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こういう言い方はどうかと思いますこれだけの被害は現実ですからhttp://www.asahi.com/politics/update/0617/TKY201306170249.html?fb_action_ids=522274764501000&fb_action_types=og.recommends&fb_source=other_multiline&action_object_map=%7B%22522274764501000%22%3A530515717013689%7D&action_type_map=%7B%22522274764501000%22%3A%22og.recommends%22%7D&action_ref_map=%5B%5D
June 18, 2013
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自分のブログを「涙」で検索したら あふれるほど出てきてったく よく泣くなぁ~泣くかもしれない という 涙はいっぱいあるのだけれど不意をついた涙 として 自分でも驚いた涙が1度ありますそれを検索しようと思ったんだけど見つかんなかった(>_
May 23, 2013
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現地でボランティアをマジに考えているけれどなかなかねできるかなってとりあえず被災した障害者施設支援からはじめることにでもね知的のみなさんって体格のいい方が多いので現地からの要請はL~3Lの衣料品なかなかね集めるのがむずかしいでもとりあえず今の目標は これ!
April 25, 2011
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3.11以来何をどう考えたらいいのかテレビではきれいな言葉は並べられても本当のところを正直に素直に語る人がいないメディアって怖いと初めて思った身近でも案外語られない知ってる情報(大半はメディア経由だけど)を個々に喋るのもなんだかだし結局 茶飲み話にしてもしょーもないからだどんどん自分の感覚に自信が持てなくなってきた心のざわめき地震ウツ?原発ウツ? というのはあまりに大げさだけど職場でもつまらないことがいろいろあったこともありあんなにがむしゃらに突き進んでいたのに仕事 ヤル気なくなっちゃった(>_
April 12, 2011
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April 7, 2011
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ともかくできることをとこんなことですけど署名しました。私たちには電気に対する考えを変えることが求められていると同時にエネルギー政策は転換を余儀なくされるはずですが・・・オットの故郷は世界中に有名になりました。フクシマとカタカナで表記されるようになるのでしょうか
March 29, 2011
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パキスタン国境に近いアフガニスタンクナール州ジャリババからナンガルハル州シェイワ群ブディアライ村を経てシギ村カンベリ砂漠まで全長23.6キロの マルワリード用水路を造ったのは日本人だいや 設計施工は日本のペシャワール会医療サービスハンセン病治療のため赴任した中村哲医師は 水と食料があれば 薬を使わずとも栄養失調や感染症が激減する1600本の井戸を掘った干ばつの対策にと 医者は土木屋になり江戸時代の工法を学び現地の人と手作業で水路を作った5年間でのべ50万人の雇用がうまれ推定灌漑可能面積9700ヘクタール10万人が生きていける79年のソビエト侵攻以来200万人の死者と600万人の難民が出た内戦とタリバン政権 米軍の報復攻撃・・・この地の人たちが生存していくために武力は必要ない自らもショベルカーを運転し 水路建設の先頭に立つ中村医師の姿に圧倒されずにはいられないこういう人がいるんだ・・・・映像は緑の麦畑を映し出す干からびた茶色い大地がほんとうに 緑豊かな大地に生まれ変わるこれはCGではないほんとうに この小さな日本人が成し遂げたことしかも政治関係なし資金は寄付金だけ!感嘆と感動とともになんとも こう 突き動かされるものを感じずにはいられないだからねぜひみなさんも見てください昨年は念願の中村哲講演会にも行ってきましたこの人のどこにそんな情熱が エネルギーがあるんだろうそんな風貌の方なんです本もいっぱい出ていいますぜひ 読んでみて澤地久枝さんとの対談集は特におすすめです
February 13, 2011
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石に刻まれた家族の名に涙を落とす祖母なんの形見も残っていない石に声にならない声で石をさすり石をだきしめる小さな声でとても小さな声で「本当は話したくないサー」少し首をかしげて空を見上げる人さし指の大きさの大きな傷あごと左腕に残る戦争の傷あと祖母は傷の手当てをするために水くみに行った防空ごうに姉を残し 母と二人でそのあとすごい光と音が・・・そのまま姉はもどらなかった「いっしょに連れて行けばよかった」「ごめんね ごめんね」と何度も何度もきたときよりも石を強くさすり石を強くだきしめるぼくはもう声を上げて泣いていたそして祖母の背中をさすったこんな青い空にこんなおだやかな沖縄に戦争は似合わない祖母のくしゃくしゃな涙も似合わないそんな祖母はもう今は歩くことができない毎日毎日空を見てきっと生きている喜び生き残った悲しみを感じているのだろうぼくは車いすをおして祖母のいのりを引きつぐ戦争のない平和な国を 平成21年6月23日 沖縄「慰霊の日」 平和祈念公園 全戦没者追悼式にて 沖縄県南城市立大里北小学校 6年 比屋根 憲太 声に出して 読んでみましたそれから「Revolution~私たちの望むものは」買いました
June 28, 2009
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投げつけてやりたいと ボスえーっ せめて新鮮なトマトにしてくださいよ とアタシなら青いトマトにしてやるよそれじゃ痛いじゃんこともあろうに この見目麗しいアタシに 投げつけたい とそう言ったのだ信じられないでしょったく これが我がボスの発言だよ昨年来 大喧嘩している事業今もアタシは不満タラタラでそのことを ボスもよくわかっているんだけどまあ喧嘩とは関係なく♪事業は進むよどこまでも~♪今月末この事業に関するセレモニーがあるんでこの期首&期末決算のクソ忙しいときにまたも余計な仕事カリカリ プンプンホントにヤなオンナになったアタシはギスギス仕事をしている腐ったトマトを投げつけられてもしゃーない んだろか???連日帰宅遅っ!残業手当 なんていう言葉はこの職場にあるわけがないあーもーマジくたびれたぁ~
May 13, 2009
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年明けからセンターあるからと 気張っていたワタシなんともジコチュー受験なんてとにかくわが子の点数が1点でも多く とさもしい(いよっ!流行語!!)だけセンター初日は阪神淡路大震災の日あの日 チョウナン7歳 ジナン4歳 おなかの中にサンナンがいて・・・・・チョロチョロ動きの激しいジナンの安全をどうやって守るか とか避難時にはぐれたらどうしよう とか目立つ色のヘルメットをかぶせて とかそんなことでアタマがぐるぐる回ったことを思い出す無事に(って無事とは思えない事件が満載だったけど)大学受験をするまでに育ったことを心から感謝しなくてはならない大きな地震に見舞われていないのはだだ幸運なだけさらにはガザがれきの街嘆く市民住む家があって暖かいご飯を食べられてそしてミサイルが飛んでこない暮らしただ幸運なだけオバマはどんな平和な社会を作ろうとしているのだろうどうやって作ろうとしているのだろう定額給付金もらえたら嬉しいけれどそんな使い方してほしくない という世論自分がイチバン大切なのはあたりまえだけれどでもちょっと隣にいる人に想像力をめぐらせることが社会を作る基本そしてちょっと遠くに住む人ずっと遠くに住む人いつも心に留めるというわけにはいかないかもしれないけれどせめて無事センターが終わって大騒ぎしている自分を客観的に眺めてみてちょっと恥じてそしてそれから考えてみることはできるかもしれない
January 21, 2009
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心の引き出しにしまいこんでいたものを そっと出してくれるピカソの魅力は そこなんだ と 確信人の心とか本心とか感情とか そういったものは親子でも夫婦でもわからないもので自分だって自分のことはほんとうは全然わかってないそうやってモヤモヤを抱えて暮らしているのが普通でそれをうまく解消するすべもわからないままもっぱらビールのお世話になっているがピカソは 自らの深層心理までも 描きだすことができた稀有な人なんだと思うその意味では とてもシアワセな人だで アタシはピカソの表現した膨大な絵画や彫刻にどういうわけか 妙にヒットしてしまう忙しさにまぎれて おしこめていた とても大切なものを一気に引き出してくれる国立新美術館では泣いた大勢の人がいるので正しくは涙が鼻に流れて どうにもならなかった というべきかほんとかよ って思うでしょうがでも ホントなんだよ琴線に思いっきり素手で触れられちゃったカンジまずは 青の時代 から入る(ピカソ展の定番だよね)ここで 一撃をくらってしまう見たのは始めてではないなのにだ何度見ても この絵には すごいチカラがある「ラ・セレステーナ」娼婦宿の女主人がモデルだそうだがそのまなざしは何を見ているのか感じるのは人それぞれだろうが人生をみている 生きるとは何かをみているその射抜くようなまなざしに震えがとまらなくなるさらに もうひとつ あたしの枯れた心に ヒットしてしまったのは「膝をかかえるジャクリーヌ」女性を描いた作品は(歴代の奥さんを含め)多すぎるくらいっぱいありどれも 相当魅力的なんだけど たぶんアタシは ジャクリーヌを描いたものがイチバン好きだ今回は国立新美術館のほうに ドラ・マールとマリーテレーズそしてジャクリーヌを描いたものが1点づつあるだけだったけれど最後の伴侶だったジャクリーヌはすごいすごすぎる膝をかかえて 首(背筋も)を伸ばしてしっかり前を見つめる姿は彼女の精神性を表しているようでほんとうに魅力的だで 今回は久々のジャクリーヌ対面で我もかくありたい という 姿なんだ と思ったら泣けてきてそれから もう一度入り口に戻って「ラ・セレステーナ」を観てもう完全にやられてしまった鼻水ズルズルのまま サントリー美術館に移動して最初の作品「カザジェマスの死」にもう 痛くてたまらなくなる 心がピカソ19歳 親友の自殺から 青の時代に入った とされるが19歳の青年の 痛い心情が とにかく突き刺さる鼻水は止まらなくなり 今思い出しても泣けるんだから 相当 アタシもヘンなんだけどこんなところで泣いている自分がわけわかんなくなってさらに泣けたりしてたぶん おそらく 自分も知らない自分に語りかけてくれているんだとしか 思えないサントリー美術館ではもう 本当に 本当に好きな「海辺を走る二人の女(駆けっこ)」に出会いお目にかかるのは3度目なんだけれど3度も会えたんだから もしかしたら もう会えないかもしれない といとおしく 堪能させてもらったサントリー美術館の最後は「若い画家」入ってすぐのところに 自ら老成した自画像を青で描き最後は ひどくあたたかいタッチの「若い画家」死の1年前の作品で自ら振り返った絵だそうだがわたしには 後世につづくものへの暖かいメッセージのように思えてならない限りのある命どうありたいか どうあるべきか今日のピカソは 問いかけてきた
November 12, 2008
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還暦を迎えたジュリーが唄っているストレートな言葉で唄っている大スターが(若い人は知らないかしらん)こんな風にメッセージを発してくれると本当に嬉しい守りたいのは 窮状 きゅうじょう 九条先月はNHKでも唄ったというジュリーのメッセージは 以下のとおり動画もどうぞ「我が窮状」/作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない英霊の涙に変えて授かった宝だこの窮状 救うために 声なき声よ集え我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ諦めは取り返せない 過ちを招くだけこの窮状 救いたいよ 声に集め歌おう我が窮状 守れないなら 真の平和ありえないこの窮状 救えるのは静かに通る言葉我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう
October 2, 2008
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友人のお母さまの告別式かつてたくさんお世話になったし不意にこみ上げてしまった夜 「日本の青空」上映会先月に続き 2度目の鑑賞新たな発見もあったし前回とほぼ同じところで またも こみ上げてしまったあと2,3回はみたい・・・・・・同じ映画を劇場で2回みたというのは全然多くないヴェンダースの「パリ テキサス」は2回みた20代のころ あのころはこういう映画が好きだったんだ・・・・・
July 23, 2008
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んー なかなかむずかしい映画のチケット10枚持っているいろいろ考えながら 何人かに声をかけているけれどまだ1枚も行き先が決まらないお誘いってむずかしい慎重に遠慮ぎみにお誘いするからいけないんだろね政治とか宗教がらみだと思われないように気をつけて声をかけるのだけれど自分の信念を人に伝えるって むずかしいなぁでも 戦争はイヤだと思う人はたくさんいるはず映画のチケットは買ってもらえなくてもそういうコトをちょっと考えてみようよ という呼びかけになれば と自由にモノを言える社会はあたりまえにできたことではない と多くの犠牲と汗のおかげだということをそれは守らねば 危うい ということを感じてくれる人はいるはずそれにしても転勤で住み始めたこの地なかなかねぇこんなことを誘えるお友達がいないなぁ
July 7, 2008
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自立と共生いい言葉・・・・そのための1 住まいの場としての グループホーム2 日中活動の場としての職場この二つは必須アイテム現行の制度では6人定員のグループホーム週末は帰宅するとして全員が25日の利用職員配置 1ヶ月98時間で給付費は1ヶ月182、352円(帰宅時支援加算をのぞく 端数切捨て)同 職員配置 1ヶ月160時間にすると給付費 1ヶ月268,812円(帰宅時支援加算のぞく 端数切捨て)訓練等給付費という名目で行政からいただきます家賃や食費などは利用者からもらうのだけれどそれにしても月18万で運営できるでしょうか人数を増やせば 給付費も増えますでも 世話人の数を増やさなければなりませんだから 同じ なんですこれは単純計算であり 一例であって実際は計算がもっと複雑ではありますがこれをもって経営努力以前の問題だと思うのは間違っているでしょうか
June 24, 2008
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選挙には必ず行くこの理由のひとつに参政権は天から降ってきたものではない っていうこと特に女性は であるわずか60数年前だったらワタシに投票用紙は届かなかったのだからすでに当然のことなんだけれど当然ではなかった時代があったわけでこれは 多くの人の苦しい運動とか努力とか思いとかのおかげで当然になってくれたのだ という思いが強い自分が60年前に生きていたら どう感じていただろうそう思うことは多々あるそんな思いを汲み取ってくれる映画でした「日本の青空」という映画は 憲法学者 鈴木安蔵さんのお話憲法はアメリカの押し付けと思われがちだけれど本当は日本人が考えた憲法草案をもとに作られたものであるという史実にもとづいたお話です何度も涙が出そうになる場面がありました大陸にあるお隣の国は そうならなかったようにちょっと間違えば 今の暮らしはなかったわけですから国民主権(今はホントあたりまえ)の国家ができるまでのいきさつを垣間見ることができそれは ワタシにとってはとても感動的でしたもし あの時 政府の憲法案が採択されていたら今のワタシの暮らしは全然違っていただろうそう思いました鈴木安蔵たちが作った草案がどうやって現行憲法になったのかその過程が知りたくて映画を見ながら ワクワクしました9条の改悪の動きがあるから この映画を見る機会があったのだけれど9条だけでなく 日本の夜明けは 明治以来の自由民権運動の流れを汲んでいるということもうれしかった夏のビールのお供 枝豆を連想してしまう植木枝盛の名が随所に出てきました2時間ちょっとの映画息つく間もなく とても面白くみましたまずは 子供に見せたい そして もう一度 じっくり見たいそう思いました追伸チョウナンが この時代に憲法学者なんていたの?という素朴な疑問を持っていましたモチロン その答えもこの映画の中にありました
June 18, 2008
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主催者発表で3000人が会場の外にあふれてしまった9条世界大会 初日すごすごとあきらめて帰りましてPCでライブを見ていました夜の加藤登紀子出演のコンサートに出直そうと思っていたのですが見事に挫折・・・アハハ講演などの時間が押していたためかコンサート開始が予定より1時間も遅くて終了は10時近かったようえっ?なんで知ってるかってそりゃ 最後までいた うるとびーずさんを迎えに行ったからだよ~んで うるちゃんと遅くまで飲んで喋って・・・・家には妹家族とハハが泊まっていたのでうるちゃんとワタシは不在のチョウナンのくさーい!部屋で寝ました翌日は眠い目こすりながら行ったよ~さすがに会場には入れたよ~平和団体のブースで9条ペンダントなんぞを物色したあと「音楽パワーで憲法9条を感じよう!(ライブ&ディスカッション)」を見させていただいたバイオリンの金子飛鳥レゲエのリクマイル&The Kニュージーランド歌手ベンケンプと日本のウミナリやっぱりナマはいいねぇ~伝わるものがジンジンで3組ともそれぞれ違った音楽でしたがどれも 本当に どれも感動しましたほんとうに言葉にできない 思い が 伝わってくるパネルディスカッションの司会は ビーターバラカンさんソフトな語り口がいいねぇ~実は 今回 泊まりに来ていたハハが 一緒だったのですが 突然 行ってみようかな っていうんで70過ぎのハハにコンサートはどうかな って思っていたのですがハハ曰く「涙がでそうなくらい感動した」 ってことでこれはどうかなってワタシが心配していたレゲエのリクマイルさんのところがすごくよかった ってことであれま そら よかった終戦時に小学校低学年だったハハは疎開していたし 本当の戦争は知らないのよ って言うのですがでも戦争はイヤよ って 申しておりますちょいと啓発されたハハは憲法の条文が焼き文字になっているおせんべいをお土産に買っていきましたうるちゃんと軽くお昼を食べて バイバイうるちゃんまたおいでねぇ~それにしても9条世界大会は 初日よりも2日目のほうがイイよ たぶん・・・
May 5, 2008
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あと20人 ってとこで満員会場には入れませんでしたもうちょっとだったのに 残念!会場の外には入れない人の列が続く続く続く・・・・嬉しいことなんだろうけれど遠くからわざわざ来た人は気の毒だったなぁ~払い戻すっていっても大変だろうなぁ~そんなに切符売れていたんだ9条に対して それだけ 危機感を感じてる人が多いってことだねもう一度夜 出直すかどうか 考え中入り口で待ち合わせしていたうるちゃんは先に入ってもらってでも ギリギリ だったみたい立ち見だそううるちゃんが入れてよかった
May 4, 2008
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とても品のいい感じのおばあちゃまが喋り始めた「軍隊をもたない国」という映画を見たあとでのちょっとした懇談の場だった主催者が「感想などあればお聞かせください」といい終わらないうちに戦争中、台湾での悲惨な体験を喋り始めました隣に住んでいた人も仲の良かったお友達も みんな亡くなりました今の日本があるのはあのとき無念の死をとげた多くの人たちのおかげです二度と戦争をしない このことを守っていかなければ私はあの人たちに顔向けできないんです叫ぶように話されましたお話の内容から80歳近い方です時間に限りもあったので何度も主催者が「貴重なお話ですので また別の機会にゆっくりお話いただけたら」といったん収めようとしたのですが言葉は止まりませんでしたこの会合でも私はダントツ最年少でした頑張ります と言うしかないよな・・・・でも 何ができるんだろう・・・・お話された方の思いが痛いほど感じられせつなくなりました
November 25, 2007
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「軍隊をすてた国」というドキュメンタリー映画をみてきました美しい映画でしたコスタリカの自然と人々の暮らし「軍隊は必要ないわ」と明るく語る姿がとてもさわやかでした見ながらどうしても日本と比較してしまうのですが国民性とか気質とかそういったこともおおきいでしょうが日本とは教育も国民の考え方も大きく違うということが際立ちましたとてもきれいな映像で人々の笑顔が印象的でした終盤の小室等の「息子よ・・・」という歌も心にしみました思わず見入ってしまいましたところでこの企画は早乙女勝元さん小学生のときに 早乙女勝元さんに手紙を出したことがあります「火の瞳」という子供向けの戦争小説を読んだ感想を書いたのですとてもご丁寧なお返事を頂戴しました小学生の頃今のようにメールもPCもなかった時代自筆のお手紙はとてもあたたかかったことを思い出します
November 24, 2007
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笑っちゃうよね わかりやすくってやっぱり3選知事は「民」を見下している周囲に説得されたのだろけど選挙期間だけ低姿勢っていうのはあまりにもダンディズムに欠けるから やっぱり 笑っちゃう表題は週刊誌の見出しデスもう 日記に書く気にもなれない 統一地方選だけど忘れちゃうから 書き留めておくね快晴の平成19年4月8日は早起きして 投票所に行きましたイチバン乗りしたかったけれど あんまり早くに行って1人で並ぶのも悲しいので6時50分をまわってから入り口に到着六番目でした投票箱がカラかどうか確認する っていう儀式があるって聞いていたからそれをやってみたかったのだけれど んー そんなことやってたかな~1番に入場ではなく 1番に投票した人が 確認したのかな~狭い投票所だけれど そんな気配はありませんでしたガッカリあたしんトコは県議と市議選だったのだけどふー 久々に 両方とも死票になっちゃいました県議は9条の会で顔見知りになった人に投票したのだけれど2度目のチャレンジで惜しくも次点この地に来てから市議はいつも当選していたのだけれど今回はダメでした 54票差で次点 あ~残念!こんなことでブータレていてもしゃーないんだけど本日 国民投票法案が通ってしまった と聞けばやっぱ ブータレてしまうわなマジあり得ないよみんな ホントにそれでいいの???
April 9, 2007
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この地に住んではや9年顔見知りの市議さんが3人もいるたまたまだけど市議さんって身近な存在だと感じざるをえない統一地方選挙が近いので 拙宅までご訪問いただいて誠に恐縮してしまういつも不在なので申し訳ないけど 1人目は自民党系の男性市議さん前職がこの方が推進していた公益事業だったので年に1度は宴席を共にさせていただいていた顔を会わすたびに「こんど持ってくるからね ごめんね~」って言うから何のことかと思っていたらあるとき職場に美術館の入場券をもってきてくれた酔った勢いで そんなこと約束したかな~って 全然身に覚えがない 誰かと間違えてないかな っておもいながらありがたくその券は頂戴してしまったこれって収賄ではないのかな~って 胸がチクリと痛む選挙の後会うと 「ありがとうございました」と最敬礼されてしまうのでこれまた 胸がチクリと痛む2人目はチョウナンの同級生のお母さんこの方は公明党近所のスーパーでよく会うので 挨拶はするのだけれど自宅まで来ていただいたのは昨日がはじめてでびっくりしたんー 同じ年の子を持つお母さんとしては頑張ってるな~って 思う次第3人目は九条の会で知り合った無党派系の女性市議いつも投票していたので お知り合いになれてちょっと嬉しい他にもポストには立候補するであろう人のパンフがいくつか投函されているどのパンフもあまり変わり映えしない っていうのが感想かな福祉とか地域とか助け合いとか教育とかそんな言葉が並ぶ顔見知りってことは(ってたいしたことないけどさ)陳情もできるよな って心強く思ったりするこの頃(なんてったって 今の職場は行政が頼りなんだからさ)政が身近に感じるだからこそちゃんと考えて投票しなくっちゃ と思うこの頃にっこり笑う写真のついたパンフを眺める投票用紙に書く名前はひとりだもんね前回の総選挙でコイズミくんが最後の演説に選んだこの地地盤なんてあり得ない東京に通う給与取得者のベッドタウン選挙結果はいつも楽しみだ
March 10, 2007
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先生の名前を知ったのは そう あの時入学試験に先生の文章が出たからだ本来は必死のはずの入試だけれどその文章にひどく感銘をうけてしまってその日の日記にそのことをヅラヅラと書いたことを覚えています(日記の所在は今となってはわかんないけど)当時東大の西欧思想史の先生だっとおもいますが文章を読んで 本当に マジに この学校(東大ではないよ もちろん)に入りたいって思ったものでしたあれから ン十年あのとき どんなことにどういう風に感じたのかは 具体的に思い出せないあの頃 学んだことが あれから ン十年 役に立ったとも思えないでも確かに自分の身体のなかに流れている という 感触だけはあるもともと働きの悪い脳みそが 近年 腐って ドロドロになっていてさらにアルコールで流れ出している状況では福田歓一先生のことを きちんと書くことができないのが不本意で残念だけど若かりし頃 感銘をうけ 大きく影響された方の訃報はとても寂しいです
February 10, 2007
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住専問題以来 すっかり姿を消してしまった感があってとても気になっていたテレビで見る中坊さんの語り口にはとても惹かれるものがあります人を大切にする弁護士さん という イメージで とても好きです今日 久々に そのお名前を目にしました朝日新聞の夕刊 ニッポン人脈記 という一面の連載記事今テーマは「弁護士の魂」ってことで毎日 楽しみに読んでいます中坊さんの名前はでないのかなーって思っていた13回目 おおっ! 中坊さん写真とともに登場です77歳になる今 京都の自宅で蟄居するかのように静かに暮らしていると ありましたがんー そうなんだね~森永ヒ素ミルク事件で被害者の苦しみを目の当たりにして弁護団長を務めたことは有名ですその後 豊田商事事件 香川の豊島産廃の問題にかかわり市民派として マスコミにもなじみの弁護士さんになりましたでも でも人生なんてわからないものです住専の不良債権回収で 弁護士のバッジを返上することになってしまいましたこの記事では ワタシのイメージとは違うことも書かれていましたが 良くも悪くも手腕のある人だと思いますどういう人なのかは 直接知る由もないのですがワタシが 信じたいのはその基本 根底に流れるものは弱い人 苦しむ人 被害を受けた人 に心を寄せることのできる人だということそして 心を寄せるだけでなく現実に戦うチカラのある人だということですこれって すごいことです新聞やテレビなどの情報によって心を寄せることは 誰でもできますでも それを 実際に役立つチカラにすることは普通は容易ではありませんからねチカラがないことに ひどく無力感があったりするのだけれどやっぱり この なんつーか社会の1人として 現在の日々をささやかながら送るものとしてはとりあえず チカラなくとも 心を寄せてみる無力かもしれないけれど 他者の(全く関わりのない人かもしれないけれど)立場を想像してみる ってことはとても大切なことではないのか ってで それは せねばならぬことではないのか って中坊先生と 結びつけるには あまりに強引だけれどそう思わずにはいれません本日の夕刊を読みながらしかも 結構 かっくらって 酔っ払いながら そんなことを思うのでしたんー 文脈 つながらんかな~
February 9, 2007
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「イラク開戦は間違い」と 防衛庁長官ではなくって防衛相のご発言周囲はアメリカさんのご機嫌を案じているらしいがいいじゃないのみんな 誰だって そう思ってるんだからもはや 世界の常識でしょ中川なんとかクンは「柳沢発言とは別の次元で問題だ」との見解だそうでふーんこの方たちってフツーでない発言は擁護するのにフツーの発言には異を唱えるらしい米国の属国でもあるまいしよくないものはよくない と言って 何が悪いんだろお友達だからこそ言わねばならぬことがあるだろにこれとはとは別だが今をときめく柳沢クン「首相のご厚意に報いるためにも 職務をまっとうし 国民の皆様のお役に・・・」と言っている映像が何度も流れたけどヒレハレホ・・・「首相のご厚意・・・」のあとにとってつけたように「国民の皆様・・・」が続くこの「首相」と「国民」の順番は単純にみえるけど聞く側に与えるイメージは大違いだ「首相のご厚意」というコトバを先にきくとやはり この人 わかっちゃないんだなー としか思えないそう思うんなら 安部チャンだけに言えばいいことでマイク向けられて そんなことを言うセンスを疑うねこんな問題になっているのに まだソレかいと違和感のあるコトバその後に「国民の皆様・・・」とあわてて付け加えてもせっかくだが そのコトバは こちらに届かないがっかりだな
February 2, 2007
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田中角栄と周恩来が並んでいるのをみたのは ワタシが12歳のとき日中国交正常化のときの映像ですこれが歴史的瞬間だと知ったのはずーっとあとのことそれから9年後 ワタシが21歳のとき中国残留日本人孤児の帰国がはじまった当時 人民服でどうみても中国人にしか見えなかった日本人がテレビで 親と離れた場所や中国人に預けられた経緯などを中国語で話通訳がそれを日本語にして 親を探していたあの時 テレビをみていて 驚愕したワタシの知っている戦争は 親からちょろっと聞いただけのことで(終戦時 父17歳 母9歳)遠い 遠い 昔のことでした 防空壕のことを何度も何度も聞いたけれど どうやってもイメージできなかったでも 人民服を着た日本人が中国語を話してテレビに出ている ってことはワタシにとって 唯一 視覚からイメージできる現実の戦争 でしたもはや戦後ではない と 言われた年に生まれたのですがやはり戦後だった と 知らないで高度成長期の繁栄だけを享受しちゃいけないんだとあの時に帰国した孤児は 当時40代働き盛りの人生真っ只中で自分のルーツを求める気持ちは痛いほどわかる豊かな日本がまぶしくも見えただろうが・・・・だ帰国後の暮らしはラクではなかっただろう中国に残してきた養父母のことも気がかりだっただろうなのに・・・・だ東京地裁は国の賠償を認めなかった「政策と孤児発生との因果関係の有無に対して法的判断を加えることに疑問の念を禁じえない」 だってん?こういう言い回しはわかりづらい因果関係がないともあるも言ってないでもあるに決まってんじゃん!っておばさんになったワタシは思ういつだってこうやって戦後処理をあやふやにしてるからあれから60年もたったのに外交はもちろん 人のココロ だって うまく対処できないんじゃないのこのあやふやの中に作られそうになっているのがカントリーアイデンティティなのかこのあやふやの原因がカントリーアイデンティティなのか 首相は支援策拡充を検討 ってことだが日本と中国のはざまで苦労しながら人生の大半を送った人たちに対して具体的に誠意ある対応をしてもらいたい と思いますなんでこーゆーことになったんだよもっと ヒトに やさしくしろよおばさんはドツキたくなります同じ日の夕刊に原爆症の認定に関するう名古屋地裁の判決が出ていたやっぱり この国は まだまだ 戦後 なんだよ
January 31, 2007
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「考えたこともないわ~」って言われたそうなんだろな昨年末 隣町に「九条の会」の設立集会があり初めて ひとりで 行ってみた年明けたら 家のポストにチラシが入っていてな~んだ わが町にも「九条の会」あるんじゃんとまたまたひとりで 行ってみた土曜日の午後 市内の弁護士さんによる憲法講座参加15人 で ワタシと事務局のおばさん以外は白髪のおじさんばっか・・・突然 時間に遅れて(仕事だったんだよ この日は)若いオンナ(あくまでも相対的にだよ)がやってきたもんだから歓迎してくださいまして余ったレジュメをたくさんくれた「友達と話すときのきっかけになりますよ」ってでも 正直言って この紙持って「ねえねえ ケンポーってさ・・」なんて話ができる友達はこの地にはひとりもいないこの紙はメモ用紙になるだろうな~と思いながら自転車のかごにポコンと入れて 帰路についたそしたら この地では比較的いろんなことを素直に話せる友達にばったり会ってしまった久々だったんで つい立ち話が始まってしまった彼女はすぐにワタシの自転車のかごの中の白い紙をみて「何それ?」ってきいてきたので一瞬躊躇したのだけれど 彼女なら もしかしてわかってくれるかな と思い切って「自民党新憲法草案を考える」っていうレジュメを渡したすっごくおどろかれました「考えたこともないわ~」ってそしてさらに「どうして そういうこと考えるようになったの」って問われどうしてったってフツーじゃん って 思うのだけれどやっぱり フツーではないんだろうねだって この地に引っ越してから 一度も 誰ともケンポーとかセンソウとかブッシュとかそんなこと話したこともないもんね基本は ママ友 なので そんな雰囲気にはならないしきっかけもない「ケンポー」と口に出しただけで みんなにひかれちゃいそうでとっても怖くて 喋る気になれない十代後半から二十代前半は ワタシの周囲では当たり前の話題だったんだけどね「九条の会」に一緒に行こうよ と誘う友達がいないんだな誘えないんだな 困ったことにさ・・・・今回 計らずもこの話題をすることになった友は子育てのグチを聞いてくれている人子供のことにはとても一生懸命になる人ったく 親がこんなことばっかやってっから子供があーなのよ って 思われかねない から 怖いんだわまあ 人にどう思われたっていいんだけどさしかし ママ友 って ビミョーに神経使うんだよねこの カベ を破って 九条の会に一緒にいってくれる友達をなんとか 探さねば!勇気を出して初めて友にレジュメを渡して 決心たのだぁ!!
January 29, 2007
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ワタシは男の子3人のハハであるこの子らを子宮からこの世に送り出しこの国の戸籍を得るたびに九条に感謝していたこの子らが戦場に立つことはないハハとしてこのうえない喜びであるこれは あたりまえのことだと思っていたがこのごろの空気はどうもそうではないらしいいつのまにか 教育基本法は改正されてしまったなんだか国にだまされているようなカンジだその前に年金だろ 誰にもやってくる老後を安心して暮らせるようにしてからだろ ってたまたま隣町に九条の会が設立されることを知った小森陽一さんの講演があるというので出向いてみた会場についてびっくりしたのは参加者がワタシよりかなり年上の人ばかりだった ということひとりだけ 年下と思われる男性がいたけれど女性では ワタシが最年少かもしれない ってカンジ用意された椅子は足りないくらいの盛況だったけれど若い人(って自分くらいの人も含めてだよ)が見当たらなかったのには残念としかいいようがない平日の18時からだったので働き盛りの人の参加はムリだったのかな国家の暴走に歯止めをかけるのが憲法です「知ること 考えること 議論すること」が肝要あの手この手の巧妙な手口で国のあり様を変えていこうとする人たちにだまされないようにする 唯一の手立てだと 強く思いました
December 15, 2006
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