いっぽいっぽ

いっぽいっぽ

幼児期編(+保育園2年)


自閉傾向、当時よく使われていましたが次男はそのように診断されました。
王子クリニックは療育をしていましたが、自宅から通える距離でなく費用的にも工面できず診断を受けただけになりました。
3歳児健診でもほとんど言葉を話さない次男は長男が通った発達センターへ通うようになりました。
個別指導で何をしたのか全く覚えていません・・・
長男が不登校になった時期と重なっていて私もいっぱいいっぱいでした。
長男が毎日登校することが最優先で後回しにできることはすべて後回しにしていたと思います。

センターで幼稚園は無理そうなので、障がい児枠で保育園に入園するように勧められそのようになりました。

◆年中
保育園では年中さんのクラスに加配の先生を配属していただいて入園しました。
オムツも入園ぎりぎりの3月に取れたか失敗するかの時期でした。
保育園ではお昼寝があります。
4月中はよくお昼寝をしないので迎えに来てくれと電話があり迎えに行っていました。
またまだその当時私が仕事をしていなかったこともあり、みんなより早く迎えに来てほしいと園長から言われたこともありました。

私もパートで仕事をしないといけない状況になり、次男が入園した6月に毎日お昼過ぎまでパートで働くようになりました。

次男は保育園ですごく伸びました。
加配の先生にだっこされていることも多かったのですが、二語文も出るようになり、みんなと一緒にできないこともありましたがクリスマス会の劇などは役をもらって上手に演技していて涙なしでは見られないほど感激したのを覚えています。

あるとき面談で園に行った時、教室で先生を待っている間何気なくおいてあった資料に目をやると、次男の名前の脇に「言語発達遅滞」と書かれていました。
当時(平成10年ごろ?)は発達障害の診断名を教えてくれる医療機関はほとんどなかったように思います。
ああ、市の発達センターでの診断名は親の私には教えてくれないのに保育園にはそういう風に通知してたんだな・・・と思いました。

その発達センターも長男を一緒に連れて行くと「お兄ちゃんを一緒に連れてこないように」と言われるようになりました。
先生や私が長男の相手もしなくてはいけなくなり次男のための個別指導ができないからとのこと。
どこかに長男を預けるあても、シッターの費用もなかったので発達センターに通うのをやめることにして「ポーテージ療育プログラム」というのを始めました。

これは発達に遅れのある子どもへ個別に課題を設け、家庭で取り組んでいくものです。
通信教育?みたいなものかな?
何ヶ月かに一回チェックシートを持って支部みたいなところに行くと先生から次はこれとこれをやってみてくださいみたいに言われます。
これに1年くらい取り組んだ覚えがあります。

◆年長
春~秋までほとんど記憶にありません・・・(本当にごめんね;;)
就学時健診には長男同様行き、どうなるかな・・・と思いましたが長男よりも同年齢のお子さんよりできることが少ない次男 次男も支援学級入級の話はありませんでした。
通常級に入学するにあたりどうやって担任に次男を理解してもらうか、卒園までそればかり考えていたように思います。

卒園間近 このまま保育園にいられたらどれだけいいか・・・と毎日思っていました。
先生が卒園式で歌う歌のピアノの伴奏の練習を聴いているだけで泣きそうでした。
卒園式、みんなと同じように花道を歩き卒園証書をもらう次男に涙が止まりませんでした。
二年間担任として受け持ってもらった(名前は忘れてしまったけど・・・)先生と加配の先生、ほんとうにお世話になりました。

次男の記録なのに、私の思い出話みたいになっている・・・

2019/03/01


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