MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.07.13
XML
カテゴリ: 広井勇

工学博士 広井勇伝

51-57

 技術者として博士がこの工事に尽した功績は、以上述べたところによって想像できるであろうが、博士はまた経理上にも深く心を用い、年度割予算額の増減及び物価の騰貴等に伴って、事業経営の困難一方ならぬものがあったにもかかわらず、常に臨機応変の処置を取って工事の進行を円満にし、経費支払の確実敏速を図って購入物品の代価を低廉ならしめ、巧みに廃材古物を利用して費用を節約し、またセメント業者と特約して常に市価以内の低価をもってこれを供給せしめる等、諸般の設備においても、あるいは工事そのものについても、すべて質素実用を旨として、なんら虚飾にわたるような事はなかった。

その他博士の功績はこれを挙げて一々ここに数うる事は到底不可能に類するものがある。



「博士の謙譲なる、責はことごとくこれを己に負いて功はすなわち挙げて所員に帰し、へいぜい推奨至らざるところなく、既にしてそのこ工を竣るや確然防波堤の今日ある。

一に所員一同のきっきょ精励の致すところに外ならずと称して毫も疑うところなく、自ら視る事かつて些かの功労なきもののごとし。名聞に淡く功利に冷ややかにして、その学に忠にその職に誠に、悠々としてその分に安んじその事を楽しむものに非ずんば、いずくんぞよくかくのごとくなるを得んや。

今や居然たる東洋無比の一大防波堤は、静かに小樽築頭に横たわりて、永久に護港の守神ならんとす。

世人多くはその外形を見てその内容を察せず、いたづらに波上一抹の長 よく激浪巨濤と健闘するの壮観を知りて、しこうして博士の雲髪ために半ば化して白髪となりしを知らず、空しく思へらく、防波堤は偉なり学問の力は驚くべしと、まことに深く憾むべきにあらずや云々。



 右の文章は、時の北海道庁土木部長西村保吉氏の、『小樽築港に関する広井工学博士の功労一班』と題するものの末節であるが、博士の業績には誠にかくのごときものがあった。



 当時この築港工事にセメントを供給していたのは浅野総一郎氏であったが、氏は工事の実状を視察しようとして朝早く現場に出て見ると、博士は毎朝、既に作業服に身を固めて自らショベルを取り、セメントや砂を配合して水で練っているので、『この博士なればこそこの難工事も事なく運ばれるのだ』と感嘆することを常としたという。



 また博士は自ら率先して難に当り、常に責任をもって事を処理した。ある夜暴風突発して堤上に置かれた起重機の運命はほとんど絶望とも思われた時、博士は黒暗々たる闇夜、押し寄せる激浪を物ともせず、部下を督励して堤上にたどりつき、多額の国費を投じて造った起重機を、危機一髪の間に救うことができたという話は、博士を知るほどの何人もが口にするところであるが、しかもそれはたまたま表面に現れた一挿話に過ぎない。

この時、博士の手には短銃が握られていたというが、それは防波堤が万一破壊の場合の堅き覚悟と知られた。博士は生前当時を追想して、『美談でもなくまた自慢話にもならぬ事なれど』と謙遜して、左の一文を雑誌工事画報に寄せているが、その自責的態度と崇高なる信念は、ただに技術界のみならず、またもって一世の師表と仰ぐに足るものと信ずる。

(再掲)

「自分はかつて北海道庁に在職して小樽築港に従事したるものにて、同工事は自分等が時の長官、北垣国道に施設の必要を説き、同氏も見る所あって計画されたものなるが、当時築港なるものはいささか事珍しく、先に野蒜(のびる)において失敗し、亦軽微ながら横浜港にありても蹉跌(さてつ)を来たしたる後にて、政府においては非常に危ぶみて容易にこれを受け容れなかったところ、長官及び有志者の百万尽力した結果により、井上〔馨〕内務大臣の視察するところとなり、また古市(ふるいち)技監の調査するありて200余万円の予算は議会を通過し、明治30年に起工の運びに至ったのである。

 当時経験に乏しき自分の苦心は、一応尋常の事ではなく、漸く工事の進捗を見るに及ぶや、〔明治〕32年12月に至り防波堤の延長200間に達したる頃、一日にわかに暴風の襲うところとなりたちまち怒涛澎湃(ほうはい)として起こり、2、3時間の間に何もかも破壊して洗い去られ、残りたるものは出来上がった防波堤と、その上にありたる積畳機〔せつじょうき:クレーン〕のみとなり、これらもますます加わる風浪に耐え難き情勢に至り、多少の応急作業の外施す術なく、激浪のなすがままにまかし、傍観するうちに日は暮れ、何も見えなくなり、ただ遠雷の如き波撃の音を聞くのみであった。

 ここにおいて自分は万事休し、居室に戻り思案に暮れ、心中すこぶる穏やかならなかった。もし既成の工事にして全然破壊せらるるに至らば、何の面目あってかその顛末を報告して予算の追加を請うべきやを苦慮し、この時ばかりは真に当惑を極め、事ここに至れば断然一命を以て自分が不明の至せるを謝す外なしと思い定めるや、心も静まり、横臥して古来工事失敗の責任を一身に負いたる人々の事などを回顧し、自分もやがてその数に入らねばならぬものかと思い、ただただ天佑を祈るその中に、いつしか終日の労のため仮眠するに至り、夜半過ぎて目を覚ましいよいよ時来れるかと気付きたるとき、意外にも波音大いに静まりおり、海上ようよう平穏に帰したるにより、兎に角現場に赴かんとし、外に出れば雪は降りいたるも風は大いに凪(な)ぎ、防波堤上に至れば、打ち越す余波のためその上を歩行する事は得ざりしかど、その存在はこれを認むることができ、 その刹那の嬉しさは今に忘れ得ない 。また貴重なる積畳機も残りおり、 自分はその時天を仰いで神に感謝した

 翌朝に至り被害の程度を検したるに、今一度の強き波撃を受けたらんには、堤は破壊せられ、積畳機は墜落したるべき状態にありたる事歴然として現れ、 その折自分の胸中には千万無量の感が往来した 。以来寒燠(かんおう)殆んど30年、激浪の襲来を受けたる事、幾回なるやも知らざれども、以上の経験により得たる多大の教訓は堤をして今日に至らしめたのである」(雑誌『工事画報』追想文)






博士が当時苦心のほど、もって想い知ることができるであろう。この工事に対する博士の献身的な労力と苦心とは、到底筆紙の表現を許される範囲ではない。



 なおこの工事について特筆せねばならないのは、コンクリート製造に当って火山灰を利用したことである。

 海中工事に使用するセメントに適質の火山灰を混入する時は、建造物に耐久性を付与するのに有効なばかりでなく、費用を節約する利益のある事は、かつてドイツの碩学ミハエリスが唱道し、31年中プロシャ政府がシルト島において施した試験の結果によって証明されたところで、我が国においても理論上の問題としてその効用を認めまたは実用に供せんと試みるものはなかった。

 学術の研究をもって生命とした博士は、当時における築港工事として我が国空前の大事業を統括し、工事施工上、あるいは事務の処理上、既に述べたような繁忙の中にありながら、研究は研究としてまた一日も怠ることなく、前後数回にわたって試験を施した結果、海水工事に効果の大なる事を確信し、35年に至って火山灰をセメントに混入することを断行した。その結果は、予期の如くコンクリートの強度並びに耐久性を著しく高め、ことに火山灰は小樽港近接のところから得られたので工費の点においても少なからざる節減をなし得たのである。

 工学者としての博士の面目は、自らの研究を単なる研究の程度に止め置かず、断乎としてこれを実行に移すところにかかっている。

 博士はまた所員を採用するに、まずその人の『人間』としての力を見た。しかして人物の長短を見分けてその長所を適用した。

それ故従業員は技師を初め人夫に至るまで、各自がその担任箇所に全力を尽くすことを喜んだ。もし短所のある人夫があってもいつのまにか博士に心服し、博士の言を神聖視して、親のごとくに服従し、どんな難しい事を命ぜられても一言の不平もなく、ただ命に従うという有様だった。

 かく小樽港において大成功を得たものは、博士の綿密なる科学的研究の成果にまつもの多い事はいうまでもないが、またその全生涯を通じて現れた。

博士の牢固たる信念と英断の気風があいまって始めてこれをかちえたというべきである。

 小樽港頭4250余尺の長見は、博士が苦心と献身的努力の記念として千古にわたって港内の平穏を保持するとともに、偉大なる博士の功績もまたこれによって永遠に伝えられるであろう。

「ボーイズ・ビー・アンビシャス第4集 広井勇と青山士」が神奈川県立川崎図書館でも蔵書となっていた | GAIA - 楽天ブログ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.07.13 17:29:20


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: