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2023.08.19
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カテゴリ: 広井勇

広井勇、母を札幌に呼んで一緒に暮らす

 広井勇は札幌農学校着任とともに、当時東京にいた母を札幌に呼んで一緒に暮らした。広井は渡米にあたって、土佐にいた祖母や母の面倒を当時東京で侍従であった叔父の片岡に託していた。在米中祖母は亡くなる。内村鑑三の一八八七年(明治二〇年)二月八日付の広井あて手紙に「ご祖母様、ご逝去の由、ご悲嘆同情にたえない」とある。(「米欧留学篇」p.217)「工学博士広井勇伝」では次のように記する。

「明治二十二年九月十一日、博士は帰朝と同時に札幌農学校教授に任ぜられ、直ちに札幌に赴任した博士はこの新設工学科のために容易ならぬ努力と苦心とを払ったのである。当時、大学と称せらるるものは東京帝国大学以外には無かった時代であるから、学士の称号を付与する札幌農学校の存在は、北海道全土の誇りであった。広井博士は、その学校の教授であり、殊には洋行帰りであるというところから、たちまち尊敬の的となった。この時、博士はまだ少壮二十八歳の青年であった。威あって猛からざるその風貌は、既に堂々たる紳士として、人をして犯し難き感を抱かしめたのである。 札幌へ赴任すると、博士は札幌区北一条西五丁目に一戸を構え、仲秋、母堂を東京から迎えた。父を失える十一歳の幼な子を片岡氏に託して旅立たせ、明け暮れその出世のみを楽しんで、自らは淋しく暮らして来た母堂は、十七年ぶりに、初めていとし子との楽しい生活を迎えることができるようになった。





 この頃の博士は帰朝早々で、元より貯蓄など全く無く、家具の購入を始め、将来夫人を迎うるの準備をも整えねばならず、経済的に非常に多難の時代であった。しかし、博士は一向に無頓着で、大勢の書生を教養する事を楽しみとした。博士の母堂は、熱心なキリスト信者であったから、この頃博士の家に寄寓し、または出入りしていた人で、その熱烈な信仰に動かされ、キリスト教の信仰の道に入った者も決して少なくない。」(p.38)


 広井勇は母と妻に自分のために祈ってくれ、自分にはそれが必要だからと絶えず頼み、事業が成功すると、母と妻の祈りのお陰だと感謝したという。



「『 人間にとって祈祷は最も主要な事である。実際、人間には祈祷より外に施すべきはないのである。自分の如き者は素質において、決して天才という質でない。他人が三日にて成就する事も自分には一ヵ月もかかるのである。その点からしても、ただ祈りと努力があるばかりである、どうぞ自分のために祈ってくれるように、祈りにました援助はない 』とは、博士が繰り返し家人に語っていた言葉である。人に対して毅然たる博士の一面には神に対し幼子のごとき謙遜があり、信頼があったのである。そしてことに母堂と夫人の祈祷をこの上もなき助力としていた。何事かを仕遂げ、または何事か災厄を免れ得た場合には、いつもこれを母堂と夫人の祈りによる賜であると心からの感謝を述べるのであった。」(p.93)

ボーイズ・ビー・アンビシャス第4集 : 札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士」の写真がWEBCATに載っていた 少し嬉しい | GAIA ...




2 広井勇の祖母・母と札幌での母との生活

 広井勇は札幌農学校着任とともに、当時東京にいた母を札幌に呼んで一緒に暮らした。広井は渡米にあたって、土佐にいた祖母や母の面倒を当時東京で侍従であった叔父の片岡に託した。在米中、祖母は亡くなる。内村鑑三は一八八七年(明治二〇年)二月八日付の広井あて手紙で「ご祖母様、ご逝去の由、ご悲嘆同情にたえない」と悼んだ。(第二集p.217) 

「広井勇伝」によると、広井家は土佐の筆頭家老深尾家に仕えた。広井勇の曽祖父は喜十郎といい、遊冥と号した。遊冥翁は幼い頃から優秀で「学問に出精し算術も伝授されるなど神妙の至り」と賞せられた。十八歳の時、御役所向見習勤、三十三歳の時、家中の子弟に手習方を命ぜられ「諸生取立て方よろしく」と賞せられた。寛政三年二十二歳で田村喜六の娘と結婚した。文政二年五十歳で深尾家の高知邸の「御留守居役」を命じられた。長子が虎之助(勘左衛門と称す)である。二十四歳で西田祐之進の妹と再婚した。これが広井勇の祖母お勇である。勘左衛門は四十二歳で亡くなり、お勇は老父、遊冥翁に孝養を尽し一子熊之助(喜十郎)の養育に勤めた。お勇は嘉永元年五月八日「父母に仕え方よろしく」、更に嘉永七年にも「貞節の暮し方・・・かつ喜十郎病中永々手入方行き届き」と二度も褒美を賜った。明治三年勇の父、喜十郎が亡くなり、祖母と母が手内職で広井家の生活を支えた。祖母は木綿綿を糸に紡ぐことを内職とし、その糸を糸屋に届け、代金を受け取るのが数馬(勇の幼名)の仕事であった。ある日勇が数個の糸巻を金に換えて帰る途中、近所の子供達と遊んで遺失してしまった。祖母にわびると「失うたものは仕方がない。以後気をつけなされ」とやさしく諭した。祖母お勇は糸紡車を操りながら勇に、昔話や野中兼山や遊冥翁など人物伝を語り聞かせた。明治五年、当時東京で侍従であった片岡利和(母の義弟)が土佐に帰省した折、勇は「いかなる労務にも服することを厭わないから東京に連れていかれたい」と嘆願した。片岡は祖母と母が許すなら連れて行こうと答え、勇は母の許しを得た。勇十一歳の時である。勇は片岡家の書生として英語・数学・漢学等の私塾に通った。片岡家には年長の令息がいて勇に乱暴な遊びを強い、無理な命令を下して勇を困らせた。掌に傷を受けても勇は自ら招いたとして令息の仕業と言わなかった。勇は腸チブスにかかり、高熱の中で母を呼び、勉学の事をうわごとに口走った。それを救ったのが、片岡家に出入りしていた外国商人キンドン氏である。キンドンは玄関番として親しく言葉を交わしていた勇の姿が見えないことを不審に思い、勇が重病と知り、自宅に引き取って夫婦で献身的に看病した。勇は晩年まで横浜のキンドン氏の墓に花を持って詣でて、その慈愛に感謝した。 

明治七年十三歳で東京外国語学校英語科(後東京英語学校)下等第六級に入学し、宮部金吾らと知り合う。その後、勇は工部大学の予科に転じた。明治十年七月、札幌農学校は工部大学予科と東京英語学校の上級生から官費生を募集した。勇はこれに応じ、東京英語学校の宮部・内村・新渡戸らと共に二期生として入学した。勇が最も若く、一六歳であった。

「広井勇伝」の「母堂寅子夫人」によると、勇の母寅子は那須檽蔵氏の娘で、土佐勤王党の那須信吾、田中光顕、片岡利和と姻戚関係にある。母子の前半生は多難だったが、勇が札幌農学校教授としてドイツから帰朝して以来、身も心も温かい家庭を得た。

「明治二十二年九月十一日、博士は帰朝と同時に札幌農学校教授に任ぜられ、直ちに札幌に赴任した博士は新設工学科のために容易ならぬ努力と苦心を払った。当時、大学と称されるのは東京帝国大学以外に無く、学士の称号を付与する札幌農学校の存在は、北海道全土の誇りであった。広井博士は、教授で、殊に洋行帰りであることから、尊敬の的となった。この時、博士は少壮二十八歳の青年であった。威あって猛からざる風貌は、既に堂々たる紳士であった。
 札幌へ赴任すると、博士は札幌区北一条西五丁目に一戸を構え、秋に母を東京から迎えた。父を失った十一歳の子を片岡氏に託し、明け暮れその出世のみ楽しんで、淋しく暮らして来た母は、十七年ぶりに、子との楽しい生活を迎えることができた。

 博士の母は、明治十七年、片岡健吉氏と共に、同氏設立のキリスト教高知教会において、米国宣教師タムソン氏より洗礼を受けた。母子は互いに遠く離れ、貧苦と寂しさに戦って来た。そのすべての憂さも辛さも過去と去った。博士は、母と共に天なる神に感謝の祈りを捧げた。母を迎え、札幌に一家を構えた時には博士はまだ独身であって、母と共に東京から来た同郷の後輩、岡田虎輔、永野義直、山崎正馬(博士の甥)、奈良井多一郎を書生として寄寓させた。この他博士の家に出入りした青年は数多い。その後、永野氏は札幌農学校実科に入り寄宿舎生活となり、新たに高田武一氏が加わった。博士の母がこれらの人々に対する態度は少しも主従の隔りなく、書生も召使も一緒に食事をとり、その親切、その撫育は至れり尽くせりで、その恩愛の情はまことに親子もなお及ばないようであった。
 この頃の博士は帰朝早々で、貯蓄など全く無く、家具の購入を始め、将来夫人を迎える準備も整えなければならず、経済的に非常に多難の時代であった。しかし博士は一向無頓着で、大勢の書生を教養する事を楽しみとした。博士の母は、熱心なキリスト信者だったから、この頃博士の家に寄寓し、出入りしていた人で、その熱烈な信仰に動かされ、キリスト教の信仰の道に入った者も少なくない。」(同書p.38)

 札幌に住んだ初め、一竿のタンスで間に合わず新たにタンスを買い求めることを申し出ると、広井は、『衣類等は、一つのタンスに入るだけでたくさん故、余分の物は困る人々にお頒かちになられたら』と言う。母は直ちに実行した。後に夫人を迎え、『あの時、人に遣りすぎたから、今になって不自由で困る。私も何と正直者だったろう』と笑いながらも話したという。

寅子は大正十二年一月四日、八十九歳で逝去した。





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最終更新日  2023.08.19 02:32:59


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