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6月に産まれた姫2号もまもなく6ヶ月を迎えますほんとにスクスクと育ってくれてうれしい限り♪がじらは思いもかけず「赤ちゃん返り」していて姫2号に近寄りすりすり (((((*^o^*)♪しようものなら\(>
2007.12.12
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わたしの憂鬱はこの時期いつもかならず決まって絶対・・・ある主人のボーナスに関係が有りますが「多い」「少ない」の問題ではなくて・・・ボーナスが出た後、義実家に行くと義母に必ず言われる。「十字架さん○○十万円だったんだって良かったね」ありがとうございます・・・そう言っている私の口とは裏腹に心の中ではなんで、わたしお義母さんにお礼イッテンダ???ボーナスは主人が、朝早くから夜遅くまで・・イヤイヤそれだけでなく土日返上当たり前、妻子に文句言われながらも一生懸命働いてくれた言わば主人の血と汗と涙の結晶!!(ちと大げさかな)つうか・・なんであなた(義母)が金額知ってますのんと、思っているわたし。。。気にしなきゃ良い事なのかもしれないが結婚してからずっーとだもの嫌になる。何だか財布の中身をいつも監視されているような初めの頃は「息子、今いくら位給料出ているの?」と聞かれたものだまあお義母さんに他意は無い・・何故なら義父が働いていた頃のお義父さんの給料は主人の2倍(わたしの推測ですが)は有ると見た!でもね!もう知らなくても良いんじゃない?って言いたいのですよ!今年も5日にボーナスが支給されましたきっともうお義母さんに連絡済みなんだろうな・・・憂鬱だ。
2007.12.07
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昨年末からブログをお休みしていて大まかに区切ると「うれしい事」「悲しい事」「後悔する事」が有りました。今日はいきなり「後悔する事・・・してる日々」を書き込みます結果から話します今年5月にこの世の中で1番嫌いだったじじい・・・つまりは実の父ですが、亡くなりました出産予定日が6月だったので、じじいの預け先等を検討していた矢先のことでした。亡くなる4週間前・・・ベットで横になる事が多くなり薬の事もあったので病院に行く事を促したのですが「行く位でもない」と言われたし、何と言っても食欲は、普通にあったので私自身余り気にも止めませんでした亡くなる2週間前・・・麺類を好んで食べる様になって今思えば最後に食べた(作ってあげた)うどんを「うめな・・(略:おいしいな)」とポロッと言った一言が何だか耳に残ってます。その次の日の夜、部屋に行くと・・今は無いのに、自分の家に居る様な事しか口走らなくなっていて、居ない兄貴の事をも言う様になってしまった。救急車を呼び処置してもらいじじいは入院し私が家に着いたのは日付けが変わってからでした。幸いなことに病院と家では車で10分も掛からない距離で病院の方でも私しか見る者が居ない事やその私がお腹の大きな事とかを配慮してくれて見舞う事が出来ました。入院3日目・・・午前中に付き添いを終えて家に戻りじじいの部屋のカタズケをしていると病院から電話がありました「お父さんが急変したので病院に来ていただけませんか」との事。とにかく・・・病院に駆けつけました。息も絶え絶えなじじいの姿が有りました。医者が言いました・・・かくごしてください・・・・次の瞬間あんなに嫌っていたのにけんかも出来ないじゃんと、泣いていたわたしが居ました・・・それから10日後1度は良くなったかと思ったのですが心不全で他界しました。その日から「後悔」をしてるんですよ、私。何を???それは、何で生きている時優しく出来なかったのか・・・何であんなに嫌ってしまったのか・・・「うめな・・」と言ってくれる物をもっといっぱい食べさせてあげたら良かった・・・ここには書ききれない程の後悔です火葬する時、私は何年・・何十年ぶりかでじじいの手を握りましたそしてじじいが生まれ変わってくるんなら今度は優しい娘と出逢わいねとお別れしました。。。主人は、言ってくれました「実の親子だから譲れないものやすれ違うものがあったのかもしれないねじいさんは、今の十字架の気持ちを理解してくれてるから大丈夫だよ(^O^)」けどやっぱり後悔の日々は続きそうです
2007.11.20
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思えば1年前この上ない、つわりと虚脱感でブログ・・・と言うよりパソコンから遠ざかっていたわたし``r(^^;)ぽりぽり久しぶりにパソコンを開いて何だか言いようのない嬉しさが込み上げてきました(●^o^●)十字架を覚えていてくれましたでしょうか?・・・・そんな人もこんな人も(???)元気でしたか?十字架はこの1年またまたいろんな出来事がありました。それは徐々に書くとして・・・・・今年6月15日我が家待望の姫を授かりましたたわしも4月に1年生になりがじらもいろいろと、兄ちゃんから吸収しておませになってます近いうちに、がじらから「恐竜」になる勢いですと、今日は復活のお知らせまでこれからもよろしく
2007.11.14
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久しぶりにブログを書きます``r(^^;)怠けていたわけではなく・・・いや・・そうなのかも?ここ2,3週間何をする気力も無くなって変な話しですが1日「ぼ~」っとしてたい気持ちだけでした今でもそうですが(-"-)その理由が決定的に成ったのは今日妊娠していました今回が最後のマタニティライフに成りますが望んで出来た子です!!頑張って産みます(●^o^●)そんな訳でしばしお休みします安定期に入ったら怠け癖治ると思うので待ってて下さいその日まで
2006.11.08
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ただいまもどりました(^^ゞ70年余りの実家は綺麗さっぱりなくなりました・・・実家は、借地でした住んで居た何年も母と私は、地主さんに土地を売って欲しいと頼んだものでしたですが、町内では立地条件の良い所なので売ってもらえることは出来ませんでした。今回は借地ではなく、借家にするので家はそのままで構わないから、と言われました。お金があったらきっと私は更地のして返していたでしょう(-"-)タイトルの「あったかい気持ち」話にしましょうね実家を引き払うのに、大変な思いをしていました。何よりも子供達の事。当初は実家裏にある託児所に2男を預ける予定でした。長男は放していれば遊ぶ事が出来ますから。ですが現実は・・・ゴミ回収業者とテレビ、洗濯機、エアコン、等のリサイクル料金の発生から70万かかりました(T_T)とても託児所に預けるお金など((+_+))・・・子供たちをほこりの中に置くのは本当に心が痛かった・・・泣けば2男をおんぶして限られた時間の中で作業して・・・そんな事をしていれば子供達がいつか病気になると分かっていても家を明け渡す日は決められているから・・やはり、途中2人は、熱を出しました。子供達に申し訳ない主人にお金の工面で申し訳ない・・・私の心が限界でした。私の家族がそんな思いをしているのに爺はお構いなしに「あれは捨てるな」「これがあったはずだからもってこい」と実家にある、「ゴミ」の心配を・・・ (▼、▼X)遅く帰ってこれば爺が食べた器がテーブルの上にありお弁当のおかずやら子供たちのおやつやら食べつくされている有様 (▼、▼X)「殺して私も死のう」と決心した夜がありました。そんな時です2つのメールが。。。1つは幼馴染のY江ちゃん彼女とは家同士が友達な事も有るし同級生でいつも一緒に居ました。家も電話するよりも行った方が近い!その彼女が「2週間の休みが出来たから明日から、がじらを誘拐拉致監禁します」と、書いていました。うれしくて、なんて言ったらいいのか♪ d(⌒o⌒)b♪タダタダ頭の下がる気持ちでした次の日からがじらはY江ちゃんを「Y江ママ♪」と慕いお世話になりました。2つ目のメールは...たわしが去年まで行っていた幼稚園は実家からでしたので、たわしの大好きなお友達も居ります!片付けしている時も「○○くん、帰ってきたか電話して!?」「○○くん、お帰りのバス時間何時か聞いて!?」と、うるさい(``r(^^;)ごめんよ・・)くらいでした。ですが、○○くんのママの計らいでたわしは、1人でお家に(これまた!近いので)遊びに行ける様になったり○○くんを、バス時間に迎えに行ったり♪ d(⌒o⌒)b♪大好きな○○くんとの時間を「満喫」していました。でも、○○くんはもう少しで運動会があるのでお疲れ気味(ごめんねm(__)m)片付けを、手頃な所で区切り子供たちを迎えに行き帰り足に・・・と言う日課にいつの間にかなっていました。その○○くんママからのメールでした。「うれしいお知らせ♪たわし君も運動会に参加出来ますよo(^o^)o」○○くんの応援に行く約束をしていましたから客席で応援だよ・・とたわしに言っていましたそれでも○○くんの応援に行くとたわしも言っていたので。聞けば、当時担任だった先生が動いてくれたとか・・・早速先生の方から電話が来ました「たわしくん、運動会出て下さいね(^^ゞ」私は、先生にご尽力くださったことに御礼を言うと「私は何もしてませんよ。○○くんのお母さんが言った事を副園長先生に伝えただけですから・・」と言われました。当日秋晴れの下でたわしは「たわしの運動会♪○○くんとの運動会♪」と歌にもならない歌を歌って参加させてもらいました♪♪親戚は近くに居るはず?それも、今まで田んぼだ引越しだと我が家でも手伝ってきたはずではなかったか?ですが、挨拶回りに行った時、台本でもあるのか?と疑う程何処へ行っても「ごめんね、手伝いにも行かないで」「行っても何していいんだか分かんないから・・」「ご苦労さんだったね」と、口を揃えた。。。その時(近くの親戚より近くの他人?)なのだと知ったY江ちゃんとその家族○○くん家族に支えられ私は実家の整理が出来犯罪も犯さず今生きています。なにも恩返しが出来ない今ですがあったかい気持ちで「ありがとうございました」♪ d(⌒o⌒)b♪と声を大にしていいますm(__)mPSブログ休む前にコメントをくれた方達に・・返信には時間が経ちすぎたのでこの復活ブログを返信に替えさせていただきますm(__)mしばらく訪問してないので「少しずつ」皆さんの所へおじゃましますね
2006.10.06
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``r(^^;)以前にも書きましたが現在実家の片付けに追われている毎日です!7時30分に家を出て3時間の道程・・・実家を5時頃出て8時頃の到着・・・それがここ10日くらい続いていてなのにまだまだ片付かないそんな訳でしばらくみなさんのブログ読むだけに成りますが忘れないで下さいね~~~~~
2006.09.25
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義父が手術をしてからもう少しで2ヶ月経ちます。放射線治療(°°;)を始めて2週間弱・・・看護婦さんから義父のお見舞いを許されたので敬老の日に皆で行く事にしました・・・が・・がじらが、急な発熱でやも得ず主人とたわしで行きました。主人もたわしが居たので行く気になったのだと思いますが``r(^^;)帰って来てから「放射線治療のためにあんなに疲れているのかそれとも癌が進んでいる為になっているのか難しいところだな・・・」と改めて父親の病気の重さを感じた様でした。次の日の夜(昨日の夜ですが・・)義母からTELがありました。義父の熱が下がらずいるから今夜は病院に泊まるとの事。この2ヶ月で初めての事でした。義母もがんばり屋さんです義父が船の機関長と言う仕事柄結婚してから35年の同居年数は何年位になることか・・・?義母は義父の留守を守り、時には主人や義妹である子供達に父親の代わりもした事でしょう。そんな生活からか、今回も誰も頼ろうとはしません。義父を思う余り義母が倒れなければいいと思います。こんな時「息子」の主人「娘」の義妹・・・は、何を思うか。。。義実家のみんなの気持ちを「嫁」の私はどうしてあげる事も出来ない・・・いや違う(^_^ ) ( ^_^)今の私が出来る事を「嫁」だから・・ではなくて「1人」としてやる!!それでいいんですよねとりあえず今日はがじらの熱も下がったのでお弁当を義母に届けてみようかと思います
2006.09.19
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昨日ブログを書いてから10分後には快晴となりました(●^o^●)Rくんが「たわしくん!運動会するって」と寝癖全開で呼びに来てくれた(^-^)「良かったねたわしくん!!」母ちゃんはほんとにそう思いましたv(=∩_∩=)さて・・父ちゃんの方は何だか浮かない顔。「どうしたの?」あまり口数の多い人ではないのですが聞いた事にはきちんと返事してくれる人なのですが・・「別に・・・」とそっけない返事。でも何となくですが分かるんです。お父さん・・・の事が気に掛かっているって。義父は今月から「放射線治療」に入りました。子供達に良くないから終わるまで(1ヶ月の予定)来るなと言われています。ですが、主人が行く分には構わないのですから気になっているなら顔だけでも見に行ってこればいいのに・・・ですが、以前そう言ったら「親父と何話せばいいのか分からない・・子供達が一緒に行ってくれるから「場」がもてるし和める・・」と言い返されました。主人の中で何かの葛藤と戦っている事は事実なのですが私は何もしてあげられない
2006.09.11
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昨年の今頃は幼稚園で運動会の練習が日々続いていて園バスから降りるや否や「かあちゃん!!腹減った」と帰って来たもんでした。こちらに来てからは「運動会」は、あるはずも無く隣のお友達が運動会と聞き・・・たぶん、あの行動は「羨ましさ」と「淋しさ」から来たものだったのでしょういつも、返事する事を無視し・・・いつも、がじらと共有して遊ぶのに、それさえもせず逆に大声を出してがじらを叱る始末・・・分かっていても、親としてそんな行動は見過ごす事は出来ずに叱った。「ごめんなさい」と言ったたわしは目にいっぱいの涙を溜めていたそれとなく理由を聞いてみた。「どうしたの?運動会したかった?」・・・・たわしは何も言わず「わからないきもち」に泣き出したその2日後お隣のお友達ママから「今度の日曜日予定ある?」と聞かれた。主人が休みなら出掛けようと思っていたので、その事を伝えた。何故か聞いてみた・・日曜日は「地区民運動会」があると言う。返事は即答せず少し待ってもらった。その日の夜にたわしに聞いた。「今度の日曜日父ちゃんが休みなんだって、たわしはお出かけするのと、Rくん(お隣の子)と運動会とどっちがいい?」たわしは、迷う事無く「運動会!!Rくんと運動会に行く」と答えた(●^o^●)その日から口を開けば「うんどうかい!!」「運動会でRくんに絶対勝ってやる!」「宝拾い(幼児競技名)でいっぱい宝ゲットするんだ」等等言っていました。そして夕べ眠る前に「明日晴れて運動会が出来ますように」と祈っていました(^-^)現在8時45分・・・・霧雨ですが中止を告げる放送も無く決行する音楽も成りません/(-_-)\ こまった~。詳細はまたの期に
2006.09.10
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ららら~ん100さんからバトンが来ましたバトンの種類っていろいろあるんですね(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)楽しいけど時間が欲しく成っちゃう(-"-)ではスタートしますルール説明 その1:ひとつの質問を削除して新しい質問をひとつ追加する (ただし、最後の質問は削除してはならない) その2:最後の質問の「○代目」の○をカウントアップする 後は自由・・・これの意味がよう分からんのですがスタート Q1:幸せになれる食べ物は何?・・・パフェ Q2:過去に戻れるなら何がしたい?・・手に職を付けたい! Q3:将来の夢は・・・主人とニューカレドニア(天国に一番近い島)に行く事 Q4:今、1番欲しいものは?(現実的に!)・・・ガスレンジ Q5:今、1番したいことは?・・・家族旅行 Q6:結婚(生活)って何だと思いますか?・・・かけがえの無いもの Q7:自分の利害に無縁な願い事をひとつ・・・雲の上で寝てみたい♪ Q8:明日、日本沈没と知ったら最後に何を食べる?・・・主人の作ってくれた チャーハン・・7年の付き合い&結婚生活でただ1度 作ってくれた「幻のチャーハン」なのです!! Q9:バトンを回す「106代目」の3人は ナイトキッドさん ruccさん 青空のかけらさん勝手にお願いしちゃいましたがm(__)mどうぞ宜しく頼みます
2006.09.05
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青空のかけらさんからバトンが来ました(●^o^●)初めての経験で(T.T )( T.T)おろおろです!?「違うぞ~」って思ったら教えてくださいm(__)m♪まずはルール説明♪その1:バトンを回してくれた人の質問に答えるその2:バトンを回してくれた人へメッセージを書くその3:次の人へ質問を3つ考えるその4:バトンを回す人、3人考えるスタートします(●^o^●)♪青空のかけらさんからの質問♪1:憧れの女性は誰ですか?***中学の1つ上の先輩です。その人は、たぶん私の一生の「憧れの人」 (。^_^。)2:1か所だけ自由に旅行が出来るとしたら何処へ行きたい?***沖縄かな?ん~これといって一人旅は、あまり希望しないので``r(^^;)3:最近うれしかった事は何ですか?***虫キングの靴が半額以下で買えた事!!♪青空のかけらさんへ♪なかなかバトンできなくてすみませんでしたm(__)m主人もなかなか休みに成らなくて・・・独学(?)でバトン回して見ました``r(^^;)ぽりぽり頑張りました_ρ(^^ )/ ♪次の人への質問です♪その1:今の生活は自分の理想に近いものですか?その2:明日「死」を迎えると告知されたら誰とどのように過ごしますか?その3:一番欲しいものは、なんですか?ちなみに私はその1:ある一部を除いては「ほぼ」近い生活ですその2:主人と2人の息子を1日中抱きしめてる(>_
2006.09.04
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お盆も終わって・・私の生活にも一応のリズムも出来てきた今日この頃♪ですが、ず~~~~~~と!!気になりながらも後回しにしていた事があります。「実家の撤収作業」30余坪の小さな家ですが爺が入院した12月から行く事も時間を作る事もしませんでした``r(^^;)(実家ですから・・・撤収作業も、心が痛い(>__
2006.09.01
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お正月休みから1ヶ月も経たないうちにおっかあから、TELが有りました。爺が退院してまもなく、また入院したというのです「何で?」と聞くと友人と釣りに行き「手がしびれる」と帰って来てすぐ、病院に行ったそうです。病名は「脳梗塞」だったそうです。爺は、その前から狭心症の持病も持っていたので手術する事は無理でしたから時間は掛かりますが投薬治療の方法で。。。と言う事で入院になりました。時、同じ頃兄がまたもや捕まり実家の中はおっかあの過労の場でしか無くなりました。弱音を吐かないおっかあが、私に母の人生1度の我侭を言ってきました「十字架?帰って来て側に居てくれないだろうか?」と・・・おっかあは、来年卒業の事ももちろん分かってましたからそれでもその1年乗り切れないほど限界だったのでしょう・・・・私はその年の5月愛知を後にしました。爺は入院から3ヶ月経っていたので退院していましたが「ロレツ」「歩行」に少し後遺症が残ってはいましたがバイクに乗れないほどではなかったのでギャンブル三昧が始まっていました。帰った私におっかあは「ごめんね」と言ってばかり爺は私を見るや「お前なんかが卒業出来るわけ無いんだ」「それ見た事か!!」と・・ほとんど罵声でした。おっかあが何度も「家の為に帰って来てくれたんだよ!!」と、爺に言っても伝わる相手ではない。現在まで3回、軽い脳梗塞で病院に運ばれた軽くても1度目より2度目2度目より3度目・・・と後遺症は残り3度目の脳梗塞から左半身が不自由になった。歩く事をめんどくさがり身の回りの事を病気のせいにしていつも寝てばかりの爺に私は言う「たまには、表散歩してきなよ!」「ゴミ溜めみたいにしてないで、少しは整理しながら生活しなよ!」爺の返事は決まって「散歩ばかりしていた、ばあさんが先に死んだんじゃねえか」「ゴミ溜めにしてて死んだ奴はいねえ」と減らず口。実家に1人で住んで居た時はヘルパーさんから翌々TELがあった。「爺さん、お金が無くなったって言うんですけど私知りませんから」「爺さん、「何食べますか?」って聞くと怒るんですがどうしてですか?」「爺さん、心臓が苦しいって言ってるんですが脈も血圧も正常なんですけどどうしましょうか?」・・・それは私に聞くこと?と思う事までTELが来ました。何故か?ヘルパーさん方は、爺に困惑していたのです。動かず、動く事をせず、「自分は重病者なんだ!!大事に扱え!」と言わんばかりの大柄な態度に・・・今もそれは変わりません・・が、私は誰に見られていても爺に優しくなんて出来ません介護保険も爺が1人増えた生活費も、爺が年金をかけていなかったのでおっかあの遺族年金だけが爺の収入です。1ヶ月2万にも満たない金額です。主人は「子供たちにはヒモジイ想いさせられない」と土日出勤をして頑張ってくれています。ですが、爺にはそんな想い伝わりません。お盆に爺の実家に行った。そこで爺は皆が集まったその場所で言いました「はっぱり、釣りにも連れて行ってもらえない」「十字架は料理がへたくそだから、ロクなもん食わしてもらえない」等々・・・私の事はいい・・・主人には聞かせたく無かった。。心底、この生活が嫌で嫌でたまらない。早く、死んでくれたらいいのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006.08.23
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定時制へと、進んだ私はそれはそれは、充実した毎日を送っていました。そりゃあ、おっかあの事は恋しかったしいつも一緒に居たかった。ですが、おっかあも私の気持ちを理解してくれていたので、お互いに「声が聞きたくなったらTELするから」と・・・ですが、今の様に「携帯」がある訳ではなっかったし通話料が安い訳でも無くて2週間に1度位が精々かけられる位でした。向こうに行ってから2年位経った頃いつもの様におっかあからTELが有りました。私は、いつからか母が楽になればと仕送りをしていました。ですが、お金を送らなくていいと言うのです。「十字架の好きな様に使いなさい」と言うのです。何かあっても、物言わない母です。聞いても笑って、その言葉を繰り返すだけでした。定時制といっても夏休み冬休みは、当たり前にいえ、むしろ大学生並みに有りました。ですが、私は2年間帰りませんでした。仕送りの件があっての夏休み私は帰る決心をしました。爺が居なければこんなに「故郷」ってあったかいんだって思いました。爺はあい変わらずの「自分生活」をしていたみたいですが・・・家には兄が居りました16から家出を繰り返し「今どこに居るの?」と言う事が殆どの兄です。そこで見たのです。兄が、おっかあからお金を貰うところを・・私は、22歳にもなって何で働かずお金を無心しているのかと兄を責めました。私は、何で易々とお金を渡すか?と母を責めました。私が家を出て実家は、無法地帯になっていたのです。私は後1年で卒業でした。だから、おっかあに卒業したら帰って来るからといい、1ヶ月過ごした実家を後にしました。その歳の冬休みにも帰郷しました。いつもなら、寒い北国に居る母を、暖かい愛知の地に呼んで居たのですが爺がバイク(バイクの免許しかもって居ないので)で、転んで行けないと言われたので。私が帰る事にしたのです。入院の為、お正月は爺が居なく、私は人生で、もう無いだろうと言うくらいの幸せな時を過ごしていました♪ d(⌒o⌒)b♪つづく・・・
2006.08.20
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忙しかったお盆も気が付けば主人の休みと一緒に終わっていました(^-^)去年はがじら出産でお盆も何もあったもんじゃなかったので今年は落ち着いて姫とおっかあを迎えました。我が家には、私の父が一緒に住んでます以前から書いているようにこの爺がこの世の中で1番きらい!!です。何故か・・・爺は私が物心つい居た時には既に「競馬」「マージャン」「パチンコ」と3代ギャンブルをこなしていました。その為に借金する事は無かったのですが働いたお金は家に入れることは有りませんでした。おっかあは、その為仕事に出て兄と私を養ってくれたのです。おっかあは、私にすれば2人目の母です産みの母は私が1歳の時病死しました。おっかあとは、私が6歳の時に「親子」に成りました。おっかあは、前夫と離婚(理由は、旦那の浮気と姑の嫌がらせだったそうです・・これはおっかあが、亡くなっておっかあの弟から聞きました)そんな理由からか、ギャンブル三昧の爺には何も言いませんでした。。私が結婚する時に言われた事があります「十字架?お金がなければ自分が働けば解決するんだよだけど、心が離れてしまったら自分1人じゃどうにも出来ないからねちゃんと、Sちゃん(主人)の心を捕まえておくんだよ(^0_0^)」おっかあの、前歴も知らなかった頃の事なので、その時私はどんな返事をしたか?・・・覚えていない・・・・話は反れましたがそんな何も言わないおっかあを、いい事に爺は好き放題。年金もその当時は掛けていなくて、おっかあが「年取ってから大変なんだから・・」と言うと「長男に面倒見てもらうからいいんだ」と反り返る始末。その長男の兄ですが母が亡くなったのが、兄5歳の時・・・亡くなって私達がおっかあと、出逢うまでの5年間は爺の実家に預けられたのです。私は年端もいかない、幼年でしたが兄は、父も母も恋しい年頃でした。1ヶ月に1度見るか見ないかの父親を待ちわびて何時しか兄は、人生の道を外れてしまいました。何度と無く、学校やら警察やらに呼ばれる爺は何時しか兄を殴るように成っていましたまだ小学3年生です。母が亡くなってからおかしくなった・・と何故気付いてあげれなかったのか。それどころか母が甘やかしたからこんなになったと爺は自分の実家で言いました。私が4歳の時です・・・。当時、ばあばも健在でした。言えば好きなものも買ってくれたでしょうが兄はそれが言えなくて万引きしては、私にガムだチョコだとくれました。私にすれば、たった1人の兄以上に身内でした。おっかあが、家に来てくれて私は嬉しかった初めて「おかあさん」と呼べる喜び。。ですが兄はその時既に5年生です。私の様にすぅ~と入るタイプではないし母っ子だった兄は16歳で家を出るまで「おかあさん」と言いませんでした。兄が初めて「おふくろ」と言ったのは少年刑務所の中でした。喧嘩とシンナー吸入の現行犯でした。私は14歳だったので面会は出来ませんでしたがおっかあが、面会から帰ってきた夜に「お兄ちゃんが、おふくろ御免なさいって頭さげてた・・おふくろだって・・」と、うれし泣きしていた。ですが、捕まったのはそれがスタート(-"-)ハジマリでした。私は、中学を卒業してようやく爺の元を離れられる事にが出来ました愛知県の半島に位置する所の定時制に行く事に決めたのです。本当は美容師に成りたかったのですが3回の三者面談で爺に言いがかりをつけられ「お前なんて美容師になれるわけが無い」「住み込みしてもすぐ帰ってくる」等・・それは、本当に父親か?と疑う言葉・・・担任の方が気を使い「お父さん?十字架さんはやれると思いますよ信じてあげたらどうですか?」と言葉をくれました。が・・・通じる相手ではない(ーー;)定時制には私が勝手に申し込みをし1週間前におっかあに言いました。入学金が必要だったので``r(^^;)おっかあは「理美高に行かせてあげられなくてごめんね」と言いましたが定時制にも通信教育でとれる科があったので気にしなくていいよといいました。実際には仕事と高校でとても通信教育までは・・・でしたがへへ (^^;;その1週間後、集団疎開の様に東北から行く9名は個々に見送られ新幹線に乗り愛知に向かったのでした。あ。。。長くなってしまいましたので今回はここまでにします。>^_^<
2006.08.18
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私と主人は5歳違いです私が「姉」です(*^.^*)ですが、主人は外見も・・もちろん中身も私より遥かに「大人」です(中身は置いといて外見はもしかして?私が若く見えるからかも?ヽ(´▽`)/)そしてかなり無口です。以前、従姉妹に私と「ふつ~~う」に話している主人を見て後から言われました「旦那さん、十字架ちゃんとは普通に話しするんだね安心した(^。^;)」・・・と。そりゃ夫婦ですから・・・と思ったものでした(^_-)-☆最近「主人の重荷になってんだろうか?」と考え、落ち込む「事件」が有りました?(°_。)?(。_°)?今年結婚して6年です。付き合い期間は1年弱なので主人との出会いから7年弱・・・思えば、この7年は・・私の事、私の家族の事で迷惑ばかりかけていたそしてお金の苦労も。。。そんなこんなから出た言葉かもしれません先週、主人は財布を落としました。私の兄夫婦が結婚5周年のお祝いにと、贈ってくれたビトンのおそろいの財布です。落としたのなら、自分で分かる範囲の所だったので見渡しても無く・・・それは誰かが「故意」に持って行ったんだろうと考えざるおえない状況でした。帰って来てからカードを止め、警察に届け、戻ってくる事を祈りました。次の日は丁度日曜日でしたから気分転換に、地元では有名で大きな神社に行きました。主人は昨日の一件から輪をかけて「無口」「無愛想」(ーー;)そこの神社は「良く利く」らしいと以前井戸端会議で聞いたことがあり義父のお守りもそこで用意したものでした。主人に「おみくじしよう!! (。^_^。)/」ともちかけ渋々でしたが主人がひいた!!「大吉!!」(渡鬼のじいちゃんの名前じゃないよ!!)私は、「すごいよ!大吉♪ d(⌒o⌒)b♪だって!!いいね~財布返って来るかもねv(=∩_∩=)」と言ったら主人は「もう、運使い果たしたからね(ーー;)」と超×1000000000ブルー(ーー;)そして中身を読みませんでした。でも私は見たんです「失せ物=近くにあり」って。その帰り買い物を済ませてもやはり顔は(ーー;)こんなんで。。。だから私言いました「大吉だったんだからきっと見つかるから!!v(=∩_∩=)笑って笑って!!」と・・・・・主人からの返って来た言葉は「5年分の疲れが出た・・」でした。主人の心の声を聞いた気がしました。今度は私が笑えなくなっていた。。主人が言った「5年分・・」は、私達の結婚5年を意味するものなのかその先は聞けなかった。PS***財布は、昨日警察から連絡があって無事に届きました。落とした所とはまったく縁の無い小川の辺にあったそうです。札と小銭以外は無事に帰ってきました(^_-)-☆「あの神社本当に利くんだ」と内心思いました。
2006.08.04
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義父の事もあり義母には係わらない様にしていました。ですが、もういいや!!書いちゃいますね。義父が集中治療室に戻ってきたのは手術日の夜9時30分です。私とたわしとがじらは、ストッレチャーで運ばれてきた義父を遠巻きに見て義家へ戻りました。(明日の帰り足に寄って義父の様子を見ていこう)と言う位に考えていたのです。次の日、私達は帰る事にしていましたから。帰る日の朝義父のお姉さん(70を超えている方です)が義母に、義父の安否を聞きに義家へ来ました。叔母さんは風邪を引いているらしく病院に行けないそうなので・・私と主人は話す事も無いので義母と叔母さんの話しを聞いているだけですが、まぁその場に居りました。時々に義母は言っていました「M(娘)に居られると忙しいけど居ないとなんだかね・・・」私(何だかって何?)叔母さんは叔母さんで主人に「今度来る時は1人で来てお母さん助けるんだな。孫が居ると休めないから」と私(家の子が居ると休めなくて娘の子なら休めるんだ・・・)等々言いたい事を言い合って叔母さんは帰って行きました。朝から義母と主人は何度か病院に行って経過を聞いている。その間に私は洗濯や掃除を済ませて帰る準備も兼ねながらしていた。お昼頃にも行ったのでお昼を食べながら義父の所へ行こうとした時義母からTelが有り「医師の話しが終わったから出てこなくていいよ、今から帰るから」との事。私は(まぁ帰りでいいか)と義母の帰りを待っていた。義母が帰って来てから・・・入れ替わり立ち代り来る来客に・・来客と言っても義父の親族義母の兄弟です。に、ウンザリしていたみたいです。。そんな中で出た言葉でしょう「お父さんが意識戻ったら来てくれたらいいのに・・」集中治療室は家族が一緒じゃないと面会出来ないので、親戚の方達は、義母を待っているのです。。義母にすれば、そう言う気持ちかもしれませんがお見舞いに来た方は、言葉は悪いですが今生の別れになるやも知れない状況なのです。1日も多く1目でも多く逢いたい気持ちでは無いのでしょうか?私達の帰る時間になり義母も一緒に病院に行くと用意しました。義母は言いました。「十字架さん、じいちゃん(義父)まだ意識戻らないから私(義母)と息子(主人)で行ってきて後、すぐ息子帰すからそれから、意識もどったら連絡するから」と・・・え?・・・私たちにも来てくれるなと?!そこで主人の助言があったなら、行けたのに・・・「じいちゃんに逢いたい」と泣くたわしを連れて行けたのに・・・後悔しない様にと行った事だけど確かに後悔はしていない。でも心ん中に***モヤモヤ***が残っているのは何でしょうね。
2006.08.02
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手術前日に、たわしが「じいちゃんにお守りあげたい」と、言いました。たしかに、5歳の子が、分かる様に義父の病気を伝えたつもりでしたが、イコール「お守り」とは・・・心が形成されてると感じた瞬間でした(^-^)私達は前日に義実家に行きました。その日の内に、義父の病室に行きました着いた時間に義父と主人と義母は「手術についての説明と等々の承諾の為」病室には居りませんでした。しばらくして3人で戻り子供達は「じいちゃん」と逢えたのです。話しが深刻な分義父の心中も穏やかでないのは手に取るように分かりました。ので、早々に病院を後にしました。次の日・・・手術当日執刀時間13時30分・・・私達は9時頃病院に着きました。義父は4時間後の大手術の為既に病室が変わっていました。私達がその日逢えたのは2時間後の11時です。点滴と管でつながれた義父は、主人と孫に「まな板の鯉だ!! (。^_^。)」と笑顔さえ見せてます。その後何度か病室に行ったり来たりしてましたが親戚の方々も来たので義父は少々お疲れの様子(~_~;)13時15分手術室に入る時間・・・その時は静かに訪れました。早ければ6時間後に義父と逢えます。その日、義父の長い長い時間の始まりです。本当に長かった・・ですが、早く戻れば手の施しようが無かったと言うことだと主人が言っていたので「1分1秒でも長く」と、願いました。何人か居る手術をする患者さんの中で1番先に入り、1番後までかかった義父は「成功!!」の言葉をひっさげって21時30分、集中治療室に戻ってきましたv(=∩_∩=)まだまだ、義父の戦いはこれからです。ですが、まずは、第1段の階段を登りました。1日も早い回復を願います。m(__)mメールで励まして下さった皆さんに感謝しますm(__)m
2006.07.28
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一時は、すねて「もう病院以外行かない!!」と言っていた私ですが(~_~;)義妹が帰ってからの義母は何だか忙しなく。。たぶん、心の持って行き様が無いんだと思うのですが・・何も出来ないかもしれないけれど・・・それでもしてあげれる事が何かあるかもしれないので・・・私、行ってきます。今日行かなかったらきっと後悔すると思うので・・・皆さんに頂いた「想い」を持って!!行ってきますm(__)m
2006.07.25
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義父の手術日が決まりました。7月26日・・・先週の金曜日に、義父と義母とで医師の説明を聞いたそうです。その説明ですが・・主人も立ち会いたい、と病院側に言っていたのに、金曜日の午前中に「今日の午後説明をするので息子さんにも言ってください」と言われたそうですが。。。 (▼、▼X)当日じゃ休み取れないじゃないですか!!と、義母は伝えたそうです。そう言う事で仕方なく2人で聞く羽目に成ったようですが。。手術をすると言う前提で先週、外科に移りました。外科でも同じ位の検査をしました。2~3週間前の話です。内科では「レベル2」と言われ金曜日の外科の説明では「レベル3」に成っていました。(?_?)え?どういう事よ!!って思ったんです。ここ2~3週間で進行して3になったのか?それとも、内科の時から3だったのか?いずれにしても、検査はズサンだと思いました。そしてその話しから今後の処置について、義父は聞かれたと言います。「何もしなければ余命は3ヶ月です。手術して癌を取り除くか、抗がん剤等で薬治療をするかです。」と。。。義父は直ちに答えたそうです「手術してください」と。義母が言うには、「あの先生あまり、お父さんの手術したくないみたいだったんだよね・・」と。何たる事でしょう!!だって!何の為に外科に移したのか?科を移った為にもう一度似たような検査で時間を費やし挙句には「手術しますか?薬にしますか?」ってどういうことよ!!そして、癌を告知された義父に最後はこう言ったそうです「病院変わられても構いませんよ?」と。義父は答えたそうです「この病院でいいです」その次の日に外泊許可がでた。私達は行ったのです。主人が病院なんで変わらなかったのか聞いた。。。「お母さんが行ったり来たり大変じゃろ・・・」と答えた。その日の夕方私達は帰ってきたのですが帰るとき義父が言いました「手術しても駄目な時はおまえらも諦めなさい俺は今まで好きな事をしてきたからいいんだ・・・」「(^o^)お義父さん!何言ってるんですか~」と言って車に乗り込み、たわしに(〃⌒ー⌒〃)∫゛゛バイバイしている義父が見えなくなった頃・・・主人の方が泣きたかったであろうに私が泣いた。。。。。
2006.07.24
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待ちに待った!!ハウルの動く城が今夜ありますね~~♪ d(⌒o⌒)b♪私はこの「はうる・・」にレンタル代いくら払ったんだか(T_T)きっとdvd買った方が安かったと思うのですが・・・キムタクの声で「守るものが出来たから」といわれた日にゃ_s(・`ヘ´・;)ゞ ぶっ飛びますよ~~~♪んな訳で、絶対録画するぞぉe(^。^)g_!!みんなも見ようね!!(注意:日テレ社員でも回し者でもありません)
2006.07.21
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私は、野球を余りよく知りません・・ですから野球中継もまったく見ません。唯一の知っている選手も、もう監督になっている方やグランドを離れキャスターやタレント活動をしています。私は、欽ドン、欽どこ、ドリフ、世代ですあのTVを見て育ちました。いつも、笑顔しか見た事の無い「萩本欽一」それが、昨日ニュースで久しぶりに見た「欽ちゃん」は・・お笑いタレントの不祥事で、欽ちゃん球団に入っていたが為に責任を取り球団を解散すると言って涙を流していました。確かに野球の遠征で北海道に行き、そこでの不祥事ですですが、不祥事タレントは38歳!!立派な大人です。欽ちゃんが、責任を取らなければいけないことでしょうか?タレントの事務所は、解雇しました。タレントの相方は、朝のワイドショーのキャスターをしていてその番組で見ていた限りでは「お詫び」の言葉はありませんでしたもちろんです!!相方が詫びる責任ではないのだし。。。何度も言いますが・・38歳の大人なのだから。。。欽ちゃんに思いとどまって欲しいのです不祥事を起こした人は、面倒見のいい人だったと言いますがそこを堪え今居る球団の選手の方や「欽ちゃん球団ファン」の為にも続けて欲しいと切に願うのは、私だけでしょうか?
2006.07.20
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義父が入院してもう少しで1ヶ月になる。「胃のポリープを取り3ヶ月位で仕事に戻るV(^0^)」と言っていた義父がここ1ヶ月、検査ばかりしている。入院当初、義母に看護士が言ったそうです(本来なら壱看護士が口に出す事では無い筈(--〆))「余り良い状態ではないから、説明を聞くときは誰かと聞いた方がいいよ」と・・・義母は、まだ医師の説明を聞く前から「末期の胃癌」と疑わなかった。入院して既に10日が経った頃に、ようやく説明があると言われた。その間義母は病院側に催促する事も無く来ていた娘(義妹)に「検査して結果が出ないと説明出来ないんだから」と義妹も世に出れば「壱看護士」であろうに、言われた。説明は土曜日だったので主人も、もちろん加わった。私は義妹の子(Tちゃん)を、説明が済むまで見ていてあげようと着いて行った(もちろんたわしもがじらも連れて)ですが、私の取越し苦労だったみたいでTちゃんは、義母の妹さんが見ていた。改めて頼んだと言っていた。義父の説明の間私と子供らで車の中に居た。10分も経たないうちに主人からメールが入った。「終わりました」私らは主人の元へ向かった。義実家に戻り医師の説明を主人は話してくれた。場所は廊下の一角だったそうです。病名は「食道癌」レベルが5段階のうち、義父は2だと言う数字が大きく成る程悪い状態らしいのですが数字だけを聞くと思ったほどではなく、安心した。医師は言ったそうです「この病院では告知をします。その方が本人も頑張れますから」みたいなことを・・・・義母は「言ってほしくないんだけどなぁ」と医師に言わず家で言っていた。主人は今までの病院側の対応を不振視しているので納得いっていない(当然です)私もそうです!!あの病院の体制かなんてどうでもいいことなのです患者に告知してほしくない家族が居るのに有無を言わせず告知すると言い。こちら側からすれば、重大なことなのに廊下の一角で説明。説明ではない!!だってレントゲン写真も検査のデータも見せられず一方的に話し、正味5~10分の説明がどこにあろうか・・・義妹は「今日のは、説明ではなくて{本人に告知しますから}と言う家族同意の呼び出しだったんだよ」と言いました。たしかにそう言われたら納得出来ます。ですが、病状説明する前に告知しますも無いもんだと思いました。納得いかない主人が「仏頂面」していると義母が言いました。「お父さんがこんなことになって、働かれなくなったから収入がない・・だからあの病院で見てもらうしかないから納得して。」私は思うのです。私の家族が病気に侵されたら、病院側に聞きたいことが山ほどある。たぶん「またですか?」と言われるほど聞くでしょう。こんなに医師説明がされないなら「いつしてもらえるんですか!?」とまくし立てちゃんと日時を決めさすでしょう。告知を望まなければ病院側に何日でも何回でもこちらの意見を言うでしょう。62歳の癌の進行はどんなものなのか?1ヶ月も手術されないでも、進行は心配ないのか等々・・・何で義母は聞きたいことを娘(確かに看護士ですが・・)に聞き納得できるのか。義妹は義父の病名を聞いた時「インターネットで調べた」と言っていた。看護士かも知れないけれど、やはりその道のプロが居る訳です。あの病院とは何の接点も無いのだからもう少し「患者の家族」になっていいと思った。主人の「仏頂面」こそ「正直な患者の家族の気持ち」だと思います。今週、外科に移りました。。。いよいよ手術か!と思いましたが、またレントゲン(それも義妹が見せてほしいと言ったので分かったそうなのですが(--〆))写真を病院側で無くしたそうなのです。また取る羽目に成り結局今週も検査で終わるそうです。変だよ (▼、▼X)みんな・・変だよ!!!!!!!!!!!!!
2006.07.20
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何だか久しぶりにブログを書こうと今朝から必死だったのに・・・・・もう少しで書き込み出来たのに・・・・・w(☆o◎)wガーン起きた、がじらを抱っこして打ち込んでたら真っ白に・・・・・(^^?) えっ~~~!!何でよ?どこ押したのよ!!・・・・・・・ばか(ё_ё)んな訳で、明日またがんばりますぴ-す V(^0^)
2006.07.19
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つい2,3日前に義実家の事で「ブログをお休みします」と書いた「気」がします(-_*)\その時は嘘でもなかったし「嫁」の立場がそうさせた・・・義父の事があって義母が「息子を頼りにしてるから」と、言った時、時と場合は不謹慎ですが「これでやっと嫁になれる」と思いました。義母が主人を、何時呼んでも困らないように何時でも出れるようにバックに着替えを詰めて義母との連絡を蜜に取れるように携帯も買いあたえ今週には義父の病状説明&今後の計画説明がある筈で義母に「その時は息子も一緒に聞いてくれるか」と言われたので、義父の様子伺いもかね、主人がTelした。何時もなら義実家に連絡した後に必ず、メールかTelで私に連絡をくれる主人ですがその日は「帰ってから話す」とメールが入り、私は「仕事忙しいんだろうか?」と考えた。主人が帰って来て、義母との話で義妹がTちゃんと5月に生まれた今の旦那の子を連れて帰って来てる・・と言った。旦那は一晩泊まって帰ったそうなので義妹達は何時まで居るのか分からないとも言って居た。当然の事ですがやっぱり「娘」なんだなと、気づかされ、こう言う状況下でも「嫁」を使ってはもらえないんだな・・と哀しくなった。あまりの、哀しさに友人に愚痴った。友人は「頼まれた事だけでいいんじゃない(^o^)あなたも忙しいんだし*」と言われ心が軽くなった``r(^^;)義父にたわしや、がじら、を一目でも多く逢わせてあげたいと考えていたのですが義父には、娘(義妹)とTちゃんが、何よりの薬なんだろういよいよな事が無い限り、義実家には行かないつもりです主人の事を考えて、行っても病院までかな?嫁ってなんなんでしょうね(?_?)いつまで時を過ごせば「家族」に成れるんでしょうかね(?_?)同居している方達にすれば「(゜゜;)\(--;)おいおい、なにいってんだよ」って、叱られますね(-_*)\そんな訳でブログ再開しました!!ただいま (。^_^。)/
2006.07.06
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ブログにコメントをくれた皆さんに、返事出来なくてすみませんでしたm(__)m実は、義父が先日「末期の胃癌」と宣告されました。まだまだ、働き盛りの62歳なのに・・・と心が痛みます義父に告知しない事を選んだ義母も毎日病院に行っては「女優」してきます。いつまでの事か、見当は出来ないですがこんな、私でも一応「嫁」なので義母のお手伝いを・・と思っています。この生活が慣れるまでブログをお休みしますm(__)m時間の空いたときは、訪問しますけどね(^_-)-☆では!!
2006.07.04
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母親が亡くなってから久しぶりに義実家に泊まりに行った日の事。相変わらず、Tちゃんは義実家に居りました。義妹が仕事を始めてTちゃんをジジ&ババに預けてから7ヶ月経っていました。ジジ&ババの献身的な子育てでTちゃんは、「3歳まで立てなかったら歩けない」と担当の医者に言われていた為何とか伝え歩きまで出来るようになっていました。私のお腹に子が居るのが分かるのか、それともたわしが、「母ちゃん」と甘えるので一緒に甘えているのかTちゃんは両手を広げ中腰になりニコッと笑うヽ(´▽`)/そう!!Tちゃんの{抱っこして}のポーズです。一方義妹の方は義母も義父も見事に丸め込み彼氏は「婚約者」と成りました。義妹はその年のGWに引越しすると言っていたあまり荷物も(何せ1人暮らしして8ヶ月位のもんですから)無いと思うけど、2人でじゃあ大変だろうと主人が義妹に引越しを手伝うとtelしました。「8時ごろまでアパートに来てもらえれば・・」と言うので了解しました。お手伝いも次の日と成った時私の父親が入院しました。心配する位でもないし、本人も行っていいと言うのでその日の夜に義実家にお古の毛布(引越しで使うので持ってきてほしいと頼まれていました)を取りにより次の日の事を考えて義妹の近くのホテルに泊まる事にして義実家を10時(夜)に出ました。主人の習性上、30分前に義妹のアパートに着いた。私とたわしは、車でお留守番(^o^)お古毛布を持って主人は部屋に行きました。・・・・・3分後、主人は戻って来ました。私「どうしたの?出ないの?」主人「夕べ、向こうの(婚約者の)お母さんとお兄さんがトラックで来て全部」積み込んだんだって」私「・・・えっ!?じゃあ、お手伝いは?」主人「終わったてもんする事無いでしょう?今、お母さんとお兄さん寝てるからって・・・出てくるんじゃない?」と言う間に義妹と婚約者が出てきた。私は車の窓を開ける事はしなかった。主人は婚約者に「妹をお願いします」と言い私達はそこを後にした。こんな扱いを受けても主人は「兄」としての立場をこなした。主人をすごいと思った。引越しが終わったら「福島県」への旅行も立てていたのでその足で向かった。車中で私は主人に(言っても仕方ないのですが・・言わずにいられなかった)愚痴りまくった!!何で携帯と言うものがありながら、昨日に分かっていてtel1本メール1通よこせないの!!何んであなた(主人)を向こうの家族に紹介しないの!?私らは古毛布を届けにきたの!!・・・等々1時間にわたり愚痴った(--〆)それでも足りなかったのですが折角の旅行です。気持ちを切り替えました(T_T)5月の中ごろ、義妹と婚約者は入籍した(義母が言っていた)主人に何の報告も無く、戸籍上、義兄弟になったのです。「3人の生活で始める!」と言っていたのにTちゃんを引き取った(実際にはジジババが、連れて行ったのですが・・)のは、入籍してから1週間後の事でした。それが去年の5月の話・・・義妹は離婚から10ヶ月で再婚した。
2006.06.29
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おっかあが病院に搬送されてからどの位の時間がたったのか外を見たら暗くなっていた。その時間私達は何も出来ず、ただただ、おっかあがいつもの様に「いや~良く寝た(^0_0^)」とにっこりこちらに来てくれるのを待っていた・・・医者が兄と私に「病状説明」すると言うので呼ばれるままに行った。医者の説明は・・・「二つの選択しか出来ません。このまま時を待つか、維持装置を付けたまま一生を過ごされるかです」病院に着いたときに既におっかあは「脳死」状態にあった為病院で出来る事は限られているとも・・・兄は「出来る限りの事をお願いします」と言った私は、涙が止まらなかった。・・そう、ほんの何時間前におっかあは笑っていたのだ。そのおっかあが・・・・いろんな事話しておけば良かったいっぱい逢っておけば良かったぎゅぅって抱きしめて欲しかった・・・いろんな思いが胸を締め付け涙が止まらなかった。そんな状態のまま年が明けた。2日になって医者が言った「ここ2,3日です。覚悟していて下さい」と。それでも諦めきれない私は、兄と主人に言った。植物状態でもいいから、おっかあ連れて帰りたい」主人は何も言わずうなずいてくれたのですが兄は「おふくろを、楽にさせてやろう」と言った。私は言葉を濁した。今日で病院に来て5日目が来た。1月4日・・病院は仕事始めで、駐車場や待合室、いろいろな外来は人でいっぱいでした。主人に「お義母さん、落ち着いているから産婦人科外来行って来よう」と言われた。その病院は、たわしが入院した病院だったので(偶然でしたが・・)診察を受けた。結果は「5週目」。。。がじらが私達の元へ来てくれた瞬間でしたおっかあに「私、妊娠したんだよ。たわしをお兄ちゃんに出来るよ。だから、ばあちゃん家業頼むんだからいつまでも寝てられたら困るよ。」と言ったのです。その日の夜、おっかあは目を覚まさぬまま・・・お星様になりました心筋梗塞でした。葬儀のとき、たわしが言いました「ばあちゃん、ヘリコプターでお空に行ったの?」私が「そうだよ」と言うと「姫と乗っているのかな(^o^)」といいました。母親の突然の死から1年半たちます。今頃は姫を膝に乗せて、お空から「ほら見てごらんがじらが、産まれて姫ちゃん、お姉ちゃんだね!!お兄ちゃん、また母ちゃんに怒られているね!!」と、(^0_0^)笑って居るでしょうね・・・・
2006.06.24
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義妹の「そんなこんな」があった年の瀬にたわしが入院した。たわしの風邪が私に来て、私の父親母親にと行き渡った頃に喘息で何度目かの入院でした。。・・・父親も母親もお見舞いに来たくて仕方ないのですが何せ風邪ひきさんですから(>_
2006.06.23
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程なくして・・・義母から主人の携帯にtelがあった。義妹が、離婚すると言っていると(×_×;)「今度は何をヤラカシタ?」位の気持ちで主人の休みに義実家に行った・・・余りにも今まで義母が義妹夫婦に携わっていたものだから、義弟も義妹も会話しなくなったのは気になっていたのですが、離婚問題にまで義母が口を挟むものだから事が大きくなった。始めの内は冗談まじりに「緑紙だね!!」と良く笑っていたりしてたハズで・・気が付けば義弟は義母経由で義妹と連絡をとっていた。義弟は「いつも実家にばかりいて、家に居ても掃除もしなきゃTの面倒もそこそこで、俺が帰ればいつもパソコンに座っている」と呆れ顔。一方義妹は「休みの日はサーフィンに出掛けてお昼過ぎに帰ってくるしTの面倒も私にばかりで自分は見てくれない」と愚痴ってました。私に言わせたら(あんたら?どっちもどっちだよ!!)って感じなんだけどね。そのときが来ました。義妹夫婦は、夫婦では無くなった。Tは、義妹が引き取りました。。。引き取ったのは義母&義父??離婚してから、義妹は生活の為に働くといって仕事を探したのですがその時も義母が「例えMが悪くなくても世の中の人は勝手な事を言うもんだから地元出て探しなさい」と言った。程なくして就職も決まり「生活が落ち着いたらTを引き取りに来るから」と1人で出て行った。始めの内は翌々telしてたみたいで義母も何も言わなかった。1ヵ月後・・・telが途絶えがちになり2ヵ月後・・・休みが余り無いといって義実家に来なくなり3ヵ月後・・・とうとう義母から連絡しないと連絡が取れなくなった。義妹がTを置いて行って、10ヶ月経った頃チャットで知り合ったと言い男の人と義実家に来た。Tちゃんを逢わせる為でした。結婚すると言う・・。主人と会ったのはものの5分位でした。何を考えているんだか!?親の自分がTと暮らしたのは、Tが4歳になるまででいったい何ヶ月あったんだか。。そのうえ、今回も「落ち着いたら迎えに来る」と言っていながらこの10ヶ月義実家に預けていてその10ヶ月でTに逢いに来たのは何回あったのか!!私は鬼になった後日、義妹が義実家に来ると言うので私たち夫婦も行った。そこで私は義妹に言った。「Mちゃん、なんかおかしくないか?結婚するよりも始めにTちゃんとの生活を始めなきゃいけないんでないのかな?」とたしなめた。そしたら、義妹は「Tと2人で居るとなんで障害児なんだって責めて自殺したくなってしまうあの人は(付き合っている人)そう言う思いを受け止めてくれるから結婚してTと3人の生活から始めたい」と。一理あるとは思ったのだけど、「んじゃ今までTちゃんに逢いに来なかったのもそんな感じの理由なの?」義妹は「逢いに来ると帰りが辛いから」・・・とも言った。「母親のMちゃんが自殺したいとか辛いとか言ってたら子供のTちゃんはどうすればいいの?」そこで義母が口を挟んだ。義母に義妹は言った。「お母さんは、普通の子を産んだんだからいいよね」と私はカチン!と来たので言った「Mちゃんは、Tちゃんがちゃんと生きて産まれてくれて良かったね」と・・私は、分かった。義妹が10ヶ月の間Tに逢いに来なかったのは、休みが無かったからでも寂しいからでもなくその彼と行ったり来たりしていたからだと・・・しかし義妹は引いて先を見る人ではない・・・よって誰に何を言われても結婚したいらしい義母はむしろ、離婚した時から義妹に言っていた「Tが居てもいい、って言う人はやく見つけなさい。女1人で子供育てるの大変なんだから」となので反対では無かった。なので今回は、私たちになんのかんの言われ逆切れ(ーー;)「お母さんが結婚してもいいって言ったんでしょ!!」と義母がとばっちりを受けたまぁね(--〆)当然でしょう!!
2006.06.21
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姫の一件から、程なくして気づいた事がありました。仕事を辞めてから、Tちゃんの育児に専念したのかと思っていた義妹ですが。。。何のかんのと理由を付けては、義実家(義妹にすれば実家ですがね・・・)にお泊り。指折り数えれば1ヶ月の大半を義実家で過ごす有様。義実家は、海沿いに有る為、サーフィンをする義弟も何も言わず休み前には泊まりに・・・(--〆)義妹が住んでいる街の近くには、私達が一緒に成る前から行っていた「子授け寺」が有ります。姫を授かった「お礼参り」で行った時の事。主人が「妹に帰りに寄るからってメールしてたんだ」と言うので寄る事に。私の体が落ち着いた頃なので、義妹も仕事を辞めて2,3ヶ月は経って居たはず・・・部屋に通されて(@_@)ビックリ!!床には無数の綿ボコリ。。テーブルの上には物置か!?と思うほどの紙くずやら飲み終えた空き缶等。。。義妹は、歩けないTちゃんをいい事に椅子に座らせてその場を確保しているだけでした仕事を辞めてから、チャットを本格的に始めたようでダイニングテーブルの上にはパソコンのアイテムで一杯。。。流し台は、見るからに「それは夕べのでしょう?」と言わんばかりのお茶碗がやまずみに・・・トイレを借りた時に見たのは「早く洗ってくれよ!!」と言ってる(と思う)洗濯機からはみ出している洗濯物が・・・思わずTちゃんを避難させたくなりました\(゜ロ\)(/ロ゜)/・・・10分間しか居なかったのになんだかいろいろなものを見せてもらいました。その後義実家に行って、主人が義母に「何なんだ!?あのMの部屋は・・汚ねぇ部屋だった・・」と、言ったら義母はいいました「何言ってんの!あれでも、私が行って片付けで来たんです!!」ヾ(--;)ぉぃぉぃ・・・なんか違うくないか?「私が行かないともっと汚くしてるから、Tが可哀想だからね・・」(^o^)/~~~~~オーイ・・・だから違うんだって!!旦那さんも可哀想とか思うでしょう?普通の夫婦じゃないんです!!この夫婦。義弟も構わない人で、そんな2人に何のストレスが有るのかストレス発散と言い義弟はサーフィンに出掛け、義妹は夜、夜中までパソコンをしている。Tちゃんは、じじばば(義両親)の部屋で寝る。って、こんな夫婦&親って有り?・・・存在しちゃうのです残念ながら私の身近でね(~_~;)。
2006.06.16
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「姫」の火葬は、私の退院に、間に合わなかったので主人が、取り仕切ってくれた。私は病院で、従姉妹に付き添われて居た(後日知ったのですが主人が「十字架、今、不安定なので目を離さないで下さい」と頼まれたらしい)。。。火葬の前後に主人から連絡があり、私は手を合わせてその時を過ごした。。。姫が、病院から退院(そう言うのかな?)の時も、ひと悶着あったのだ。義実家では、前にも言ったように義妹の所に出払っていて誰も居ない。ここで覚えていてほしいのは姫は、義実家の孫という事。亡くなってるとは言え孫!主人は姫を義実家に連れて行く(当然ですよね?)ことにしていた。病院から義実家まで車で約50分。。私の実家までは30分と言うとこです。火葬ももちろん義家の火葬場です。それなのに、家に(義実家)誰も居ないから「十字架さんの実家に置いててもらって」と来たもんだ(--〆)(置いてて?って姫は物じゃない!?)義妹の所から帰りながら、私の所と実家に寄って、「姫と息子(主人)に乗せて貰って帰って来るから。姫も、十字架さんの、御家にお泊り出来ていいだろうから。」と私には、帰り足にする口実に聞こえました。私に主人は、言いました「気持ちの入っていない家で過ごすよりも、姫に線香つけてくれる所で過ごさせような・・」って。姫を私の実家に連れて行ってから夜遅く主人は、病室に戻って来ました(姫が居なくなってからずっと泊まってくれていたのです)「姫、十字架の実家に行って良かったよ。叔母さんや叔父さんが線香つけに来てくれたよ(●^o^●)」と報告してくれました次の日、義母と義妹とTちゃんが、病院に来ました今まで来れなかった理由を並べ、私は愛想笑いしながら(早く帰ってほしい~)と、思っていました。帰りしなに義母がいいました「良かった。十字架さんに泣かれたらどうしょうかと思ってた」なんで!?あんたに泣きつかなきゃならんのだ?(-_☆)私が泣くのは主人の前でだけじゃ!!!!!!・・・・後日、火葬にいったった訳です。7日に退院し、その足で義実家に向かった。父親も母親も納骨に出席してくれると言うので主人、たわし、との5人で向かった。義実家の仏壇に片手大、位のお骨があった。たわしが「母ちゃん?これ姫ちゃんだよ (。^_^。)あんあんしようね」と両手を合わした。2歳4ヶ月。今まで、じいさん、ばあさんと過ごして1番寂しい思いをさせたのに、私の退院の方が嬉しいらしく、いっぱいおしゃべりしてくれて片時も側を離れず。。。たわしのために、前を向かねば!!と思いました7月7日姫は納骨されて、天の川を渡った。。。。。もう少しで3度目の七夕が来ます。
2006.06.08
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私のお腹も、そろそろ7ヶ月に入る頃、またもや高血圧で入院した(T_T)血圧の数値が高い・・・だけ。目がチカチカとか足がむくむとか、妊婦特有の症状はなく・・・内心「自宅安静でもいいんじゃない?」と思う日々(~_~;)***義実家でも進展があってTちゃんが、3歳まで歩けないと一生歩けないと言われたみたいで義両親は義妹に仕事を辞めてTの面倒を見ろと言ったらしい、主人が義母に叱咤したみたい(^-^)で、渋々義妹はその年の6月で仕事を辞める事になった。私の方は入院生活1ヶ月目まだ8ヶ月と言うのに子宮口が2cmあいてしまった(T_T)以後点滴&トイレのみの歩行が私のテリトリーになった。毎朝、入院しているとMSTだかNSTとか言う機械をお腹につけて胎児の心音で状態を看る。6月28日am4時(辺り)お腹の中で「コツンコツン・・・」と?たわしよりお腹の中では、姫の方が元気だったので「おっ!!今日も朝から元気だね~」とまた私は眠った。。。am9時、お腹に機械をつける時間・・土曜日で看護士さんも少なく看護士1年生がきた。10分経過(×_×;)「すいませんm(__)m待っててください!!」心音を探せずベテランさんを呼びに・・・ベテランさんが機械付けにきた・・・・・・・10分経過、ナースコールで主任さんを呼んだ主任さんが機械を付けに来た・・やっぱり10分後「十字架さん?先生に付けてもらうから」と、処置室とやらに(~_~;)30分後位に先生から呼ばれた。ベットに横になり、先生はエコーを見入って5分位見てくれたでしょうか?重い口どりで言われた「・・・・・赤ちゃんね、心音がなくなってしまいました今から言う事分かりますか?」私「・・・」先生「・・・今から死亡確認をします。10時17分心音停止確認しました」その後の事は要所要所しか覚えていない。。。 部屋も個室に移されて、壊れてしまった何かを包まれる様に扱われた。主人が病院に呼ばれ、主人の顔を見た時、泣きながら誤った。結婚して3年付き合って4年・・主人の涙を初めて見た。。 先生に「いつまでもお腹に入れて置けないから、ちゃんと産んで供養してあげましょうね」と言われ7月1日に決まった。母親は「あんたの、体が大事なんだから、気をしっかりね!!」と激を飛ばしてくれた私に着いてた看護士さんは「この子はこの子!!気持ちが落ち着いたら、また新しい子が十字架さんの所に来るから!来てくれるから!!」と泣いてくれた。主人は私の側にいつもいてくれた。トイレの時以外(^-^)telも個室だからと言う事で婦長さんがokをくれた姫、出産日が決まった時、義実家と私の実家にtelしてくれた主人。義実家にtelした時、いつも穏やかな主人が激怒した義母が2日にならないか・・と言ったらしい何故?と聞いた主人・・理由「M(義妹の名)が、30日まで仕事(退職)で1日に帰れるから」との事。。。主人「ふざけんな!!あんたらの予定なんて聞いてないし、こんな時にそんな事言う奴いるのか!!」といった。その時点で、義両親は、病院に来ていない(精神的には楽でしたが)1日・・・その時は静かに来ました。破水、陣痛、を人口的に起こして、夕方私たちは「姫」と対面しました30週、姫は1740gになっていて眠っている様でした。へその緒が、ねじれていた「さいたい過捻転」姫の死亡理由です。動き回りすぎて戻れなくなった。。「ドジな所は私に似たんだね」(^_^;)と棺に入った娘に言った。。。
2006.06.05
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家のたわしが、6ヶ月を迎える頃、義妹は、出産しました。1900gの小さな女の子でした(^-^)隅々までの検査と体重管理の為退院したのは生後3ヶ月でした。義妹は順調だったので、5日後に退院。。産前1ヶ月産後3ヶ月計4ヶ月とは義母が義妹の所で過ごした日数です。姪の名を「Tちゃん」。。Tちゃんが退院するまで義妹は母乳を搾り持って行った。。と言うのが当然なのでしょうが、「Tは、吸う力が無いので管で飲ましているの、それに4月から仕事始めるから無理に母乳じゃなくてもいいでしょうって言われたし」って言った(×_×;)なんだか納得いかなかったのだが。。。義実家の人等に言わせると「そうなんだなぁ!」と納得している様子???(大丈夫か?お前ら... (゜O゜;))Tちゃんが退院して、、も、月1回は通院しなければならなかった。(水頭症の場合、お腹に居る時に針で水を抜くのですが、何らかの理由で、脳障害や脳に異常をきたしていると思われる場合、運動障害も必ず起き得る事なのだそうで、幾度の通院と入院をしいられます)にもかかわらず、Tちゃんは6ヶ月になる前に託児所に預けられた義弟が、義妹に仕事してほしかったらしい(~_~;)始めの2ヶ月は、きちんと育児していた義弟&義妹・・・崩れたのはTちゃんが風邪をひいたときでした。免疫もないTちゃんは、入院したのです。当然と言えば当然!!どうしても園に通っていれば、貰ってしまうものね。義妹はTちゃんに付き添い1週間の後退院したのですが退院の時に義母が行き(付き添った義妹が、疲れてると言う理由らしい)次の日、義妹は仕事に行って義母がTちゃんを3週間見てきた。そんなこんなで、またもや託児所に通って風邪ひいて。。でも入院までにはならず自宅で。そんなときも仕事は休まず義母が行く(義実家から義妹の家まで新幹線と在来線を使い3時間かかる)その辺りからTちゃんは、義母の子にでもなった様な扱いになる。1ヶ月の流れはこうだ・・・最低3週間は義妹の所に居る後の1週間は、自宅待機?ですが1年で見ると、義父が休暇で3ヶ月に1度20日間くらい居る。その時にTちゃんを義実家に連れて置いていく。前後5日(義父の休暇5日前に連れて来て、義父が仕事に行った5日後位に迎えに来る)ので、結局1ヶ月は義実家に居る。その1ヶ月、義弟も義妹も義実家に来ない(ーー;)それが1年で3回(3ヶ月)。。。そんな生活が1年をきった頃義母が言いました。「じいちゃん(義父)が仕事引退したらTを義実家に連れて行くから」義父はその年定年で仕事を終えた。。。義父の隠居と共に、義実家はTちゃんの家になった。Tちゃん2歳の年。その頃、家のたわしは2歳6ヶ月・・私は「姫」を身ごもっていた♪ d(⌒o⌒)b♪まだ、妊娠5週と小さい芽でしたが「姫」の報告も兼ね義実家にお泊りに行った。次の日は義父の実家でお祭りがあると言うので皆で出掛けました。。。義父実家でご馳走になって居る時、実家のおじさんが(義父の義兄)言いました「義父ちゃんの所はにぎやかでいいねぇ~」義父「んだでば(訳:そうだね}」「義父ちゃんも義母さんも孫、可愛いっしょ(訳:かわいいでしょ?)」義母「かわいいねぇ(^-^)んでも、娘の子の方が可愛いねぇo(^o^)o」・・・・(は?今なんと?)(私の聞き間違い?)・・・・・・・主人を見ても義父を見ても、もちろん義母を見ても、何事も無く笑顔で話していた。聞き間違い?!などではないおじさんが「そりゃそうだよ。娘の子の方が可愛いに決まってるよ」と言ったからだ。美味しそうに、ご馳走をほうばるたわしを、見ていて何だか抱きしめたくなった(T_T)
2006.06.01
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入院は、しているものの、お腹のこ(後のたわし)も順調で病室の人達ともメルアドを交換する位になっていた。その頃、まだ母親も健在だったので里帰り出産。。。ですが、私のおっかあは、シビアな人でした「嫁に行ったんだから向こうの(主人のです)親を頼りなさい」主人の不平不満を言うもんなら「自分で決めた相手でしょう!!」と叱咤されます。妊娠して「里帰りで産みたい」とおっかあに、telで話したら「向こうのお義母さんに了解は取ったの?」と言われたので、今で言う「逆ギレ(ーー;)」て、「いいよ!もう!」とtelを置いた。その月の検診前夜不正出血があり、おっかあは、あの通りだし、主人は休めないからと。1人泣きながら病院に行った。。。「切迫早産」「自宅安静」。。。その時初めておっかあが駆けつけてくれた。(ToT)居てくれた3日間で話した事。「義母に出産の時お願いしたい」と言ったら「十字架さんはお母さんの方がいいよね」と言われたので実家の母がこう言ってますからと言ったら「今時、了解も何も無いから(^o^)」と言われたこと・・・けどそれは私へのたてまえで、義母は義妹の試験と出産の事に掛かりきりなのだ・・・と話した。おっかあに叱られた(×_×;)「事情知らないもの!?早く話してくれたらよかたっちゃ!」。。。その4ヵ月後、私は実家に里帰りした。(^_-)-☆なんのかんのと有りましたが事が決まると尽くしてくれるのも「おっかあ」です。(^^;)。。。正基週になって医師の方から「来週あたり産みましょう!!」と言われた。その日の午後に義実家に連絡をした。「病院に居るから安心ね」と言っていた義母は初めて次の日私の所に来た。「出産の日は、お母さんも息子(主人)も居るから私は退院の時に来るから」(それで結構!つぅか退院の日もいらない!)「退院の時のお金は、有るの?家でも貸してあげたいんだけど娘(義妹)に使うようだし・・」(有るよ!!普通用意するでしょう?無くてもあんたには借りないし(-_☆))と、私の心の声など届くはずもなく話すだけ話し帰っていった。同じ頃、義妹は国家試験に挑み、見事合格した。義母の鼻が一段と高くなったことは言うまでも無い・・・・・義妹の旦那、義弟とも言う?義弟の考えは自分の実家近くに総合病院が出来、そこに義妹を働かせたいと考えていたようで試験前に義妹は面接に行っていた。そっちの方も決まって合格と同時に就職した。。。ここで思い出してほしい。お腹の子は障害を余儀なくされている。検診も一般の様なのもではなく1日がかり・・仕事???そんな状況で仕事?仕事も馬鹿にしてるし出産も馬鹿にしてると思った。看護師だが助産師の資格は無いので、私達と変わりは無い。あの自信はどこから来るのか?程なく私は「たわし」と親子になった♪ d(⌒o⌒)b♪退院の日義母は予告通り来た(ーー;)・・・母に挨拶し、ずっと、廊下でたわしを抱いて、同じ日に退院する人の母と話をしていた。病室で私とその人は身支度を整えていた・・その時!?廊下の義母の声が・・・・「この子は誰に似たんだか、顔が整っているんだよね~」「手、足の指も長くてね~」等等おいおいいい加減その辺で・・・と言いたくなる程の事をほめちぎっていた。そちらの母も負けてはいないのだが``r(^^;)病室では私とその人と「ごめんねm(__)m」と言い合っていた**・・・・その後2週間後に私は実家から引き上げた。1ヶ月後に転勤が決まって居たので。。。転勤・引越し・お宮参り・と慌しく過ごしたけどgwには落ち着き、義実家に泊まりに行った。休暇で義父(初登場!)もいたので、たわしとは初対面。。。それなりにあやしてくれて、初対面にしては上々(^o^)と思ったのです。。次の日、お昼頃たわしに、母乳を挙げる為、別室に行こうとした時、耳を疑いました。その時主人はタバコを吸いに表に出ていて義母は台所に居ました。茶の間には、私と義父だけです!!なので移動しようとしたのに・・・「恥ずかしがってたら子なんて育てられんだろう!!」・・・そうです。別室で母乳をあげようとすることに対して言われました( -.-)-=≡≡≡卍卍(ここであげろと?じじいの前でオッパイ出せと?)・・・たわしは、お腹が空いて泣くので歯を食いしばりそこでオッパイをあげた。(義父さん、この事一生忘れませんから(--〆))と、心で叫び続けた・・・。**其の四ではいよいよ、義妹が出産です。**
2006.05.26
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いやいや``r(^^;)まいったまいった。。。この私が熱?いつも主人&子等に「風邪ひくからちゃんと着なさいよ!」と喚きちらしていた・・・喚く前にまず自分の管理?と言うこと知った(^_-)-☆其の弐ハジマリハジマリ・・・今、思うと笑顔で義実家の人達と接したのは初めの4ヶ月間では、なかろうか?もうそろそろ私のお腹も7ヶ月に成なろうかと言う頃、主人を通してお義母さんからtelがありました(その時から家電があるにも関らず主人の携帯にしか連絡しない。。。)ベビーベットと布団を買ってあげるから来なさいとのこと。主人の休みに行きました義妹も休みだと言って居た。取り留めの無い話しをして・・・その話しは、義妹と彼氏の話しに。当時義妹は21歳、年明けには国家試験(看護士の資格)があり彼氏は1年前に看護士になっていた。。。主人と義母と義妹の会話。。。主人「資格取ったらお前ら結婚すんの?」義妹「しない!遊ぶよぉ~」義母「yさん(彼氏の名前)は、結婚したいんだと思うんだけどね私が断っているの!」私の心ン中(ん?お義母さんが断ってんのかい!?)主人「なんで?」義母「折角資格取ってから(おいおい (^^;まだ試験してねぇべ)結婚します。子供作りますって!!ちゃんと2人で生活出来ていけるんならいいけどねぇ今のm(義妹の名)だったら、私が行く羽目に成るから」(確かに・・・)義妹&主人は、なるほど・・と言う顔で義母の話しを聞いていた。・・・夕飯がてら、近くのホームセンターがリニューアルオープンとかでオムツが安いので出掛けよう、と言う事になりまして。。。いざ行って見たら人込みが凄くて私は車に居るから。と主人に言い義母も込んで居るから車に居ると・・主人と義妹とで買い物に行ってもらいました。車中では義母が気を使ってか、いつにも輪をかけてしゃべりまくり(×_×;)主人と義妹が店に入る姿を見ながら「昔からあの2人は仲がよくて兄妹に見られた事ないんだよねぇ~」としみじみ言った(はぁ?じゃあ何に見られていたんですか?)・・そう言えば、理想は{兄の様な性格の人かな}と以前義妹に言われた事がある。明け透けなく、話すのは若いから?と聞き流していた。車に乗る時も、気を使って義母に「助手席、いいですよ」と私は当時言っていた義父が休暇で居る時は義父に言うのですが・・・「はいはい」と座る義母と「お前が隣でいいんだ」と言ってくれない主人に何だか空しさを感じたものだった(T_T)そして。。車で2時間程の所に大きな街があって主人と私と義妹と3人で出掛けた時も義妹に「前に乗る?」と軽薄に聞いたその時も主人は何も言ってくれず義妹は「じゃあ前に・・」と言って乗った。行き来の4時間は、2人のデートにでも付き合った友人かと自分で思ったもんだった。・・・話しを戻そうm(__)m・・・ホームセンターの次に義母の買い物に行きそこでは主人と義母が車を降りた。車中には私と義妹・・・義妹が話しかけてきた。「ねぇ?十字架さん?(10歳も下の義妹に未だにお姉さんと呼ばれない・・・)妊娠した時どんな感じになったの?」私はあ~だこ~だと妊娠当初を教えた?????その後で「え?なんで?」と聞いた・・・義妹「お母さんには言わないでね、もしかしたら妊娠してるかもしれない(@_@;)」私「言わないけど、何で?遊ぶって言ってたじゃん?」義妹「私は結婚もまだいいし、と思ってんだけどyちゃんが兄達も作ったから欲しいってさ」・・・阿保か・・・その2週間後、義妹が妊娠5ヶ月だと義母から、まっ!主人の携帯にですが連絡がありましたので、主人に車の中での話しをしました。。。主人も一言「あほか (▼、▼X)」と怒っていたしかも5ヶ月、大切な妊娠初期に病院にも行かず過ごしていた義妹の神経を疑う。ばれたのも、産婦人科に行ってではない、盲腸で病院に行ったそうな_(++)/。。。。。お見舞いに行った時に言っていた。~時は2ヶ月後私のお腹は9ヶ月に入ろうとしてた時に中毒症で入院した。義妹のお腹も7ヶ月になって居た。義妹は検診で「水頭症の疑いがある」と言われ大学病院に紹介された。結果、障害の後遺症は絶対のものとなり義妹夫婦と義母とでお腹の子をどうするか、話し合った。義妹夫婦は「授かった命だから産んで育てる」と言い義母は「じゃあ協力するから」と産む方向に決まった。。。其の参に続く・・・
2006.05.23
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今日は、何時もならお休みの主人君、休日出勤があり居りません。淋しい反面パソコンに座れるので嬉しかったりもします♪ d(⌒o⌒)b♪私がパソコンを始めてから、我が家のパソコンは、毎日フル稼働!!1台しかないので主人のお休みの日と毎日の18時以降は主人の時間。。と私が勝手に決めた・・・ここまでは前置?(長い?)私が気づいた時には、既にそこの嫁に成っていた(T_T)主人との結婚を決めてから入籍前に子作りを始めた。。出婚を狙った訳じゃない。子供が出来ない私なら主人と別れようと。。。これも勝手に私が決めていたずっとずっと後になってから、そう決めていた事を主人に話したら「子供が居たら楽しいし得るものもある、でも夫婦2人でもそれは同じだと思うもしも俺達に子供が居なくてもお前と結婚してました(^0_0^)」と言われた。ふぶの出現と共に長男たわしを授かって妊娠6ヶ月の時夫婦になったさてさて、主人には妹が1人居ます。私らが結婚した当時は、看護学生でした。付き合って4年の彼と、そこらに居る若者でした。私には兄貴が1人居てます、5歳離れてるのであまり会話らしいのは無い為か昔から「姉」とか「妹」が欲しくて憧れて居ました。なので、主人に妹が居てイコール私の義妹になるって♪ d(⌒o⌒)b♪うれしく思ったものでした当時は何度となく何かに付けて義実家にお泊りに行ってました。。それが義実家の人々の正体を見る結果に成る事に・・・・其の弐につづく・・・・
2006.05.20
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ここ最近この町も、ようやく「春」らしくなってきた♪ d(⌒o⌒)b♪お布団干せて毎日**ほっかほっかのお布団で眠るしあわせ(むふっ)・・・しかし、我が家にはフテブテしい猫が居るこいつが曲者で、干したての布団に「のたぁぁぁ~」と寝そべってしまう(~_~;)扉を閉めても、自分で開けるので意味が無く。。。寝こみを襲うとかじってくる肌を露出している所目掛けてかじってくるので始末におえない_(++)/6年前に、以前住んで居た街で猫(ここでは・ふぶ・と名乗ります=ふてぶてしい猫の略)と、出逢いました(^-^)当時のふぶは、体重12・5キロ。。。スーパーのダンボール置き場に住んで居たその時の私は主人と同棲していて(私が主人のアパートに転がり込みましたV(^0^)マネキンの仕事(食品売り場で試食させてるおばちゃんとかお姉さん)で、ふぶの住むスーパーに行った。体つきに似合わず「にゃ~あ」と、かん高い声で、足にすりすり (((((*^o^*)♪してきた店長が「誰か貰ってくれる人探してんだよね~」と言ってきた。主人にメールした。。。3分後電話が鳴った_(++)/ 主人「どうしたの?私「猫がね・・居るの」主人「飼いたいの?」私「猫がね、家に来たいって言うのよ」主人「ふぅ~ん」・・・・・「んじゃ飼いますか!?」私「迎えにきてね!」その日から、2人と1匹の生活が始まった。どうやらふぶは、福猫だった様で家に来てから3ヶ月後に私は妊娠した。同棲して10ヶ月、欲しくて欲しくて頑張った``r(^^;)のに出来なくていたのにふぶの出現で、急に出来た(その子が、長男:たわしです)それからも、小さい事だけど我が家の*いいこと*がおきて。。。その7年後(現在です)今では、その力も衰えた様で、隠居してますv(=∩_∩=)・・・・果たしてふぶは今、何歳なんだろう?あっ!今はダイエット食で8キロ強になってました。
2006.05.18
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同居を考えなかった訳じゃない。。。主人との結婚が決まった時に「長男の嫁」と言う肩書きも付いたから。何年かの後、同居になるよりも初めから同居してたら諦めもつくかと(もちろんお互いにね)結婚前に提案した「同居しませんか?」(>_
2006.05.17
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実は私、小学からプロレスが好きで、結婚前は良く観戦に出掛けていた。。年がバレバレ``r(^^;)かも。主人と付き合ってからは。もちろん!主人の方をこの上なく愛してるのでプロレスは「良い思い出化」してたりする d(⌒o⌒)b・・・・昨日のテレビで「えっ!」って出来事があった。ジャガー横田と言う女子プロレスラーをご存知かな?現在44歳!?初ご懐妊(おめでとう*)した。。ご懐妊といえば??昨年の暮に街で友達と偶然逢った。何だか気持ちふっくらしていたのですが、まっ。。そこにはふれず、取り留めの無い話しをして別れました後日、その友人は5ヶ月目に入ったと別の友人からメールが入った(◎o◎)驚き!!だってだって5人目ですから。。。本心うらやましかったりする``r(^^;)「貧乏人の子沢山」って誰が言ったんだ?家は貧乏なのに・・・2001年に長男を授かった少しだけ保育器にお世話になったけど、喘息も軽い物だし、最近では生意気にもこの私に立ち向かってくる!けど、母は強しだかんね(^-^)2003年30週、お腹ん中に居た我が家の「姫」は、この世の何を恐れたのか天使になった。。。2005年母の亡くなった日に次男の妊娠が分かった。。「長男1人じゃかわいそうなんだよ」といつも言っていた。。次男は母から私たちへの贈り物?子供は5人欲しかった(^o^)けど、夢で終わる。二回切開したので、あと一度。。。今月も月のものが来ちゃった( -_;)( ;_;)( ;_;)(>0<)
2006.05.15
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主人の転勤と、父親との同居の為に実家を引き払って来たのですが、お墓は実家の方に在るので、100キロ強の道程を主人と息子2人に付き合ってもらい、今日はお墓まいりに行って来た(母の日だったので(^-^))***前に行ったのは3月で半端じゃない程の雪をかき分けての春彼岸だったなぁ・・・と車の中でふと思っていた。。。雪の無いお墓は、なんだか日向ぼっこしている「年寄り?」にみえた♪ d(⌒o⌒)b♪「おっかあ!母の日おめでとう!」母親の好きだったコーヒーとカーネーションを供えた。。。何だかとても、おっかあに、逢いたくなって泣けた(T-T)
2006.05.14
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去年の1月に実母が突然亡くなりました。残ったのは半身不随の実父(++)・・・まぁね実の父だから看なきゃいけないのは解っていたことだけど・・・実はこの世の中で私、昔から父親が嫌いなわけなのです++母親が亡くなって「1人でやっていける!」と凄んだ父親は2ヵ月後に入院した。親戚やら主治医やらご近所さんやらに「娘が見ないとね。。」と暖かい(?)言葉を戴いた。他家へとと嫁いでた私ですが、転勤族の手前主人の家に入らずにいたのもあって、主人の理解の下、世の中いち嫌いな父親と同居にいたった訳です。。1年たった今も話す事などなく聞く事などは長男(5歳)が伝言役(-_*)\主人が休みの日は主人が伝言役・・たぶんこのままのスタイル一生です (^^;;
2006.05.11
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