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はじめに
私は常日頃、自分自身の幸せを追いつつ、「日本の為に、誰かの為に、未来の子供の為に、役に立ちたい!」と思っています。それは私自身に子供が居ない事が大きく関わっているかもしれません。
1968年生まれの私の年代は、第二次ベビーブームの世代で、同年代人口が多く、競争の意識も強い年代でした。ちょうど会社に入社する頃に男女雇用均等法が出来、その恩恵に与った代わりに、会社に人生を捧げ、結婚出来なかったり子供が産めなかったりした人が多い世代であり、少子化に拍車をかけた世代であります。ある程度の社会的地位や経済的余裕が出て来た頃に、自分の人生を思い返し我に返って、産んでおけば良かったと反省したところで間に合わず、埋める事の出来ない損失が有る事に気付かされているのが現状。それだったらば、自分の子供に還元出来ない分、日本の為に、誰かの為に、未来の子供の為に、役に立ちたい!と思いのです。働き盛りの一番良い年齢となった今やらずに、いつやるの!?と自分に喝を入れつつ、一人でも出来る事を考えています。
そこで、節電についての参考にして頂ければという思いで、体験レポートを書いてみましたので、お目汚しかと思いますが、送らせて頂きます。
関東南部(鎌倉)での停電体験
東日本大震災
いつまで停電するかの予測も立たなかったので、まずは室内だが外出用のコートを着た。ポットに保温されていたお湯に味噌を溶き、温かいうちに飲んでおいた。残りのお湯にはお茶の葉を入れて、保温性の高い水筒に入れておいた。そして夕飯は、手元が明るい時間帯の16時頃、冷たい残り御飯をお茶漬けにして食べた。
それから1週間だったか、 計画停電 を体験した。計画停電とはいえ、何も計画出来ない停電だった。というのも、2時間の停電タイムが、毎日違う時間帯にやって来たので、朝・昼・晩御飯を毎日違う時間帯に食べ、仕事も途切れ途切れだったのである。そして酷い事に、1日の間に2度停電する地域も有れば、停電が中止になる地域も有った。危機管理マニュアルなどない中で急にやった事だったのだろうから、地域による不公平はしょうがないという思いも有ったが、病人の酸素吸入器などに電気が回らなかったら、死者も出るのではないかという心配をした。
数日間ではあったが、この体験で、「電気に頼らない生活をしよう!」という目標を持った。そしてそれからは、節電を心がけ、真夏も真冬も、冷暖房に頼らない生活をしている。今思えば、不便を体験し、考えた事こそが財産だと思う。そこで、私がやった事も参考にして頂けると良いかもしれない。
=============つづく
マロン様がいなくなってから、もう2ヶ月・・・。
何だかんだ、自己主張の多い猫だったせいか、居ないと静かで寂しいです・・・。