不動産(建物とか土地とか)を買ったり、
賃貸のお部屋に入居したりするときに、
「このお部屋で孤独死がありました」とか「殺人事件がありました」とか
そのようなことがあったのを知っていたら買わなかった、とか借りなかったとか言う人がいるために
告知をしましょう、ということになり、そういう告知事項がある物件のことが「事故物件」と言われるものの正体である。
こういう「心理的」な「傷=瑕疵」を気にする人が増えて、
どこでどんなことがあって人がなくなったか、ということを投稿し
データとして蓄積し、公開する「大島てる」というインターネットのサイトまで登場した。
確かに、同じ家賃であれば、人が死んだことのある部屋より、そんなことがなかった部屋のほうがいい・・・と思うのは人情だろう。
昭和の中ごろまでは、結構自宅で病気療養をして、自宅で最期を迎える方も多かったせいか
わりと日常の中に「死」というものがあった。
また、事件が起きたとしても、情報の伝達が今ほど手軽でもなく
また、仮に報道されたとしても一過性の情報で
いつでも、何年たっても検索すればすぐわかるから
「忘れられる権利」などというものが提唱されるほど情報が消えない時代でもなかった。
そう、人のうわさも75日、という世界だったので、多少何かあってもそれほどの影響はなかったのだ。
ところがである。
この「大島てる」ができてから
昨今の自殺、他殺はもとより何十年前の焼身自殺とか
すでに現存しない建物からの飛び降り自殺とか
孤独死、つまり例えば心筋梗塞でお亡くなりになった一人暮らしの方の死とか
そういったものまで仰々しく「事故」としてデータが蓄積され、公開されることになったのだった。
当然そのようなことになれば、安くしないと借り手はない。
売るとしても買いたたかれる。
そこで、とうとう事故死した人の連帯保証人や遺族に損害賠償を求める裁判まで起こるようになってしまった。
この事態を受けてこの度どういう基準でこの「事故」を告知するかのルールを国交省が定めようとしている。
ガイドラインという緩いものではあるが、このままエスカレートしていけば、貸すほうも借りるほうも、そして財産を処分するときに大変不幸な目にあいかねない。
何故なら、人は必ず死ぬのだし、いつ死ぬかどこで死ぬかを自分で決めることができるとは限らないからだ。もしそれができるというならば、誰一人交通事故で死んだりしないし、誰一人だって心臓まひであっけなくぱたりと倒れて死んだりするはずがないのだけど、事実そうやってどこかで誰かがお亡くなりになっている。そこで発見が遅れれば、そう孤独死だ。
病に倒れたとき、自宅で最期を迎えたいけど、そうすると自宅が高く売れないので残された家族に迷惑をかけるから、病院で施設で寂しく・・・ということになったらどうだろう。
おちおち死ぬこともできないではないか!
大家さんとかがこの問題には敏感に反応していると思うが、実はマイホームを持っている人もそして、借家に住んでいる人も切実にかかわってくるかもしれない問題でもあるのだ。
忌憚ない意見を出して、少しでも良いルールになるようにご協力ください。
https://www.mlit.go.jp/report/press/tochi_fudousan_kensetsugyo16_hh_000001_00017.html?
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