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「水滸伝」 北方謙三(集英社文庫 全19巻)おもしろい~全19巻ですが、まだ10巻までしか読んでいません。私は長い小説が好きなのですが、それはどっぷり物語の世界に長時間漬かれるからで、物語世界が面白ければ面白いほど、終わるのがイヤで、もたもた読んでしまう。。というヘンな癖があります。北方水滸伝に出会ったのは、かれこれ3年前。。くらいだとおもうのですが、まだ10巻。。まだ、まだまだメインの漢(おとこ)たちは生きております…。この小説はすでに多くの人に愛されて、あえて私がここで語るまでもないだろう、と思うのですが、とりあえず本日はMy萌えキャラについて語ってみたいと思います。水滸伝。。百八人の豪傑たち…ということで、かっこいいだろ!かっこいいだろ!ああ、ああ、かっこいいよ!という感じのいい漢たちが、敵も味方もがさがさ出てくるのですが、私がはまって愛してやまないのは、呉用様…!です。元私塾の先生で、梁山泊の軍師。物語のはじめから、梁山泊の首領となる晁蓋と行動を共にしています。このおじさん(失礼。。)、なみいる豪傑たちの中でも相当地味です。(39歳、160cm、55kg:公式HPより)梁山泊を中心とした反乱軍が大きくなって、組織化されている中で、組織や内部法規なども整備していった人。つまり、バリバリの実務者なのです。今の時代、剣や槍を使って戦う人はいませんが、呉用のようなたたかい方をしている人はたくさんいると思います。縁の下の力持ち。しかも組織を組織として機能させるために、憎まれ役も辞さない。。そんな呉用の“実務者らしい”かっこよさ、しびれます。正直、こういう人が目の前に現れても惚れないとは思いますが(聞いてない…?)、でも自分こそこういう実務者になりたいなあ。実際、憎まれるは、嗤いものにされるは、超過労だわ。。挙句の果てには…で、いいことありません。もてている風でも全然なく、哀れをさそいます。でも、そこが、また、いいんだよな~他にも、マッドドクター安道全とその心の友 白日鼠、鍛冶屋の湯隆、文字屋のしょう譲、などなど…。わけあって市井から反乱軍へ身を投じた/流されてきた職人たち。かっこいいです。。ゆっくり読んで、ゆっくりもえ味わいたいです~。公式HP → ☆
2009年06月30日
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2008年5月28日。最初の掘削対象村落で、掘削完了。地下水にあたりました。またしても普通の人が見ても楽しくもなんともない写真ですが、初めて水が出たときは嬉しかったなあ。まあ、それを目的にしているので、出なかったら困るのだけれど。地盤がゆるい土地で掘るときは苦労しましたが、帯水層にあたるのは比較的早かったようです。5日間くらい掘って、101mくらいの深度でした。出るとなったらぼわっと出ます。そして当たり前ですが、いっぺん出始めたら、止まりません。(しばらく出水した後に蓋をしますが)水が周りの土地にだらだらと流れ出して、広がっていって、慌てる村人(とスタッフ一同)。だから排水溝を掘っておいてと言ったのに~おもむろに鍬を持ち出して、道路を掘り出してしまいました。道路の向こう側の水路に排水するため。まあ、それしかないと思うけど。でもいいのか!?村長さん自らも鍬を持って手伝います。これで簡易排水溝もできて、一安心…。村長さん曰く、「本当にうちの村に水が出るなんて、夢のよう…」とのこと。まだ夢心地のようすでした。そうか~ どうもこの村の反応はいまいちと思っていたら、あんまり現実感がなかったんだろうなあ。。この後はタンク、タワー、蛇口と洗い場のある給水施設の建設を村のワーカーさんを組織して行います。(2008年5月)
2009年06月29日
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私は子供がいないので、子育てのことを云々するのは、いかにも僭越だよな~と思ってこれまで書いてこなかったのですが、辺境だし、自分のブログだし、ま、いっか♪ と思い直して思ったことなど書いて置きます。ミャンマー、シンガポール、カンボジア、インドネシア…とアジア暮らしも9年になり、その間他のアジアン諸国を旅行したりして、これは奇異なり、と思った光景の一つが、「おっかけごはん」です。レストランなどで両親や大人たちはテーブルでランチやディナーを楽しんでおり、その子供(たち)はテーブル周辺をはじめレストラン内を走り回って遊んでおり、しかもそれをメイドさんがおわんとスプーンを持って追いかけて、遊んでいる最中の子供の口に食べ物を運んで食べさせるという、心ある日本のお母さん(お父さん)なら、卒倒しそうな光景です。しかもその間、両親たちは、ときどき遊んでいる子供たちに遠くに行かないように声をかけたりして、安全には気を配るものの、食べさせ方は全然気にかかっていないよう。ちゃんと自分たちの食事を楽しんでいます。これはインドネシア、タイ、マレーシア、スリランカなどで観察しました。それなりのレストランに来る経済的な余裕のある、割と裕福な家庭に見られる行動様式なよう。しかしシンガポールの夫の姪甥たちも、外のレストランでは見たことがありませんが、家の中では、食事中にテーブルにつかずとも、テレビをみながら、メイドさんが「おっかけごはん」(おしこめごはん?)をされている図をみたことがあります。これって普通!?いや~これが日本でも普通になってたら、逆カルチャーショックがでかい。。一方、カンボジアでお知り合いになった日本人のお母さんたちの子供たちは、年齢もある程度大きくなっていたのですが、きちんとテーブルについて食事を採ることができ、さらに適宜お母さんの注意や躾のお言葉が飛んでいました。さすが日本のお母さんだな~と思った次第。さらに一方、友達のフィリピン人の子供たちは、食事時にテーブルについているのが稀(笑)。常に元気一杯跳ね回っており、食事時には、メイドさんもおいかけっこが大変そう。。はじめはテーブルについているのですが、途中で食事への集中力を失っているよう。9年来これに類似した行動様式を見てきたのですが、最初の拒否反応を過ぎ去ると、いろいろ考えてしまいます。まずこれは自分(親たち)の時間を大事にするか、子供への躾を大事にするか、という価値観の差であり、さらに「まわりの目」という存在の有無と、有ったとしてもそれを大人(親たち)が気にするのかというセンスの差であり、またさらに子供の「動物性」をどこまで許すのか、という大人たち/社会の価値観の差なのかなあ…と思う。「おっかけごはん」が子供の今後の成長に与える影響と、また、もしも自分に子供ができたら「おっかけごはん」をするのか、しないのか?(する羽目になるのか?)ということも気になります。元同僚の看護師さんは幼少時にタイで暮らしていたらしく、「わたしもそうやって食べさせられてたかも~」との証言でした。「おっかけごはん」が全ての子供に悪影響を及ぼすと考えるのは早計でしょう。人はごはんのみで大きくなるに非ず。。しかし、むしろそこまで自由奔放に好き勝手~に食事さえもないがしろにするほど騒いで、遊んでいる子供たちを見ると、それはそれで潔い。。というか、ここまで「動物性」を全開にできる時代もないだろうから、まあ、いいのか…な?という気になってきます。きちんと子供をしつけるために、自分の時間や自分の楽しみを犠牲にしているお母さんは立派だし、きちんとしつけをすれば、子供のためには一番いい。だけどもやっぱりいっつも気を張る続けているのもいかがなものか。たとえば、レストランに入って、こちらのテーブルでは「おっかけごはん」、あちらのテーブルでは日本人ママががんばって子供を注意したりしているのを見ると、10年、20年後の両子供たちの追跡調査がしてみたくなります。。日本は島国なので、日本の中でだけ育って生きていれば気にすることではありませんが、こういう風に暮らしていると、子育てや躾の価値観もグローバライゼーションの波にさらされているよなあ。。と感じることもしばしば。私は子供がいないから、こんなことを考えるのは無意味なんだけれど、でももしもいたら、結局楽なほうに流れそう…。
2009年06月26日
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「宮尾本 平家物語」 宮尾登美子著全4巻現在上2巻、青龍之巻、白虎之巻まで読了。前回日本に帰った時に、母が嵌っていて、読後の2巻をもらった。目が痛いとか、肩が痛いとか言って、苦しみながら読んでいた母をたしなめてもいたものが、今、目も肩も背中もエライことになりながら痛読中。平家物語ってこういう話だったのか~宮尾登美子ってやっぱりすごい。。という感想。平家物語といえば、中学、高校の古典でさわりを学ぶし、吉川英治の「新・平家物語」もパラ読みしたことはあるのだが、若いときは合戦シーンばかり好んで読んでいて、宮尾本上2巻を占める前半の平安末期のけだる~~~~い退廃的雰囲気が、なかなかに新鮮。女性的といったら語弊があって、多分にして「女性誌」的。「~~法皇と~~~女御って×××なんだって!」「ええ~うそ~~!」みたいな。結構笑える。2巻「御代替り」という章に、高倉上皇が腎虚という、房事過多のために体が衰弱する病にかかる、という件がある。これは、現代だったら児童ポルノ法でお縄は必死な色好みの乳母というのに、幼いころから手を出されてしまった挙句のこと。こういう病気があるのか! と思ってびっくりした。万世一系も楽じゃないよな~ と思った。こんな恥ずかしいことが、1000年近くも脈々と語り継がれているのって、どうよ? という気もする。貴族たちの使う言葉は、現代風に分かりやすく書かれているとはいえ、やっぱりとても典雅で惹かれる。同じく2巻「冷泉殿の告白」に、「~~さま?冷泉お目もじ仕りましたかしら?」という台詞があるのだが、今この言葉が自己的流行。お目もじ仕りましたかしら?うわ~すてき~~と思って、ぜひぜひ自分でも使ってみたいと思っているのだが、いや~ないだろうなあ、お目もじも仕りも。生涯の中で一番本を読んだ。という記憶があるのが、中学生のころで、これは冊数ではなくて、あの頃はどんなものでもなんでも読んでみた。名作といわれるものを、とにかく家にあるものから初めてなんでも読んだ。ところが高校生くらいになると、今度は自分の趣味や好悪がはっきりしてきて、中学生のときよりは難しいものは読めるようになったといえども、選んで読むようになってしまった。それが大学から社会人になってからもしばらく続くのだが、宮尾登美子の作品なども、私にとっては「読めない」類の小説だった。それが30代も後半になって、自分の好みが弱くなってきたというか、心が広くなってきたというか、また少し読める体勢が整ってきたように感じる。とはいえ、手をだせていない作品もたくさんあるのだが。宮尾登美子の作品が「読める」ようになったというのは、私にとっては、自分もちゃんと年が取れているという気分にさせられる出来事でもあったのだ。お母さん、次の2巻を早く送ってね。
2009年06月25日
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2008年5月最初の対象村で深井戸の掘削が始まりました。深井戸といっても大体100mくらいの深度です。ミャンマーで掘ったときは深いときでは900m近い井戸もありましたので、これはTube Wellではなくて、Boreholeと言われる類の井戸です。一昨日の日記→☆のような状況を(一応)改善するために、深井戸による飲料水の向上と、浅井戸の改善による生活用水の確保というのが事業の目的となりました。他にも衛生観念の植え付け的な活動もあり、これは今も現地では進行中で、なかなか面白いことをしているようなのです。が、その結果と効果や如何。まず掘削地点の横にこうして穴を掘ります。強制労働ではありません、念のため。それでもって、この巨大なバケツを穴に入れます。掘削時に使う水と泥水を循環させるシステムです。この村は地盤がゆるい、というか土自体がとても水に溶けやすくて、掘ったら土は雨などに解けてどんどん流れていってしまう。元沼沢地みたいな感じ。掘削のカウンターパート所有の掘削機(リグ)が届きました。隣にいるおじさんは誰だろう?ドリラーかな?ただの村人?やるきなさ気~に様子をうかがうお母さんと子供たち。やっぱり最初の村の村人たちは、半信半疑、おっかなびっくり。といったところ。こういう写真って他の人が見ても別に楽しくなんだろうな~と思うのですが、私はリグとか巨大バケツとか見ると、どきどきしちゃってたまりません。重機とか見ると、もううれしくてうれしくて。。(嘘です、でもちょっとホントかも。。)
2009年06月24日
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「沈黙-Silence」篠田正浩 監督 (1971年)またまた古い映画です。(私の生まれた年!)↓がamazonで入手可能な日本バージョン。↓がEUREKAで発売されているインターナショナルバージョン。きれいでした。いろいろ特典つき。遠藤周作の名作の映画化。原作のある映画というのには、常に賛否両論ありますが、日本の文化、歴史、背景を日本人ほどには知らない外国人にとっては、映画というのは手っ取り早く作品や物語の確信に迫り味わえる、便利なツールだと思います。まあ、ある程度映画の質が高くないとそれも望めませんが。中学生くらいの時に読みましたが、途中で怖くなって完読できず。以来、結局読みそびれていました。なのでこの映画で初めて作品に触れたことになります。映画という「絵」だと情景は簡単に理解できますが、「文」の方が簡単に理解できるしぐさの意味だとか、心の内の描写なんかがあるものです。そのあたりをうろ覚えながら対比するのも面白かった。夫はいちおうクリスチャンなもので、鑑賞後けっこうショックを受けていたようでした。だから言ったのに、暗いよ~って。でもこのクライマックスは、やっぱりすごいと思った。中学生の時に読んでも、私には分からなかったかもしれないから、やっぱり今、こうして触れることができてよかった。むしろ世界の原理主義者の人たちに観てもらいたい~と、おもったのかどうなのか、「Silence」は現在、マーティン・スコセッシー監督の新プロジェクトとして進行中。ニュージーランドで撮影が始まる(?)そうです。日本じゃもう、開発されすぎていて撮れないのだそう。残念。。俳優として名前の挙がっているのが、ベニシオ・デル・トロ、ガエル・ガルシア・ベルナル、もしかしたらダニエル・ディ・ルイス。スコセッシーは「最後の誘惑」でもChiristianityを扱った作品を作っています。楽しみ。
2009年06月23日
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2007年5月頃から調査をはじめ、実際に事業が動き出したのが、1年後の2008年4月~5月のことでした。事業の形が決まってきたのが、たしか2007年の12月頃。その後は契約書、合意書、MoUなどの準備期間でした。この事業が実際に動き始める準備の時期と内容というのはとても大切。結局実施中の問題というのも、ここで練りたらない部分が禍根となって発芽することになる。地域調査の結果、地域の生活用水と飲料水を確保するための給水事業を実施することになりました。地域の既存の水源は、川、小川、浅井戸、などがあるのですが、その浅井戸(Open Dug Well)の多くは、ただ地面に穴を掘っただけのもので、私たちはPitと呼んでいました。 こういう穴ですので、乾季で雨が降らなくなると、10日かそこらで水がほとんどない状態になってしまいます。雨季の時には水量は確保できるのですが、反対に周囲から水が流れ込んできて、鶏糞、牛糞、人糞なども流れ込んでくる恐れもあり、水質的にはかなり悪くなります。洗い場はこんな感じ。石鹸水なども、また井戸に逆流する井戸もあります。世界中の水に困っている地域と比べれば、雨が降るだけ水の問題は深刻ではないと言えますが、むしろその先の衛生まで考えてもいい、のに考えていない。という状態でした。こうした状態というのは、必ずしも裨益者に問題意識化されていないのが微妙なところですが、一回きれいな水を使い始めると、今度は後戻りできないのも、また不思議というか、微妙なところです。
2009年06月22日
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絵を写真に撮るのって難しい。シリーズにしようかと思ったけれども、あまりの写真の出来の悪さに早くも断念。僧院に向かう親子。アクリル水彩(多分)。しろばら。水彩。結婚記念に画廊のオーナーからいただいた一幅。ミャンマー。油彩。「ミャンマー」というタイトルの絵。アブストラクトに見えて、実は写実的。想像力を要しますが。ヤンゴンにあるギャラリーで絵を見ながら、ミャンマーは日本の鎖国時代みたいだな~と思う。他国の文化や情報を得られないのは、発展という面ではマイナスかもしれないが、人々はあいかわらず貧しいわけだが、じっくりと自分たちの中身を醸成させる時間を得ているともいえる。この停滞に意味があるのか、ないのかは、鎖国が“終わる”時にこそ分かるだろう。撮影技術がもしも向上したら、続きます。
2009年06月19日
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2008年5月には、こつぶさまが事務所に初登場した月でもありました。こんな方(猫)。おかあさん猫が台所のゴミ箱をあさっている傍らで、ちょこんとたたずんでいるのを、同僚が確保。あまりのラブリーさに同僚が「こつぶ」と命名。↑は確保後の一枚です。私に対しては、すでにもう、威嚇態勢。腹を出し、ベロを出し、肉球を開いてみせるこつぶさま。カメラのストラップで遊ばせながら、かわいい姿を激写したかったのに、映ってみれば、すごいお姿。。遊びつかれて一寝入りのこつぶさま。でも、そこは私の席。。こつぶは大体この後半年くらい、おかあさん(猫)と一緒に事務所にいました。こつぶのおかげで、大変なときでも、私も同僚もほんとうに心を和ませてもらいました。彼女がいなかったら、もっと早く仕事を辞めていたかも(!?)猫って重要です。
2009年06月17日
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2008年も5月になりました。この月はインドネシアの祝日があって、サバン島に小旅行に行ったのでした。その時の日記がこちら → ☆あんまりきれいな海だったので、写真をまたUp夕暮れ。本当に暑かった。人生で2度目の熱中症になりました。人は暑さで死ねる...!と思った。遊んでばかりいるようですが、間隙をぬって懸命に遊んでいたわけで、ほとんど仕事をしていました。(あたりまえだが。。)次は仕事のことも書いておこうかな。
2009年06月16日
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毎週毎週、昔の名作ばかり見せられて疲れる。時には、ぱーっとしたハリウッド映画みたいなのが観たい。と、夫に言ったら見せられたのが、この映画。どこがハリウッド!?(配給はFOXだが。。)どこがぱーっとしてる!!???もう、超ブルー。ミッキー・ローク、こうなったんだあ。。社会派映画として観ようとすれば、アンダーグラウンドな職業人(レスラーやストリッパー)たち、親の責任放棄と家族の崩壊、セーフティネット皆無のアメリカ社会の悲惨。。なんかを読み取ることができる。だけども私はこれはRetirementの物語だと思う。安寧にRetirement(引退・退職)をするには、人には、条件や能力や要る。多くの人は引退してしまってから、その条件や能力が満たされていない、満たす努力には遅すぎることを知る。リングの上でしか輝けない人生。リングの上でだけ、皆の賞賛と尊敬を集め、何者か(somebody)であることができる主人公。仕事の中でだけ輝ける、自分のフィールドの中でこそ、何者かであることができる人たち。でもそこを離れたら、ただの何者でもない、もしかしたら何も持たない「自分」と向き合わざるを得ない。所属からはずれたときの自分のちっぽけさに向き合う、というのが、Retirementのイニシエーションのような気がする。思えば仕事というのは、ドラッグのようなもので、一度始めて、しかも一度他者から評価なんかされちゃうと、なかなか足が洗えない。気持ち良いのである。奇しくもレスラーは長年のドラッグ(ステロイド)の使用がたたり、心臓をやられた。(以下反転)結局彼はリングの上で(仕事と共に)生を全うすることを選んだ。自分の尊厳を守った、ともいえる。それができるのだったら、それが悪いこととは思えない。そうすることだけ、が自分の尊厳を守る方法だったのならば。The Wresler(ザ・レスラー)(2008)ダーレン・アロノフスキー監督ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞作品
2009年06月15日
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こちらは村で見かけたとらわれのKing Fisher(かわせみ)ぶっちょう面です。村ではよく、山の方で捕まえられた鳥(怪我をしていたのを拾ったり)を見かけました。こちらの人は庭に花を植えたり、鳥を飼ったりするのが好きみたいですね。それが野生なのはいかがなものか。。という気がしますが。中には山奥の方で、某絶滅危機種的な鷹的な鳥の雛を拾ってきてしまう村人もいます。村人もこれがフツーの鳥でないことは知っている。でも村の方では、誰に相談してもなんともできないので、仕方なく某NGOのスタッフ(ドクター)に渡してきたりしてしまう。村人は某ドクターはお金があって、某鳥の面倒が見られることを知っているわけです。彼は毎朝のマラソンの道すがら水牛の肉を買ってきて雛に与えます。そう!飼おうと思うと(思っちゃダメだが)餌が普通の村人では考えられないほど高いわけです。皆基本お米を食べているわけで、水牛の肉なんて、お祭りとかお祝いの時に出てくるぜいたく品ですからね。それを毎日食べさせろというのですから、やっぱり某絶滅...。でもドクターが用事で町を離れると、他の人にお金を渡して世話を頼んでも、世話を焼く人がご飯をあげてしまうので、雛さんは食べるものがなくて死んでしまったとか。世話を焼く方としては、なんで鳥なのに人間よりいいものを食べなきゃいけないのか、理解できないのですねー。やっぱり安物食いのほうが、繁栄するのだろうか。人間って何でも食べるもんねー。
2009年06月12日
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「デルフィニア戦記」(茅田砂胡、中公文庫)全18巻。インドネシア勤務時、「気分転換になる、なるべく長編の小説」を聞いたところ、読書家の友人たちに推挙されたのがこの本。全18巻。大人買いしてしまった...!放浪の戦士と異世界の少女の出会いーから始まる異世界ファンタジーですが、「少女小説」とくくってしまってはもったいない、壮大さと躍動感を描くことに成功している。「指輪物語」よりはもっともっと軽いけれど、読んでいるときのスピード感やドキドキ感はあんな感じ。だがしかし。残念ながら途中で頁を刳る手が止まり、ど~も読みにくく、読めなくなってきてしまった。つまらないからではない。面白い。だけど、わたしには、どうも、ジェンダーくさくて。どんなところが、というとまず主人公。異世界からの少女。怪力(?)と不思議な力を宿す少女ですが、元の世界では少年だったということで、身体は少女でも、男性としてのアイデンティティをかたくなに守りとおします。そういうものなのかもしれないけれど、でも逆にこの頑なさはなんなんだろう?と。そして少女を巡る現世界の住民たちは、敵も味方も、これでもかこれでもかと少女を女性として扱うわけです。まあ外見がすごい美貌ですから、そういうものなのかもしれませんが。でもこのしつこさはなんなんだろう?と。さらに主人公以外の現世界の登場人物たちは、ほとんど例外なく、くっついていきます。恋愛が実ったり、結婚したり、幸せにかたっぱしから片付いていく。それを「よかったな。でも俺は別だから」と祝福しつつ眺めている主人公の少女(本当は少年)がいるわけです。気がつかない人は全然スルーして楽しく読める物語だと思うのですが、しかしこの歳で少女小説とか読んじゃうと、純粋に物語を楽しむというよりも、それを書いた人やら背景やらにいろいろ思いをめぐらせてしまう。多分発行当時は続きものだったのだろうし、読者をひっぱる意味で、こういう物語の展開・特色になっているのかもしれないけれど。でもジェンダー(性差)的に、Break Throughしたい!でもできない!!というジレンマを、この物語(を書いている人)からは、ものすご~く感じてしまいました。で、結局Break Throughできていない。そこが、まあ、つまり、なんというか、うっとおしくて、読めなくなりました。ここには「性」というものから自由になりたく、それでも絶対に自由にはなれない現世界(現実世界)というものが描かれているような気がする。大人になると、また多くの男性には、なんのこっちゃというテーマかもしれませんが、これはある種の少女たちにはとても大切なテーマだと思うなあ。でも残念ながら、この小説、もしくは今の日本の少女小説には、このテーマを打ち破るだけの力がまだない。(もしかしたらあるのかもしれないけど。。私が知らないだけで。。)日本という社会のなかでは、「性差」なるものを打ち破り、もしくは調和し、自由に生きている現実の女性というモデルが描けないのかもしれない。日本に限ったことではないが。少女小説とか少女漫画というものは、大体主人公がエラくもてます。で、主人公のおめがねに掛かる主人公外の少女にも、ときどき主人公のおめがねには掛からない男性があてがわれたりするわけです。つまりステレオタイプのファンタジー内では、少女はがっつりその性を(マイルドにではありますが)謳歌しているわけです。謳歌はしているんですが、うっとおしいとも感じているわけです。享受はしたいけれども、自由にもなりたい。享受するしないには、選択権はありますが、自由になれるということは絶対にない。ファンタジーの中においてさえ。そんなわけで、楽しかったんだけど、ちょっと憂鬱にもなった全18巻でした。
2009年06月11日
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アチェの2年番外月。2008年3月の写真を探していたら、この月はシンガポールと日本にいて、ほとんどアチェにいなかったようです。こちらは宇宙ステーション。ではなくて、シンガポール空港第3ターミナル。ここまでやったら恥ずかしいのでは?というくらい宇宙です。いやいやけなしているわけではなく、かっこいいです。天井がさすがシンガポールです。でもこれ、とっても怖い。日本だったら(インドネシアでも)絶対に許されないデザインです。地震で落ちてきたらと思うと。。(怖)やっぱり空港で夫や日本の家族と別れるときというのは、とってもさびしいです。結婚した当時は空港で一目もはばからずおーおー泣いていました(シンガポールに行きたくなくて)。そういえばシンガの空港に送ってくれた義父に何か言われて、やっぱり空港で一人おーおー泣いていたこともある。メダンの空港では、空港スタッフとケンカして号泣。成田を出たときはなんともなかったのに、シンガポールに着いたら悲しくてやっぱりここでおーおー...空港には涙(と旅の恥は掻き捨て)の思い出がつまっています。
2009年06月10日
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2008年2月にはお休みがあって、スマトラ島のパダンから車で3-4時間の高地、ブキティンギに行ってきました。その時の日記がこちら→☆ちょっと補完。マニンジャウ湖はほんとうにきれいなところだったけれども、周りには驚くほどなんにもなかったなあ。。みんな自力でお弁当など持ってきて、ピクニックをするようです。飲み物なんかを売っている売店があって、そこで湖でとれた小魚を多分なんらかの豆を砕いたもの(?)と混ぜ合わせてバナナの葉っぱでくるんで焼いたものを売っていました。こちらができあがり。 小魚大好きなので、ついたくさん食べてしまいました。湖のほとりの食堂で、パダン料理を食した後は、銀製品と刺繍を売っているという村に連れて行ってもらいました。 刺繍は非常に美しく、質が良かったです。銀製品のアクセサリーも良かった。ここで狂っていくつかシルバーを買ったのですが、1年以上経った今でも重宝しているので、やっぱり買って良かった。。もう多分2度と行かないだろうしなあ。。こうして振り返ってみるとインドネシアは広い各地にいろいろな伝統文化があって羨ましいです。日本と比べて、ではないですが。今シンガポールの伝統文化を紹介する的な役目が回ってきそうで、ほんとうに頭が痛いところなので。かぶるんだよな~ なにもかもが。
2009年06月09日
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清水宏監督作品「日本の港の女」「ありがとうさん」「按摩と女」「簪」(かんざし)の4作を観る。夫がBoxセットなるものを購入していた。清水宏(1903-1966)ということで、エライ昔の人です。はじめてみたとき、タイトルが「女の港の本日」になっていて、ビビりました。しかもトーキーかよ!でも古くはあっても、そのモチーフは今でも生きています。「ありがとうさん」(川端康成原作)は主人公は一応男性ですが、すべて、女性がモチーフとなっているようです。完成度からいえば、もし後残りの人生で上記4作から1作しか観られないなら、「按摩と女」でしょうか。欧米の映画評論などを見ると、「初めて盲目の人物の“視点”を表現した」と高く評価されているそうです。その次に観た「簪」(井伏鱒二原作)は、多数のキャラクターで作品を構成しようと試みて失敗(?)したのではないか、、と思いました。コミカルな部分もあり、観やすいのですが、はっきりいって、まとまりが悪い。でもこの作品のモチーフは好きです。「按摩と女」が人生に対する限りない諦観であれば、この作品はそこからの脱却やRehabilitationを描いているような気がする。そして映画の中では、その再生の行方を描ききっていないところも良い。これから田中絹代演じる女性が、どう生きていくのか。階段を上りきるのか、振り返るのか。といったところ。日本の昭和初期の作品は違いますねー最近の日本映画はあまり観ていませんが、時代もありましょうが、同じ国か国民かというくらい全然違う。なんといっても監督が違うのだと思う。清水監督は「役者なんかモノを言う小道具」と言ったというので有名らしいですが、ちゃんと人が使えている感じ。流行りものの映画というのは、好きな俳優や女優を観にいって、そこそこ話題にもなりましょうが、こうして時代が経ってしまったり、外国映画として日本映画を観る人にとっては、そうした一過性のものは取り払われた状態になるので、見苦しくないものだけが残っていくのでしょう。
2009年06月08日
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つい、うっかり心に残る言葉に出会っても、100%忘れちゃうこと請け合いなので、ここら辺に残しておこうと思う。(人から数学をやっていて何になるのか、と問われて)「私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。」(岡潔「春宵十話」(光文社))私はどうも、この言葉を「分かりたい」と願っているらしいのだが、今の段階ではまだまだ分かっていない。あっちの方からいいにおいがするぞ~でもまだにおいの元は見えないなあ。。みたいな感じ。においの元に出会える人生か否かも、わからないんで。
2009年06月07日
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慈善のゆううつ(5月17日投稿の続き)夕食をいただきに行ったレストランのオーナーさんと話しました。オーナーさんはレストランの売上金などを持って、孤児(多分)や恵まれない子供たちのための学校を運営しています。オーナーさんが子供たちの成長を語るとき、目が輝いて、ほんとうに嬉しそうでした。それは昼間見た光景と、鮮やかなコントラストを持って、こころに残りました。こういったチャリティー行為に対する批判や、弱み、マイナスの影響だってもちろんありうると思います。(そういう気持ちがむくむくと出てきそうだったことも確か)でもこうした行為が本当は自分のためなのだろう、という批判だけでは、やっぱり片付けきれない。昼間に感じたゆううつと、夜に垣間見たよろこびの間にあるこの差はなんだろう?ものすご~く単純に、身体がかゆくなるのを我慢して言えば、それは「愛」かな~与える側の自己満足だとしても、お金だけでなく、愛を与えられたら、それは受け取る側にも何か違った形としてのこるのではないか。オーナーさんの目や声の響きには、子供たちにまっすぐ向かっているものがあって、少なくともそれがないことには、こうした行為はゆううつ以外の何物でもない。のかもしれない。
2009年06月06日
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「第一阿呆列車」内田百間(もんがまえにつき)(新潮文庫) *門構えに月の「ケン」は、Upできませんでした!かなり好きな本。墓場まで持っていく一冊と言われたら、悩むところ。でもこの本の所有を閻魔様に見つかると即効地獄に落とされたりして。。1889-1971。私の生まれた歳に死んでいる。どうしよう、私、百間先生の生まれ変わりだったら。。(お、おこがましい。。)ドイツ語教授で、随筆家としても名をはせた百間先生ですが、なんといっても特筆すべきはその痛飲癖。すんごい飲んでます。「阿呆列車」の旅でも、飲んで、飲んで、飲みまくって、旅に出るために借金して、(借金は常にしてたそうですが)、飲んで、いい気持ちになって、歯が抜けています。この本を薦めてくれた家人も相当な呑兵衛であり、それゆえ呑兵衛というのが、傍目にはコミカルでも、家族にとっては迷惑千万以外の何者でもないことは分かっています。百間先生のうちも家族は大変であったろうなあ。でもこのおじいさん自身はそれはそれは楽しそうです。この状態は多分もう軽度(中度)のアル中であろうということが読み取れるので、楽しみながらも、はらはらして読んでしまうのですが、阿呆列車シリーズ自体は3冊新潮文庫で出ているので、3冊分の旅までは、すくなくとも健在であったということでしょう。ちょっと調べたら、奥さんが先に亡くなっています。(やっぱり...)そして本人は81歳で大往生だそうです。老衰だから大往生と呼んでよいでしょう。旅があって、酒があって、さらにそれが月見酒だったら、もう言うことありませんよねえ。やっぱりこれは座右の書だなあ。あと、肴も。。温泉もあったらいいなー。。
2009年06月05日
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水が足りない、トイレがない、薬がない、病気になってもかかれるお医者がいない。。家だってないない。だけど、パラボラアンテナ(=テレビ)はある。やはり紛争と(津波)地震被害を受けたインドネシアの中では比較的開発の遅れた土地であるだけに、そこそこないないづくしのクレームを聞いたのですが、それにしてもパラボラアンテナ(だけ)はあるじゃないか!テレビというものが、明らかにトイレよりは人々の生活必需品、上位に位置するものなのだということが分かります。これだけ立てても、国際放送などが見られるようになるわけではなく、普通の無料のインドネシアテレビ放送にアクセスできるだけなのですが。日本や先進国はモノの開発、世に出る順番に従ってモノを取り入れてきたわけですが、こうした場所では世に出た順番とは関係なく、人々がそれを欲するかどうかが普及の順番になるところが、おもしろいです。テレビ、DVD、携帯、扇風機、ウォーターディスペンサー、炊飯器、それからずっと減って、冷蔵庫...、といった順番でしょうか。もちろん家庭(家族構成)にもよりましょうが、上位2番目は不動の強さです。人に必要なのは、衛生よりエンタメなのだろうか。。。(2008年1月3日)
2009年06月04日
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2007年12月11日この日は事業対象地の一つであるグノンランブン村に調査に行きました。調査、調査とかれこれこの時点で8ヶ月も経っています。ただただ漫然と調査だけしていたわけではありませんが、村の人たちも、なんだろうなこの人たちは。。と思っただろうなあ。。そろそろ活動目的も内容も固まってきたこの頃。対象候補地である村々の細かい情報をさらに集めに来ました。村の(ヒマそうな)人たちに集まってもらって、村の地図を描いてもらいつつ、話を聞きます。農村社会調査でよく使われる「Village Maping」と呼ばれる作業です。他にも調査手法はいろいろありますが、私はこの地図作りが、一番(簡単で)好きでした。誰が地図を書くのか。というのを村の人たちが決定していく過程も面白い。ある村では、決して、誰もペンに触ろうとしないし、ある村では、我も我もとペンの取り合いになる。この辺で一番多かったのは、「地図を描いてもらいたいんだけど。。」と頼むと、「ちょっと待ってろ!」と言って、村で一番絵心のある人を連れてくるケース。こちらとしては、皆さんに描いてもらって全然かまわないんだけれど、「そういうことなら、この人だ!」っていうのが、村の中であるんだろうなあ。。こちらは子供たちのグループ。地図のはずだけど、なんだかいろいろ楽しいことになってるねえ。ちなみに私が子供の頃は、小学3年か4年生の社会科で、「近所の地図を書こう」という授業がありました。あれ、大嫌いだった。上手く出来なくて。そう思い出してみると、地図を描くことって、そう簡単じゃあないんですよね。人には気軽に頼んでしまいましたが。。できた地図を元に、子供たちに村を案内してもらいます。水場から遠く離れた不便な場所に位置しているのですが、子供たちの仲がよく、本当によく遊んでいるなあ。。という印象を持った村でした。村の中心にある集会場(ムナサ)や広場(人の家)に、人が集まりやすい構造だったのかもしれません。
2009年06月03日
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「ローマ人の物語8 ユリウス・カエサル(上)ルビコン以前」塩野七生 (新潮文庫)なぜか8巻から読み始めた「ローマ人の物語」。きっと読み始めたら、一気に読みたくなっちゃうだろうから、時間のある時に読もうっと。とかなんとか言って、人生の中で保留にされている本の一冊(シリーズ)でもある。でも読んじゃった。しかも途中。しかも(上)しかもここはプノンペン。つ、続きが...ユリウス・カエサル=ジュリアス・シーザーと言ったら、かれこれ2100年前の人物。なのに超有名人。シーザーサラダで、帝王切開(Caesarean Section)で、カイザー(Kaiser)で、ツァーリ(царь)。ガリア戦記、クレオパトラ、賽は投げられた、ブルータスお前もか etc.ちょっと思い出すだけでも、まだまだこれだけ現代の日本人の頭にさえインプットされているのだから、エラいことです。この(上)で印象に残ったのが、カティリーナ事件後の暗殺未遂事件犯人を、断罪する(方策を決める)にあたっての元老院でのカエサルのスピーチというもの。「あらゆる刑罰は、その人の犯した罪に比べて低めに抑えられるべきである、と。しかし、多くの場合、これに気づくのは後になってからだ。人々は刑罰について議論するときは、罪とされることの本質を忘れ、刑罰そのものが重いか軽いかしか考えなくなる。」あと、実行はすなわち前例を作るということに他ならないという趣旨の部分。これは覚えておこう。私も数ヶ月前、とある人物の行動とその結果に基づき、彼の進退に対する決断を下すという経験をしました。罪が云々という程の話ではありませんが、自分の判断と決断が他人にマイナスの影響を与えるということが分かっているだけに、なかなか決断に踏み切るのが苦しかった。なるほどこれが「罪を憎んで人を憎まず」という心境か?と思いました。でもやっぱり人がいると罪もなくならないんだけどねー日本でも裁判員制度が始まったそうですが、これまたエラいことです。いろいろちゃんと考えて、腹を据えていかないといかんと思う。(行くなら。)なんかあんまり評判が悪いんで、早晩ポシャるのではないかという気もしますが。
2009年06月02日
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兄弟ってやっぱり似るのでしょうか?2007年12月16日 事務所 アチェ猫
2009年06月01日
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今読んでいる本について、メモっておくことにします。「人は死ぬから生きられるー脳科学者と禅僧の問答」茂木健一郎・南直哉(新潮新書)シンガポールの本屋さんで購入。同じ新書コーナーに「断る力」もあって、どっちにしようか散々迷って、こちらを購入。だって「断る力」を読んだら、また絶対すぐに仕事したくなりそうだったし。。しかもはじめのところに「2時間後にこの本を読み終わったら~云々」と書いてあったので、2時間で読めちゃうのか~ そうか~…と思って、すみません。。立ち読んじゃいました。ポイントだけはGet.「人は死ぬから生きられる」。手に取るかどうかの時点で、すでに結構人を悩ませるタイトルの本ですが、仕事も終わって、不妊治療もはじめることになり、くら~く人生について思いをはせたい気分のときだったので、わりとふむふむ楽しく読むことが出来ました。テレビに出ているときとは違う、茂木さんの別の一面という感じです。茂木さんの本はあんなに出ているのに、これを読んだのが初めてなので、本の中ではこんな感じなのかもしれませんが。なんかテレビと文章の印象がかなり違う人ですね。南禅僧の言葉で心に残ったもの。 一番の問題は、自己を作ることが自由であること。 自己存在には根拠が欠けている。 そもそも水源はないのに川は流れる。それが自己存在というもの。だけど泳ぐのは楽しい。なんだか分かったような、分からないような、だけども満足感はあるというアヤシイ読後感です。こういうことを考えていてくれている人がいるというので、よかったと感じる。そこはあなたに任せましたよ、みたいな。だけどもやっぱり、このタイトルはどうにかならなかったのかなあ。。
2009年05月31日
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最近読んでいる本についてのメモ。「はじめての現代数学」<数理を楽しむ>シリーズ 瀬山士郎(ハヤカワ文庫NF)今、半分くらい読みましたが、ほんっとーーーーーにチンプンカンプンです。これほど世の中には理解できないモノ・コトがあるのだ、ということを改めて気付かせてくれる、という点では、オススメの一冊と言えます。私は子供の時から算数も数学も不得意で、受験はバリバリの私立文系。なのに時々とちくるって、こういう数理系の本が読みたくなったりする。それは全く言葉も文化も違う国を旅して、そこの人に会ったり、食べ物を試してみたいと思う気持ちとあまり変わらない。しかし一体自分が何を覗いているのかさえ分からない、日本語なのに意味が20-30%くらいしか分からない、というのは、普通の海外旅行ではちょっと味わえない経験でもある。つまりこれだけ分からない本を読んでいると、読んでいることの意味とか、読んでいるときの自分の心理などの方が表層に出てきて、それらがちょっと面白かったりする。まあ、つまり集中できていない、だけなんだけれども。この本がハヤカワから出ているのもうなづける。とってもミステリーでSF。。
2009年05月30日
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2007年11月1日2007年11月の写真を確認していたら、この月には、(今はまだ…)ブログには書けないような物事が勃発していたり、その関連のあれこれが多かったのだということに気がつきました。いつか書ける時が来るのだろうか。。そこで当たり障りなく写真をUpしておきます。アチェ州のシムルー島に行きました。ここは非常に土地が平らで、津波の時には海岸沿いにあったほとんどの家屋が被害にあったそうです。それでも津波の被害そのもので亡くなった人はいなかったそうです。島は100年前にも大きな津波に襲われたことがあり、その時の学びから言い伝えられてきた「海の水が遠くに引いていったら、山に逃げる」という言葉を島の人々が守ったからだと聞いています。本当に人の手の入っていない自然、という感じでした。津波がなかったら、まだまだもっと忘れ去られたままだったのかもなあ。。この島にも津波後は住宅、病院、保健施設の建設などの援助が入りました。100年前の伝承が親から子へと伝えられ、それがまだまだ当たり前に生きているように感じられた、島でした。
2009年05月29日
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2007年10月25日・29日2007年の雨季にはたくさん雨が降りました。洪水のことをインドネシア語では「バンジール」と言います。洪水というよりも、浸水状態もまた「バンジール」。この年の10月にはこの言葉をたくさん聞きました。なにかというとバンジール。スタッフも運転手もよく「家がバンジールだ!」「道がバンジールで通れない!」と言って遅刻してきていたよなあ。。事業地に行くにもバンジールで、これがなかなか大変でした。事業地への途中、両側をゴム林に挟まれた道を通るのですが、ここは土地が少し低いらしく、大雨が降るとしょっちゅうバンジールっていました。こういう状態で強行突破しようとするので、車両にいいはずはありません。必ず後で泣きを見ることになる(と、後で気付いた。。)すかさず遊ぶ子供たち。しかし完全に無邪気に遊んでいるわけではなく、運転手に「ここに穴がある、あそこに穴がある」と道(の穴)案内をしては、小銭を稼ぐビジネスチャイルドでもあります。ウチの運転手さんは「いらない、いらない」と追っ払っていましたが、慣れない人には必要なサービスかも。どこからともなく現れる渡し舟屋さん。この渡し舟は一体どこから、どうやって現れるのか?結局最後まで謎でした。2-3のグループが渡しをしていました。お金を払って乗せてもらう人もいるし、自分(のバイク)過信して、強行突破を試みる人もいます。家の前の即席プールで遊ぶ子供たち。この辺はもともと土地が低いので、高床式の住宅です。きっとこの子達も後で身体がかゆくなったりしたんだろうなあ。。でも今が楽しければ、それでいいよね!(?)写真では見えにくいかもしれませんが、中央のおじいさん、釣り糸を垂れています。釣れるのか?!何か、この状態で!!??ここ、普段道だよ!?と、思うのですが、いつもは林の中の沼などにいる鯰などが増水と共に出てくるので、釣れないことはないそうです。魚もどちらかというと、水とともに泳いで来たはいいが、帰り道が分からないで、トラップに嵌った感じでしょうか。大雨が降るのは困りますが、魚にありつけるというメリットもなくはない。日が経つにつれ、だんだん水が下流(海の方)に流れていきます。ゴム林の道に溜まった水は2-3日かけてゆっくりゆっくり周囲をバンジールにしながら海へ流れていくわけです。そこで、普段は用途自体が謎だった小船などが出現して、家族の足となります。牧歌的な風景ですが、これは本当は政府が用水路を整えて、水の流れをコントロールしないといけないんだろうなあ。。「バンジール」は立派な災害の一つな訳ですが、皆わーわー言いながらも状況を楽しんでいたようなのでした。
2009年05月28日
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2007年9月確か2007年は9月にラマダンがあったはず。ラマダンにはなぜか秋ごろ…という印象があったのですが、イスラム暦9の月に行われるラマダンは、毎年11日繰り上がっていくらしいですね。だから涼しいときのラマダンは(まだ)楽だけれど、暑いときは大変。。と言っていました。もちろんお天道さまが空にある日中は、ものを食べることも、水を飲むことも、タバコを吸うこともできません。水も飲めないのは、あの気候で結構辛いと思います。皆慣れているから平気、と言っていましたが。同僚が看護師さんだったのですが、絶対身体にいいわけない!と言って、抵抗感があったようです。生理中の女性や病気の人は免除されますが、その分ラマダンでない時に、自己断食を行います。しかしなんと言ってもスタッフが辛そうだったのは、禁煙ですね~。すごいチェーンスモーカーが多かったので。ラマダンが無かったら寿命が縮まっていそう。。この時期の外国人も、いろいろと不便です。この年は、私は早々に一時帰国したのでそうでもありませんでしたが。まずお昼ご飯の確保が重大な問題。ご飯を買いに行くのにも、スタッフにちょっとバイクで行ってきて、という訳には行かず、車で行ってもらいました。バイクだと、真昼間に食べ物を持っているのを見つかると、宗教警察に捕まるらしい。猫と一緒にはらぺこでした。
2009年05月27日
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2007年8月23日8月には住宅事業終了と住民への住宅引渡し式典がありました。在任中に開催した式典の中では、最も大きく、最もまともだった式典でした。それで、いろいろとアチェっぽいセッティングがありました。彼らはアチェの新郎新婦。本当のカップルではありません。コスプレ(?)。VIPがきたときに、大きな婚礼用の傘をVIPに差しかけて会場に一緒に歩いてくるのがお役目でした。その後は、式典の間中、ステージの上でかしこまって座っているのがお役目。まさに生きた飾り物。不思議だ。。こちらはアチェのダンスを披露してくれる子供たち。彼らは対象村落の一つ、ルンタナトー村から来てもらいましたが、それぞれの村が、それぞれのダンスチームをもっているようです。男の子一人(花婿さん役)と女の子が十名程度。衣装はそれぞれの村で(若干)違っていますが、ダンスと音楽はほぼ同じ。代々受け継がれているのでしょうか。村内の結婚式やお祝い事のイベントに呼ばれては、ダンスを披露しているそうです。そしてアチェ太鼓を疲労してくれる青年グループ。この時初めてアチェ太鼓を聞いたのですが、なかなかすばらしかったです。彼らの傍らに唄を朗詠するおじいさんがいて、彼の音頭と唄に拠って、太鼓が打ち鳴らされます。太鼓がドンドンかき鳴らされるのはパフォーマンスの半分くらいで、あとの半分はチームが一体となった踊り。踊りといっても、唄の内容を表したジェスチャーのようだったり、チーム全体で、生き物(ガルーダ)を模したり、その動きは様々。10名ほどの若者が太鼓の音に合わせて、一人ひとりになったり、一つになったり、、とてもダイナミックでした。しかし最もアチェっぽかったのは、VIPが1時間半遅れてきたことです!待たせることにも、待つことにも頓着しない人々…。慣れすぎちゃって、まずい。
2009年05月26日
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アチェでの2年間2007年7月26日7月になると、そろそろ第3期住宅(331軒)が完成し、完成した住宅から住民への引渡しが始まりました。写真は記念撮影を終えて、ばらばらしだしたところ。白い壁に赤い屋根の家です。アチェではいろいろな団体が住宅を供与していますので、団体によって家のデザインがそれぞれ違っていて面白いです。日本はやり、機能性重視、耐震性重視、と言う感じ。デザイン的も最もステキだったのがドイツの団体。後アメリカの団体はお金をかけていましたね~。トイレのセプティックタンク(汚水浄化槽)に9000ドルかけたとかいう話があって、ビビりました。それって家と同じ値段!?でもトイレは大切ですからね。今回住宅建設に係ってみて、いわゆる水周りの難しさと大切さを知りました。
2009年05月25日
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The Bill Douglas Trilogy (1972)My Childhood My Ain Folk My Way HomeRotton Tomato : http://www.rottentomatoes.com/m/1200205/スコットランド出身の監督、ビル ダグラスの自伝的3部作。制作費もままならない監督だったが、BBCのプロデューサーに見入出され、第一部My ChildhoodはBBC Ch4で放送された。その後も周囲のバックアップを得て、長い年月をかけて3部作として完成した作品。少年期から青年期までの主人公は、同じ一人の少年が成長するままに演じている。スコットランドの貧しい炭鉱町。My Childhoodでは、まだ幼い少年期の貧しい、それでも祖母と兄がいた頃の生活が描かれている。何も知らない子供時代。彼の世界は閉ざされていたからこそ、さびしくとも、安全で、安心のある世界だったといえる。続くMy Ain Folk(私の家族)では、幼い頃「家族」だと思っていた2人と引き離された後の彼の10代前半が描かれている。貧しいとか、家族が崩壊しているとか、そんな言葉では語りつくせない。非常に淡々としていて、大きな盛り上がりがあるわけでもなく、ただ「語っている」ように目に、耳に入ってくるのに、それが迫ってくる。そして最終作 My Way Home。どうしても求めてやまなかった「家族」を失い、それでも生きていく青年の世界が、初めて、ゆっくりと「外」へと開かれていく。そして、最後に彼がたどり着く、であろう未来。50代の若さで、たった4作を世に遺して、この世を去った彼だが、彼がこの作品を完成させてくれて、本当に良かった。映画にしても、本にしても、絵画にしても、作品の中には、「どうしても作らざるを得なくて」作者の身体から溢れるようにこの世に出てくるものがあると思う。彼はこの物語を「作ろうと思って」「人に見せようと思って」作ったように思えない。見ていて楽しい映画では決してないし、どちらかというと、悲しく、痛く、つらい物語であるといえる。でも力強い。たとえ求めるものが与えられなくても、人は生きていける。この人がこの人生を生き延びてくれて、本当によかった。
2009年05月24日
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The wind will carry us -Bad ma ra khahad bord (1999)イラン映画Abbas Kiarostami監督Wiki:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Wind_Will_Carry_Us10年前のイラン。中東にはいつもきな臭いニュース。石油と利権とテロ。でもこんなに美しい黄金色の小麦畑と、積み木のような村と、遠い山々と、そして詩が存在していた場所。村には全ての生のステージが存在していた。生まれたばかりの赤子。つたない言葉で夢を語る少年。恋人に恋歌を歌う墓堀の青年。大人たち。夫婦。老人。死を間際にした老婆。今でもどこかに残っているかもしれない、イラン。きっと普通に生活していては、触れることはかなわない異国の村の人々は、どこか懐かしい。
2009年05月23日
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2007年6月4日、事業地ウォイラ郡のマーケットで火事がありました。ウチの現場事務所もそこにあったので、至急スタッフに行ってもらいました。彼が到着した時点では、下火になっており、マーケットの住民はすべて避難した後でした。 現場事務所隣のワークショップから出火したらしいのですが、風向きのためか、事務所にはほとんど被害はありませんでした。しかし風下にあったマーケットはほぼ全焼。およそ60世帯が焼きだされました。しかしなんというか、写真でも、その後自分で行っても思ったのですが、奇妙なほどに人々に悲壮感がありません。だって火事ですよ?家も店も全部焼けちゃったんですよ?泣いたり、ぼーっとしている人もちらほらいたそうですが、なんか全体的に「あ~あ(想定の範疇内?)」って感じ。。まあ、この人たちは、地震と、それになんといっても紛争に長年もまれていますからね~。そして火が燃やすべきものをほとんど燃やし尽くした後、やってきました消防車が!(あったんだね。。)確かこれも日本からの供与だったかもしれない。。燃えてるときにはほとんどお目にかかったことがありませんが。そして皆、嬉々として(?)ホースを握っています。写真に写っている人の中でホンモノの消防士さんは多分1-2人。消防車からホースの先まで、ずらーっと、我もわれもと男集がホースを握っています。役に立っているのかはさておき、、相互補助の美徳ですね。。2年経った2009年時点では、マーケットは(以前よりもやや)美しく蘇っています。行き着けの食堂もとってもきれいになったのですが、ママ曰く「火事がなかったら、立て直そうなんて思わなかっただろうから、まあ、火事のおかげね」とのこと。。(2009年5月22日)
2009年05月22日
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5月になりました。仕事をしています。そもそもこの2年、休暇の時以外は仕事しかしていなかったような。。当たり前といえば当たり前ですが、インドネシア語一つできていないというのは、どうなのか。。もったいなかったです。これはアチェバラ県ウォイラ郡ルンタクヤ村での、調査の様子です。もともと、津波・地震復興支援(で、エラく集まってしまった)募金による住宅建設・供与事業の担当として現地に派遣されたのですが、他にも住宅事業後の事業後の事業形成の任を受けていました。こういう調査と形成の段階は、全てが手探りなので、難しさもありますが、一番楽しいです。村の生活を観察し、声を聞き、また声にならず、表に表れにくいそれやこれを感知し…。結局「ニーズ」と呼ばれるものの全てをカバーできるわけではないし、「良かれ」と思ったことの全てにプラスの結果が出るわけでもありません。それでも何かを「起す」というときには、客観的なニーズの認識や分析をしのぐ、人の「思い」(思い込み?)がまわりの人を動かしていくのだなあ、と感じました。むしろ認識や分析や理論武装というものは、その「思い」をより確実に相手に伝えるための手段なのかもしれません。もちろん思い込みだけで浄財を何百、何千万とかけるわけではありませんが、物事が動いていくときに、ふとそんなことを感じました。(2009年5月22日)
2009年05月21日
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<2007年4月26日>記録によると2007年4月3日にアチェ州アチェバラ県ムラボーに赴任しました。赴任数週間前に靭帯を切る怪我をして、杖をつきつき赴任したら、空港から事務所に向かう車で交通事故にあったのも、今では懐かしい思い出です。。あの時はバイクの運転手が後部座席に頭から突っ込んできました。ほんとーに、たまったま、前の座席に乗っていたので、(私は)大丈夫でしたが。運転手も、出血の割りには大したことが無かったようで、よかったです。頭はたくさん血が出るのですね。いやあ、ビビった、ビビった。そしてこの写真は赴任後3週間経った頃の、事業地へ向かう道路の様子です。ちょうど両側が切り立って、道路(兼、橋)のようになっていましたが、見事にどっちゃり落ちてしまいました。これ、日本国政府の供与です。あーあ、残念。この時はまだ瑕疵期間だったので、日を置かずに修復が行われたのですが、2年経った今では、残念ながら壊れるに任せている感じ。道路も橋も、壊れてみると、その弱いところや、不具合がはっきりしますね。土木工事は自然相手の工事だから、より大変なのだろうなあ、と思います。私のスタッフの1人は、以前この道路工事の監督(Inspector)として雇われていたらしいのですが、ここを通るたびに恐縮していました。恐縮されても困るけどね。(2009年5月22日)
2009年05月20日
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インドネシア アチェでの2年間のミッションを追え、カンボジア プノンペンの自宅に帰ってまいりました。帰ってきて6日目なのですが、まだ時間の流れのゆっくりさについていけていません。一人、家で空回っている感じ。しかしせっかく時間もできたことだし、ほぼ2年間放置しまくりだったブログにそこそこ息を吹きかけようかと思い立ちました。インドネシアでの2年間、ネタはあります。しかし問題はそのネタが大方仕事がらみで、だいたい公表したらまずい(かもしれない)ことばかりということです。ああ、言いたい、書きたい!でも書いて良いものか...(悶々。。)書いても大丈夫そうなことというのは、私の中ではそんなに重要な、ツボにはまったことではないのですが、せっかくの経験、せっかくの暇な時間ですので、ボツボツ上げていきたいと思います。とはいえ、いつまで続くものか。。(1日?)時々ブログを見てるよ~ という知人から、文章が多くて読みにくい、というコメントをいただきました。(それは読む気がないからでは。。)というわけで、なるべく写真をアップしてみます。毎月1枚写真を選んで、そこからちらほら思い出話などを書いていこうか、という、2-3分前に思いついた企画… 第一弾。
2009年05月19日
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仕事も終わって、今シンガポールのクリニックで不妊治療を再開しています。今回は前回(2年前…)と違ったやり方にするとかで、しょっぱなからサプリ漬けです。そこで話のネタに、ここにも現サプリ情報をUpしておきます。果たして本当に元気になるのか!?っていうか、私が元気になることが目的ではないはず。。。IMMUVITAL(益補力):マルチビタミン。朝鮮人参とシベリア朝鮮人参入り(笑)HPを見たら、なんか老化を止めて、人をムリヤリ元気にする感じ。いや、元気にムリヤリもなにもないんだけど。。http://www.indrugco.com/Health_Immuvital.htmCo-Q10:ご存知コエンザイム。今まで美容にいいのかしら?くらいの罰当たりな認識しかなかったが、これはすごい…!らしい。とにかくあらゆる身体の問題が解決しちゃう?みたいなサプリ。(ほんとかー)Immunocal:早い話がプロテインパウダー。プロテインには高校球児とかが牛乳に混ぜて飲むという印象があったのだが、HPを見たら、単純にプロテインというよりも免疫力を高める効果もあるそう。http://www.immunocal.com/後ホルモン注射も打っている。でもこれは性転換をした(元)お兄さんや(元)お姉さんが打つものとは別。(当たり前)そしてさらに当然かもしれないが、値段がまんべんなく高い。最初の支払いの時、我が目を疑いました。シンガポールでも不妊治療には政府の補助があるのだけれど、サプリや準備段階の薬は対象外のよう。痛い!痛いよ、サイフが!足元を見られているのをひしひしと感じます。こういうことは効果も人それぞれで科学的に実証されてもいないけれど、もしかしたら効くのではないか、という心理面を突いているような気がします。この日記を書くにあたって、似たようなテーマがあるかな~ と探したら、いくつかありました。しかしながら、みなさんあまりにも真面目に、熱心に赤ちゃんを欲しがっているので、こんなちゃらんぽらんな私が場を汚すわけにはいくまい…と思って、こっそりひっそり書き留めておきます。治療をしている私が言うのもなんだけど、赤ちゃんが欲しい人って、ほんとうに欲しいんだねえ。。みんな、がんばれ!
2009年05月18日
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とある村のとある孤児院に行って、寄附を行うというイベントに出席してきました。そこで、上段ステージ側に座っている寄付者の方々の肩越しに、子供たちの姿を認めながら、チャリティっちゃ~一体なんなんだろう。。とつらつら考えていました。孤児院側のスピーチで、「開校当時は全くお金がなくて、子供たちとボランティアの先生たちで竹を切っては市場へ売りに行って、食事代にしていた。雨漏りのする建物に、子供と先生で床に寝ていた...」というようなくだりがありました。今では、善意の寄付者の方々が見つかって、学校は整えられてきた、雨漏りもない、ご飯も毎日食べられる、本当にどうもありがとう、、と続くのですが、どうもギモンが残る。。そもそも食事代にも事欠く状態で、なぜに孤児院運営をはじめたのか?成り立つ計画であったのか?善意の個人がいるのはもちろん大切ですばらしいことだが、そもそもその辺って社会インフラの範疇なんじゃないの?(これは援助全般に言えるかもー)そもそもなんでそんなに孤児がいるのか?そもそもなんでそこに根強い貧困が存在し続けるのか?ダイヤやエメラルドや真珠のイヤリングや髪飾りの後姿越しに、対面に座る子供たちの顔。チャリティの「多くは宗教的な背景を持つ」とWikiにもありますが、イスラムのザカートやキリスト教のチャリティに慣れている国の人たちは寄附も適度に、また楽しく、スマートだと感じました。チャリティ慣れしていないと、「うう、その意味は…」とかなんとか言っちゃって、みみっちいです。(←自分)チャリティや寄附が浸透する背景・条件の一つは、圧倒的な貧富の差なのではないか、と感じます。チャリティの歴史は長いですが、昔はどこももっと貧富の差がはげしかっただろうし。チャリティ文化が浸透していないというのは、逆に、慈善行為よりも自助努力を信じる人々なのでは。。国民性として一般化はできませんが、あえてあげるなら中国(系の人)人とか、、日本人とか。。。孤児院側のスピーチは「私たちは皆さんに何のお返しもできません、でも皆さんの健康と幸福をお祈りします。皆さん、どうぞ私たちを見放さないでください」と続きます。何のお返しもできない。と、言い切るところがすごい。確かに私が仕事をしていた時の裨益者側のスピーチにも似たようなものがありましたが。。チャリティは悪いことではない。(当たり前です)こうして目の前にこのお金がなかったら売り飛ばされるかもしれない子供たちがいて、その上お金のうなっている人たちもいて、制度が整うのなんて待っていたら何年かかるか分からないし、たとえ焼け石に水でも、そこに水をそそいで悪い訳はない。でも石はこのままじゃ、多分ずっと熱いまんまなんだろうなあ。そして水を持っている人たちは、水がめもひしゃくも決して手放すつもりはないのだろう。上記“狭義の”チャリティについての所感でした。下記を読むとチャリティと一言に言っても、いろんな対象や方法があるのだと思いました。===========================「チャリティー(charity)とは、博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。世界各地でチャリティーの活動・組織が見られ、それらの多くは宗教的な背景を持つ。チャリティーはしばしば身体障害者や高齢者などに対する社会福祉、貧困地域の飢餓救済、紛争地域の難民救済、または災害・事故などの犠牲者や遺族に対する支援活動などといった形態をとるが、本来的には以上の活動にとどまらず、社会に対する貢献全般がチャリティーであると言える。」(Wikipedia)
2009年05月17日
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インドネシアでのお仕事が終わります。半年と言って出てきて、もう2年。時の経つのは、早いなあ。。インドネシアでは今、選挙運動真っ最中。4月8日が総選挙。その後7月ごろに大統領選挙です。私の赴任地でも、村への道、町への道。。道という道に選挙用の旗や写真が乱立する光景となりました。ここアチェでは、やはり元GAMの政党が強いよう。その名も「ACEH」という赤い旗が目印ですが、最初は新しいタバコの銘柄かと思いました。。ムラボーはのんびりしたものですが、他の地域では選挙がらみの暴力事件や殺人事件も起こっているもよう。やはり気は抜けません。先日は県庁前の候補者のポスターに落書きがされていて、それを付け替えていた候補者の旦那さんが、銃で打たれて死亡という事件がありました。こわい。というか気の毒。政党内の指名争いが原因だそうです。アジアの途上国で仕事をしていると思いますが、選挙というのはやること自体にはもちろん意味があるのだけれど、選挙ができる環境・社会をつくり、有権者となる人民を育てることこそが大事なのだなあ。。と感じます。選挙システムが万能で、どこでやってもささっと選挙が出来るわけでは、もちろん、ない。インドネシアでさえこういう感じですから、(元)紛争地域においてをや。連立する選挙候補者のポスター、選挙前にいきなり増える公共工事、選挙がらみの暴力事件や誹謗中傷なんかを見ていると、民主主義というのは、やっぱり今のところのベストチョイスの一つでしかないんだろうかなあ。。という気がしてしまいます。まあもちろん何だって万能ではないのだけれど。選挙後、勝者と敗者が決まった後の方が、より危険だという分析をしている人もいます。津波支援でたっぷり資金を得た反政府側と政府側が、いつまたドンパチを始めるかもしれないというのです。スリランカのように。本当に現実となってもらいたくない最悪の予測です。今、一緒に働いているスタッフたちや、村の人たちが、また紛争に巻き込まれるような未来には、絶対になってもらいたくないなあ。(スリランカの場合は、なりましたが。。)私事のほうでは、屋台の焼き鳥(サテー)を食べて、ちょっとヤバイことになりました。もう治りましたが。。さまざまな便を観察しました。
2009年02月27日
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全然なんにも書いていないけれど、ブログを廃棄したわけではありません。放置してるだけです。年も明けて2週間。年末はベトナムの古都フエとホイアンに行って来ました。フエは良かったです。見所もそこそこある。ホイアンは思ったより小さかった。でもすてき。映画が撮りたくなる感じ。(撮りたくなって撮れるものではありませんが)ミーソン遺跡には行きそびれました。今回は天気も悪かったし、また行ってもいいかも。近くに素敵そうなビーチもあったし。今はまだインドネシアのアチェにいるのですが、単身赴任ももうすぐ2年。なんとかなっちゃうものですねえ。夫もすっかり家を自分カスタムにしていて、私がいじると怒る。でももうすぐ帰ります。カンボジアに帰ります。プノンペンも久しぶりに帰ったら、ケンタができてたり、新しいスーパーができてたり、いろいろ出来ていてびっくり。やっぱりなんだかんだいって、首都だしね。そろそろのんびりお気楽主婦生活に戻って、いい感じに脳をとろかしたいです。丑年初書
2009年01月15日
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「憤怒より自分を抑えるには、他人が怒っている時に、静かにそれを観察することである。」(セネカ)(やなヤツ?)人は、いい環境(社会や対人関係も含む)にいてのほほんとしていることはできるかもしれないけれど、環境が厳しい、ストレスフルなところにいて、いつまでものほほんとしていられるものではない。しかしある程度のほほんとしていないと、ストレスによって自分の身体や健康を損なうこともある。そういう時にどうしたらいいのか?まず、自分がよりよい環境に移動する、という方法がある。でも大方のストレスというのは、逃れられないからストレスなんだと思う。ストレスの“原因”というのは、フクザツな因果関係の賜物で、自分の力ではどうしようもない。なんだけれどもその原因をストレスとして“発生”し感覚として上らせ、さらには身体や健康を損なわせるのは、何か?といったら、それは自分自身の脳、身体、感覚、感情、なのかもしれない。そちらの方には、自分でコントロールできる余地が残されている。そんなのムリ。と言われるし、思うけれども、これは一朝一夕で、考え付いたからと言ってできるものではない。訓練がいる。私自身は、とかく、怒りや悲しみや心配に流されやすい。だからと言って、皆が皆、そうやってストレスフルな方向に流されていっても、別に問題そのものの解決には繋がらない(ことが多い)。結局、私が確認して、対処を考えるべきは、本当に目の前で起こっていること“だけ”なのだ。それに付随する、不安や心配や怒りや悲しみは、それは自然なことだけれど、とてもパーソナルなことで、それで他人を影響したり、自分に影響が深すぎるのも、ナンセンスなのではないかな…と。ストレスの原因が襲ってきた時のみならず、普通に生活している時から、この訓練を積んでおく。ことにしようかな、と思う。思った矢先にさっき夫から電話があって、一気にボルテージが上がり、修行失敗。先は長い。。
2008年11月15日
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今、「君主論」を読んでいます。はるか昔、歴史の教科書に紹介されていた本を、今になって読むことになろうとは。。ビジネスマンさんたちの中では、いまだに結構ポピュラーな本だと聞きました。今の仕事にはHRやマネジメントのことも含まれているので、何か参考になる本はないかな~とつらつら探しているうちに、辿り着きました。400年前。。当時のイタリアの「君主」に対して書かれているものですが、マキャヴェリの考察の部分は面白いし、さすがですね~。今こう書こうとしても、なかなかここまで書けないのではないかな~、立証できなくて。彼の場合は、私の印象ですが、例えば立証2に対して5でも10でも言っちゃっているような感じ。まあ、私が歴史的背景を知らないからかもしれません。それでその中に「君主は慈悲を持って治めるべきか、恐怖(冷酷?)をもって治めるべきか」という章がありました。マキャヴェリの結論は「恐怖をもって治める」方が無難。というもの。(うろ覚え。)その理由が「人は優しくしてくれる人には結構危害を加えても気にしないけど、畏怖している人に対しては危害を加えないからさ」(うろ覚え。。)というもの。超、そのとおりじゃ~~! と、思ってしまいました。ウチのスタッフとか、スタッフとか、スタッフとか……つまり舐められたらいかん。ということですね。やさしく、親切にする、というのは、それ自体はいいことでも、上下関係の中では舐められる原因となる。「でも怖れられながらも、憎まれないように注意しなきゃだめよ」とも、マキャヴェリさんは言っています。そうなんだなあ。その辺の力具合、というか感情の具合が難しいのかも。ただ私自身の修行が足りないのでしょうが。つまり毅然としていて、他者に対して公平であって、相手に「恐怖をもって」臨む時もこちらに理がある、というようなことなのでしょうか。なんだかまだまだ分からないなあ。言わんとしていることは分かるけれど、どうやっていいのかが分からない。しかしマキャヴェリのおじさん、面白いです。このままでは、権謀術策にハマってしまいそう。
2008年10月24日
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「失う」ということって、人生の中でも、ものすごくダイナミズムに満ち溢れたことなんだなあ。。なにかを「創る」「培う」ことって、仕事でも、家族や子育てや恋愛でも、何年も、何十年もかかる。それぞれの人に、それぞれ大切に思うことがあり、運よくパーッと行く人もいるけれど、大部分の人たちが一歩一歩何かを育てたり、つくったり、培ったりしている。でもそういうことも、失うのはすごく簡単で、たった1秒でも、足りないということはない。事故や、災害、人災。。そしてそれを引き起こすこと。ほんとうに壊すのも、失うのも簡単なんだなあ。本人にも、周りにも降りかかるその威力って、本当にすごい。ところではっと気がつくと、私は今、津波と地震でぶっ壊された地域で復興支援の仕事をしているのだった。痛みは、本当にそれを経験した人にしか分からない。そして相対的に比べて、どっちが悪い、どっちがより痛いなんて、言うこともできない。ただ、人は再生するのだということを、ここに来て知った。失ったもの。壊されたもの。津波で何千人も亡くなった街だけれど、今はその傷跡を探すのが難しいくらい、皆あっけらかんと生きている。
2008年09月15日
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これまで生きてきて、37年と4ヶ月になります。先週の金曜日にこれまでの人生にて、最もびっくりなことが起こっていたようです。その知らせを知ったのが、先ほど。出張中でそちらのメールを見るのが遅れました。第六感って、ないもんですねえ。。まったく、なんの予兆もなく、平和に過ごしていました。。生きていれば、当たり前ですが、いろいろなことが起こるものです。いいこともあれば、悪いこともある。自分が当事者のこともあるし、家族のこと-夫婦のこと、子供のこと、親のことな場合もある。今回のことは、まだ決着がついておらず、また今後どういう影響が出るのかも、未知数です。しかし、これまでのベクトルとは、方向がやや変わってくる可能性がある。まだ考えも気持ちもまとまりませんが、今、感じていることを、忘れないようにここにメモります。まず第一に大切なことは、自分自身に責任を持つこと。自分自身を律する力を持つこと。私も最近仕事が続き、自分の悪いところが出てきているのを感じていました。すなわち、八方美人なところ、口の悪いところ、攻撃に弱いがために他人を攻撃しやすいところ。そういう面は、特に、謙虚な気持ち-他人への感謝の気持ちを忘れたときに出てきがちです。-しかしこれは今、あんまり関係ない。。第二に、起こってしまったことよりも、先の対策を考えること。落ち込みたければ、ある程度先の対策に目処がついてからにする。さもないと、落ち込みに嵌ってしまう、耽溺してしまうことがある。私のこれまでの落ち込みようというのは、振り返ってみれば、ただの甘えでしかなかったけれど、これからの人生、本当の落ち込みがいつやってくるかもわからない。。せっかく利己的に、即物的に、現実的に育ってきたのだから、それを生かさなければ。。第三に、本当に落ち込んだ、大変なことになった時のセイフティネットを作り、また自分が誰かのセイフティネットになれるようにすること。自分自身が本当ににっちもさっちも行かなくなる、ということは実際ありうる。そういう時、誰の顔が浮かんでくるのか。誰かが私の顔を思い出したときに、私は何がしてあげられるのか。最近寝不足気味でしたが、今日も知らせを聞いてますます眠れず、こんな愚にもつかないことをつらつら考えていました。そしてやはり世の中は因果応報だなあ。。と思いました。今ここでこうしていることも、いつか将来、果となることが来るのでしょうか。その果がいいものであるように。みんなに幸せをもたらす果になるように。願いつつ、なにかする。と。
2008年09月14日
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大河ドラマ「篤姫」を見ていると、世は尊皇攘夷の真っ只中。皇を尊び、夷をはらう。当時の日本人は西洋人を紅毛人、夷狄といって、忌み嫌ったようです。それはともかく。シンガポールでは、スラングですが、外国人(西洋人)のことを、「アンモ」と読んでいます。漢字で書くと、「紅毛」。それを知ったときは、おいおいまだ紅毛人なのかよ!とちょっとびっくりしました。シンガポールにいる西洋人はだいたい自分たちが「アンモ」と呼ばれていることを知らないか、知っていても漢字の意味は知らないんだろうなあ。。もっと笑えるのは、この言葉を正しい英語だと思って使っていたカンボジア人がいたこと。シンガポール人から英語を聞き習っていた彼女は、皆が常用する「アンモ」がよもやスラング(しかもさべつようご?)だとは知らなかったらしく、教えたらかなりビビッていました。まあいずれにしてもただのスラング。皆使っているけれど、公には存在しないはずの言葉です。皆自分がばかにされると怒るけど、自分は堂々と主張を交えて人をばかにするよなあ。まあ、そんなもんか。
2008年08月18日
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「東アジアの面々は生産ばかり研究している。モノは勤勉でありさえすれば、手に入ると思い込んでいる。東南アジアの面々は分配ばかり研究している。モノは寝ていても庭にぶら下がっていると安心している。西アジアの面々は流通ばかりを研究している。モノはどこかから持ってくればよいと高を括っている。」(某シンポジウム、東南アジア経済学者の発言)(選択2009年7月号)勤勉、分配、流通、と比べると、やっぱり私にとって一番「楽」なのは勤勉かも。投資したり、ビジネスをしたりすることを考えるなら、ただひたすらがむしゃらに働いていたほうが(気が)楽という。。なんという労働者体質、、先祖は絶対農耕民族。でもこれはある意味、怠惰なだけなのかも。分配や流通だけでモノを手に入れ(ようとす)る人たちは身の回りにいっぱいいるけれど、結局自分の楽な方法しか追及しないという点では、彼らをわらっていられないかも。(ていうか、もう負けてるから、既に。)今はまだ好きに働いていますが、家のもの(東南アジア人)からは、早く帰ってきて財テクでもしろと言われています。。(それは家計的に自殺行為だと思うが。)自分の好きな、楽なやり方だけを追求していても、生き残れない時代になってきているのかなあ。
2008年08月02日
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心のうるおいが戻って参りました。ある日同僚が「見てください」と手の平に乗っけて持ってきたのが、ちびちび仔猫。ちびちびなので「こつぶ」と命名。こつぶに(が?)くっついてきたのが母猫。お母さん猫なので「おかあさん」と命名。この二人です。こつぶは姿形はかわいいけど、餌をねだる時の声が脅迫めいていてとてもかわいくない。いっぽうおかあさんは大人しくておねだりもかわいい声。ううぬ、親子なのに違う。。そしてあまり同じ環境で(しかも猫としてはけっこういい環境で)暮らしているはずなのに、性格が違う。元の性格ってやっぱりあるんだなあ。こつぶはFeedされて早くも中つぶになりそう。この勢いでは大つぶになる日も近そうだなあ。
2008年06月14日
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インドネシア、スマトラ島サバン。ダイビングスポットとしてはいささか知られている島なのでしょうか。先週末はそこに小旅行に行ってきました。アチェの州都、バンダアチェから高速フェリーで1時間弱。こじんまりとした島です。そこから乗り合いバスに乗ってイボーという海岸に向かいます。船着場から山を越えること約2時間。バックパッカー御用達のバンガローが点在しているところらしいです。そこからさらにボートで予約してあった宿泊施設のある小島へ向かいました。海がむちゃくちゃきれいです。ありとあらゆる青を混ぜ込んだみたいな青い海。水が透明。そして日差しがつ、強い…。ルビン島、という小島の宿泊施設だったのですが、とてもインドネシアっぽいことに、ダブルブッキングされていました。。小島の周りはシュノーケリングスポットらしくて、大勢の人々ばぱちゃぱちゃやっている。これだけ人がいると、魚の居場所があるのか?といささか心配に。。さらに施設はあまり外国人仕様ではない。なんか、ここではキャンプっぽいなあ。(大人数ならそれもいいけど。。)ということで、急遽別のホテルを探すことに。運よくサバンで外国人に最も人気の有る、2-3ヶ月前から予約が必要、といわれていたホテルが空いていたので、そこへ向かうことへ。。乗り合いバスでであった若者の助けを借りて、別のビーチまでボートで行ってもらえるように交渉。ガバンビーチというところに向かいました。ガパンビーチに到着すると、ちょうどこれからダイビングに向かうグループが。なんとなんと日本人のダイビングインストラクターの人もいました。ここにも素敵な宿泊施設があり、ダイバー専用と聞いていたのですが、実はそうでもなかったようです。ガパンには「世界で一番美しい海岸」があると言われたのですが、確かに美しかったです。(私の写真がよくなかっただけで…)ここでもいいけど、せっかくだからその人気のホテルに言ってみよう。と、さらにタクシーをチャーターして、1時間…。午前10時半ごろに島には着いていたのですが、なんだかんだとその宿泊施設に到着できたのは午後4時を回っていました。お、おなかがすいた。。サバンのビーチを1日目にして全制覇してしまった…。でもここには求めていたWhite Long Beachが!!ああ~ 美しい。そして、あ、熱い…。私はもぐらないので、シュノーケリングでぱちゃぱちゃやってきました。ここには魚は写っていませんが。ボートの上からでも水底が見えるくらいクリア。海ってこんなにクリアになれるんだ~。ウミガメがいるらしいのですが、一緒に行ったスイス人の女の子たちは「見た!」というのですが、私は変な形の魚ばかりを追い回していた。。なんかこうして海中の美しい魚を見ていると、どうしてもNHKの番組と被る。。つい1人実況中継をしてしまう。。後で会った自然保護団体で働くインドネシア人によると、このあたりにはウミガメばかりでなく、オオカミ魚も、ときどきイルカもいるとの話。イルカがいるんだ!それはすごい!と、ミーハーに興奮。宿泊施設は南アフリカ人の男性がきりもりしているのですが、彼が腕によりをかけた夕食がまたおいしかった。サバンは外国人には食べ物が問題。。と聞いていたので、ここに泊まれてよかったなあ。。アチェの有名な歌手にも会いました。サバンでコンサートがあったらしい。そんなこんなでトラブルもありましたが、楽しい小旅行でした。最終日には暑さあたりで体調を崩しましたが、今は復活。さあ、次はどこに行こうかなあ…。(時間があったらね。。)
2008年05月24日
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5月3日、サイクロンがミャンマーのヤンゴン周辺地方を襲ったそうです。その時私はメダンに行って、ジムで走っていた。虫の知らせって、私には全然ないんだなあ。。政府の公式発表でさえ、死者3900人、行方不明者2000人。甚大は被害です。CNNでは死者、不明者を1万人と発表していました。ヤンゴンにも知り合いや友人がいるので、とても心配です。メールや電話はまだ繋がらないところも多いとか。連絡してもいつ返事がもらえるのか。。途上国のインフラの脆弱性を感じます。同じような大サイクロンが来ても、日本だったらこれほどの被害にはならないでしょう。ヤンゴンでさえ被害が甚大ならば、ミャンマーの典型的な農村や郊外のバラックなどは、本当になすすべもなかったでしょう。。倒木や飛来物が当ってなくなった方も多かったとか。子供たち、老人。。本当に胸が痛みます。昨日のニュースでは、それでも軍事政権は国際救援を受け入れないとのことで、本当に怒りを覚えました。でも今日のBBCでは緊急救援だけは受け入れることになったとか。。これで受け入れなかったら、絶対暴動起こると思う。ところでミャンマー軍事政権は「占い」で遷都を決めたという噂があったのですが、もしかしてこのこと!??だったのかもしれません。。行政機能がヤンゴンにあったら、政権の寿命は短くなっていたかも。命拾いしたなあ、政府。。命拾いしたからといって、行政サービスを行うわけではなく自身の存命にしか関心のないところがアレなのですが。もう、ミャンマーに飛んで行きたい気分です。仕事が手につかない!
2008年05月06日
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猫がいません。実は3月に事務所を引っ越したのですが、その時に別れ/振られ/逃げられました。。(;;)その日はいろいろあったなあ。。まず朝から引越しでおおわらわ。でも猫たちはいつものように出勤してきて、忙しい人間を尻目に最後まで椅子に陣取ってうつらうつら。荷物の運び出しが全部終わって空になった事務所にて、毛づくろいをする茶色を見ていたら、、、げえええっ!お尻からなんか出てる~~~(T_T)と、いうことできせーちゅー退治。なんか最近下痢っぽいと思っていたら、このせいか!?ていうか蝉の食べすぎだよ、あんたたち!!などと、いうことがありました。そしてとうとう移動のとき。過失はこちらにありまくりです。そのまま猫を捕まえて車に乗せようとしたのだから、猫飼いとしてはまったくのど素人です。白はすばしこいので逃げましたが、茶色はとろいので捕まえました。(今考えれば)案の定、車の中で、超超ドッキドキ。コーフンのあまり死んでしまうところだったのかも…ああ。。でも引越し先は200mくらいしか離れていないので、茶色と私にとって長く思えた道のりも1分くらいで終り。ドアを開けたと共に「パピューン」と音がしそうに逃げていきました。そして門のところでくるりと私に振り返り、「何するのよ!信じていたのに、信じられない!!」(オス)とでも言いたげなまなざしと鳴き声を上げ、事務所脇の茂みの中に逃げ込んだのでした。引越しだから、猫連れてかなくちゃ、連れてかなくちゃ…とばかり考えて、連れて行き方に全く重いが至らなかった私…。失敗でした。本当に失敗だった。ちゃんと箱に入れて運ぶとか、移動に慣れさせておくとかしないと、無理だったんだなあ。半ノラでもノラはノラ。人間と一緒に移動とは無理だったのでしょうか。。しばらく茂みの中から、うらめしそ~~~~な鳴き声が聞こえていたのですが、餌でつっても話しかけても(当たり前)もうショックでかすぎで、現れれず。やっぱり2匹一緒じゃないと、ダメだったんだなあ。茶色は根性がないから、嘆いているだけで、このままここで衰弱死しちゃったらどうしよう!!(><)と、思っていたのですが、そこはさすが半ノラ。嘆きつかれたのか、茂みから鳴き声はやみ、探してもその姿はもう見つけられませんでした。そんな顛末をもって、猫たちとはさようならしたのです。魚と鶏の骨を見るたびに、「猫、猫…」とつぶやいてしまいますが。200m先の元事務所に行ったところ、実体は確認できませんでしたが、茶色は無事に古巣に帰り着いて、白と一緒にいるそうです。でも確認はできなかった。。ああ、避けられているんだ~~その元事務所敷地に残っていた団体も今月を持って撤退です。猫たちも移動しないと餌場が消えてしまいました。ここに来てくれないかなあ。そう都合よくはいかないか~
2008年04月18日
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