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一般の主婦が37歳から夜の世界へ。遅すぎるホステスデビュー。2年半の下積みを経て、高級クラブで働くことになり開花。その後離婚。3人の子供をかかえながら、ホステスを卒業し、店のオーナーへ。夜の仕事を始めたのは、37歳の時。高校を出て銀行で2年働き、アメリカへ4ヶ月。その後は、派遣社員を7~8年した経験し、29歳で結婚。ホステスの仕事をするなど、全く考えてもいなかった。主婦の時、副業で働いてみようと思いたち、NTTのアルバイト募集広告を見て応募。できれば良い会社で働きたいとの願望があったからだ。NTTなので、無理と思いながらも面接。しかし、みごと一発合格!気持ちも軽やかに帰宅途中に北新地を歩いていたら、男性スカウトに声を掛けられた。「働いてみない?日給25000円は出すよ!」と言う。NTTは時給1300円で採用通知を出してくれた。このアルバイトは決して悪くない。しかし、1日で25,000円は大きい。「どんな仕事ですか?」と聞くと、「新地のホステス」と答えた。金額に目がくらみ、「やってみよう!」と思い、言われるがままに働くことになった。NTTで採用通知をもらったのに、日給25000円は当時の直美さんには大きかった。こうして、新地デビューしたのだ。 37歳で北新地デビューそれまでは主婦。それも全くの未経験。年齢は37歳。歓楽街のホステスは、一番若い娘で18歳。その10歳上の28歳になると、お客様には「オバサン!」と言われる。夜の世界の年齢は、そんなもの。直美さんは、37歳でビュー。店で一番若い娘より19歳も年上。それも、全くの未経験。働きだしてから気づいたが、大変な仕事だった。直美さんには、厳しい日々が続いた。若い娘であれば、先輩ホステスが仕事のやり方も教えてくれて、可愛がってもくれるだろう。しかし、店の中で年齢的には熟練ホステスと言われてもおかしくない。しかも、全くの新人。右も左もわからない。何をしていいのかすら、わからない。水割りの作り方、灰皿の交換、水割用の氷をボーイに頼むタイミング等、ホステスにもたくさんの仕事がある。これは基本中の基本。他のホステスがやるのを見てやるより他はない。この仕事ができるようになったら、次は接客方法がある。席に着いてから何を話せばいいのか?どう対応すればいいのか?初めてのお客様へ、どう接すれば喜んで頂けるのか?等わからないことだらけ。女友達にホステス経験者はなく、見よう見まねでやっていくしかなかった。そんな直美さんに仕事のやり方を教えてくれるホステスなどいない。お店で働く他のホステスさんは皆、すぐに辞めると思っていたに違いない。どうして良いのかわからない日々。悩みに悩んだ。もちろん、一般の会社に入社する新入社員教育のように研修期間があり、教育係が付いて1つ1つ教えてくれる、というような業界でもない。1日1日が実践。何もできなくても、お客様の横に座り、接客をする。日々仕事をしている中で学び取るしかない。
Jul 31, 2010
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久しぶりに中洲2丁目新橋ビルにあるスナック「宴 祀紅」へお伺いしました。相変わらずお客様がいっぱい。12坪ぐらいですが、女性スタッフが5名。この広さでは、2.5人が平均ぐらいでしょう。「宴 祀紅」は、カラオケを歌い楽しく騒ぐお店。この日も、お客様がどんどん歌っていました。皆さん、いつも歌いこなしているらしく、上手。マイクの取り合いになっているくらいです。「宴 祀紅」のママの佐伯しこうさんは、元歌手。リクエストして「天城越え」を歌ってもらいましたが、流石。声量もあるし、歌に心が入っているので太刀打できないほどの歌唱力。毎回感動しますが、凄い。カラオケ好きの、お客様も、全員感動です。一度、佐伯宴 祀紅ママの歌を聞きに行ってみてください。「宴 祀紅」福岡市博多区2中洲2丁目1-11 プレイスポットしんばしビル3F セット料金4000円 *キープウィスキー9000円~ 焼酎5000円~飲み放題5000円(120分)
Dec 18, 2007
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7月6日19時30分より、中洲5丁目にあるIPホテル2階宴会場で、博多経友会6月定例会が行われました。今回の講師は、「ITは人で変わる」メディアファイブ株式会社 上野英理也社長でした。上野社長の生まれは福岡。鹿児島大学数学科卒業。大学には7年行っていた。趣味は、ソフトボールとボディビルディング、リコーダー、合唱。大学卒業後、古車向けの画像ネットワークシステムのタウ技研株式会社へ入社。3年半頑張った。その後、独立。設立は平成8年。現在は従業員は180名の超成長会社。最初の仕事は、SI事業。2億円。従業員数20人でスタート。ITエンジニアの派遣を始めた。しかし、人材では苦労した。福岡のフリーターは使えない。そこで、レベルの高い人を集めたいと考えて行ったのが研修制度。採用する側は、仕事は出来ない人は取れない。毎月20人、研修していった。研修費は無料。その中で、仕事のできる人は、メディアファイブさんで採用する。2004年からは、売り上げがウナギ登り。福岡のSEに支払う給与は安い。フリーターが多い。就職しても辞める。20万円しか稼がない人に、35万円を稼いでもらう様にして行く。今では、ソフトウェアーの制作を地方に依頼するようになってきた。一般的にどの会社も、社内にシステムがわかる人が居ない。手間がかかる。お金がかかる。期待したように動かない。お客様にとって満足度の高いシステム開発を行っているメディアファイブさんは、優秀なエンジニアを育成することがIT技術を広めることにつながると考え人を採用している。それはIT分野を「サービス」と捉え「人」が鍵を握っていると上野社長は言う。品質の高いソフトウェアーの提供は、結局はその作り手である「人」が鍵となる。お客様の目的、意向を上手に組み取り、それを的確にソフトウェアーの制作に生かせるエンジニアに育成が大切なのだ。2001年にエンジニア育成のための研修事業(現スクール事業)を立ち上げた。そのスクールの卒業生の一部は、メディアファイブのスタッフとして採用し、自社のシステム開発で活用する他、福岡や東京のクライアントへ人材の提供をしています。IT業界はもちろん、福岡のエンジニア「人」の質の向上が上野社長の願いだ。「優秀なエンジニアを九州・福岡から排出」は創業以来からの夢。それはメディアファイブのキャラクターロゴであるバグにも、よく表れている。地元、福岡を大切に思いながら、開発力と人間力にあふれたメディアファイブの上野社長。素晴らしい講演をして頂きました!
Jul 9, 2010
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中洲2丁目中洲Fビル8階にある会員制「しな野」に初めてお伺いしました。会員制「しな野」は、私の田舎宮崎県延岡市出身のママが活躍している高級クラブです。そのママは、林田綾さん。以前は第20ラインビルで「ボルボス」という店をやっていました。1年半前に「しな野」のママになり、頑張ってます。 会員制「しな野」のVIPルームには中庭がありとても豪華でした。流石、会員制クラブです。店内もすばらしく、接待で使うには最高のお店でした。夏は、バルコニーでビヤガーデンも楽しめるらしいです。ぜひ、一度行ってみて下さい。 住所 福岡市博多区中洲2-3-1中洲Fビル8階 会員制「しな野」TEL 092-261-7700
Feb 8, 2007
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11月10日19時30分よりIPホテルにて博多経友会が行われました。演題は「大きな成長には、経営戦略だけではない秘密がある。」株式会社ストーンマーケット 中村泰二郎社長でした。中村社長は山口県柳井市出身。酒屋の息子だった。しかし、父親がやっている酒屋の経営がうまくいかなくなってきた。それからは、人の対応が悪くなってきた。小学校6年生の頃の事だった。世の中はやっぱり金かな~と思いだした。それからは「経営者になりたい!」と、心から思い始めた。高校を卒業して働こうと考えていたが、バンドを始めていたので、福岡の大学へ進学。女性が働いているところで働きたい。早く店長になれる所と考え、ブティックへ就職。全国に200店舗ある、大きなアパレル会社へ就職した。そして女性と働くようになり、感じたのは「女性って怖いな!」と感じた。頑張って働き、半年でファッション業界の事が分かってきた。お店の売上を上げたいと思っている人たちの団体という事だった。その人たちをまとめる事ができれば、事業は上手くいくと感じた。東京へ転勤。ファッション業界の流行は大手が仕込んだもの。今年と来年に出す商品は、違えて販売できるものにしていく。見る方は、今年はそれを見て流行りを知る。しかし、半年以上前から仕込んでいるもの。ちょうどバブル期。メチャクチャに売れた。働きながら自分の店を持つことができた。すべてが絶好調だった。中村社長は遊びに遊んだ。しかし、流行りの進み具合が分からなくなっていた。ブティックは仕入れが先。商品が売れる前に、支払いが先にくる。そして借金が膨らむ。2000万円から3000万円と、どんどん膨らんでいった。中村社長は、どうしていいかわからなくなっていった。そんな時、中村社長は思い立ったことがあった。東京を出て、アメリカに行こうと考えた。東京を上から見てみたくなった。思い立ったら吉日。即、ロサンジェルスへ行った。その飛行機の横に座っていたおじさんと話した。その人は、アメリカに行くなら田舎がいいんだ!と言った。ロスでバイトをしたが、何か違う。バイトを辞め、ヒッチハイクをした。そして、アリゾナに着いた。砂漠の真ん中。ここで少し生活しようと考え、モーテル住まいを始めた。そこで、折鶴を作って見せたところ、折鶴が10ドルで売れた。地域の人と親しくなって話してみると、車好きは車屋、パンを食べるのが好きな人はパン屋。皆が好きなことを仕事にしていることが分かった。金を儲ける事しか考えてなかった中村社長は、好きな事をやって生きていきたいと考えた。ある時、バーのオーナーが穴を掘っていた。「何をしているのですか?」と聞くと、お客様がプールで泳ぎたいと言ったのでここに穴を掘っているんだ!と言う。人の喜ぶ事を心からやろうとしている姿を見て感動した。儲かる事しか考えていなかった東京。一発当ててやろうという人の集まりだった。儲けなくていいから、好きな事をしようと思い、またヒッチハイクをした。次は、サンタフェというところに行った。そこはインディアンの街。また折鶴を折り、気を引き、インディアンの方たちと仲良くなっていった。小さな子供がピアスをしていた。なんで小さいのにピアスをしているんだ?と聞くと、これはお守りなんだ!と言う。アメリカの人達は、どんな時もお守りを身に着けて、お祈りをする。日本人は、お守りを身に着けていない。日本人も付けるべきではないか!と考えた。これを、日本で流行らせたい。「ビビッ!」ときた。これが転職だ!と、心から思った。インディアンの街の星は綺麗で、ゆっくり時間が流れる。この大地で、自分は何のために生まれた来たんだ!と考えるようになってきた。石炭も、ダイヤモンドも、石ころも、大切に思えてきた。地球の色も、石でできている。石は、人間に掘りだしてほしいと言っているのではないか。石は、人を守ってくれるのではないのか。代々伝わっているものも石で、それを貰うと悪いことはできなくなる。石が重要に思えてきた。インディアンに感謝。飛行機で会ったおじさんに心から感謝したいと思った。「失敗は研究」と考えるようにした。次への研究。次へ行くための糧なんだと考えることができた。借金は全部返そう。そう思い、日本へ帰った。石を流行らせようと考えた。どこを拠点にするかを考え、星が綺麗に見える所。自然がある所と決めた。そして、熊本に第一号店を出した。上通片隅の6坪の店舗を借りることになった。インディアンから貰った石を、アクセサリーに加工して販売した。しかし、儲けは考えすやった。楽しい仕事だったので、夜遅くまでやった。看板だけはライトを付け、加工をずーっとやっていた。当時の上通は、20時を過ぎると他の店は閉まり、この店だけが開いていた。夜遅くなると、お酒を飲んだ方が買って行ってくれだした。カップルが来るようになり、いつの間にか、たくさんのお客様が来てくれるようになった。そのおかげで、借金は3年で返済した。3年を超えたころ、福岡のキャナルシティに店を出さないか?と言われ、2号店を出し、メジャーになっていき、広島店から次の店…と、どんどん出せるようになっていった。東京は先々を狙う。しかし、今入れるものを一生懸命売る。それをやってきた。東京に行くと惑わされる。東京で売れているものが、地方で売れるとは限らない。現在は福岡が本社。福岡から発信して行こうと考えた。1店舗7人。その中で社員は1人。社員は店長のみ。これからも店舗は増やす。なぜかと言うと、社員じゃないあとの6人が、店長をしたいと言い続ける限り、店舗は増やす。店長になった限りは、時間は考えず店のために頑張る社員を応援したい!と中村社長は語る。1万円で仕入れたものを10万円で売るよりも、100円で仕入れたものを1000円で売る商売をやって行きたい。お客様からのクレームは少ない。誰でも買う事ができる。初めて熊本で採用した3人が、今もストーンマッケットで働いてくれています。あの頃高校生だった人達が、大切なスタッフになってくれてます。そのような人達を大切にしていきたいです。
Nov 11, 2009
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