チョギ マリャ ネガ イッチャナ

チョギ マリャ ネガ イッチャナ

2006.08.01
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カテゴリ: ニュース・時事
韓流関係のことを書くつもりでいたが、やはり一言書いておきたい。

齢7歳にして天に召された小学生には、何の過失もない。事故は100%周りの大人達の責任である。ところが一連の報道に接すると、胡散臭さを禁じ得ない。最大の責任はふじみ野市当局にあると思われるが、最前線の監視員は高校生アルバイトである。彼らへのインタビューでは事故防止マニュアルはあったのかなかったのかムニャムニャムニャ。そりゃ当然だろう。柵を固定せずに針金で留めておくような場当たり管理だもの。加えてプールの管理は業者委託、その受託業者も下請け業者へ丸投げ、高校生アルバイトはここに雇われているのだとか。役所仕事によくある「業者委託の連鎖→責任の分散→責任逃れ」という構図そのものだ。完全民営化すべきことをやっていないからこんなことになる。裁判になったら責任のなすり合いが間違いなく起こるだろう。犠牲者が浮かばれないし、家族のやり切れない思いは、むしろこれから痛みを増す。本当に気の毒に思う。

しかしマスコミの論調もどうかと思う。事の性質上、インタビュー対象が子供達や高校生になってしまうことと無関係ではないのだろうが、誘導尋問?と思わせるインタビューが目立つ。ふじみ野市の管理がずさんだったのは事実だろう。しかしそればかりを強調して、他の側面をおろそかにしていないか?例えばプールの設計段階で過失はなかったか?(民営プールはボルトで留めていたそうだが、壁面にチェーンなどで固定する方策は本当に検討に値しないのか)よしんばボルト固定で構造上は十分であったとして、施工の手抜かりは本当になかったのか?もっと根本的に、市営のプールというものが本当に必要なのか?等々。掘り下げ方が一面的に見える分、マスコミの論調にもおいそれとは与し得ない。未成年への誘導尋問?を無批判に受け入れるほど、一般市民はマスコミに寛容ではないことを知るべきである。

子は国の宝と言われる。少子化の現在、子供達を粗末に扱うことによる損失がいかに莫大なものであるか、もはや論じるまでもない。そうならないために最善を尽くすのは、周囲の大人達に課せられた義務であり使命である。合掌。





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最終更新日  2006.08.01 23:14:07
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