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ある少女の死と飼い犬の家出

ある少女の死と飼い犬の家出
 その少女は17才、ポッチャリした健康そうな高校2年生でした。手術歴はなく、腹痛と嘔吐で入院してきて一旦保存的によくなり退院しましたが、また2週間ほどして同じ症状で戻ってきました。丁度1年ほど前のことでした。右下腹部に何となく抵抗があり、少し痛がります。CTではあまりこれといった所見はありませんが、一番頻度の高い虫垂炎から炎症性の癒着でも起こり不全イレウスになったのだろうと考えて、本人家族に説明し手術することにしました。傍腹直筋切開で約2cmの創から指を入れてみた瞬間に私の指は今までの常識を覆しました。ザラッとしたこの感触は、そう年寄りでたまにあるあの癌性腹膜炎の感触そのものではないですか。「ウッソー、こんな若い健康そうな少女が癌性腹膜炎なんて」と否定しようとしましたが、私の指は許してくれません。一部組織を採って迅速組織検査に出して結果を待つ間に徐々に冷静さを取り戻し、これから始まるであろう少女の闘病生活と私の苦しい嘘言生活に思いを馳せました。中分化腺癌でした。両親を手術室の中へ呼び入れ、状況を説明し、その場は試験開腹のみで終わりました。術後に注腸を行いますと上行結腸の入り口に狭窄があります。当然ながら不全イレウスはよくなりません。原発巣の切除(回盲部切除)と癌性腹膜炎に対する腹腔リザーバーの留置を行ったのはそれから2週間後でした。その間両親と何度か話し合い、少女には非告知で「炎症性の腫瘤が出来ていてそこは取ったけれどもまだ回りに炎症が残っているので、術後に炎症をおさえる薬をリザーバーから入れましょう」と誤魔化しました。創もなおり、食事も食べられるようになり、退院が近づいてきました。退院後、外来で抗癌剤注入を続けていくうちに副作用も出るであろうし、とても誤魔化しきれる自信はなく、退院前に両親と話し合って癌の告知をすることにしました。「実は採った組織を調べたら大腸癌で、周りに少し取り残しがあるかも知れないので、念のため抗癌剤の注入療法を外来でしましょう」と説明をし、少し私の心の負担は軽くなり、少女も素直にそれを受け入れ自暴自棄になることもなく、納得して高校生活にも復帰しました。腫瘍マーカーは術後少し下がりましたが、その後は抗癌剤治療の効果もなくどんどん上昇を続け、再び癌性腹膜炎によるイレウス症状が出たのは約5ヶ月後でした。それから652号室とその窓から見える五井山だけが少女の世界となりました。イレウスによる痛み、腹満感と嘔吐に苦しみ見るに見かねて回腸瘻を作りましたが不全イレウスは続き、ストーマ周囲のびらんも起こり、それから半年間は緩和ケアチームのお世話にもなり、フェンタニールパッチと塩酸モルヒネによる疼痛管理、IVH とステロイドの使用、適応が通ったサンドスタチンの使用など考えられるあらゆる手段を尽くしましたが癌は確実に少女の寿命を縮めていきました。いよいよ最後の時が近づいてきた時、少女もそれを悟ったのか可愛がっていた犬に会いたいというので、こっそり家族に箱に入れて病室まで連れてきてもらいました。丁度そのころ私の家の老犬が家出してしまいました。その犬は昔私が毎朝蒲郡緑地公園でトレーニングしていたころ、捨て犬が3匹いて、走ってついてきたのをこんな拾い物をしたら女房に怒られると思いそのまま帰ったもののやはり放っておけず戻り拾ってきた犬の1匹です。メスでしたので、貰い手がなく結局家で飼うことになり、蒲郡で拾ってきたのでガマと名づけました。ガマも拾って十数年、前から飼っていた犬たちも順番に死んで1匹だけとなり、最近では散歩に連れ出してもよたよた、プルプルで遠くまで歩けなくなっていました。女房も屋敷の中では遠くへ行くことはないだろうと昼間放し飼いにして夜だけつなぐようにしていました。女房が前の畑で草取りをしているとその周りを気ままによちよち歩きをしていましたが、ある日夜つなぎ忘れ行方不明となってしまいました。そんなに遠くへ行けるはずはなく、よく散歩で連れて行く裏山や田圃の周りなどおおさがししましたが、結局出てきませんでした。またタイミングよく女房が前の日草取りをしながら「お前がいるから旅行へもいけないんだよ」などと愚痴をこぼすものだからそれを聞いて死に場所を探して家出をしたに違いないと思いました。少女は動けない世界で可愛がっていた飼い犬に別れを言い、うちの飼い犬は最後の力を振り絞ってひっそりと死に場所を求めて旅立ちました。どちらも私の心の中に思い出として生きています。



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