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内村鑑三から広井勇への手紙
〔英文『新希望』七二号 倉橋惣三訳 現代文表記〕
一八八五年 八月□日 全集36p.199ボストンより
友よ、
僕は、多くの疑惑と憂悶とを全くグロスターの地に残し去って、一週間前このボストンの地に来た。僕は今、親友宮部とともにハイデの公園にあって閑雅な休暇を楽しんでいる。閑雅という、これは僕が怠惰安逸な閑日月を有するというのではない。実にわが救い主の限りない恩愛を感ずること、今やいよいよますます大いなるをもってである。およそ僕が自らの翼に乗って、自力で超絶世界に高く飛ぼうとすることはとうてい無用の徒労であるとする。僕は常に単純な十字架の教えを哲理化しようとし、また僕と僕の理想を隔てるすべての暗闇をも哲理化しようとする。これ実に、僕は日々に善悪を知る禁断の木の実を食べつつある。そして、このためにエデンの園を追われつつある。帰れよ、幼い児童の心に帰って、自分の無知と無力とを覚(さと)れ。そうすればすなわちナザレのイエスが私たちの目を開きたまうだろう。ああ、人が迷信というところのもの、すなわち十字架の上の死の信仰、これこそが僕たちの千代の磐(いわ)、生涯の錨である・・・。〔ママ〕
神が僕の行くすえをいかに導きたまうべきかは、僕が知らないところである。しかし、現在の僕は、僕が伝道者たらんとの決心によって非常な歓喜を感じている。宗教の実体に関して、しばしば僕の眼をくらましてきた奇怪な障害物は、今や眼のあたりに除き去られつつある。僕はこの霊眼の明瞭を得たことについて、実に実に感謝に充ちている。そもそも僕の最も要求するところのものは、進取的で快活なキリスト教である。他に関する批評の態度ではなく、あらゆるものに対して祈祷(いのり)にみち推奨(すすめ)の態度である。 いたずらに自己に対する嫌い厭う憎悪の感情ではなくて、復活向上の主を仰ぎ見る喜び舞い踊る心である。 もし、それ、悪魔的見解をもってすれば、実に人生は悲哀と不幸とに満ちていることを見るであろう。しかし視よ。死のトゲは除かれたりと記されているではないか。美術と科学とでこの世界を飾ることも、名誉ある事業に相違ないであろう。しかも一度僕らがこの死のトゲを除き去るならば、この人生はそれ自らすでに美しい世ではなかろうか。医術はその二十世紀の進歩をもってしても、まだ僅かでも人類の死滅を減じたことはない。僕らはいつになれば、この世が不死の国となることをまとう。
しかし友よ、僕が伝道に従事しようとするのは、これを人類救済の唯一の法とするためではない。救いはただ神のみより臨(くだ)る、 教師は彼が十万の精霊を救いに導いたゆえをもって、茅屋にいのっている寡婦以上に義とされるべき資格はない。私たちを義とするものは信仰である、事業ではない 。」
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