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2024.02.18
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カテゴリ: 広井勇
かがり火 」135号36頁に  北海道「家庭学校」の記事が載っている。


「この家庭学校の一番の特長は、子どもたちは、それぞれの寮で、寮長先生の家族と一緒に、食事や掃除の手伝いなどしながら、一般の家庭と同じように暮らしていることです。
 寮長先生の子どもも同じ寮で寝起きしています。
 ここに来て初めて、家庭の温かみを感じる子どもたちも少なくないんですよ」

創立者留岡幸助は「家庭にして学校、学校にして家庭たるべき境遇」を目指して作ったのが家庭学校だった。


 上甲晃氏の志ネットワーックにも 家庭学校が 紹介されている。

2005年10月18日 上甲晃

 北海道家庭学校の日曜礼拝で聞いた、小田島校長先生の話は、なかなか良かった。窓という窓からは、黄色く染まった木々と、はらはらと散る葉っぱが鮮やかに見える。黒い詰襟の制服を着た子供達が、少しばかり背中を丸めながら、校長先生の話に耳を傾ける。校長先生の話がいささか理屈に走り、お説教調になると、子供達の背中は、たちまちのうちにさらに丸くなり、目を閉じる。校長先生の話が身近に感じられると、途端に、背筋が伸びて、視線が校長先生に向かう。
 校長先生は、「手」の話を始めた。
 「この間、みんなで、研修旅行に行きましたね。その時、サーカスを見ました。サーカスの人達とみんなが握手をしましたね。私もまた、若い女性と握手しました。きっと柔らかい、優しい手だと思って、手を出しました。ところが、それは大変たくましく、ごつごつとした手でした。サーカスの厳しい訓練に耐えた手は、優しくなかった。その時に、人間の生き方は、手に表れるとしみじみと感じました」。
子供達は、校長先生と一緒にサーカスに行ったから、思わず話に身を乗り出す。
 「 諸君、君達の生き方は手に表れるのです。 私はかつて大阪に住んでいました。友達が大阪に来るので、大阪駅まで迎えに行ったことがあります。友達を待っている間に、見知らぬ人が来て、私の手を見せろと言う。私は手を見せました。そして、職業は何かと聞きました。私は、教師ですと答えました。ところがその人は、嘘を付けと言う。教師がこんなごつごつとした手をするはずがないと言うのです。確かに、当時の私は、ある施設で、手にタコができるほど、激しい労働をしていました。それを見抜かれたのです。手に、自分の本当の姿が現れます。私が在職した施設に、スリの名人と言われる子がいました。その子の手は、か細く、すんなりとしていました」。
校長先生がそんな話をすると、子供達は、そっと自分の手を見ているではないか。私には、忘れられない光景であった。
 万一、彼らが、出来心から、スリをしたくなる衝動に駆られるかもしれない。その時、この日の校長先生の話を思い起こすと、ふと自らの手を見るかもしれない。教育とは、そのような効果を願うものではないだろうか。
 畑を耕し続ければ、ごつごつとする手、スリを働けば透明感が増す手、手はその人の人生を表している。どの手が良い、悪い、そんな問題ではない。手に人生が表れると考えることが、大切なのである。私には、校長先生の話を聞きつつ、自らの手を見つめている子供達の姿が、忘れられなかった。そして、改めて、じっとわが手を見つめた。


 留岡幸助は、1864年(元治元年)岡山県高梁市で生れた。
 キリスト教に目覚めて同志社の前身の神学校を卒業し、北海道の空知監獄で教誨師を務めるが、小さいうちから犯罪を繰り返し犯している収監者が多いことを知り、明治32年に東京の巣鴨に家庭学校を創設した。1914年(大正3年)に北海道に社名淵を開拓して家庭学校を創設する。作業中虻や蜂に襲撃されるなど大変な苦労があったという。



北海道家庭学校|見る・学ぶ|えんがる町観光協会

北海道家庭学校|見る・学ぶ|えんがる町観光協会

「報徳と社会」(留岡幸助)抜粋 香川県報徳講演集(明治42年12月)

 私の考えるのには、 世の中を難有(ありがた)く送る とういう事が、 人間の幸福なる生活中の最も幸福なるものであろう と思う。
その難有く送るという事は、財産の多寡や、あるいは学問の多寡によってではありませぬ。
それは精神修養の如何(いかん)によって、難有くも送られる、難有くなくも送られるのであります。
私はこの点に大いにつとめて見たいと思いまして、今現につとめつつあるのであります。
で私は数年前から御県にも来られまして、同じ感化を与えました所のかの金原明善という老人とごく懇意でありますから、その金原さんに「どうか『難有』という額を書いてください」と言って頼んだところが、「それはおやすい事であるが、しかし『難有』の2字だけでは余り変がない。何か経書の中の語とか、あるいは有名な文章でも一句選んでお出ししたらよかろう」ということでありましたから、「イヤ私はこの『難有』という二字が結構である、どうかこの二字を書いてください」と言って頼みました。
ところが金原翁はすぐにその二字を書いて持って来させてくれられました。
私は早速これを額にして、私の宅の客室にかけました。
ここに諸君の中で東京へお出になって、私の茅屋をお尋ね下さるならば、一番に良い部屋にその額がかけてあります。
ところが多く訪問してくれるところの来客の中に、これを読む人もありますが、どうも難有(ありがた)いと読んでくれない。
『なんいう』と読むのであります。『なんいう』というと難有(ありがた)いとは反対に、難儀があるということになります。これを難有(ありがた)いと読む人ははなはだ少ないのであります。
なぜ少ないかというと、難有くはない心を持っている人が多いのであろうと思います。
私どもの幼少の時には、難有い、勿体ないということをよく聞いた。たとえばご飯を食っておりますと、子どものことでありますから、過って飯粒を落とす。そうすると親父が「勿体ないぞ」と、こう言って叱る。それから今度は衣服をこしらえてくれる。この衣服は気に入らぬとかいうと、「勿体ないことを言うな」とこういうふうに言って仕込まれて参ったのであります。又何か言うと「難有く思え」などとよく言われたのでございますが、近頃は難有い勿体ないとは余り聞かないようです。聞くことは聞きますが、それは店舗にでも入って、何でも値切らずに買ってやると「難有う」とこう言う。それは私の言うところの難有いとはいうのとは大変に違う。とにかく難有い、勿体ないという言葉の使い方が減っている。




八鹿町立八鹿中学校
一年生の皆さんへ より抜粋

  難有

 この間雑誌を読んでいたら、この文字のことが載っていました。皆さんにも紹介したいと思います。
 これは、「なんあり」と読みます。
「難」が「有る」、難儀や難しいことや苦しいことが有るということです。
この文字を、北海道のある学校では、講堂の正面に大きな額に入れてかけてあるのだそうです。
それは北海道家庭学校というところです。北海道家庭学校というのは、前の言い方でいえば「教護院」です。今は、「自立支援施設」と言います。ここは、万引きとか、盗みとか、暴力とか、シンナーを吸うとか不良行為をしたような子どもや若者を鍛えなおしていくところです。こんな自立支援施設(教護院)は、全国のあちこちにあって兵庫県には明石市にあります。北海道家庭学校もその内の一つです。
 そこの学校に来るのは、いろんな問題を起こしてしまった子どもたちです。そのような子どもは、難儀や難しいことからすぐに逃げ出そうとする、苦しいことは避けようとするような子が多いのだそうです。それで、「難有」という言葉をかかげて、難儀や難しいことが有るのは当たり前だ、それに負けてはいけないのだということを教えているのです。
 とても大事なことだと思います。私たちは苦しいことよりも、面白いことをしたい、楽なことをしたいと思います。でも、生きていく上では、そんなことばかり有るわけがありません。苦しいことや難儀なことも有るのです。「難有」です。でも、「難有」であっても、それに負けてしまってはいけないのです。たくましく乗り越えていかなければなりません。
 ところで、この北海道家庭学校では、「難有」をもう一つの読み方をしているのです。「難有」を「有難」と反対に読むことも教えているのです。「有難」は「有ることは難し」ということで、「有り難い(ありがたい)」という意味なのです。
 少しだけ、日本語の「ありがたい」の言葉の説明をします。「ありがたい」といのは、この「有ることは難し」から来ているのです。お菓子を誰かからもらってありがたいのは、そんなことは「有ることは難い(めったにない)」から、ありがたいのです。生きているのがありがたいのは、ひとりの人間が生きているというのは、大変奇跡的なことで「有ることは難い(めったにない)」から、ありがたいのです。
ですから、「難有」を、北海道家庭学校では「難有りは、有り難い」と読んでいるというのです。それは、
「生きていく上では、難儀なことや難しいことや苦しいことはいろいろとあるだろう。でも、それは自分の心や考え方を鍛えてくれる大変有り難いことなのだ」
ということなのでしょう。
 私たちにも、難儀なことや苦しいことはいろいろとあるでしょう。これからだって、出てくるでしょう。そんなときに、弱音をはいたり、ぐちを言ったり、それに負けてしまったりしないで、それは、自分を鍛えてくれる有り難いことなのだと受けとめられるとどんなにいいでしょう。
これはなかなか難しいことですが、そう考えることによって、難儀なことや難しいことに向かっていく勇気を持つことができます。





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最終更新日  2024.02.18 18:54:49


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