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今日は午前中、チビの保育参観。 午後、所用で新宿へ。 夜は別用で友人宅へ。 ご飯はいつ食べられるか?お腹空いたなア
2007.01.31
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お久しぶり~!年末年始の支出のしわ寄せが来ていてお金の工面に頭を悩ます微生物です 昔、弟が高校生の頃。リンチ事件にかかわって停学を喰らったことがありました。学校呼出しに親は行きたくないから、と言うことで代りにお姉ちゃんの私が派遣されました。(2~3日前に弟が自転車盗んで警察に呼び出されてる両親です。 確かに連日謝りに行きたくないよな~)先生の説明によると弟は友人に『やめた方がいいよ。』と止めに入ったらしいんですが強くは止められず(体を張って止められず)その場に居たということで1週間の停学処分。学校の規則とはいえ、可哀想に思った担任の先生は呼出しを喰った私と弟を車で家まで送ってくれたことがありました。この時、私は弟に『バカじゃないの、何でそんなのにかかわってんのよ?』 と言った覚えがありました。昨日、お姉ちゃんの学校の担任から電話がありました。少し前に女子トイレで盗難事件がありある女の子のカバンとお財布と携帯電話の入ったポーチが無くなった、というもの。どうやら、お姉ちゃんの友達が「隠しちゃおう」ということでその場から持っていって違う場所に隠したらしい。その相談の場にお姉ちゃん、加わっていなjかったものの側にいて聞こえていていたのに止めなかった(注意しなかった)ということで来週、親同伴で呼出しの電話でした。そんなの止める止めないは善意と勇気の行為であって出来なかったからといって、呼出しを喰らうほどの事か?担任は『すみません。規則なので。。。』と気遣っている様子。私も結構おばさんになってしまって、高校生の頃ってどんなだったか忘れてるけど1度、上履きを隠されて泣いてる友達を離れたところでクスクス笑ってる奴らに気が付いて交渉しに行った事があった。『くだらないことするのやめてよ。可哀想じゃない。上履きは何処?!』勇気があるとお思いの方もいるだろうが、実は違~う上履きを隠した奴らも、友達とは言わないまでも話はするグループだったから特に改まった行為でもないのであります。『そこらのゴミ箱にでも入ってるんじゃな~い?』と行ってしまったので一緒に探して見つけたりもしました。それだって、泣いてる子が特に親しくなければ『あ~あ、泣いてるよ』くらいの気持ちだったかもしれないし。状況と場合に因るよね。どんなんだろ? まあ、超忙しくなるけど呼びだされっか。 はァ。。。
2007.01.27
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お正月でかなり肥ってしまった。年末年始もかなり忙しく、『取り敢ず食事』 だったのでそれも要因の1つ。お兄ちゃんが学校にお弁当を持っていくようになった。(何かお金を貯めなくちゃならない目的があるらしい。で、学食代節約)お弁当を作るのも、1つと2つは変わらないけど2つと3つは、違うね。どうも手間なので、自分のお弁当はパス。どうせお昼時は忙しいし、お茶(コーヒー)とか飲んでるうちに、お腹空いたのは気にならなくなるしどうにかなりそうだから持って行かなくてもいいかー。って具合。ところが、お昼時仕事をしていると沢山の食べ物が私の前に来る。『微生物ちゃんが食べると思って多めに作ってきた』『お昼御飯、つい買いすぎたからあげる。』昨日は、モツ煮込みとラーメン。一昨日は、焼そばと餅とラーメンとミネストロース。その前が、押し寿司とマカロニチーズサラダと大根の煮物。その前が。。。なかなか、痩せられない。
2007.01.17
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今日、仕事が終ってから友達のお見舞いに行った。先週、膵臓に出来た良性のポリープを悪性に変わる可能性もあるということで(膵臓ガンは質が悪い)脾臓と一緒に部分摘出した。34歳の若さなので、小さい子供が2人。最低でも2~3週間の入院予定。3日前に3分粥が初めて食事にでたらしい。そんな彼女と面会。口が悪くて、気が強いけど、頑張り屋のママです。「手術後、直ぐに発した旦那の思いやりのない一言に思わず眉間と拳に力が入った」と話してた。お互い、子供の事考えたらまだまだクタバレないよね。全く、男ときたら何を考えているやら で、面会にこの病院に入ったのは初めて。自分が患者で入院したことはあるけど、反対の立場は初体験。病室が分からないで行ったので受付で訪ねると、まずは注意をされた。『個人情報保護法で患者さんの病室は教えられないんですが。。。』身分証(一応ヤクルトの制服着てたので信用され記名のみ)と患者との関係やら等を質問され、『患者さんは何歳くらいですか?』との質問。32歳くらい。と答えると納得したらしく『これからは、病室を教えて貰ってからお見舞いに来て下さい』と言われたよ。ふ~ん、そうなんだ。と思った出来事。
2007.01.16
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やったあ\(~o~)/ 代配やら倍配やらがなくなって仕事が今日からすごーく楽チンになった! 今日だけかもしれないけど心に少し余裕が。 夕飯も野菜チャウダーを作ったぞー。何かを作ろうと思って作ったの久しぶりだわ。余裕なかったので、『取り敢えず夕飯』っつうのが続いたもんね(☆。☆)売り上げは急に少なくなったけど((;^_^A)まあ、そんなもんでしょ。 ダイエットの事でも、考えてみるかな。
2007.01.15
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チビのインフルエンザの予防注射2回目に行ってきました。 チビの予防注射の接種料、考えてみたら高額です。 小さいので2回制なのですがあわせて4400円掛かっています。 ついでに今日、お姉ちゃんが美容院に行きました。4000円持って。 すでに正月明けから赤字の為、家計簿記入放棄。 給料日はいつだ~ (☆。☆)
2007.01.13
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年末、忙しくて美容院に行けなかったので伸び放題の髪はとうとう寝癖がついてドライヤーでも直すのが困難になってきた。 朝、旦那が会社から帰ってきたのでチビを預けて美容院にでも行くかと家を出た。 しかし、今日は成人式。 飛び込みでは難しいな ( ̄~ ̄)ξ 案の定、4件回ったけど全く無理。大きな美容院でも、午前中は一般のお客様は受け付けておりません。との事。 改めて午後の予約をとって一時帰宅しました。 3時からも友人との約束が入っているので落ち着かないなぁ。 そういえば昔は飛び込みでやってくれる美容院は沢山あったけど、今や予約制が殆どである。 気分と状況にあわせて飛び込みで直ぐにやってくれる美容院も少なくなったも のである。
2007.01.08
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花より男子、見たかったなア
2007.01.05
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父が亡くなってから何年経つかな?亡くなったのは、お姉ちゃんが2歳の時だったから14年か。昨日、実家の母と弟夫婦と一緒に父の墓参りに行って来た。弟が『お姉ちゃんの子供だけだよなあ。お父さんを直接知ってるのは、』と羨ましそうに言った。(確かにお兄ちゃんは5歳ながらお爺ちゃんに飲み屋に連れ回されてた。)『でも、お父さん、入院前から少しボケが始まってたよ』と言うのが分からない私である。私が遊びに行くと『この頃、お母さんが何かおかしいんだよ。』と父が私に言っていたのは覚えているけど、父の言動は特に気になるところは無かった気がする。末期ガンで入院してからお医者さんから、「脳が収縮してます」と言われた事は聞いているけどお見舞いに行って気になった事は1つしかなかった。病室に入ってきた私の顔を見て、一瞬、「?」 の顔つきをした。 でも、直ぐに取り直して普通の父になった。その他はしっかりした物だった。色々な会話をした。『素顔も良いだろうけど、もうそれなりの歳なんだから薄化粧くらいして歩け』とか『お前が結婚したんだから文句は言えないけど、お父さんは未だにお前の旦那は好きになれないな』(どんな素晴らしい奴でも好きになれないんだろうな、父としたら)『お父さんは何の病気なんだ?』とも聞いてきた。本人告知は希望しなかったので「何か肺が炎症を起こしているらしいよ」と嘘を付くと、暫く黙って考えていて『そうか』と一言。その後は一切病状のことを聞かなかったので、きっとバレたのだと(察した)思う。『同じ病室にいた隣の人が退院する様でもないのに、病室から連れて行かれて帰ってこないんだ』と小声で耳打ちされた。今思うと父の気持ちが察して余りあるくらい分かる。『掃除のおばさんに 「奥さんはお見舞いに毎日来られないなんて困った物ですね」 と言われて悔しかったんだよ』と。「お父さん、毎日お母さんがお見舞いに来れたら良いんだろうけどお母さんだって病気があるんだから往復3時間も掛かる道程を毎日来てたら倒れちゃうよ。人それぞれの都合があるんだから、そんなこと言う人の方が変なんだよ。」『病院の食事はもう嫌だな。例えば毎日出る卵。ゆで卵しかでない。栄養的なことを考えてるんなら、同じ卵、目玉焼きにしても卵焼きにしてもいいと思うのに毎日バカの1つ覚えのようにゆで卵しかでない。今度来るときに内緒でマグロの握りを買ってきてくれ。』『実はな、不思議なことがあるんだ。夜中、フッと眼を覚ますとおさげ(三つ編み)の女の子が立っていて、お父さんの顔をジッと覗き込んでるんだ。怖いゾ~』 とイタズラっぽく話す。 「ここは古い病院だから、もしかすると本当にいるのかもよ~」 と言うと『お前もそう思うか?!』 と笑っている父。患者仲間に 救急でもないのに直ぐに入院できた事を羨ましく言われ(呼吸困難で倒れることがあっても、末期ガンの老人は入院拒否されるの? 通院してた私立の病院で弟が『父が辛そうなので入院させて下さい』と頼んだけど ダメで、助けを求めてきた。)娘の知人の紹介で、直ぐに入院出来たことを言ったら褒められた、と嬉しそうだった。夕方、帰ろうとすると『もう帰るのか。』と寂しそうに呟く。「友達に子供を預けてきているから、もうそろそろ行かなくちゃ。」(幼児立禁)『。。。そうか。また来いよ。』 と。酸素チューブの装着方法が分からなくて、父とあーでもないこーでもないと悩んだ挙げ句看護婦さんを呼んで教えて貰って、『救急でもないのに呼ばないで下さい』 と怒られたりもして。父が危篤との連絡で夜中、車を走らせて行った。何日日前から、意識が無くなっていたので母も簡易ベッドで泊まり込んでいた。延命治療は希望していない。切除手術も希望しなかった。肺ガンとリンパ腺(背中)にも転位してたから例え肺を切除しても延命になるのだが、体重が38キロになっていた72歳の父にはその手術後の快復は難しい物があったし、死を目の前に何年も寝たきりの入院生活を強いるのは偲ばれるので、希望しなかった。父の脇や頭にアイスノンが置かれていた。血圧や心臓の鼓動を知らせる機械。高熱を出している父の手を触ると看護婦さんが『意識はなくても、この状態で触られるのは激痛を感じるので触らないで下さい。』と。朝方になって、「旦那も不在で子供達だけで置いてきているので 一旦帰って子供達を連れて出直します」 と私が先生に告げると『血圧が40を切ると危ないので、直ぐに戻ってきて下さい。』 と言われて急いで帰宅。車で片道1時間強。家について子供達を起こして、その時にポケベルが鳴った。メッセージは 『49494949494949』 の羅列。何?その後、弟から電話が入った。『お姉ちゃん、お父さん死んじゃったよ。泣』 旦那が仕事を代わって貰って帰ってきたので、子供達を預けてトンボ帰りで病院へ。父は病院の冷暗所に移されていて、葬儀屋さんが来ていた。父は苦しかっただろうに、目を閉じて何もなかったように横になっていた。弟が『隣りにもう1人、いるんだよ』と目をやった。もう1人亡くなった方がいた。「父は家に帰りたがってたので、一旦家に連れて帰って貰っていいですか?」
2007.01.04
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今、実家っす。 変な夢で目が覚めました。夢のなかでも目を覚ましたところから始まりです。目を覚ますと知らない部屋。起き上がって窓の外を見ると幹線道路のちょうど交差点のカーブの所に建つアパートの二階の位置にある部屋の様で車のライトがいやに近くで眩しい。 『ここはどこ?』 つぶやくと台所の方から声が帰ってきた。 『うちに決まってるだろ』旦那だ。 少し安心して(へー、こんな所に暮らしていたっけ?)と改めて部屋を見渡した。2LDKくらいの団地のような作りの綺麗な部屋。 車に突っ込まれたら一溜まりもないな、と思いながら反対側の部屋の窓から外を見る。びっくり。 1メートルも離れてないようなところに隣の建物があってそこにも窓。よく見るとお煎餅屋さんの商店の窓。商売してるのが手に取るように分かる。そしてよく見るとどうやら駅ビルのペナントで入ってるお店らしく、その向こうに改札口が見える。すごい場所にある我が家だな。と驚いていると旦那が呼ぶ声。 ボーッとしてないで手伝えとお好み焼きみたいなものを作っている。 とりあえず、この袋のゴミを分別して捨ててくれ。とのことなので見てみると 胡麻油の入っているビン、味噌が入ってる味噌桶。 中身が燃えるゴミ(生ごみ?)と燃えないゴミで迷ってる。 今日は父のお墓参りに行ってきます。
2007.01.03
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ご無沙汰しています。なかなかパソコンに向かえない。忙しい以前にパソコンに向うとチビの触覚が反応して干渉がウルサイほどに入ります。さて、皆様。初夢はご覧になりましたか?わたしゃ、電車に乗り遅れる夢を見ましたさ。ドアが閉まっちゃうのさ。なんか嫌な夢だわね。今日は実家に帰るので特に早起きの必要はないからこれからもう一回寝るだわさ。おやすみなさい。(富士・鷹・茄子っと)
2007.01.02
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明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
2007.01.01
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