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3月も今日で終わりです。桜の開花が京都では4月2日の予想です。4月1日から祇園では、【都をどり】が華々しく開園、舞妓さんの艶やかな姿が大勢参加、「都をどりを よいやさぁ~」と掛け声で始まります。春が一気に訪れた雰囲気になります。 禅宗には、臨済宗・曹洞宗そして本日の黄檗宗があります。曹洞宗では、観光寺院としてはなく黄檗宗では、庭園がありません。座禅・修行本意に造られています。 【黄檗山万福寺】 (おうばくさん・まんぷくじ) 黄檗宗総本山宇治は日本でも有名な茶処、JR黄檗京阪黄檗駅の近くにあります。【駒蹄影園碑】が、総門の前に建っています。 駒蹄影園碑 鎌倉時代の初めごろ宇治の里人たちが、茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)上人が、馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひずめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。この碑は明恵上人の感謝とその功績を顕彰するために建てられました。 「栂山(とがやま)の 尾上(おのえ)の茶の 木分け植えて 跡(あと)ぞ生(お)ふべし 駒の足影 明恵総門前の碑の側に龍の目の井戸がありました。 総門は、龍の頭 総門 龍の蛇腹を象った菱形の敷石(禅寺では多く見掛けます) 龍の蛇腹を模した参道 菱形石 山門 山門山門の前の碑 にんにく・酒を口にした人、入るべからず。中国風の門「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼万福寺は、開山 隠元(いんげん)禅師で10代まで中国の僧でした。従って、境内は中国風の雰囲気に充ちているため詠われたもの。 【布袋尊】(ほていそん) 都七福神 巡礼所のひとつ。 布袋尊 みやこ七福神のひとつ写真撮影許可をもらいました。僧の姿だけは撮らない様にと 禅宗のお寺で、【臨済宗】【曹洞宗】そして【黄檗宗】が有ります。境内開版(かいばん)魚版で、木魚の原形となっているものです。 広々とした境内 開版 お魚の形 時を知らせるもので、禅寺の座禅で、魚は寝ていても目は開くことを諭しているとも言われています。本堂には、釈迦三尊が祀られています。一般には脇侍(きょうじ)は、釈迦如来の場合。【文殊】【普賢】菩薩ですが、此処では 十大弟子の筆頭【迦葉】(かしょう)【阿南】尊者が祀られていました。 羅怙羅 (らごら)父の釈迦の顔を胸に抱いている姿の像羅怙羅(らごら)尊者 お釈迦さんの実子で、出家して修行の末悟りを開かれ、心に仏性を抱くとして、胸を開けた場所に仏の顔が仏像として祀られていました。法堂(はっとう)砂紋が素晴らしいです。 法堂舎利殿 舎利殿隠元和尚の開山堂隠元は中国人で万福寺の解散をされました。
2012.03.31
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京都観光で臨済宗(禅宗)の本山を含めその塔頭にも、素晴らしい庭園を観ることができました。世界文化遺産ては、天龍寺・西芳寺・金閣寺・銀閣寺・龍安寺そして文化遺産ではありませんが、妙心寺・大徳寺・建仁寺南禅寺・東福寺・相国寺の本山と各本山の境内の塔頭とご紹介して参りました。共通点は、何れも綺麗に掃除の行き届いていることで、修行の徹底が伺われます。庭園の写真を観ていただくだけでも、心和まれたと思います。明日は、曹洞宗(禅宗)黄檗山万福寺で禅宗シリーズを占めたいと思っています。観ていただいて感謝です。
2012.03.30
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大分暖かく草花も美しく咲いてまいりました。あと少しで4月を迎えます。桜の高知では満開ともききます。日本のプロ野球も本日開幕です。楽しみが一挙に増えてきました。 雪舟はわたしの幼い頃、漫画でみたことのある、画聖でなんでも、和尚さんにお仕置きを受けて、お堂の中で小僧として柱にくくられ、涙していたところ何時しか絵心ついて床に足でねずみを描いたところ、ねずみは生き物のように歩いたというほど絵が上手だったそうです。 【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭参道 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 東福寺は、如何だったでしょうか。塔頭まで皆様方は観られるゆとりがなすようですが、隠れた素晴らしい変化のある庭園でした。斯く記す私も初訪問なのです。ブログを書くことにに感謝。
2012.03.30
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昨日、アメリカのプロ野球開幕が日本の東京ドームで開催イチロー所属のマイナーズがアスレチックス相手に3-1で勝ちました、然も5打数4安打とファンを感動させました。 東福寺の塔頭では、珍しい苔庭が見られます。別室では、精進料理も楽しめる料亭ともなつています。筆塚石組みと苔の中の桔梗 秋に撮ったものです 花頭窓から庭園を眺める 苔庭
2012.03.29
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本日の日記で【九山八海】(くせんはっかい)の妙なる言葉が出てきましたが「九山八海」とは、須弥山の世界即ち仏説に此の世界は九つの山八つの海からなりその中心が須弥山(しゅみせん)だといわれています。皆様方の仏壇に須弥檀がありますように仏を中心にした壮大な世界と言われています。金閣寺の鏡湖池の中に金閣の正面の側にも中国から足利義満が取り寄せた名石で「九山八海石」が備わっています。豊臣秀吉の名石狩りの趣味から免れたと言われています。
2012.03.28
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大分暖かくなってきました。もう直ぐ春が来そうです。東福寺の本山の境内に塔頭があり、夫々見所が有りました。 【退耕庵】(たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 紀氏信介基総理大臣の植樹 【霊雲院】(れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と【九山八海の庭】(くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、「蓬莱山」の形を現しています。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭 庭園 六地蔵尊
2012.03.28
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関西では、昨日から天気予報で桜の開花情報を流すようになりました。現在全て「つぼみ」です。北野上七軒の歌街では、「北野をどり」が始まり、次いで、4月1日より、祇園の「都をどり」が1ヶ月間興行します。舞子さんの華やかな踊りが繰り広げられます。臨済宗の寺院の最終東福寺をご紹介します。 【東福寺】臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「泉涌寺」から更に南に、歩を進めますと、広い敷地として、「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】(しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。【三門】【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【?雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 三門 日本一古い【法堂】(はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 法堂 天井に龍の絵 堂本印象画【本坊】方丈の西と北庭には、苔で【市松模様】で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。 市松模様の庭 本坊枯山水の庭園勅使門 【通天橋】(つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。 通天橋【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。【竜吟庵】(りょうぎんあん)塔頭【方丈】が【国宝】です。「本坊」の東側にあり、特別公開しか拝観出来ません。 今年は辰年で観光バスでのみ龍めぐりで拝観できるかもしれま 先ず入り口に、「通天橋」に似た【偃月橋】(えんげつきょう)の「通天橋」に似た【偃月橋】(えんげつきょう)の廊下の様な橋が有ります。【竜文苑】と【敬愛の庭】があり、特に「竜門苑」の敷石は、鋭角にとがり、竜が飛び回っている豪壮なさまを見せ、枯山水の庭園としても、異様な活動的に心が躍ります。そして竹垣には、「いなずま」が走った模様で囲み、いやが上にも庭園の雰囲気が盛り上がります。京都でも珍しい庭園として、是非ご鑑賞の機会があればとお勧め致します。【退耕庵】(たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。【同聚院】(どうじゅいん)塔頭 本尊不動明王坐像。モルガンお雪の墓が有ります。【霊雲院】(れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と【九山八海の庭】(くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、「蓬莱山」の形を現しています。【芬陀院】(ぶんだいん)塔頭 【雪舟寺】(せっしゅうでら)雪舟作と言われる、「鶴・亀」の庭が有ります。 京都駅の近くで「東福寺」だけでも、充分夫々変化のある光景が観られます。
2012.03.27
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宮崎・熊本そして本州では静岡が一昨日桜の開花宣言をしました。もう春です、。南禅寺は、鎌倉中期に禅宗として、建てられましたが、応仁の乱または火災で焼失してしまいました。庭園は有る程度遺されました。徳川時代に再興された南禅寺そして塔頭が現代のこされています。本日の金地院(こんちいん)は徳川家康と懇意にあった崇伝和尚が庭師、小堀遠州に庭園を造りました。 【金地院】 東照宮への道 鳥居が立っています。 南禅寺の塔頭の一つで、「三門」の前の「中門」の外に位置します。徳川家康に仕えた「崇伝」が京の地に【東照宮】を造営し、今に残っています。 苔庭 参道 本殿入口 東照宮本殿 本堂の前には、枯山水の「鶴・亀の庭」として大きい岩が横たわっています。東照宮に対して吉慶を象徴した【祝儀の庭】とされ、「小堀遠州」作と云われています。 鶴・亀の庭枯山水庭園 方丈庭園「八窓席の茶室」は遠州好み「三畳台目」の茶席で名席とされています。
2012.03.26
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未だ冷え込む季節に、九州宮崎では、昨日桜の開花宣言がありました。もう少しで春が到来しそうです。本日は、南禅寺開祖の【大明国師無関善門禅師】をお祀りする開山塔で枯山水と池泉回遊式庭園と東庭と南庭に分かれた趣の深い庭園で三門の上からも垣間見ることが出来ます。【天授庵】 南禅寺の塔頭庫裏の入口 南庭への入口石畳が菱形で龍の蛇腹正門からの道も苔に満ちた石畳 此処の見所 正面が正門 苔庭南庭に通ずる書院 池泉回遊式庭園作者不明でも、南北朝時代の様相が伺われます。本日は写真だけで観察してみてください。
2012.03.25
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やらいの雨もあかりましたが、再び最高気温一桁と肌寒さを感じます。昨日の法堂の龍は、Google「京都観光バス法堂巡り」で検索されますと、写真で撮れない天井の龍が影像で観られます。辰年としての龍に関する寺院も巡れそうです。 【南禅寺2】【南禅院】開基 無関普門 南禅寺の境内で、【水路閣】レンガ造りのアーチ形を潜り石段を少し登った所に有ります。同じく「水路閣」を更に登り詰めますと、疎水の勢い良く流れる水路を眺める事が出来ます。 こじんまりした庭園ですが、【夢窓疎石】の作庭で、庭の要素は、瀧を始め揃って存在しています。南禅寺の発祥の地で、徳川綱吉の母に当たる「桂昌院」の寄進により再建されました。紅葉の時期も素晴しい景色を見せてくれます。 苔の庭園 池のある庭園 夢想国師の作庭鎌倉時代の中頃【亀山天皇】が風光明媚のこの地に離宮禅林寺殿をたてられました。また天皇は禅宗帰依されて寄付されました。南禅寺の発祥の地とも言われています。 応仁の乱で焼失、現在の建物は元禄16年綱吉の母珪昌院によって再建されました。
2012.03.24
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南禅寺の廊下にポスターを見つけました。今年辰年に因んでか、臨済宗法堂の龍鑑賞の五個寺を観光バスで巡るコースが設定されているようです。絵師は違っても、迫力ある龍の絵が法堂の中に入って鑑賞出来るのでしょうね。
2012.03.23
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本日は、京都も朝から本格的な雨降りとなりました。昨日は、漸くの陽気に、久し振りに南禅寺並びにその塔頭3箇所の写真を撮りに出かけました。外人さんを含め、ぼちぼち観光の方たちの姿が見られるようになりました。 法堂では小さい窓ごしに釈迦三尊に手を合わせて居られましたが、天井の龍に気づかれず、お節介心がついぞ出て、声掛けしましたら、周りの人も天井を仰いで頷いて居られました。 【南禅寺】臨済宗南禅寺派大本山 開基 無関普門 山号 瑞龍山禅宗五山の上位に格式が高いことが伺われます。五山の1位天龍寺2位相国寺3位建仁寺4位東福寺5位万壽寺とされています。 【三門】は義賊「石川五右衛門」の楼上よりの「ああ絶景かな・絶景かな」と歌舞伎で有名に成った【楼門五三の桐】(さんもんごさんのきり)の一場面です。傾斜の急角度の梯子を伝って楼上に登りますと、その光景が体験できます。 石川五右衛門が住んだという三門徳川家康と三門を大阪の陣で戦死した慰霊のため南禅寺の住持であった「藤堂高虎」の灯篭が門前に置かれています。慶長5年。 藤堂高虎の灯篭 三門より参道の正面に【法堂】(はっとう)が有り、 三門から法堂への参道 狭い窓から内部が見にくいですが、正面に「釈迦三尊」が天井には、龍が画かれています。 法堂天井に龍が描かれています。 【水路閣】(すいろかく)京都をイメージした明治の名所で、ポスターによく紹介されます。レンガ造りでヨーロッバ風のロマンチックな風情を感じます。 水路閣 京都の名所 その上には「哲学の道」へと京都唯一の坂に逆らって北に向かって流されています【疎水】の分流が流れています。 水路閣の上に登りますと疎水の流れがみえます。外人さんも不思議そうに子供連れでガイドの説明きいておられました。【琵琶湖疏水】明治2年京都帝国大学卒業論文に【田辺朔郎】(たなべさくろう)が運河により滋賀から京都への物資の運送に便を成し、そのうえ「蹴上の地」で傾斜を利用して「水力発電」を計画。日本で電車弟1号を発車させました。その論文を採り上げた京都府知事【北垣国道】(きたがきくにみち)の英断で、苦難と財力の超過で完成。そのため知事を誹謗して「こんどきたがきは、ごくどうもの」と名前でなじったそうです。現代【水】に恵まれ、疎水の周りには、桜並木が何処も彩り、人の心の潤いに大いに寄与しています。銅像は「蹴上」に田辺工学博士が、平安神宮の西の方に「北垣知事」が今も見守ってくれています。【本坊】受付の前に履物を脱ぐ場所に、【脚下照顧】(きゃくかしょうこ)禅宗の教えで、履物を揃えて置く様な心掛けで、禅寺を鑑賞するとよりよく、理解出来る意味で書かれていました。確かに以前も何回か記していますように、禅宗の寺院では、修行僧の行事か、「塵一つ落ちていません」清浄感を味わうことが出来ます。廊下には、「五山の寺院の名」「東山三十六峰の山の名」が掲げてあり、一つの部屋の向う小庭には、「シシ脅し」のセットが見られます。(詩仙堂参照)【方丈庭園】「小堀遠州作」と言われる、枯山水の立派な白川砂で覆われた広い庭園に縁に坐って、ボタンを押す事で、説明が始まります。片隅の岩の配置は、【虎の子渡し】を象徴するように、豪華なものです。 方丈庭園 小堀遠州作 枯山水襖絵は、狩野派の親子三代「狩野元信」「狩野永徳」そして「狩野探幽」の立派な絵が観られます。特に「探幽」絵の「水飲みの虎」は、有名です。写真は堂内禁止のためご紹介できません。 何故か「三尊石」を象った石群があちこちの庭に見られます。 方丈の西側にも、龍安寺の石庭を思い浮かべるように枯山水の石庭が配されていました。 枯山水の石庭
2012.03.23
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春の選抜高校の野球大会が開催されました。石巻工業高校の安部主将の見事な宣誓には皆さんから万来の拍手が送られました。チームメイトのボードに書きしめされた字句を丁寧に力強く文章に綴って、はきはきと宣誓しました。「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を」「見せましょう。日本の底力、絆を」と。 【両足院】 建仁寺の塔頭 田植え時季に一般公開されます。【半夏生】 (はんげしょう)の庭園として有名です。 入口の菱形の石畳みは、龍の蛇腹を表現しています。禅宗のお寺で、よく見かけますので、ご参考に玄関前清めの砂と砂紋半夏生に囲まれた庭園 半夏生 茶室 半夏生は珍しく花でなく、葉っぱか半分白色となつて美しく清楚にも感じられます。田植え頃が見ごろで、非公開寺院ですが、この時季に一般公開されます。半分、白色で化粧しているようにも見え微笑ましい光景です。 桜の開花宣言が3月末から九州から始まりそうです。もう少しで春がやってきますね。
2012.03.22
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本日のブログに【建仁寺】の龍の天井図をご紹介しましたが、京都の臨済宗各派の総本山の法堂(はっとう)には、同じく龍の絵が天井にあります。然し建仁寺以外は全て撮影禁止となっていて、残念ながらご紹介出来ません。天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・南禅寺・大徳寺そして妙心寺は臨済宗禅宗の総本山です。画像はGoogle画像で確かめてみてください。
2012.03.21
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彼岸の中日、多くの方々がご先祖さまへの思いをなされたことでしょう。近くに有るカルメル修道院では、納骨堂がありその合同慰霊祭としてごミサが捧げられました。修道院長の司祭がお説教で、「日本の墓参りは遠く平安時代から死者を偲ぶ行事がおこなわれるようになった。」と日本の祝日の意向に合わせて死者を大切にしましょうととかれました。寒さがまだ残ります。もう少しの辛抱です。本日は禅宗の最も古いお寺をご紹介します。 【建仁寺】臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山京都最古の禅寺で、鎌倉時代建仁2年(1202) 二代将軍源頼家(よりいえ)の庇護のもとに建立。年号を採って【建仁寺】とされました。 足利義満が定めた禅宗「五山の第三位」に属します。栄西(ようさい)禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖です。【建仁寺の学問面】(がくもんづら)秀でた禅僧排出されたことから。【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。本尊は、十一面観音菩薩 【徳川秀忠・江】の娘 和子姫(まさこ) 後水尾天皇の中宮。【東福門院】寄贈 【潮音庭】四方正面の三尊石 四季折々に苔も美しい。 三尊石の庭園【茶席・東洋坊】茶室の西側に有名な「建仁寺垣」が観られます。【法堂】(はつとう) 天井に双龍釈迦如来と脇侍に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)尊者が祀られ、天井に平成14年画かれた【双龍】小泉淳作筆が観られます。(あうん)の口をした2匹の龍が描かれ、阿形の手には玉を掴んでいます。禅寺では、龍を飾っていますが、龍は仏法守護として、また水の神として、雲を呼び、仏法の教えの慈法雨を降らせるとしています。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、江戸時代。見事で有名です。 風神雷神図現物は、京都博物館に保存。【陶製一六羅漢像】明治から大正にかけて作成 十六羅漢像【雲龍図】海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵 海北友松の襖絵 橋本関雪の襖絵 昭和15年大修理で60面描かれました。 橋本関雪達磨大師の掛け軸 禅問答 悟り迷い祇園花見小路歌舞練場の側に、建仁寺が広い伽藍で、静寂の境内に臨みます。【両足院】は【半夏生】で有名な塔頭の一つでした。 京都観光寺院として、堂内は全て、写真撮影禁止とされていますが、驚きと感動を覚えました【建仁寺】は全て写真撮影可ということでした。皆様にご紹介出来て嬉しいです。
2012.03.21
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お彼岸の中日とはいえ、例年に無い寒さが厳しいです。彼岸相応しい、小さい庭園の池を巡りで、人生の功労を宝船に例え彼岸の石橋を仏の手で隙間こそあれ支えられ、蓬莱山にたどりつくストーリーが描かれています。ここ天台宗のお庭蓮華寺をご紹介します。 【蓮華寺】 天台宗山門派 開基 実俊 山号 帰命山 大原より「大原街道」又は「鯖街道」を南下します。何故「鯖」なのでしょう。昔、京の都には、食栄養を採るために、野菜類だけでは不十分の為、若狭日本海で、「夕べに水揚げした鯖に塩をまぶし飛脚によって、早朝都に着くころは、美味しい鯖味に成っていたということで、若狭から京都までの大原を通る街道を「鯖街道」と、何時しか云われる様になりました。 途中、「八瀬」では、比叡山に登れる「ケーブルカー」の駅があり、其の先に「ロープウエイ」に乗って、渓谷を見下ろし比叡山の頂上「四明岳」に至ります。八瀬の紅葉も素晴しいです。 更に南下して、街道筋に「蓮華寺」が有ります。しっかりと大原の観光をした後の、こじんまりとした憩いの場所として、お勧めしたいです。 受付では、「散華」(さんげ)の栞が、記念に成ります。「声明」(しょうみょう)による僧数人の大きい法要のお経を唱えられるときに、「散華」が撒かれます。出来れば受付で「お茶券」も頼まれると、後で別室で静かに憩う事が出来ます。 受付の側が既に本尊「阿弥陀三尊」が祀られて居ます。観光とは云え一礼敬意を表すると気持ちも落ち着きます。 大広間に座して、柱の間から「額縁」のように池を巡る庭園を鑑賞出来ます。 額縁で観るような庭園 庭園全景 「池泉回遊式庭園」は「詩仙堂の主人」「石川丈山」の作庭と言われています。高野川から採り入れた水による「滝の音」は絶えることなく聞かれます。雰囲気充分です。不老不死の棲むといわれる「蓬莱山」 蓬莱山蓬莱山 そして「鶴島」「亀島」があり、「蓬莱山」に通ずる「石橋」の真ん中の下部に、「仏の手」と言われる石が間を空けて受け皿のように、立っています。 石橋の下に隙間をあけて仏の手かがささえています。 「宝船」は「出船形式」で船の後ろが満載で沈みがちの表現を苔で表わしています。 宝物が満載で後ろが沈みがちの宝船 庭内には「薬草」が満ち満ちています。 庭園の奥に「仏殿」があり、其の前には、珍しい「蓮華寺灯篭」が構えています。六角形の急勾配の笠をあしらっています。 蓮華寺型灯篭 入り口の施錠には、「蝉」の金具が装飾として付けられ、魔除けの意味だそうです。 金網の中に蝉が堂内正面には唐獅子と牡丹の白木造りの「須弥壇」があり、左奥に「阿弥陀如来像」が祀られて居ます。 「天井」には、「愛宕寺」(おたぎじ)住職であった「故西村公朝和尚」の画かれた「龍」が輝いています。 一応鑑賞が終わりました後に、別室で抹茶とお菓子を茶券で頂戴します。前庭には、小川が流れ右手上流には、池と分かれた水が「水分石」(みくまりいし)の役目のように水を二手に分ける小さい島があしらってありました。人生の分かれ道とも申しましょうか。とてものどかな風情を味わうことが出来ました。 茶室の前に池からの小川の眺めを眺めつつ一服の抹茶を小川の真ん中を「水分け石」(みくまりいし)が人生を分ける
2012.03.20
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昨日は小雨の一日でした。内容の深い、曼殊院の歩いて15分のところに詩仙堂があります。こじんまりしていても趣の深い雰囲気を持っています。 【詩仙堂】(しせんどう) 曹洞宗大本山【永平寺】の末寺 開基 石川丈山 山号 六六山 松ヶ崎より白川通りを南下、東に坂を登りますと、「宮本武蔵」と「吉岡門下」との「一乗寺下がり松決闘地跡」を眺めつつ、 一乗寺下がり松 宮本武蔵と吉岡道場との決闘遺跡 更に登りますと、「詩仙堂」の小さい門に辿り着きます。過っては、皇太子殿下浩宮様が推奨されて、英国の故・元英国皇太子妃ダイアナ妃が訪れられた写真が悲しくも飾られています。 古びた歴史を感じる「山荘」も落ち着きますが、自然で構成された庭も趣が深いです。四季折々に咲く花を愛でて心が和みます。額縁に【酔花醒月】(すいかせいげつ)と丈山の隷書で書かれています。花の美しさに酔っている内に、何時しか月が出て目が醒めました。 庭園 庭園に咲く花の美しさを愛でつつ何時しか夜が訪れ月の光によつて目覚める程に 有名な【僧都】(添水)(そうず)一般に「ししおどし」の元祖が此処に有ります。水の流れに従って竹筒に水が溜まると重さで、傾き、水を吐き出します。反動で置かれた石を叩く音で、野性のししを脅して退散させたという事ですが、近代では、静寂を強調するように、テレビの対話するシーンで部屋の前の庭にセットされるように成りました。 しし脅し 「蓮華寺」の庭園も造園された【石川丈山】が寓居された山荘でもあり、仏間も有ります。59歳の時造営、90歳で亡くなられました。三河の国の出身で、三河武士として25歳のとき駿府城火災の際に、徳川家康の第11子「頼房(のちの水戸藩主)」当時5歳と乳母を救出した功労も有りましたが、大阪夏の陣で家康より「一番乗り」を禁じられていたにも拘わらす、決行してしまい。33歳で蟄居(ちっきょ)を命じられてしまいました。そして髪を切って「妙心寺」に出家、禅僧の修行をしました。 幼い頃より、自然の美しさ特に「富士山」の霊姿が心に焼きつき漢詩を残しました。そして此処一乗寺村に小さな庵を建て、好きな詩と自然の風景、観月も含め一生を過ごしました。 「詩仙堂」の名の由来は、中国の三十六歌仙を一室に、肖像画は、「狩野探幽」が画き、「詩仙の間」を中心に呼ばれる事に成りました。 入り口の額には、【蜂腰】(ほうよう)蜂の腰は曲げて居ます。謙虚を表わすようです。 仏間は、比叡山根本中堂の様に、僧の礼拝される場所を低くして、仏と私たちは同じ高さから拝めるようになっています。 仏間の前に、台所で働く人への注意書,【六勿銘】(ろっこつめい)の掲示板が懸けられていました。その裏には、【既飽】 (きほう)の字が書かれ、既に満腹、腹八分目の大切さを説いて居られる様です。【六勿銘】 (ろっこつめい) 六つの勿れ【火の用心】【戸締り用心】【早起き】【粗食】【倹約・勤勉】【清潔・掃除】一例を記しますと、「勿妄丙王」(丙王を妄(みだ)りにする勿(なか)れ)「火を粗末に取り扱うな」の意です。【嘯月楼】(しょうげつろう)庵の屋上に、丸と四角の窓が有り。一説には幕府に敵対する怪しい者の見張りが、何時しか観月詩歌を詠まれ自然を謳歌されるように成ったと言われています。 嘯月楼
2012.03.19
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彼岸の入りになりました。京都では最低10度最高15度と漸く春の陽気が漂ってきました。京都御苑の梅も満開でした。ベンチに腰掛ける人たちにもこころのゆとりが取り戻せたようです。今回何時の間にか多くの方々の応援によりアクセス数が77,777に達していることを知り多くの祝意を頂戴しとても嬉しく感謝もうしあげます。今後何時まで続けられるか分かりませんが出来る限り頑張りたいと存じます。皆様方の応援よろしくお願い申しあげます。816日 平均95 日記記入率93.5 梅一輪額の色合いが見たくって、 紅梅も春の彩り 背景が東山 皆様にとっても佳き一日でありますように。
2012.03.18
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楽天より、アクセス数77,777を越えた旨のメールありました。どなたか足跡はわかりません。816日殆ど毎日よくぞ続けられたものと振り返っています皆様の応援や励ましがあっての結果で心より感謝申しあげます。丁度、私の最も好きな【曼殊院】の【良尚法親王】の人となりをご紹介出来た記念の日ともなりました。次は10万と記してましたがそれまでは続くかは自信が有りません。今後ともよろしくご導き願います。
2012.03.17
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可也温かくなってきました。本日は、小堀遠州好みの庭園として、他に類例の無い仏教思想を人間の一生を過去・現在そして未来の保護仏「三如来」の担当で生涯を送る姿を表現した庭園とも考えられます。即ち過去薬師如来により瀧石として生命誕生五葉の松を宝船として、現在釈迦如来によって「五時八経」の根本的経文を人としての生き方に従って人生を全うする。庭園に五つの灯篭を配し火袋が三つと二つが一基づつ、そして火袋が一つがキリシタン灯篭を含め三基あります。そして未来は阿弥陀如来によって極楽浄土にキリシマツツジに飾られて迎えられるが仕組みがほどこされています。 【曼殊院3】 大學新卒のタクシー学士ドライバーの実地研修会で教えた生徒が、最も観光地として、寺院にこれ程の深みのある「曼殊院」のことを会得し、その後も作成した資料を参考に、休暇中、友達と何回か自分のものにする為訪問したと報告がありました。中でもあるテレビ局が「外人の観光客」を女性学士ドライバーが、「曼殊院」を自信有り気に説明している報道が有り、とても嬉しかったです。8.「大書院」の縁側に出るや否や、お客様が歓喜の声が思わず発せられるほどに、美しい「枯山水の日本庭園」が目の前に展開しました。 宝船を表現または鶴島とも申します。9.廊下の角を曲がりますと、【小書院】の屋根が、【雁行形】(雁が規則正しく飛ぶ群れの形)は 屋根が二重に、雁が群れをなして飛ぶ姿 「桂離宮」にも有ります。此処は是非写真を撮られることですね。 10.「小書院」の廊下の屋根は又、【屋形船】の様に造られ、庭園を船に乗って観ることを意味して居るようです。 庭園に沿った廊下が屋形船に乗船して見渡すような作られています。11.その廊下の側に【梟の手水鉢】が有ります。手水鉢の周りに梟が彫られています。月をこの手水鉢の水面に写し、又反射して側の白壁に月の揺らぐ姿を鑑賞します。「間接的月の鑑賞」 手水鉢の四隅に梟があしらってあります。月の光を鑑賞12.「小書院」は、門跡が客を迎える為の最も貴重な場所で、一番奥に構えて居ます。二部屋あり、庭側に【富士の間】釘隠しが「富士形の七宝焼」で部屋の四方に飾られています、客人が座す部屋で、廊下の低い欄間越しに、立って見るのでなく、坐って鑑賞しますと更に美しく落ち着いて観られるように、作者は作庭しているようです。此処からの庭園の観方が最高と言うことです。廊下沿いの襖に殆どの人が、気付かない「中国の小船に乗った船頭」が狩野探幽によって小さく画かれて居ます。部屋の畳に坐って、庭園を観ますと、柱・襖等で額縁の様に鑑賞できます。 一番奥の「小書院」最も大切な部屋からの景色中心に「瀧石」が見えます。 正面にこの庭の中心的存在として、背の高い、【滝石】が目立ちます。裏の【八窓の茶室】からも真正面に観られます。 「茶室拝見」ご希望の方は、院内売り場で申し出になれば、説明付きで案内されます。隣には、別に【無窓茶室】も有り、お湯が涌く音は、正面の滝から滔々と流れる音にも聞え、静寂な雰囲気は、お客様の心を楽しみ印象付けることは間違い有りません。廊下の上に【閑静亭】の額が掛っています。松花昭乗(しょうしょうじょう)の筆によります。13.「小書院」【黄昏の間】(たそがれのま)玉座と床が有り。最高の間といえましょう。「富士の間」との欄間に表菊と裏菊が「市松模様」の透かし彫りで、玉座に灯された「灯」が菊花(皇族)を通して、客人に灯が共有する思考が伺えます。14.【枯山水の庭園】小堀遠州好みの庭園。庭園の要素が整い、眺めただけでも美しさが味わえます。此処【曼殊院の庭園】は他に類例を見ない、【仏教思想】を形で判り易く秘めている意義深い日本庭園と皆様に御紹介したいです。先ず、薬師如来の世界【過去仏】庭園の中心的【滝石】は生命の発生とも取れます。 立っている石を「瀧石」と瀧の流れを表現次いで 釈迦如来の世界【現在仏】庭園の中心部分全体で表現。【亀島】【鶴島】【石橋】【水分石】【蓬莱島】そして【五基の燈籠】(灯窓3・2・1・1・1計八灯窓)はお釈迦さんの50年の説法を【五時八教】に分けて説かれたことで、燈籠で表現。【鶴島】は【宝船】にも見立てその松の下に【キリシタン灯篭】が有り、燈籠の下部に「十字架」が刻まれています。「良尚法親王」の母上が若狭の京極家で、クリスチャンで有ったことから、偲びつつ置かれたようです。そして、阿弥陀如来の世界【未来仏】「宝船」は西へと庭園の西一帯に赤い霧島ツツジが植えられ、正に夕陽に包まれ西国極楽浄土に迎えられる形式を取っています。 宝船が西向きに極楽浄土を真っ赤な「キリシマツツジ」で此処だけに迎える姿に作られて居ます。15.【宿直の間】(とのいのま)から通路に「華道」の「立花図」「香道」の「書式」「親王「竹」「書道」「竹筆」で書かれた展示が見られます。16.最後に【三方正面の壷庭】の廊下に小さい釣鐘がぶら下がっています。近所の農家の民衆の方が、農作物を献上すべく訪れられたときに、合図の鐘といわれています「おお、よしよしありがとう」と「良尚法親王」の声が聞えそう
2012.03.17
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本日の日記テーマーの曼殊院、良尚法親王の竹筆で書かれた、庫裏入り口の額縁に【媚竈】(びそう)は中国の論語から採られた文字で、現代の民主主義そのものを表現したといっても過言では無いでしょう。上司に媚びるのでなく、かまどでせっせと働く人が居て安泰でその人に感謝の気持ちで媚びなさい。と。後水尾天皇、徳川家光の時代に、八条の宮として生まれ高貴な方だっただけにその優しさが偲ばれます。
2012.03.16
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可也寒さが和らいできました。京都御所では、紅白の梅が見ごろに成ったようです。良尚法親王の真の意思が、拝観する入り口の【媚竈】の直筆の竹筆で書かれた額縁が掛かっていました。 【曼殊院2】 田舎風の小道を、登り詰めますと、「曼殊院」の勅使門に辿り着きます。門前は急な石段が構えられ、周囲は石垣の上に白壁で五本の筋が入った格式の高い寺院として圧倒されそうです。 勅使門の前には、各皇族の方々のご訪問を記念された「植樹」が目立ちます。 順路として「北門」から拝観出来ます。1.【庫裏】(くり)の玄関面に良尚法親王の直筆で【媚竃】(びそう)の額が掲げて有ります。 【媚竈】 論語に「その奥(目上)に媚(こ)びるより、竃(かまど)で働く人に媚びよ」から掲げられたようです。現世でも中々実行しにくい事柄です。訪問して筆頭考えさせられる、民衆的優しい思い遣りが伺われます。2.台所から大玄関への廊下伝いに、「皇室」の来られた写真が、飾られています。3.表玄関の手前の部屋では、日本初の版画で「竹」模様の襖が見られます。「竹の内御殿」の趣からでしょう。4.【大玄関】(先入関)は高貴の方の入り口【勅使門】からの玄関です。来客に威厳と興味を、持たせる為に、「竹と虎」の襖絵が構えています。「狩野永徳」の絵で、此処での見ごたえは、正面の虎が何故か、竹を噛み締めている異常な絵なのです。思考しますに弟ゆえに出家、と言う「竹」という権威・制度に噛み付く絵師の「良尚法親王」への心遣いとも採れます。5.【孔雀の間】此処でも親鳥と二羽の子鳥が仲良く餌をついばめているシーンから、一羽は母さんと飛び立ち、一羽は残され「しょぼん」としている、そして親鳥は天へと孔雀の一生を江戸後期の絵師「岸駒」(がんく)が画いています。「しょぼん」姿が「良尚法親王」か?岸駒は「清水寺でも虎の石碑」が有ります。又「長野の善光寺の出張先」として「仏間」が兼ねて有ります。一生に一度は「牛に引かれて善光寺詣うで」ここでも済ませます。6.廊下伝いに【大書院】へ「華の間」では、法親王の画かれたカラーの屏風が置かれています。この頃として珍しいです。其の隣の間は、天井の桟が、正面に対して突き刺さっている仕組みで、不吉な感じがしますが、後程の「宿直の間」(とのい)も正面床に突き刺さっています。法親王の寝所として何時命を奪われるか、覚悟を決めて居られました。武士の居間の床にも敢えてこの形式を採るそうです。7.【大書院】「滝の間」の襖絵に中国人が囲碁を楽しんでいます。襖に向かって碁盤を眺めながら、蟹歩きのように移動しますと、碁盤が小さく成ったりします。欄間に卍型が見られます。「十雪の間」は【仏間】でもあり本尊は「阿弥陀如来」で他に十一面観世音菩薩(北野神社にあったものを当院に移されました)【曼殊院棚】 は仏間の隣に有ります。【桂棚】に似せたもので、「違い棚」は段違いも有りますが、材質も細かく違っていて、芸術美を感じさせます。【大書院】の外側に【塵慮尽】(じんりょじん)の額が飾られています。「よこしまな心を払い取り除くの意が有ります。 室内が殆ど撮影禁止ですが、Googleの上部【画像】を選んで検索されますと、許されて撮られた影像が出てきます。
2012.03.16
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大震災の余震の震度5強が関東地方に、別途青森北海道に「津波注意報」が発せられ、恐怖は断ち切れません。現地の方々のお見舞い申しあげます。本日は、私としては、京都観光の目玉として、小一時間掛けてご説明してきました「曼殊院」です。後水尾天皇が修学院離宮を徳川家光三代将軍の同時期でした。当時兄弟が生まれると長男が宮家にしても後継し後は勢力争いを避けるため寺院を与え出家させられました。良尚法親王もそのお一人ですが、とてもお百姓衆に親しまれた人柄がこの寺院に、密かに染み渡っています。其処が好きです。お母さんは京極家でキリシタンの信仰を持っておられました。庭園には、母を偲んでキリシタン灯篭が備え付けてあります。 灯篭の火袋の下部に十文字に円く出張った形がして有ります。 勅使門【曼殊院1】(まんしゅいん)天台宗の五門跡の一つ 開基 是算(ぜさん)(菅原一門の出身) 大原街道も街中に、「白川通り」から東山山麓に位置し、【修学院離宮】と広域の隣接地に【曼殊院】が静かに存在しています。素晴しい観光地でありながら、観光バスが入れ切れない状況で、コースから、外されています。従ってタクシー貸切を利用されます。 天台宗の格式高き門跡寺で、京都の寺社数ある中で、皇室のご訪問されたのは、少なく、此処では、皇太子殿下・秋篠宮殿下の学生頃に、そして「紀子妃殿下」もお一人で来られた写真が展示されています。 天台宗五門跡から天台座主に成られる傾向も可也有り、現代256世天台座主半田孝淳大僧正は、当所曼殊院に門跡から推挙された方でも有ります。 主人公は、【良尚法親王】(りようしょう)で、今から380年前、徳川三代家光の頃、「八条宮智仁(としひと)の次男坊に産まれたばかりに、寺を与えられ僧となられました。いわゆる出家されました。同じ母親から腹を痛め、長男「八条宮智忠(としただ)親王」は父君と【桂離宮】を造られました。【修学院離宮】を造られた「108代後水尾天皇」とは従姉妹同士の関係です。 「良尚親王」のお気持ちを推し計ってか、襖絵などに、それらしく画かれた部屋が有ります。然し、ご本人は、度量の大きい方で、五道の達人の結果を遺して居られます。そして封建時代に有って、今で云う「民主主義」の優しい志を持たれたことも、遺産として随所に遺されています。 お百姓さん達が栽培した野菜や穀物を貢ぐ際に合図として打ち鳴らす鐘がぶらさがっています。「おおよしよし、精を尽くした贈り物ありがとう」書道(竹筆)・華道(立花図)・香道・茶道(八窓茶室)・画道(色彩採用)そして仏への道と。 その上「小堀遠州好み」の「枯山水の庭園」を眺めながら、一生を優雅に過ごされ72歳に遷化されました。一方宮家を継がれたお兄様は、宮家の護持に気を配られてか僅か35歳の若きご生涯を閉じられました。何れが幸せであったのでしょうか? 「良尚親王旗」にも【竹】を、図柄に採り入れられています。「竹の内御殿」とも言われます。随所に「竹」が現れます。何故なら、「開基是算」は「北野天満宮」にも関係しその「梅」そして天台宗の本山「比叡山延暦寺」の「松」合わせて「松竹梅」となり、修行の一つに経を唱えながら、わらじ姿で小走りに「阿闍梨」(あじゃり)さんはこのルートを通られます。 屋根が二重に、雁が空を群れを成して飛ぶ姿「雁行型」屋根、桂離宮にもあります。 【桂離宮】は宮内庁事務所から許可証が必要ですが、此処【曼殊院】も父上と兄上の意に、適う為、「雁行型の屋根」等に離宮の類似点が観られます。「桂棚」に対しても「曼殊院棚」も其の一つで、「桂離宮」の面影が伺い知れます。部屋の中は、襖絵外曼殊院棚も撮影禁止で撮れませんでした。Googleで画像検索してみてください。しっかりと掲載されています。
2012.03.15
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久し振りに晴れ渡った空になりました。でも朝は冷え込みます。枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る【建勲神社】があります。 入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます【船岡山】と称します。大徳寺塔頭の弧蓬庵(こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。
2012.03.14
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8月に行われるオリンピックのマラソン選手の出場者がきまりました。何れも初出場フレッシュな顔ぶれです。東日本復興行事で各地でマラソン大会が盛んに開催されています。その代表としても頑張ってほしいです。大徳寺シリーズも今回まで、此処だけでもこころが和みます。 大徳寺では、多くの塔頭が有りますが、特別公開以外には4箇所の常時拝観できる塔頭(たつちゅう)が有ります。【大仙院】【高桐院】【瑞峰院】そして【竜源院】です。 【竜源院】大徳寺塔頭能登の畠山氏、豊後の大友氏、周防の大内氏が建立しました。 参道本堂は、室町時代最古の応仁の乱以前に建てられた禅宗方丈建築で 本堂庭園は土塀を背景にした飾り気のない枯山水の竜吟庭と苔庭と一枝坦(いっしたん)そして小さい壷庭があります。 竜吟庭 苔庭 一枝坦の庭園 壷庭 部屋には豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝える碁盤があります。 秀吉と家康が対戦したという豪華な碁盤
2012.03.13
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大震災での追悼式典が各地で行われました。世界でもそして日本人の秩序の保っていることに敬意の言葉がありました。でも、苦難を乗り越えるため、全国民がこころを合わせて取り組むことを陛下も「希望します」と生死を乗り越えてのご臨席でした。復興への弾みがついてほしいです。 【瑞峰院】(ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。 玄関入り口 禅宗の入り口に【韋駄天】峨祀られ守護されています。 坪庭庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。 十字架の庭石組みが斜めに十字架と組まれていますが隠れた形で信仰を保っています。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。 方丈庭園・枯山水の怒涛逆巻く豪壮な砂の彫り方は他に類例ありません。信仰を貫く精神が垣間見られて、私の最も好みの枯山水です。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【聚光院】(じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。【龍光院】黒田長政が父如水の菩提のために建てました。日本国宝三茶室【蜜庵】 (みつたん)が有ります。外に愛知県犬山市【如庵】(じょあん)そして京都府大山崎の【待庵】(たいあん)です。【三玄院】非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。特別拝観時観られます。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【茶面】(ちゃづら)とも云われています。
2012.03.12
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東日本大震災の一周年目尊い生命を奪われた霊に対し心より哀悼の意を表します。【大徳寺3】カトリック教徒は、バチカンのローマ法皇を中心に「キリストの復活」を祝う「復活祭」が4月8日とちかづいています。イースターといって、世界的に、国を挙げて歓喜の行事が行なわれる諸国も有りました。わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく、公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で、2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】(こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています。 玄関への参道明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。 細川忠興とガラシャ夫人の墓墓石の一部をわざと欠けさせました【欠灯篭】豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し、完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。 茶室 坪庭 珍しく雪が 庭園 本堂・方丈 【瑞峰院】(ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)は明日の日記に掲載します。 高桐院の近所に少しはなれたところにあります。特別拝観を期待します。【弧蓬庵】(こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、菰の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」(とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事をわすれてしまう。(辞書の解釈)戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩ですが、古代は偉かったのですね。
2012.03.11
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昨日は一日中しとしとと雨の一日でした。国立病院の診察日で、朝6時に家を出て、順番を取って午前中かかりました。コメントする気力もなくご免なさい。本日の大仙院も見所は素晴らしいものがありますが、全て、撮影禁止で皆様に画像が送れないのがとても残念です。 【大徳寺2】【大仙院】塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。 大仙院の表玄関沙羅双樹と菩提樹の木が植わっています。 「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します 。特別名勝・史跡】ですから国宝級です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」(たくあんぜんじ)の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。大仙院を出ます、その西隣に前田家の菩提寺があります。芳春院【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。
2012.03.10
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本日の日記で、大徳寺の塔頭【総見院】は非公開寺院で今回特別公開に恵まれまして、織田信長の墓所外内部の建物の様子を写真に収めました。貴重な体験をさせて頂きました。
2012.03.09
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禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か豊臣秀吉の名は有りません。 【大徳寺1】臨済宗大徳寺派 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭(たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」の葬儀を「総見院」で執り行いました。いわゆる【大徳寺焼香】として、歴史に残されています。 入り口の門本堂茶室茶室織田信長の墓 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、「聚光院」にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。「石田三成」も有ります。石田三成の墓所【大徳寺の七堂伽藍】(ひちどうがらん)【勅使門】御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。 勅使門 【三門・金毛閣】(きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。 金毛閣【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。 仏殿の釈迦如来本尊【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の九龍の図があります。 法堂【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。浴室【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。経蔵【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】(非公開)【唐門】本坊に据え付けられています。「聚楽第」の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 七堂伽藍の参道
2012.03.09
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本日の日記に追記ですが、大雲院 祇園閣のある敷地に墓所があります。 義賊【石川五右衛門】の戒名は 【融仙院良岳寿感禅定門】 と10文字も 付けて貰っています。 次数の多いほど贈り名として高位の人として人気が高かったのでしょう。 実在の人物とされています。
2012.03.08
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清水寺を後にして、三年坂(産寧坂ともいう)より石畳みの道を変化あるお土産の店を覗きつつ歩みます。 三年坂の出発点・有名な七味屋があります。三年坂と二年坂曲がり角三年坂を下りてきますと、直角に北へ二年坂に通ずる三叉路があります。西に下りていく方向に【五重塔】が見えます。【法観寺】(八坂の塔) 臨済宗建仁寺派高さ40m6m四方と小さいですが初層のみ拝観できます。京都には五重塔が6つある一つと貴重なものです。 東山通から眺めた五重塔三年坂・二年坂の三叉路から眺めた五重塔二年坂を越えると、維新の道。ねねの道の基点の高台寺入り口に辿ります。更に円徳院を通ってねねの道があります。素人さんの舞子姿記念写真を寺社を巡ってのコースです。石塀小路もわき道として存在します、何でも京都市電が廃止した石畳みを敷いたそうです。 石塀小路。屈折して通りが楽しめます。ねねの道を更に進みますと【祇園閣】が見えてきます。祇園閣 祇園祭の鉾先の形をしています。【大雲院】 浄土宗 非公開大雲院境内には、祇園閣の他に義賊【石川五右衛門】の墓があります。墓石が五右衛門にあやかりたいと、削り取られるので、今では見る事も出来ません。義賊ですが戒名の文字が二桁で、仏への道は高貴に扱われています。円山公園に辿り着きました。市民の憩いの場です。春になれば、枝垂桜のもとで多くの人が鑑賞に来るでしょう。 円山公園ここにも坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像が見守ってくれています。歴史を偲びながらも清水寺からの散策路は意外と人気が有ります。
2012.03.08
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昨日は、各地で4月の陽気だったそうですが、京都は風が強く肌寒さを感じました、ゲートボールの競技から、帰宅後規則的に計測しています血圧計が最高が98という異常の数値に驚きました、夕食後計測しなおし138と正常に戻りました。医師に本日うかがいましたら、寒さを堪えるのもストレスが働くということでした。三寒四温まだまだ寒さに油断はできません。現在の政界に波紋を起こそうとする、維新の道のあることをご紹介します。高台寺の庫裏の前から【台所坂】の長い石段を降りますと、「ねねの道」に至ります。降りたところに、円徳院の庭園【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作と云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。 霊山観音【霊山観音像】「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。 維新の道 維新の道「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、北側に 京都霊山護国神社【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく、航空機でも存在が判るほどです。幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓があり、特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓高台から京都の街が見おろせます。霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 龍馬の墓から京都市街の眺望ずっと見守ってくれていそうです。
2012.03.07
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漸く朝の内に雨がやみました。然し風が強く肌寒い午前中でした。ゲートボールの競技のため、更新が遅れました。本日は、大切なねねさんの希望で旦那が高所を望んだので同じ東山三十六峰の低い地に葬られ静かに阿弥陀が峰を見守りつつ眠っておられます。 【高台寺】 臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てたお寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を弔うべく建てられたようです。徳川家康も普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った【薬医門】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています。当時広い境内でしたが、焼失したり、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で規模が現代のように縮小されました。三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」と「うさぎ」が飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと 庫裏 勅使門の蟇股の中に兎 【臥龍池】(がりゅういけ)が「蓬莱形式庭園」として広がります。鶴島・亀島はおおきいです。 鶴島・亀島の庭園池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。東山からの出る月の眺めは、侘びを感じます。 観月台【開山堂】北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井がみものです。 開山堂【臥龍廊】「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げられています。 臥龍廊【霊屋】北の政所は、寛永元年(1624年)9月6日77歳で逝去。此処に眠っておられます。「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ちが痛々しく伝わるようでした。「花筏」「浄土の様楽器」の蒔絵には、ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が飾られていました。 ねねさんの御廟【霊屋】 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺められた事でしょうか。「つゆとをち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ」 秀吉辞世の句。更に高台に、【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています。中には自由に入れます。 傘亭時雨亭【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽しめます。【方丈庭園】では、近代的に「ライトアップ」の行事もあり、観光京都の存在を謳歌しておられます。 方丈庭園
2012.03.06
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今日も朝からしつかりした雨の京都です。昨日の知恩院さんの北隣に、格式の高い門跡寺があります。天台宗の五門跡妙法院(三十三間堂を塔頭とする主寺)・三千院・青蓮院そして、曼殊院並びに山科毘沙門堂比叡山の延暦寺の座主になられる方の登竜門とも言われています。【青蓮院】(しょうれんいん) 天台宗 開基 最澄 山号 なし天台宗五門跡寺の一つとして、【粟田御所】とも云われる、格式の高い寺院です。「天明の大火」で御所も焼失した時に、「後桜町天皇」は此処を「仮御所」とされ、その玉座の間も残されています。 樹齢800年と言われるクスノキの木門前には樹齢800年の楠が、迎えてくれます。5本の筋塀を見ながら表御門を入り、受付より、履物を脱ぎ、廊下伝いに「勅使門」からの玄関間に至ります。その勅使門の院内に歌碑が有りました。実は、【親鸞上人】がこの寺院で、【得度】(とくど)(出家なさること)されました。未だ幼少の身で、出家の決意に悩まれた結果の句が書かれています。 親鸞上人童形像 「明日有りと 思う心の仇桜 夜半(よわ)に 嵐の 吹かぬものかわ」得度を受けられるときの決意の歌碑人は、何事を決めようとするときに、迷いつつ明日にするかとその機会を延すと、大切なチャンスを逃すことがおおうにして生ずるものです。 廊下伝いに【宸殿】に、此処には、堂内に「親鸞上人・得度をされた場所」として、立て札が立っていました。此処も「宸殿」の前は、左近の「梅」右近の「橘」が配置されていました。 宸殿前の左近の梅・右近の橘本堂の西部屋には、「浜松の襖絵」が、東部屋には、【青不動三尊】【国宝模写】の掛け軸が、掛けてありました。【日本三不動】園城寺(おんじょうじ)(滋賀・三井寺)黄不動・高野山明王院の赤不動が有ります。黄は、人間の皮膚の色、赤は動脈そして、青は静脈、を表わすとか。更に渡り廊下を進みますと、先ほどの「後桜町天皇」の玉座の部屋が有ります。格式の高い「格天井」(ごうてんじょう)の間に中国風の襖絵がきらびやかに画かれていました。 小御所滝と池を伴う回遊式庭園が最も相応しく、鑑賞出来る部屋でも有りました。 庭園 更に廊下伝いに、【一文字手水鉢】一の字が長く彫られた手水鉢が、目立ちました。 一文字の手水鉢そして【書院造りの間】へ、此処からの庭園の眺めも落ち着きが有って良いものです。亀島・鶴島・石橋・滝そして灯篭・茶室が眺められました。一旦、履物を履いて、庭園を巡る事も出来ます。昔は、庭園の芝生の上で、舞妓さんたちが、お琴の演奏を興じて居られた時がありました。 坪庭の枯山水 一般には、出来ませんが、庭園の奥から山道を辿りますと、【将軍塚】に、至ります。【青蓮院別院】としての尼寺に成っています。
2012.03.05
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【南無阿弥陀】と唱えることで浄土へ、法然上人800回忌が昨年行われた、浄土宗総本山です。 【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 知恩院の大鐘【】知恩院 (ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ【南無阿弥陀仏】と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 法然上人を祀る御影堂屋根上部の中央に瓦3枚がくくられています。建築は未完成の意味。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、【左甚五郎】の作と言われています。有名な【忘れ傘】が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として、最も恐ろしいのは、【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 この上に忘れ傘が置かれています。屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。各観音開きの高さ3mはありましょう扉も、指一本で動くほどに。真っ直ぐ削られた名工が証明されます。錠前の下部にカッパとかスッポンが出入り口を守る魔よけとして存在していますよ、実に微笑ましい存在です。 阿弥陀堂が御影堂の西に建てられています。西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があり、阿弥陀像の両手の指をよく見ますと、親指と人差し指を交えて居られます。皆様の仏壇を観察してみてみられては!、(仏像の観察) 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、多くの人を救いとるの意。あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。 日本一大きい三門 一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方) 瓜生石二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御廟 法然上人の骨がおさめられる。最も重要な根本聖地御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名であり、御廟が有ります。 千姫の墓そしてその裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた【千姫の墓】があり、京都の市街が、美しく見渡せます。 権現堂 徳川家康。秀忠・家光を祀る権現堂前の庭園 千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。
2012.03.04
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灯りをつけましょ桃の花 今日は楽しい雛祭り仏像として国宝の第1号に指定された飛鳥時代の【弥勒菩薩半跏思惟像】が祀られています。【広隆寺】(こうりゅうじ)真言宗御室派 開基 聖徳太子 京都には、国宝が多いです。そこで「クイズですが、国宝指定が存在する日本では何処の都道府県が一番多いでしょうか?」聞くところによれば、最も多いのが、東京都265件国立博物館が殆ど管理しています。次いで京都226件そして奈良県198件の順に成っています。 広隆寺は、地元では。「太秦(うずまさ)の太子さん」と親しまれています。 その【国宝指定第1号の仏像】が、此処広隆寺・霊宝殿に納められている【弥勒菩薩半跏思惟像】(みろくぼさつはんかしいぞう)です。 弥勒菩薩が半分あぐらをかかれたお姿で、顔に指をあてがい人類をどのように救おうかとお考え姿です。京都検定試験1級で出題されました。漢字で正確に覚えなければ解答出来ません。半跏とは、韓国流で半分あぐらをかかれたお姿を指します。思惟とは、片手を頬にあてがって、人類をどのようにして救おうかと、想いに耽っておられるお姿指します。何ともいえない微笑を浮かべられたお顔を見上げているだけでも心打たれる仏様です。室内の放送に寄れば、弥勒菩薩さまとは、人の救いを考えられつつ、56億7千万年後に、この世に如来として現れられる仏さんと言われ、地球学の学会でも、この数とほぼ一致していると聞いた事があります。(567と覚えます) 前述しましたが、「弥勒如来像」は奈良の「唐招提寺」で観られます。 韓国にも、全く類似した「弥勒菩薩半跏思惟像」が現存しているようです。 【飛鳥の三弥勒】広隆寺にもう一体「泣き弥勒」【国宝】が隣接して納められています。べそを描いておられ、仏像には、金箔の一部が残っています。もう一体は、奈良法隆寺の東側に隣接した【中宮寺の弥勒菩薩】を飛鳥時代の三弥勒と称されています。 【霊宝殿】四隅には、「四天王」「じ・ぞう・こう・た」即ち「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」が少し大きめに立っています。西側に薬師如来・日光菩薩・月光菩薩そして前列に十二神将【国宝】正面に弥勒菩薩二体と天平時代の作の弥勒菩薩一体他に大日如来・聖徳太子そして使えた「秦の河勝夫妻(藤原時代)が並び、東側には、毘沙門天・吉祥天(夫婦)(尚多聞天は毘沙門天は一諸)愛染明王。不動明王が、そして南側に観音菩薩像が三体内二体は【国宝】となっています。修学旅行生も勉強の為多く案内しました。寧ろ中学生から教えてもらいました。「おじさん、四天王の覚え方は じ・ぞう・こう・た としておじさんの好きなマージャンのとん・なん・しゃ・ぺできまり」と。【本堂】【国宝】聖徳太子の立像が祀られて居ます。地元では、「お太子さん」として親しまれています。隣が太秦映画村として賑わっています。 【講堂】阿弥陀如来【国宝】「下品中生」の珍しい印相をされています。「平等院」阿弥陀さんの印相をご参照下さい。両脇に地蔵菩薩・虚空蔵菩薩(重要文化財)【南大門】仁王像 阿・吽(あ・うん)
2012.03.03
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3月に入り、小春日和の温かさを感じます。禅宗の庭園は、掃き清められ、清楚で心落ち着きます。本日も、後醍醐天皇には、広大な【天龍寺】を菩提寺として建設し我が身は、一歩控えて【等持院】を菩提寺として同じく夢想国師に建てさせました。 【等持院】(とうじいん)臨済宗天龍寺派 開基 夢窓疎石 歴史上に登場する人物で、時代に応じて、イメージで印象の悪いと考えられていた者が、理由が有って善良な人物とも取れる事がよく。出てきます【足利尊氏】がそのひとりです。戦前歴史で朝廷に背いた国賊と教えられました。然し現代に残されている寺院からは、そうとも思えない足跡が観光によって感じられました。牧野省三像 等持院然りです。映画監督「牧野省三像」が立っている その奥に玄関口門前に大きく「等持院」と書かれた門標がありました。足利尊氏の戒名「等持院仁山妙義」から付けられたとされます。寺院の格式から「寺・院・坊・庵・軒」とされています。戒名は残った人がその人の遺徳を偲んで贈名とするとすれば、「等持」の漢字に寺が二字含まれて居ます。慕われ尊敬された方と思えます。そして寧ろ何か原因があったのでしょう。敵であった、「後醍醐天皇」の菩提の為に、建設費を「天龍寺船」での貿易で立派な「天龍寺」を建て、その立役者の足利家は等持院で、一歩下がって礼を尽くしているように思えて成りません。庫裏の入り口【順路】•1. 表門に等持院の額が掛っています。•2. 玄関口の瓦及び蟇股には二引きの足利の家紋が見られます。 ダルマの絵•3. 廊下の突き当たりにダルマの絵が目立ちます。天龍寺の 管長さんが描かれたそうです。座禅を続けていますと足が 立たず、それがダルマさんの姿に成られた、「ダルマ禅師」 の絵です。 方丈庭園•4. 方丈前の廊下は、「うぐいす張り」できゅっ・きゅっと歩くと 音がします。•5. 方丈(本堂)には、釈迦三尊が祀られて居ます。霊光殿 足利歴代将軍 等身大の像•6. 【霊光殿】正面に尊氏の母堂が大切に振興つき「地蔵菩薩」 を尊氏のの仏の庇護のため賜った尊氏の念持仏 両脇に禅宗の祖師「達磨大師」と「夢窓疎石」が、足利将軍 15代の像(5・10は除く)何故か徳川家康の像有り。足利尊氏の墓 塔の上が欠けています7..【足利尊氏の墓】上部の宝塔が欠けています。何でも三條大橋 東詰で御所に向かって、平伏している像、「高山彦九郎」が朝敵 として刀で切り付けたと言う伝説が有ります。芙蓉の池 左の奥に立命館大学の校舎借景には「衣笠山」が見えていました。時代の波。8.【池泉回遊式庭園】夢窓疎石作庭「芙蓉の池」と称し、蓮の形した 「亀島」書院正面の這い松の「鶴島」「石橋」「滝の石組み」天龍寺 の庭園形式になぞらえています。亀島9.【清蓮亭茶室】八代足利義政が建てた武家床の貴人席があります。 等持院型灯篭と自然石で出来た司馬温公型手水鉢が有り、 茶席からの庭園の眺めもやや高台からとなり素晴しいです。茶室・清蓮亭 借景に、衣笠山が近年まで、眺められたのですが、時代の波に逆らえず、「立命館キャンバス」の校舎で、遮られてしまい、致し方がないとは言え残念です。10.奥の池 用意された草履を履き、庭園に降りて奥の池をめぐりましょう。 水面に映る景色も趣も豊かさを感じさせます。是非、庭園に降りて散策されることをお勧めします。 天龍寺・金閣・銀閣と足利将軍の関係する「菩提寺」としてひっそり佇んでいます。
2012.03.02
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3月に入りました。春をこよなく待ちたいです。昨日の【法金剛院】は、大河ドラマの主な出演者の時代を考えるご参考にも成ると思います。鳥羽天皇と中宮待賢門院とのあいたに後白河天皇を産んでおられます。白河上皇に寵愛を受けた待賢門院も上皇が死後、頼る人もなく、出家されました。鳥羽上皇は得子(美福門院)に心移されます。法金剛院の側に大伽藍の妙心寺があります。 【妙心寺】(みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん) 七堂 伽藍JR「花園駅」の近くにあります。「妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。殆どが拝観謝絶で開放されていません。外塔頭の代表格が【龍安寺】で本堂の名札に全国の外塔頭の寺院数千を数えるほどに掲げて有りました。 龍の天井絵の法堂 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた【龍の絵】でした。【狩野探幽法眼】 (かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。先ず「本坊受付」にて20分置き時間制で案内されます。其の後「明智風呂」にも案内されます。本坊で待機中に、本堂の名札を見上げられる事と、内陣には「釈迦三尊」が祀られ前庭は、「方丈庭園」に成っています。 退蔵院表門 【退蔵院】 (たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも、鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。 受付 狩野元信の絵狩野元信の庭 【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 陰の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。 水琴窟 【水琴窟】(すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。【東林院】【沙羅を愛でる会】と沙羅双樹(夏椿)の咲く頃(6月15日から末日予定)精進料理(阿じろ料理)を賞味しながら、苔の丘に落ちる花を愛でる催しが有ります。沙羅の大樹から朝開花、夕べには散る、儚さを平家物語で語っています。【涅槃】(ねはん)お釈迦さんが入滅されるときに、周りに「沙羅双樹」の樹が有ったそうです。信者から与えられた食事の中毒に遇われ、母マーヤ夫人が天から薬袋を投げられたのですが(投薬の語源)沙羅の樹にひっかかり、鼠君が樹にのぼろうとしたとき猫君が阻んだため、間に合わず涅槃図並びに十二干支には猫君は除かれましたとさ。涅槃図に猫君の存在するものもありますが、神妙に構えているそうです。
2012.03.01
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