・。しょうがない。こんくらべだ。あんまり入居活動を推進しすぎたせいで、怒ったし~子は子猫たちと物置の陰で野宿する気でいる。ご飯と水は外にあるし、またたびの臭いがにおってくるとちょっとうろうろする。雨が降ったり、不自由があれば訴えてくるはず。今までうちにいた子猫たちが外に行くのはとっても心配で、気になってしまうのに、みんな「自由だー!!」と叫ばんばかりに、日没まで動き回ったり探検したりしていた。子猫たちにとっては脱走だけでは運動量が足らなかったんですか・・・と思わずにいられない。のびのびのびのび。日が暮れてから、洗濯物を干しながらベランダから見た。みんなで屋根の下の猫にとってはいい感じのところへ集まって寝たり、周辺を動いたりしていた。今までのし~子は、私がベランダにいるとわかれば、外にいてもどこからでも走ってきてはベランダへ行きたがって、帰ってくるのに。うちの中にいても、私のところへやってきて、気が済むまでベランダ時間を過ごしていた。私が出かけるとき、ベランダ時間を過ごしていても、「私お留守番するから。じゃね、気をつけてね。行ってらっしゃい」とでもいうように、ベランダの手すりの下の隙間からのぞいて見送ってくれたんだ。
2007年06月02日
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板を買った。店員さんに図を見せて切ったもらうが、細かい所は無理っぽく、でも「向こうの作業コーナーに電気カッター(?)はあるので、良かったらそちらでやってみませんか?ネジや道具などもあるので自由に使ってください」と言われたので、切って来た。さすがに丸い穴を開けたり出来なかったが、まあまあの切れかただった。うちに持ち帰って組み立てようとしたら、「・・・がーん!!!」なんと、屋根と床にしようと思っていた部分を正面だと勘違いして切ってしまったのに気づく。しばしパパと考えて、何とかなる、と安心したところへ、「こんにちは」・・・車で大家さんが野菜を持って来たじゃないか。パパと私はあせりまくり。「何してんの?」「あの、園芸用の土を入れるのを作ってて」そこへ、我が家の窓からかすかに「にゃあにゃあ」と聞こえた。パパが慌てて窓を閉めに行く間、私はチューリップの植えてあった土を指差し、「土が足りないからか球根が出てしまったのってどうすれば・・・」などと、窓から遠くへおびき寄せる。そして多少話をした後、帰っていった。心臓が!!しばらく不整脈のような状態から抜け出せないまま、組み立ての続きをしたが出来上がったときには脱力感で幽体離脱しそうだった。カンカン照りの中、パパが作ってくれた「ネコパレス45」は何とか完成した。と言うより、床板と屋根が短くなってしまったので、出入り簡単の高床式になった。しばらくコレで暮らしてもらい、補修をして行こう。あとは入居式。家族で猫たちを連れてきて、新築したばかりの家へ入れた。そして写真をとった。し~子はびっくりして逃げ出した。子猫たちはきょとんとしている。・・・新居はお気に召さなかったか?もう一度し~子を入居させ、安心した私たちは「引越しそば」ならぬ「引越しご飯」を食べた。そしてし~子たちはしばし日向ぼっこをし、新築ネコパレスではなく、物置の日陰にいた。・・・。し~子達を連れ出して入居させ、逃げられてはちくわでおびき寄せては入居させ・・・を何度かしたけれど、無理!まあいい。あとで入ってみる気になったらどうぞ。
2007年06月02日
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チビタマはさっき練習試合に出かけた。昨日の夜から今朝にかけて動いているチビタマを見たのは、正味一時間もないと思う。夜の練習を見に行った時、とてもハードな練習とボール拾いをひたすらやっていた。そして、帰りの車に中で「もう、やめてやる!!」と言った。夜、遅い夕飯を食べた後にパパと少し言い合いになって、ふてくされてすぐ寝た。今朝は出かける30分前に起き、昨日着ていた体育着のままもりもりご飯を食べて、出かけていった。筋肉疲労、精神的疲労などもあり、限界を越えていたと思ったのに、今朝は思った以上に元気で、自分でドリンクを作って行った。ネコパレス計画は子供たちも楽しみにしているが、チビタマも喜び、「良かったな、し~子。新築マイホーム」と言って、楽しみにしている。本当はチビタマも作りたいと思う。でも、時間がない。今朝、チビタマの好きなベーコンを焼いてあげた。実はチビタマだけでなく、し~子もベーコンが大好き。塩っ辛いのであげていないが、ベーコンを焼いた時必ず「くれ!くれ!」と言う。いつだったか、ちょっと目を離した隙にテーブルに上ってベーコンを食べていた。以来、ベーコンは要注意。
2007年06月02日
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疲れた。今日一日長かった。今日は、チビタマの部活が夜の練習だったので、チビタマの迎えをお願いしたかったが、パパは夕方から連絡がつかず、私はかなりむかついた。疲れたけれど、何だかんだ用事があって、横になることが出来なかった。疲れてため息しか出ないけど、チビタマの迎えに行って11時過ぎ帰って来た。くたくたに疲れたチビタマに、何とか夕飯を出した。こんな日は、チビタマが疲れすぎて食べられないから、うどんを軽く作った。パパも、連絡できる状態にあったくせに、連絡なしで出かけていたことも、文句が言いたいが、疲れて言えない。私はこうやって、不満を飲み込んでためてしまう。もともと我慢強いほうだし、ひとりで抱えてしまうからストレスがたまりやすいのだろう。明日早く起きてお弁当を作ってチビタマを部活に送り出さなきゃ。そして、猫たちの家を作るんだ。
2007年06月01日
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洗濯している間に、猫たちの住む家の計画を立てた。大まかな設計図を基に、猫たちが住める大きさを考えて、それに合うような材木などを下見。材木といってもいろいろあるんだね・・・今まで無縁だったので、なるほど、といった感じ。予算は3,000円くらいで済ませたい。でも、考えていた長さと合うものがなく、悩んだ。うちに帰って計画を練り直し、結局、多少合わなくてもホームセンターで切ってもらうことにし、何とかなりそう。なにぶん、私にとって日曜大工は中学校以来なので、欠陥住宅にならないといいが・・・かといってパパも、日曜大工はできるのか?? なぞだ。結婚してからパパの日曜大工は見たことがなく、・・・怪しいぞ。そうと決まれば、今日のうちに買って作りたい位だ。なぜなら、おとなしいと思っていた子猫たち、ダンボールハウスの母屋のほうでなく、もうひとつの部屋でおしっこ満タン・・・・・ペットシーツも何のその。ああああ・・・天気もいいから、土を足して花の種を植えてしまわねば。思い立ったら調子のいいときにやってしまいたい。私が外出不能にならないうちに・・・
2007年06月01日
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チロを迎えがてら、ランチしてきた。チロと行くときはここ、チビタマやオコジョと行くときはここって大体決めてある。チロは落ち着いた店が好きだ。ガヤガヤしたところでなく、少し大人のお店?がいいという。帰りに、ケーキを買ってきた。二人の秘密。こういうことをほかの子供たちともそれぞれやっているので、不公平にはならない。迎えに行く車の中で、空が晴れてくるのを目の当たりにした。気持ちのいい天気。かえったら洗濯しようと思い、帰って来た。山盛りの洗濯物が、雨でぬれたものだったり汗臭かったり、脱衣所周辺に来ていい気分ではなかった。山になった洗濯物を仕分けしながら、こんなに洗濯してなかったんだ、と実感!よーし、退治してやる!洗濯機に入れて退治した気分。洗い終わったら復活するけど、ハンガーや洗濯バサミで捕らわれの身になるからね。心配しながらでかけたけれど、し~子達はおとなしく、悪さもせずに留守番していた。いない間、脱走しておしっこしてたらいやだな、と言う不安は消えた。し~子に「しーちゃん、こんにちは」といったら、「おにゃな」と返って来た。この前は、「エス、オ、ワン」といったと子供たちが大騒ぎしていたが、「し~子、人間とたくさん会話しようと頑張っているのだな?夜の長い外出時、発声練習でもしているんですかね? ねえしーちゃん」・・・と、不意に話し掛けたら、とってもびっくりしたし~子がピリピリした様子で、姿勢を正した。
2007年06月01日
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よくパパに言われるし自覚もしているが、私はとても小さなことを必要以上に気にすることがある。例えば、誰かの不意な訪問には弱い。理由はもちろん、ダラ奥だからだ。どんなに、洗濯、水周りの掃除、炊事、子供やネコの世話を頑張っても、苦手なことがある。それは掃除と片づけだ。私は決して汚部屋が好きな訳ではない。できるだけきれいにしたいほうだ。でも、家族やネコと暮らすって言うことは思い通りにはならない。皆勝手に茶の間を占領し、自分のものを出したまま。片づけてあげると「アレない」 「コレない」が始まる。さすがにネコは物を出したり、「昨日のあの魚、ママさん知らない?」なんてことはないから良いのだが。せっかくきれいにしても、オコジョが帰りチビタマが帰ってくるとほぼ元通り。・・・脱いだ靴下は出したまま、来ていた服が散乱。・・・教科書を出した時開けた状態のままのランドセル。・・・自分で出したプリントで不意に滑る、猫たちも滑る。お菓子を食べたらごみは床やテーブルに出したまま捨てない。・・そして、必ずいるはずなのに、「コレ誰?」と聞くと、返事は必ず「俺じゃない」「私じゃない」だもんな。毎日同じことを繰り返すストレス。いつもいつもきれいにできるほど私は出来ていない。「自分で出したもの位、自分でやって」と、何度言ったか。そんなだから、散らかっている時に誰かが来ると上げたくない。子供の友達が予告なくやってくるとなると、すっごく困る。悪いけど、本気で「ダメ!」と言ってしまいたい。パパは、「多少散らかってたほうが、子供にとってはおもしろいんだ」なんて言う。「ママ、大丈夫。もう少しおおらかでいいよ」なんて、とっても人が出来ている?はずのパパだけど、土日シャツとトランクス、良くてもパジャマでだらしなく暮らしていたとき、必死になって隠れたり、「うちでなく外行きなさい」と言っていたじゃないか。
2007年06月01日
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そういえば私は、子供時代、とっても欲しくてあこがれていたものがあった。同時に、ちょっと一言くらい余計なことを言い、両親、祖父母に怒られていた。幼稚園や学校ではいつもおとなしく、何も話さなかったから、その分家庭生活では炸裂したのかもしれないが。祖母に連れられ、近くの墓地へ行った。祖母が畑から採ってきたばかりの花と、線香、ろうそくなどをもって、我が家のお墓の掃除をし、皆でお参りをするためのに来たのだ。妹と私はいろいろあるお墓を見ていたが、祖母が連れて行ったのは、墓石とは言いがたいただの大きな石だった。子供ながらに、「さよちゃんちのお墓は黒くてぴかぴかなのに」「けんじくんちのは作ったばっかりって言ってて、新しいのに」「ママの実家のお墓もよかった」などと、墓石に対して劣等感でいっぱいだった。妹と一緒にいろんなお墓を見て回った私は、妹に、「ほんとはどのお墓がいい?私は遠藤さんのだよ」と、こっそり言って、『遠藤家』と彫ってある、けんじくんちのお墓に妹を案内した。そして、ひそかに遠藤さんちのお墓にあこがれていて、私もああいうのが欲しいと思い、勝手に手を合わせていた。たまたま会ったさよちゃんが、きれいなお墓に手を合わせているのを見た。石には「伊藤家之墓」と彫ってある。私は祖母に、「なんて書いてあるの?何で苗字なの?」と聞いた。そして、たくさんお墓があっても皆自分のうちのお墓だって何でわかるんだろうと思っていた疑問も解けた。きれいな浴衣を着て髪をかわいく結ってもらって、かわいいポシェットをしているさよちゃんはとってもかわいがられていて、うらやましい気持ちでいっぱいになった。うちに帰って、家族全員でご飯を食べていた時とうとう私は、「なんでけんじくんのお墓は新しいの?うちのはなんで石なの?よそのおうちのお墓はちゃんとしてたよ。」というと、酔っ払った祖父が言った。「遠藤さんのうちは、ばさまが死んだんだ。風呂でヨ」黙ってご飯を食べ、降って沸いた墓石話に父が、「お墓はお金ないと作れないんだよ。お金かかるんだ」と言った。・・・風呂でおばあちゃんが死んだのと、お墓が新しいのは何の関係があるのか全くわかっていなかった私は、「うちも、けんじくんみたいなお墓だといいのに。あーあ、はやくうちもお墓作れればいいのに」と、いつまでも言っていたので、祖母に「バカタレッ! じさまかばさまでも死ねばいいと思ってんのか?」と、怒鳴られ、このやり取りをイライラ聞いていた母に、黙って小突かれた。妹は青くなっていた。それから何年もたち、私が結婚してから、祖父も祖母も亡くなった。そして、私も忘れていたが、子供時代に私の「お墓話」を聞いた人に、「じいちゃんも、ばあちゃんもいいお墓に入ったね。」と言われる。今でもこの話を、妹とすることがある。妹は、「お姉ちゃんの命知らずな暴言で、私、どのくらい冷や汗かいたかわからない」と言う。どのくらい、ってことは、この手の話がまだまだあるってことか。今度妹に聞いてみよう。
2007年06月01日
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今日もまた、早く目が覚めてしまった。子猫たちは、これまた早く目が覚めたようで、箱から出たりじゃれあったりして、朝から大フィーバー。し~子は一応箱に戻らせたり、行動を監視して危なくないようにしているのだが、子猫たちにはおかまいなし。せっかく新聞を読んでいた私の所に、もぐりこむようにやってきたので、よく見たらし~子だった。「さむいんですの」「皆で集まって寝たらいいでしょ、しーちゃん」「ええ、もう集まりました。せまいんですの」という、脳内会話をした後、し~子はダンボールハウスへ戻っていき、子猫たちもおとなしくなった。今日はパパが本社で会議があるので市内通勤だし、チロは高校総体で午前授業だから、お弁当を作らなくてもいい 昨夜パパと、話をしていて思い出したことがある。「アジ塩ぐりぐり事件」だ。ある人が高校生の夏、家族でスイカを食べていた。乗りのいい子だったので、いろんな話をするうちに「友人は自分の母親のことを『おかあ』とよぶ。いとこは『おかん』、先輩は女の子なのに『おふくろ』と呼ぶんだって。おもしろいね。おかん」と、自分の母親に軽い気持ちで言ったら、母親がスイカを食べる手を止め、「おかんじゃない!!」と、いつの間にか持っていたアジ塩のビンの底で、二の腕のあたりをぐりぐりやってきた。あまりの痛さと、母親の唐突な信じられない攻撃にびっくりし、学校で友人たちに母親の奇行を触れ回った。高校を卒業しても、事あるごとに人に話しつづけたので、『アジ塩ぐりぐり事件』と名づけられ、今でも話題になるmarchinの暗くて陽気な過去だ。あの時の二の腕の痛さは、20年経っても思い出してしまう。
2007年06月01日
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やはり、私は何かを食べると元気になるらしく、夕飯を食べたらまたおちついてきた。レトルトのカレーは最近味が良くなったのか、子供たちも文句を言わず、「ほか弁屋さんのカレーみたいな味がするね」と言い、思ったより好評だった。うちはヨーグルトを買うとき断然プレーン派だ。家族五人、しかも食べ盛りの子供がいると、「アロエ」「フルーツ」入りのはあっという間になくなる。三個パックを三人仲良く食べればいいのに、「ない」と言う子が必ず出てくる。んじゃ六個パックを、と買ってきても同じ。「二種類あるから各二個ずつ」と言ってあげても、合わなくなる。もう、めんどっちい。そういうことでプレーンになった気がする。プレーンの方が味、自在だし。しばらくはフルーツヨーグルトにしたり、ジャムを入れたりしていた。あるとき、チビタマが「友だちのうちで食べたんだけど、メープルシロップもおいしい」と言うので、そんなにおいしいなら、と、わざわざ買ってきた。・・・うん、うまい。今皆ではまっている。ところで今日の子猫たちは、静かだった。たまに脱走したりしていたが、気がつくと皆で集まって寝ている。そういえば、し~子もそうだけど、「ネコは雨の日、寝て過ごす」って聞いたことがある。静かな雨の日、子猫たちが体を寄せ合うように眠る姿は、とてもかわいかった。チビタマにはどんなに怒っていても、猫たちに猫なで声で話をし、ねこっかわいがりをしてしまうこのギャップは、何なのだろう・・・さっきの、オコジョとチビタマの会話。「兄ちゃん今日、秘密基地作ったんだ」「どこどこ?兄ちゃん見せて!」???と思う私が良く話を聞いていると、今日のあの「バリケード」の向こう側に秘密基地を作っていたらしい。「兄ちゃん、どこから入るの?」「失敗して、出入りできなかったんだ。だから改装中」と言って、タンスを少し動かし始めた。「バリケードなんて」とショックを感じ、怒った私だったが、その向こうに楽しい世界を作っていたなんて。しかも「秘密基地」なんて、まだまだ子供じゃないか。そうか、と少し安心してきた。
2007年05月31日
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まだ、気が晴れない。むかついて、眠くて、文句ばっかりしか出てこない。よし、こんな日の晩ご飯はレトルトカレーだ。いつもは気が引けて晩ご飯にレトルトカレーなんて出せない。でも、すんごーいダメージでご飯なんて作る気にならない。・・・何も知らずに頑張ってきたパパや、チロ、オコジョに悪いから、お惣菜のカツをつけよう。デザートにはせめて、ヨーグルトをつけて・・・今日は一日雨降り。チロから、「雨なんで、帰りは学校まで迎えにきてください」 というメールがきたので、隣市の高校まで迎えに行った。ストレスがたまりまくっていたので、思い切りCDをかけて歌いながら運転。私の愛車には、浜田省吾、ZARD、アンダーグラフ、ドリカム、松田聖子、村下孝蔵・・・などのCDを持っていく。ストレスがたまると次々替えて、がんがん歌う。時々、隣の車の人や、対向車の人に見えることもあるのか、じっと見られることもあり、はずかしいので信号待ちなどでは、口をなるべく開けないで腹話術のように歌ったりする。
2007年05月31日
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私は子供時代、簡単に何でも買ってもらえる家庭ではなかった。洋服も二枚くらいしかなかったらしい。幸運にも、私の通っていた小学校は体育着で通学する決まりだったから、学校で不自由することはなかった。問題は休日で、体育着を洗ってもらい、私服でいるのは不自由だった。そんな状態だから、はやりもののおもちゃなどはもってのほか。文具も大人用の渋いやつを使っていた。皆がかわいい絵柄のついた消しゴムを持っていても、私のは昔ながらの「ゴムです。ゴムで出来ています。歴史はありますよ」とでも勝手に言いそうなゴムくさいやつだった。友達やいとこと遊んでいても、私の持ち物は少なく、忘れる心配もなければなくす心配もなかった。それでもなくさないようにと、結構几帳面にでかでかと記名していた。あるとき、りかちゃん人形で遊んでいた私たちは、「marchinちゃんのお人形、りかちゃんじゃないね」「そうだよ。私のお人形はりかちゃんのお友達の『はるみちゃん』っていうの」「だから、服が一枚しかないんだね」・・・不思議に思った私は、母に「りかちゃんはお洋服いっぱいあるのに、何ではるみちゃんのはこれしかないの?」と聞いた。仕事から帰って、忙しく夕飯などの支度をしていた母は、イライラして言った。「そんなことよりばあちゃんが何でmarchinの服もっと買ってきてくれないかね」大人の事情は良くわからないけれど、聞いてはいけないことを聞いた気分でいた。はるみちゃんの服は自分で何とかしなくちゃ、と思った私は、父に聞いた。「はるみちゃんとか、私の服は何でできているの?」「布だよ」「布って何で出来ているの?」「もめんだな。ママかばあちゃんが持っていると思うから聞いたらいい。」翌日祖母にその話をしたら、とっても地味な生地を少しくれた。うれしくはあったが、「はるみちゃんは有名じゃないからりかちゃんよりかわいくしてあげなくちゃ」と、なんとなく思い、母や叔母など数人に「布ちょうだい」と言い、いろんな布を集めた。そしてみようみまねで服を作り始めた。まるで折り紙でもする感覚で、下手くそに大まかに縫った筒状のものはスカート、工作するように大胆に切って、切りすぎて失敗しては布を足してまた縫い付けて、出来たものは「シンデレラがおうちにいる時着ていたつぎはぎの服」のようだった。それで、なんとなく材料さえわかれば作れるかもしれないと思い込んだ私は、必要なものができると何かと父に「何で出来ているの?」と聞いた。時には、ゴムとか、プラスチック、鉄、なんていうものがあったりして、私にはどうすることも出来なかったが。
2007年05月31日
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今日は、壮絶で多忙だった。あのあと、チビタマの担任の先生から電話があり、「元気はあるんですけど、出かける準備をしないんです」「じゃ、あとでぜひ送って来てください」と言う会話をした後、チビタマに登校することを促しつづけた。返事もせず、無反応なチビタマに頭に来た私は、「学校にも行けないんだったら、部活なんか辞めてしまえ」「顧問の先生には、たまにしか来られないから試合も遠征も出さなくって結構ですって言うから」「どうせまたこいつ休みでしょって皆に言われたいのね?」などど、言わなくてもいいようなことを言ってしまった。怒ったチビタマは「ダン!ダン!!」とわざと音を立てて二階へ行った。いつまでもうるさいから、お隣今日休みでうちにいるから迷惑かける、と思った私が、チビタマの部屋へ行って見た物は、タンスを動かしてできたバリケードだった。「・・・・・・」絶句しても始まらない。やっと入れた隙間から行って、我慢の限界を超えた私は、チビタマに「ママは今日の今日まで我慢をしてきた。だからさっき怒った。甘えるのもいい加減にしろ!」と言い、頭をパシッと一発叩いた。パパの携帯へ電話するがつながらない。我が家の男どもは!!こんなに困っているのに、何にもならない!そして、感情の赴くまま外へ出て行った。車で少し遠い店にでも行って豪遊して、オコジョが帰ってくる時間になってから戻るか、或いはもう戻らず好きなことをするか・・・店に着いて、買い物かごを持った私は、とってもお腹がすいていたことに気がついた。ここのお弁当はおいしいのだ。チビタマの分も買ってやろう。・・・結局あんなに怒ってもあいつを見捨てられないなんて・・・そう思いながら帰ってきて、チビタマの部屋を見たら、バリケードは更に強度を増していた。「チビタマ、腹減ってないの?」「もういい、学校行くくらいなら何も食べない」「・・・私も考えたんだけど、学校、もういいよ。先生にはそう言っておく。お弁当買ってきたから食べよう。私も腹へって疲れた」そして、チビタマは自分でなんとかバリケードを崩してやってきた。「うまいよ、コレ。チビタマも食べて見たら?」「うん」「コレ、みんなに内緒だよ。ママが食べたかったから買ってきたんだ」「ありがとう」食べたからか、お互い落ち着いてきた。食後、チビタマはちゃんと片付けもした。昨日学校へ行けたからって、チビタマにとっては終わった問題ではなかったのかもしれない。学校へ行き、部活して、宿題を済ませてすっきりした表情に見えていたからと、勝手に期待し過ぎたのだろう。先はまだまだ長いのかもしれない。
2007年05月31日
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ずっと悩んでいることがある。猫たちと一緒に暮らせる家探しだ。学区内で、できれば今の家近辺の一軒家をさがしているが、なかなかない。焦ってもしょうがないが、何とかしなければならない問題が起こった。子猫がおもらしをするのだ。今は賃貸に住んでいるので、本当は動物を飼ってはいけない。以前、金魚やカブト虫なんかを飼ったことはあるが、今回は人に迷惑をかけてしまうおそれのある猫だ。時々大家さんが来る。幸いし~子は、うちでトイレが出来ないから、今までは臭いの心配もなかったし、えさだけ見えないところへ移動する。大変なのはし~子を必死で隠したり、外へ出したりすること。・・・とっても心臓に悪くて、私の寿命が縮まるってものだ。猫たちが来なかったらそんな心配をする必要はなかった。けれど、そんなことは言っていられない。早急に考え、対策しないと・・・とりあえず思いついたことは、木で小屋を作って外へ置くことだ。間違っても日曜大工の犬小屋のように、赤や青のペンキで塗ってはいけない。「し~子」などと表札なんかもダメだ。外見はあくまでも「物入れ」に見えるようにし、ちゃんと床も作る。大家さんに聞かれる事があったら(ないが)、園芸用の土(が好きな猫)を入れています、って言えばいい?!ずっと付き合ってきてわかったことは、し~子は完全家猫にはなれない。畑やちょっとした庭土があって、猫たちが散歩したり遊びに行く場所がないとダメなのだ。そのために私は、我が家エリアに園芸用の土を敷き、球根を植えたり、花のたねを植えている。耕したばかりのふかふかの土は、気持ちがいいらしい。さすが野良を二年ばかりやってきた猫だ。腰が悪い私は、風呂掃除をパスして家族にしてもらったりするが、し~子の為に球根や花のたねを植えるためには頑張れる。体力の限界は来てしまうので、30分ともたないが・・・し~子達にはその小屋に住んでもらって、外で暮らせる環境を作ればいいのではないか?そうすれば、し~子と離れることもないし、大家さんにも見つかりにくいので、私の寿命も延びそうだ。そうとなったら、明日は設計図作りだ。それをもとに、ホームセンターなどへ買いに行こう!パパに話したら、「ナイスアイデアだ!」と言われた。2人で、「雨降った時のために屋根には波板は欠かせないね」「風が強いときでも屋根が飛ばないようにしたいね」「窓、と言うか出入口は微妙に工夫してこだわってつけたい」などと盛上った。・・・おいおい、私たちが住む家ではないのだよ。とりあえず明日は、子猫のおもらしと戦いながら設計図を書こう。・・と言う、能天気かもしれない(実感ないけど)私の「ネコパレス45(し~子)」計画がスタートする。
2007年05月30日
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