揚州

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農民、貧困から脱却して「小康」へ



農民、貧困から脱却して「小康」へ

―――中国共産党第16回大会が打ち出した「小康」(いくらかゆとりのある)社会を全面的に建設するとの目標は、農民に貧困から脱却して豊かになる新たな原動力

をもたらした。

蘭辛珍

 蘭白計さんが毎日夕食後にすることは、テレビの前に座ってニュースを見ることだ。第16回大会の報告が小康社会の全面的な建設を打ち出したことをテレビで知った蘭さんは、非常に喜んだ。「農民はさらに突き進むことができる。来年の奮闘目標は、農業用三輪車を買うことだ」。
 今年56歳になる蘭白計さんは、山西省嵐県の農民。国の貧困基準規定からすれば、生活はずっと貧しかった。
 嵐県は国の重点貧困県の1つ。黄土高原に位置し、平年の降雨量は400mm。年間の蒸発量も高いため干ばつや水不足から農民の生活は苦しく、発展できなかった。当地の政府は1999年から労働による貧困支援策を実施、農閑期に道路補修や水利工事に従事させて現金を支払っている。蘭さんも労働でテレビを購入した。唯一の電気製品だ。
 「銀行からいくらか借金して養鶏場をやりたい」と蘭さん。農家を対象にした国の小口融資政策で、彼も融資を受けられる。去年借金をして養殖業を始め、豊かになった仲間がいる。それが彼の投資への自信を強めた。
 内蒙古自治区の商都県に住む馬英さん。彼は蘭さんに比べ幸運だ。去年、馬さんは貧困家庭に指定されていたが、今年は「移転による貧困脱却」政策で豊かになった。
 自然災害が頻繁に起き、生存条件の劣悪な地区に住む極度の貧困世帯を対象に、内蒙古や寧夏、貴州、雲南の4省・自治区は2001年から「移転による貧困脱却」政策を実施。国が優遇政策と一定の補助金を出し、生活・生産条件の良い地区へと移転させて、高効率の農業やその他の収入の高い業種に従事させるというものだ。補助金は1人当たり3500~5000元。住宅の移転や生産、必要な教育・文化施設の建設に用いる。馬さん一家は2002年3月、環境の悪い小さな山村から商都県に移転した。
 「昔は2ヘクタールの麦畑を耕して収入は1500元。今は野菜のビニール栽培で、0.07ヘクタールで6000元の収入になる。5年以内には小康になるだろう」と馬さんは感嘆する。
 馬さんのように移転して豊かになった人は、2001年に40万人に達した。国家計画委員会地区司の郭培章司長は「移転政策を実施するために国は2001年以降、これまでに27億5000万元を投入してきた。移転した人たちは大部分が衣食住の問題は解決できた。また豊かになった人も少なくない」と強調する。
 農村の貧困者を豊かにする、これは政府の一貫した政策である。一日でも早く豊かにするため、政府は貧困支援資金を毎年増やしている。1980年は8億元、2002年には270億元に達し、累計で1680億元余りにのぼる。
 同時に政府は、社会各界に貧困支援開発に積極的に参与するよう呼び掛けてきた。80年代半ば、科学技術部など十数の省庁が率先して貧困地区の支援に乗り出し、その後、社会各界も参与するようになり、規模も拡大している。特に90年代以降は政府機関、事業団体や非営利事業団体、民主党派、民間団体などにも広がっていった。2002年10現在、直接投入資金は52億元、内外からの各種資金は150億元余りにのぼる。
 嵐県下会村の農民にとって、2002年11月28日は最良の日となった。山西省計画委員会が建設した「嵐河下会大橋」が開通したからだ。これは山西省が社会各界の力を結集した貧困支援の橋で、外部と隔離されていた歴史に幕が下ろされることになった。78歳の楊老人によると、下会村は西、南、東の三面を山で囲まれ、北面に川が流れている。だが工業廃棄物が流れ込み、長年凍結しないために川底にヘドロがたまり、牛や羊が川にはまったり、子供たちは1キロ先の中学に通うにも雨合羽を着て寄り添いながら渡らなければならない。春や夏には水かさが増し、学校に行くことさえできなかったという。
 村から500メートルのところに中国南北を貫く国道209号線が走っている。だが、この川のために、村人たちはその恩恵にあやかることはできなかった。「今は良くなった。橋もできたし、交通も便利になった。豊かになる望みが出てきた」と楊さんは喜ぶ。
 国務院貧困支援弁公室の呂飛傑主任は「農村部にはまだ2926万人の貧困者がいる。彼らの多くは交通が遮断され、生存の基本的条件のないところに住んでいる」と話す。
 呂主任は、中央政府は農民を貧困から脱却させ豊かにする問題で(1)様々な方法を講じて収入を増やす(2)貧困からの安定した脱却に着眼し、持続可能な発展の道を歩ませ、貧困地区の基盤施設の整備を強化すると共に、様々な自然災害を抑制する能力を高め、生産と生活、生態の良性な循環と持続的な発展を実現する(3)貧困者の科学・文化的資質を高め、特に市場を管理しリスクに対応する能力を強めるーーー解決方法を取ってきたと強調する。
 社会各界や民間団体が直接貧困者を支援するほか、「希望プロジェクト」(社会からの寄付金で農村部に学校を建設したり、貧しい家庭の子どもを学校に通わせる活動)や「貧困農民自立プロジェクト」など様々な形態による援助活動が展開されている。
 また政府は国際組織とこの面での交流や協力を絶えず拡大している。世界銀行と1992年に「90年代の中国貧困支援戦備シンポジウム」を開催したのをはじめ、1995年から世界銀行と共に最も貧しい西南部で貧困支援開発プロジェクトを実施し、大きな成果を上げた。現在、西南部や秦巴地方(陝西省の秦嶺・巴山・江山)、西部で第3期貧困支援融資プロジェクトが展開されている。援助総額は6億1000万ドル、9つの省・自治区の91の貧困県、800万人の貧困人口をカバーする。
 呂主任は「2010年までには残る貧困者の衣食の問題をほぼ解決して、小康社会を全面的に建設するための条件を整える」と強調した。
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資料1:農村貧困人口の変化

貧困人口の総数 貧困の発生率

1998年12月 4926万 5.4%

2001年12月 2926万 3.2%

資料2:農村貧困人口の基準

1985 年:1人平均純収入が206元以下

1985 年:1人平均純収入が300元以下

1985 年:1人平均純収入が625元以下




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