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ながらくお世話になりましたが、こちらはもうすぐ閉鎖させていただくことになりました。とはいえまた映画やアートやアジアの生活のことなどなど、別の機会につぶやいて行きます。もしここを見ている方が(よもやまだ)いらしたら、お越しいただいてありがとうございました!またどこかで縁があったら、すごーく似たようなブログを見かけていただけるかもしれません。それでは、また!
2015年09月16日
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ミャンマーからはまったく書き込みができず、ほぼ廃墟と化しているブログですが、生きています。日本では本当にたいへんなことになりました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、一日も早い被災者救援と、復興を望みたいです。私の家族や親戚、友人たちは無事だったのですが、友人・知人の親戚の中には被災して家をなくした方もいらっしゃり、そういう話を聞くと、やはり規模の大きさやリアルさを感じます。海外で暮らしていると、そういうリアルさを感じる温度差や時差があるかもしれません。映像で津波や被害の様子を見ても、あまりのことに頭が着いていきませんでした。やっぱり一度日本に帰りたいです。地震以降、ズレている感じがして。こちらミャンマーは3月30日に軍政は(一応)終わって、新政府が発足しました。全員軍服姿だったのが、3割を残して文官になったので、中身は変わっていないとはいえ、やっぱり(TVで)見ていて違います。こちらの人はスーツは着ないで、皆それぞれの民族衣装に身を包んでいるのでなかなかカラフルで圧巻です。主に男性の衣装はミャンマースリッパ、ロンジー(布を巻いたスカートのようなもの)、ジャケット(チャイナスーツのようなもの)、そして帽子(なんかペンギンみたい…)なのですが、それぞれの民族によって当然違います。こうやって民族性をはっきり打ち出して、しかも国会にいるのは、世界的に見ても珍しいし、ある意味エライと思ってしまいます。やっぱり多民族をまとめるのは容易ではないんだろうなあ。。中国なんかは逆に統一のために多民族性を排除してきているわけで。それはシンガポールもそんな感じですが。確かに100%“正しい”訳ではないでしょうが、ミャンマーがんばれ。100%正しくないと動けないようでは、永遠に動けない、動かない。
2011年04月08日
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凄い久しぶりですが、日記を書きます。今、タイです。おととしから取っていたコースの仕上げで、プロジェクトを書き上げるために2週間缶詰に来ています。ああ、外はタイなのに…。カンボジアからは11月に引き上げ。11月はトルコに旅行に行ってきました!12月末までシンガポールに滞在。12月末にミャンマーはヤンゴンに移動。新赴任地です!そして今、タイ。つ、疲れた。。がんばれ、自分。しかもマジメに勉強してなかったのがたたって、毎日1時、2時まで勉強。そう、こんなことは学生時代にはよくあること。しかし!もうそんな歳ではない!!!!!お、お肌が~~(泣)やっぱり勉強は若い時に限ると認識を新たにしたのでした。遅いことこの上ないですが。ミャンマーから書こうとしたら、アクセス拒否されてしまったのですが、またトライしてみます。
2011年01月22日
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相当滞っていますが、生きています。6月からの仕事が8月31日をもって終了し、インドネシア パダンから日本に帰ってきていました。そして日本で2週間ほど滞在。ゆっくりするつもりが全然できず、実家であらいぐまとなる。シンガポール経由にて、自宅カンボジア プノンペンに帰ってきた、のが9月半ば。11月初旬の引越しに向けて、リスがごとく家を走り回る毎日。と思ったら10月半ばに夫の両親が来るので、どうしよう。義父母が帰った後、速攻で、なぜかこの時期に上海に行くことになってしまった…。上海から帰って、試験があって、即、引越し。11月1週にシンガポールに帰って、2日後、トルコに行く。トルコから帰ってきたら、1ヶ月くらいシンガポール。それから新任地に移動。来年1月にはタイに行かなければ…。それ以降は未定!これから4ヶ月近くノンストップだ~ 病気になれない~という感じの日々。
2010年09月29日
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日本でもインドネシア産の熱帯植物が花をつけたとのことで話題になっていたようですが、こちらでもそろそろ世界で一番大きい花、ラフレシアの開花が近いということで、ブキティンギの国立公園を訪ねました。ラフレシアは大きいもので全長が1mにもなるよという食虫植物。雌花は特に肉の腐ったようなにおいを発して、虫を引き寄せるというので有名です。種から花が咲くまでに18ヶ月かかり、しかも開花してしてから1週間だけ開いているという、自然の状態ではなかなか目にすることのできない花だそうです。公園と言っても、山があって、山間に村と水田があって…という保護区のような場所です。インドネシアの山里もきれいです。今は田植えの時期なのか、村の人たちはところどころで田を耕していました。そんな牧歌的景色を横目に、いざジャングルへ。。とはいえ、そんなに長いトレックではありません。せいぜい行き30分、帰り30分の1時間くらい。が!!!!むちゃくちゃ疲れました。息は上がるし、足は上がらないし、ここで貧血になったらどうしよう~~(><)とかなり緊張。滝のように汗をかいて、なんとか、目的地へ。。これぞ求めていた、森の中に落ちてるコッペパン…ではなくて、ラフレシアのつぼみです。まだ開いていませんでした~ 残念!この状態であと10日は開花までかかるようです。だいたい30センチくらいの大きさ。これはこれで、かわいいような気がしてきます…。心理的なものかもしれませんが。(苦労したので。。)雨が降ってきたので急ぎ、山を下ります。ジャングルの中を歩くのってシンガポールを抜かして初めてですが、かなりエネルギーを消費します。山である上に、蒸し暑くて、酸素が濃いので。でもとってもいい運動。この運動不足にいきなりハードルが高かったような気もしますが。ガイドさんの家の庭先に咲いたというラフレシアを見せてもらいました。あの子がこうなるのか~ なんというか、ちょっと遠慮しろよ的な咲き方です。これで全長60センチというところでしょうか。真っ盛りは少し過ぎたようで、ちょっと花びらがくたびれてきています。18ヶ月かかるわりには、長らえる時間は短いのですね。ブキティンギはやっぱりいいところでした。2ヶ月たって、ようやく週末に遊びに行ける余裕が出てきた感じですが、もうすぐここの仕事も終わってしまいます!
2010年08月01日
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インドネシアはイスラム教の国です。それで毎日5回のお祈りがあります。お祈りの時間は季節によって少しずつ変わりますが、今、一番早い時間は午前4時。モスクまで来られずに家でお祈りをする人たちのために、どこのモスクもこれでもか!とばかりに大音量でコーランを放送します。中東の国なんかだと、アラビア語も美しく、聞きほれるくらいの読誦もあると聞きますが、それは本当に読む人による…。もちろん目的はお祈りなので、うまいとか下手とか言ってはいけないのですが、いけないのだろうけどねえ…。今住んでいるところの近辺には4箇所のモスクがあって、4方向からの放送が家の中を音響マシーンとするがごとく、響いています。しかしモスクのことはいい。なんと言っても住民に必要な宗教儀式であって、時間も決まっているし、慣れれば無視して寝る事も可能。インドネシアには大きな音=騒音という考え方があるのだろうか?例えば今日は近所(わりとすぐ)で結婚式が催されているのですが、朝から今まで、多分真夜中を過ぎるまで、バンドとカラオケの音が、巨大スピーカーを通して流れきています。流れるとかそういうレベルではない。攻めてくるという感じ。またまた家を音響マシーンとして、揺れを感じます。音で。前、アチェに住んでいたときも、近所で結婚式があったりお葬式があったりすると、もう拷問のように家に音が鳴り響いて、泣きそうでした。なんであんなに(こんなに)音を大きくするのだろう?「家にいないで(いると音が凄いから)、さあこっちに来て一緒にフィーバー!」っていう意味なのかしら?またまた前振りが長くなりましたが、そんなときにすばらしい威力を発揮してくれているのが、“Quality Product by 3M”と表示された、3Mの耳栓です。多分なんの変哲もない耳栓なのですが、こういう騒音環境の中にいると、すごい!すごい威力です!小さな気になる音は消してくれるし、大きな音は完全にシャットアウトするわけではありませんが、かなりマイルドにしてくれます。来るとき乗ったJALでもらったものなのですが、もう手放せません。耳栓がなかったら、もう諦めて日本に帰っていそう。ここにいる限り絶対になくせない、壊せない(壊すの難しそうですが)。今も外は大盛り上がりで、耳栓装着中です。ビバ耳栓。ビバ3M。
2010年07月04日
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なんとオランダが2-1でブラジルを下して準々決勝進出を果たしました。決勝進出は固いと思われていたブラジル。オランダ人もびっくりしていました。そして審判が日本人でしたねーー。日本チームはがんばったのに残念な結果に終わりましたが(また4年後にがんばれ!)、今日はまた違った形でいい仕事をしている日本人たちを見ることができて、なんだかうれしかったです。(^^)そして今日は当然のようにウチ(オランダ人の同僚とシェアしている豪邸…)にてパーティがありました。彼は先日本国に休暇で帰った際に入手した、オランダチームの旗とオレンジの風船を家に飾りつけ、オレンジ色の帽子とTシャツで準備万端。オランダ人上司もナシゴレンを持って来てくれて準備万端。そして私は日本のカレー(キャンプか…)を振舞うことになって、仕事後にお買い物に行って、9時の試合に8時から超特急で準備を始めて、準備万端とは言えず…。今日のパーティにはいろいろな国の人が集まりました。でもいちいちどこから来たの?とか、どこで働いてるの?とか基本情報を交換しないため、よ、よく分からなかった…。でも多分、アメリカ人(女性)、ドイツ人、フランス人、オーストリア人(女性)、カナダ人、イギリス人、キューバ人…などとおぼしき人々が集まり、さらにインドネシア人の女性たちもいて、なかなかいい具合に人が集まりました。私はもともととってもパーティが苦手なのですが、苦手なパーティを乗りきるには、何か作るしかない!そして食べ物でもって会話の糸口をつくるのだ!ということがひたすらカレーをつくりました…。でもそしたら途中でカレー粉の分量が想定の半分しかないことが分かって、焦りました~~。まあ、なんとか乗り切りましたが…。どうせ誰にも味は分からないさ!とばかりに。上記のようにヨーロッパ勢が主な上にホストがオランダ人とあって、みんななんとなくオランダを応援気味。でもなぜかキューバ人だけがブラジルを応援していて、なかなか面白かったです。こうやって四面楚歌でも自分の主張を通す姿勢って、いいなあ。ブラジル人でもない彼がなぜブラジルを応援しているのかというと、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの南米が準々決勝に揃って進むことができたら夢のようだから、というもの。南米人としてはそういう応援の仕方をするのですね。インドネシア人も何気に日本や韓国を応援していましたが、ワールドカップは国のみならず、地域の結束を強める効果があるのですねー。オランダ人の同僚と上司は心からチームの勝利を喜んでいて、なんだかもらいうれしくなりました。90分があっという間に感じた、両チームともいいプレーをした試合でした。明日はドイツ戦です!またパーティがある…!!でも私は試験があるから行けない~(;;)(苦手とか言いつつ。。)
2010年07月02日
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今働いているところはインドネシアのパダンですが、上司と同僚がオランダ人です。(故に先週の試合はとても緊張しました…。終わったら同僚に喜びのダンスを踊られてむかつきましたが)職場は大部屋でいろいろな団体が入っているので、前の席にはスペイン人が座っているし、他にもスイス人とか、カタール人とか、インド系マレーシア人なんかがいます。もちろんマジョリティはインドネシア人ですが。むかしちょっとだけ上司がフィリピン人だったことがあるけれども、日本人ひとりだけの環境はよく考えてみると(よく考えなくても)初めて。キンチョーします。キンチョーするっていうか、もうほとんど泣きそう(笑)同じ歳の同僚とは住居も一緒なのですが、共通の話題が仕事くらいしかないよ!どこへ行った会話のキャッチボール!ああ、欧米人と話すのなんて苦手だ~~(泣)しかしこのタイミングで、せめてワールドカップがあって良かった…。もうサッカーに夢中になるしかない。。でもそんな(一過性)無口な私に対しても、フレンドリーでやさしいオランダ人。なんていい人たちなんだろう…!仕事となると一筋縄ではいかないことで有名(?)なオランダ人さんたちですが、今の私には後光が差して見えるのでした。仕事でもはやくもくじけまくっています。ひさしぶりだな~ この挫折感。ちょっとわくわくしますね。(M?)
2010年06月21日
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ようやく着きました。昨年の西スマトラ沖地震では、パダン市や周辺地域を中心に、1000人近くの人々が亡くなり、18万戸の家が重度~中程度の被害を受け、全体で120万人の人々が影響を受けたとされています。パダン市の被害は、もちろん個々の家もあるのですが、政府の建物や病院、ホテルなどの大きな建物の被害がひどかったようです。残っている建物を見ましたが、普通であれば柱のある部分にひび割れの入っている建物が多く、これはきちんと鉄骨などを入れずに建設された建物の特徴なようです。パダンでは最も高級だったホテルも崩壊してしまいました。最初の地震があったときに泊り客は皆中庭に避難したらしいのですが、本震の時に回りの建物が中庭に向かって倒れこんできて、全員死亡したそうです。つまり避難の仕方、建物の構造や耐震性の確保で防げた被害ということです。残念ながらインドネシアは地震大国でありながら、耐震性の確保や、建設のスタンダードが十分に確立されていません。スタンダードはあっても、建設業界にはびこる収賄などの慣習が、工事の質を低下させています。まあ、この国に限った話ではありませんが。西スマトラ沖付近にはまだ切れ残っている(?)断層があるそうで、20年以内には次の大地震と津波が来るだろうといわれています。被害を最小限にとどめる準備が、今から必要です。今はビーチの近くのホテルに滞在中です。古いホテルのほうが、耐震的には強固なのだとか…。(なぜに)でもある意味、こわい。
2010年06月13日
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三半規管がなんとかなりそうです。今、日本にいます。研修を受けていて、来週にはインドネシア パダンのミッションに派遣されます。3ヶ月間の短期ミッションですが、どうなることやら…。昨年9月30日に発生した地震被災の復興事業です。パダンには地震前に行ったことがあります。ブキティンギに行く途中で寄って、あんまり印象のある町でもなかったのですが、大きなホテルやショッピングセンターもあって、いいなあ、と思った覚えがあります(超ローカルな町で働いていたので、当時)。でもその大きなホテルや、ショッピングセンターや政府の建物などが崩壊して、今でもそのままと聞きました。どうなっているのだろうか。前を知っているだけに。パダンといえば、辛めのパダン料理が有名です。バタッ族が多く、それから確か母系社会のミナカバウ王朝が栄えた場所でもあったかと。すてきな銀のアクセサリーを買ったのですが、あの場所は今どうなっているんだろうなあ。とりあえず、行ってきます。
2010年06月03日
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先日台北から帰ってきました。なんとプノンペンから台北までは直行便があるのです。3時間ちょっとのフライト。一言で言うと、いや~~…よかったです!なんというか日本に似ているのだけれど、もっとノスタルジックで、もっとのんびりしていて、外国なのにほとんどなんの緊張もなく(←いけません)、リラックス~~~してすごせました。漢字が日本と同じなので、かなり助かりました。MRT(地下鉄)やバスを利用して、かなりガンガン動きました。そしてかつガンガン食べ、最終日に限界に達した身体をMRTで30分の温泉(新北投温泉)につからせて来ました。。旅の2日目はバスに乗って約1.5時間。九?という、映画「悲情都市」の撮影が行われたカフェ(旅館)があるという山間の町に行ってきました。撮影場所は「?」という感じだったのですが、なかなか味のある。。観光地でした。晴れていたらもっとよかっただろうなあ。到着直前にバスが渋滞にひっかかって、途中下車。渋滞の理由はちかくの道教寺院にてのお祭りだったようです。もともと天気が悪くて霧が出ているところに、爆竹をバンバン焚いて、煙で大変なことに、ドラと太鼓をガンガン鳴らして、広場の中心では張りぼての神様(多分)が踊っています。むちゃくちゃ中華な風情でした。少し晴れて、向こうに海が見えます。晴れていたら、とってもきれいなところだったんだろうなあ。こちらは旅の最終日に言った、茶房「徳喫茶房」のお茶とお茶菓子。はすの実のパイ(右)とさんざしの餡のお菓子です。もともと宮廷菓子とのことで、とっても上品な味でした。甘くなくて、日本人も好きなのでは?ところで台湾旅行に行って、初めて!この歳になって、「正しい中国茶の入れ方」を知りました。ちゃんと入れると(お茶葉も違うのかもしれませんが)、こんなにおいしかったなんて…!!1.お湯はすこしぬるめで70度くらい。2.最初に入れたお湯はお茶葉を洗うためのもので、すぐに捨てる。3.お湯を入れたら最初のいっぱい目は20~30秒くらいですぐにお茶碗か茶海(味を均一にするための器)に入れる。4.2杯目からはだんだん時間を延ばして入れる。だそうです。中国茶の急須とお茶碗って、なんであんなに小さいんだろう?と思っていましたが、入れかたが全然違ったのですね。早速専用の茶器を買ってしまいました。。烏龍茶がこんなにおいしいものだったとは…!オドロキです。台北の街はとってもよかったのですが、空港から来る途中の町並みなんかを見ていると、そこそこさびれた感じもして、そんなところも郷愁を感じました。
2010年05月21日
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ギリシャさんが破産してしまいました。破産か……!記憶に新しいところでは、アイスランドさんも破綻していました。国が破産というのは、中学校くらいのときに、南米の国(ブラジル…だったかなあ。。)がテレビで破産宣言しているのを見たのが初めてです。「国って破産するんだ…!」と衝撃的だった覚えがあります。大人になったので国が破産するということは理屈としてはわかるようになりましたが、やっぱり国の破産は個人の破産とは違う。。破産救済に借り出されるのも、別の「国々」。EU、大変だなあ…。などと他人事のように言っていますが、ギリシャさんが破産してから、ちょくちょく「日本は大丈夫?」と聞かれます。私に聞くなよ…!!!(泣)海外から見ると、ギリシャの危なさも、まだいいけれど、日本の危なさもどっこいどっこいということころなのでしょうか。今年は借金が税収を上回ったとのことで、IMFさんからも勧告されていました、日本。ドキドキ…国の破産のヤバイところは、それが周辺国家や世界市場に与える衝撃もさることながら、個人の(庶民の)力ではどうすることもできないレベルであるということです。どんなにマジメに働いていようと、どんなにコツコツ貯金していようと、どんなにがんばって勉強していようと、全部パー にはならないかもしれないけれど、かなり転覆するんだろうなあ。お金の価値が相対的に変わってきちゃうだろうし、融資も受けられなくなるし。と、ちょっとマジメに心配を。でも一方で、破産はともあれ、転覆はありかもなあ。。と思う自分もいたりして(キケン思想です)転覆でもしないと、一生つかめないチャンスなんかもあるかもしれないし、庶民としては。
2010年05月07日
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8年ぶりにオーストラリアはメルボルンに行って来ました。ひっさびさのアジアじゃない国(笑)なんとな~~くの欧米テイストを楽しんできました。メルボルンの目抜き通りにある、ロイヤルアーケード。ああ、洋風…。(うっとり)イースター直後に行ったので、イースターエッグが店頭にずらり。ああ、洋風…。きらきら☆にゃーにゃーどんどこ♪という感じで浮かれて来ました。(店を見ているだけ)夫の従妹(両親が移住して、生まれながらにオーストラリア人)の結婚式に出席するために行ったのですが、夫が仕事で行けなかったため、なぜか私の母と一緒に行きました。それでも義母方の親戚一同、30人くらいがシンガポール、オーストラリアから一斉に式に集まってきていた…。すごい。。しかもメルボルンの後、私たちを除いて、みんなシドニーの式にも出席すべく、一族大移動していました。す、すごい…。洋風を楽しみに来たはずなのに、やっぱりチャイニーズに追われています。ワイナリーのレストランから、ブドウ園と気球。
2010年04月26日
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ここのところのプノンペンはしゃれにならない暑さでした。溶ける、煮える、ていうか腐る…という感じ。タイの友人もこちらも同じ…と言っていたので、半島一帯、こんな感じなのでしょうか。基本的にエアコンの部屋にいればいい私たちと違って、外で働く人の大変さは想像以上でしょう。トゥクトゥクドライバーとか、働いていなかったですよね、車中でへばってました。地方に行くと猛暑のために旱魃になって、水不足、ひいては不作や家畜の大量死が心配されています。メコン川上流の中国雲南省でダムが建設・稼動しているのですが、このダムのせいでメコンの水位が下がったのだと、下流の国々(ラオス、カンボジア、タイ、ベトナム)は中国に反発しています。しかし中国もダムにも十分な水がない!わが国の国民も困っているんだい!と譲りません。確かに自らの国益しか考えていないダム建設は問題だけれど、本当に水が足りてないのかも。最近は広く言われていることですが、地球温暖化に伴う水不足と水をめぐる紛争は深刻化、拡大化していきそうです。昨夜はエアコン最大出力だったのですが、それでも暑い。窓を開けると熱風が吹き込んできて、なお暑い…。日本の熱帯夜もこんな感じだったと思いますが、本当に眠れないし、体力が消耗します。と、思っていたら、一転。どばーーーーーっと雨が降り出しました。真夜中の夕立。その雨は降ったり止んだりしながら、今朝まで続いていて、今日はなんだか涼しいです(喜)地球温暖化(気候変動)によって水が問題になるのは、水がなくなるからではなくて、降雨のパターンが変わることによって、今まであった場所と時間に水がなくなることが問題です。暑さと寒さが両極端に厳しくなり、雨もどばーーーーっとより局地的に降るようになります。台風やトルネードが増えるので、洪水対策や、作付けや作物にも対応した変化が求められるでしょう。日本の場合だと、都会は大雨で洪水なのに、山間部は日照りで上水用の水はない、なんてことが心配。雨水を利用するとか、地下水を利用するとか、降雨パターンの変化に応じた上水対策をうつ必要があります。(もうやっているはずですが)雷が鳴り始めました。この雨が地方の農地も潤してくれるといいのですが。
2010年03月26日
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ジョグジャカルタという街には、見所がたくさんあるのですが、道すがらのウォールアートにも一見の価値あり。もういたるところにアートが!(落書き…?)壁と見ると、絵を描いてしまうのでしょか。こういうアート集団がいるのか、何と描いてあるのかも分からないのですが、壁という壁に何かが表現してありました。こちらは学校前の壁。学校の壁に絵を描くのは、日本でもよく見られますね。車から撮っているので、常にバイクと一緒…このミルクはなんなんだろう??分からなくてもインパクトあります。選挙とかだったら、笑えますが。ジョグジャカルタの意外な一面でした。
2010年03月24日
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今日はちょっと自分と英語の歴史を振り返ってみたくて、こんなタイトルしてみました。昨日のアセアン婦人会の集まりで、友人のフィリピン人から、「日本って最近経済が悪いみたいね~」と話しかけられました。そこから最近日本から仕事を求めてタイやフィリピン、シンガポールにやってくる日本人が増えた、という話に。そこで、「でもあんまり英語がしゃべれないみたいね?それはなんで?」との質問が。知らないよ!バイリンガルどころかヘタするとトライリンガルなフィリピン人やシンガポール人には、なんで日本人が日本語しか話さないのかが不思議に写ることも多いようです。それは日本語の文法が英語ととっても違うとか、漢字を覚えるのに精一杯(?)とか、文化とか、性格とか、いろいろあると思いますが、私は教育のやり方が8割、とは言わないけれど、6割がただろうなあ。と思います。個人の向き、不向きもあるでしょうし、あと、英語が苦手なのは、日本人だけじゃないやい!と声を大にしていいたいのですが…。でもそんなことを今更声高にしても、日本人が言葉の壁のせいでグローバル競争の中で不利に立たされている状況は変わりません。企業の競争のみならず、今アジアの就職市場では、英語のまあまあ話せる日本人を雇うか、英語も日本語もペラペラのローカルを雇うか、という競争が起きています。せっかくいいものを持っているのに、言葉の壁があだになって、それを思うように発揮できない、というのは、個人にとっても社会にとっても、とっても損をしているように思います。まあ、そんな不安はさておいても、英語が話せる、読めることはそれだけでも楽しいですよね。情報量も増えるし、ネットワークも広がるし、友達もできるし。私も「しゃべれる」というにはおこがましいレベルですが、今はなんとか日常の会話をし、テレビでニュースやドラマを見て、新聞を読んで、英語でメールやレポートを書くようになりました。どうしてこういうことになったのか?をちょっと振り返ってみます。1.初めて英語を始めたのは、小学1-2年生の時。幼少英語は百害あって、一利なし。という学者さんもいるようですが、私としては、そうかなあ…?です。小1-2年は幼少じゃないかもしれませんが。母が家で近所の子供たちに簡単な英語を教える仕事を始めたので、私もそれに混じっていました。子供があつまってわいわいぎゃーぎゃー(笑)歌を歌ったり、カルタをしたり、ゲームをしたり…という内容でした。思い起こすにこの子供のときのカルタはけっこう役に立った。ものすごく簡単な、AppleとかBananaとかいう言葉なのですが、これを小学校で覚えるのと、中学で覚えるのでは、ぜんぜんその後の苦労が違います。英語にもレベルがあるので、簡単なレベルは小学校低学年からはじめるべきだろうと思います。なんだかんだで中学にあがるまでは、母から英語を教わっていたような?(記憶があやふや…)2.中学、高校の英語の授業受験前には塾にも行きましたが、ほぼ学校の授業だけだったような?役に立ったのは、教科書の丸写しと声を出して読むこと。まさに地道な、農耕民族丸出し勉強法です。とっても効率は悪いので、受験向きではありませんが、その後英語で手紙やレポートを書いたりする段になると、役に立ったように思います。構文とかがなんとなく体に染み付いているんですね。でも受験は別です。あと、そんなに続かなかったけれど、近所の外人さんに英会話を教えてもらったり。それからNHKのラジオ英会話。これはけっこうよかったです。続けるのが大変なんだけれど、テキストとしては、秀逸では。3.大学~就職大学時代も英会話学校に行くこと(だけ)は続けていました。つまり、本当に細~い糸ながら、英語とのお付き合いは小学校低学年のときから途切れたことがなかったのですね。British Councilとか、日米英会話学校に行っていました。それから初めて、イギリスに英語短期留学をしました!1ヶ月くらいだったかな?なつかしいな~ シェークスピアの生家のあるStratford apon Avonというところでした。以降、すっかり英国ファンに。4.就職~留学就職してから急に、「このままではいけない!絶対留学する~!!」と息巻き始めました。一体大学4年間は何をしていたのか…(泣)自分の娘だったら、ぶっとばします。週末英会話学校に通いながら、通勤電車の中で英語のテープを聞いていました。CNNとBBCのテープ(当時…)を試しましたが、BBCのほうが、レベルが徐々に上がっていくつくりになっていて、よかったです。これをレベル1~55まで聞きました。自分に得意な勉強法というのを見つけるべきで、私はわりと耳から入れて覚えるのが好きだったのですね。なので今だにスペリングがあやふやだったり。留学準備のために、TOFLE取得のための学校に行きました。形は違っても、また受験準備ですね。ボキャブラリーは増えたかも。(増えないと困る)5.留学中イギリスのとある大学の修士コースに留学しました。本当に。よくぞこんな無謀を働く…という感じでした。最初の半年は、いくらなんでもこれはムリだった…と思って、毎日泣きながら勉強していました。(そして頭に血が上って、ますます分からなくなる、と。)言葉の壁がまず第一なのですが、プレゼンにも、ディベートにも、リサーチにも、アカデミックな表現というものに全く慣れていなかった。しかし後悔先に立たず。自分で海に飛び込んだからには、なんとか泳ぎ渡らなければなりません。。どうにかこうにか周囲に迷惑をかけつつ、リサーチを実施し、論文を書き上げました。辛かった…でも楽しくもあった。友達もできたし、ボーイフレンドもできたしね(^^)6.また就職帰国してから就職活動。とあるNGOに就職が決まり、日本勤務10ヶ月の後、ミャンマーに派遣されました。(英語の歴史を述べていたつもりが、ただの自分史に…)ここで初めて!英語を少しは「使えるようになった」という感じがしてきました。長かった~~…。スタッフとの会話が英語ですし、スタッフと共有するための文書の英語ですので、鍛えられたのでしょう。しかもあんまり難しい英語をしゃべらないし。。お互い。7.結婚~ミャンマーにてシンガポール人の今の夫と知り合って、結婚。「日本語を勉強するよ!」というプロポーズ時の約束が今だ果たされず、英語にて生活中。そして今に至る。改めて振り返ってみると、なんという役に立たない英語史でしょうか…。要領悪すぎ。それでもひとつおススメできるのは、子供のときから「英語に親しんでおく」ということかな。アルファベットとか、簡単な挨拶、単語でもいいので。得意な子だったら、どんどん先に進んでもいいでしょうし。それから、続けること。時間をかけること。でも、それはやっぱり英語の「勉強」であって、勉強は「準備」なのですよね。使えるようにするためには、やっぱり現場に飛び込んでいくこと。場数を踏むこと。子供のときに英語をやりすぎると日本語の勉強に差し支えがある、という意見を聞きますが、うまく分割すればそんなことはないと思います。日本語はもっと身に染み付いたものだし、国語はまず本を読むことだし。中高のときに感じたのですが、英語を勉強すると、日本語もより論理的になるような気がします。(英文だから論理性があるというわけではありませんが)で、夢を見るようになったかというと、なりましたね。まあ、何を言っているのかは、やっぱりよく分からないのですが。
2010年03月19日
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インドネシアはジャワ島、ジョグジャカルタから約1時間のケドゥ盆地に位置する、ボルブドゥール遺跡を訪ねました。 ボルブドゥールに向かう道すがらの様子です。 こちらは敷地内の公園を闊歩する象さんたち。お客さんを乗せるでもなく、のんびりとうろついていました。外国人の入園料は15ドル、ということで、決して安くはありませんが、まあディズニーランドよりは安い。ローカルは多分無料…か、横の小さなチケット売り場で7000ルピア(約1.5ドル)を支払っていたようですね。 全景が見えてきました。およそ8世紀、南方仏教を信仰した人々がこの地に移り住み、この寺院を建設したと考えられています。しかし時を置かずして、ヒンドゥー、そしてムスリム経がインドネシアを席捲し、この地に残る仏教は、ジャングルの中の寺院のみになりました。 東南アジアに渡った仏教は、(今でも)ほとんどが上座仏教ですが、ボルブドゥールを作った人々が信仰していたのは、日本と同じ大乗仏教だそうです。こんな南の(暑い…)地にも大乗仏教が来ていたのか~ 例によってジャングルから寺院を“発見”し、発掘をはじめたのは、コロナイザーであるヨーロッパ人(イギリス人、オランダ人)でした。1814年に初めて発見、その後発掘と復旧が始まり、その後150年以上…1982年には1970年に始まった復旧が完了したそうです。埋もれていた時間も長いが、再び現れるまでもまた長い…。 釈迦如来のお姿。お風呂に入っているように見えてしまう…(悟りを開いたところだそうです。) 天女たち。 レリーフもよい状態で修復されていました。アンコールワットと比べると、こちらは寺院1つですから、迫力に欠けるところがありますが、周囲の広々とした景観の中の寺院も、またよかったです。 終わり。あ、暑かった~(参照 wiki→☆)
2010年03月18日
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2009年11月20日に政府から「デフレ宣言」が出されたそうですね。先日シンガポールに立ち寄った際に、勝間和代さんの「自分をデフレ化しない方法」を読みました。読後アマゾンでくぐってみたら、いやに評判の悪い本で笑えました~でも私にとっては、「デフレ」ということに興味を持たせてくれた一冊です。その後、ネットでもちょっと調べてみて、デフレ-現在の日本の経済状況-についての情報と多様な意見を見ることができたので、よかったです。でも、なにぶん足りない…頭が。。原因がデフレだとは知りませんでしたが(また、その原因はひとつではないでしょうが)、身の回りでも、不景気で、仕事がない、仕事があったらあったでむちゃくちゃ忙しい、忙しくて・お金がなくて結婚できない…という悩みを抱えている友人、知人はけっこういます。統計が取れるほど友人がいるわけではありませんが(笑)、見渡してみても、決して珍しい状況ではありません。昔私が就職したり結婚したときも、そこそこ就職氷河期と呼ばれていたり、晩婚化が目立ったりしていたけれども、なんというか今のほうが、やむにやまれず感が強いような気がする。男性も女性もちゃんと働いているのに、将来のこと(お金も含め)が心配で結婚できない。そしてなんと言っても仕事が忙しすぎる。お互いに時間をとるのも大変そう。これじゃあ少子化もすすむよなあ…。翻ってシンガポールの親戚のとあるカップル。夫婦共働きで3人の子供がいます。インドネシア人のメイドさんがいて、平日は奥さんのご両親も子供の様子を見てくれています。さらに「すごい!これは日本ではなさそう!!」と思ったのが、夫婦ともに午後6~7時頃には帰宅し、食後は夫婦そろって子供たちの勉強をみっちり見ていること。です。奥さんは外資系の会社の人事で、旦那さんは石油メジャー会社に勤めています。シンガポールではともにまあまあいいところのホワイトカラーでしょう。でも!6~7時に帰宅できる…!そしてそのまま飲みにいったりしない!!!これでは将来的に差がついても、文句は言えませんね~。もちろん日本でも個々の家庭は教育に多大な努力とお金をかけていると思いますが、シンガポールは国を挙げて教育に投資していますし、大人の時間の使い方も、ひたすら残業(現在の生計のため)だけではなくて、子供への教育(将来への投資)に使われているのだなあ…と思ったしだいです。もちろんシンガポールでも、大人も子供も、このキチキチの教育システムに悲鳴を上げつつ、ストレスも相当なものがあると聞いています。詰め込みの弊害もこれから出てくることでしょう。でもどんなことにでもリスクとストレスがつきものだとしたら、これは悪い選択肢ではない…かも。なんだか何がいいたいんだか分からぬ日記になってしまいました…。仕事がないのも、働きすぎないと生きていけないのも、早くなんとかなってもらいたいです。
2010年03月10日
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インドネシア ジャワ島メラピ山を望む。まだ煙を吐いています。数年前にもボルブドゥールを見に行こうと計画していたのですが、出発の数日前にこの山が噴火したために、キャンセルしたことがありました。その後もまた噴火していた。けっこう頻繁に噴火しています。このあたりは小さな屋根の低い家々が多かったのですが、これも何か噴火や地震と関係あるのでしょうか。
2010年03月09日
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暑いです。ネットによると現在のプノンペンの気温36度だそうですが、とても信じられない。体感温度はもっと暑い。クーラーの効いているはずの室内でこの消耗度というのは、どういうことでしょうか。しかも乾燥している。お肌がガチガチです(カサカサという生易しいものではない…)。いいのは洗濯物にとってだけだ~!ということで、最近また移動していました。先週末シンガポールからプノンペンに帰ってきたのですが、シンガポールは暑いとはいえ、比較してみると、やっぱり少し涼しかった。さすがに木を植えまくっているだけあります。ヒートアイランドになるのを緩和しているのだろうなあ。シンガポールから、インドネシアはジョグジャカルタに行ってきました。そこからボルブドゥール遺跡、パランバナン遺跡を見てきました。よかったです。ぼちぼち写真もUpしたいです。が、いかんせん、やっぱり暑かった…。ホテルから元スタッフたちに電話してみたのですが、ジョグジャカルタにいると言ったら、開口一番「暑いでしょう?」。インドネシア的にも暑いところなの、ジョグジャって!??調べてみたら、ボルブドゥールはケドゥ盆地という盆地に位置しているそう。確かに山に囲まれていました。確かに…。周りにさえぎるものひとつない、あけっぴろげさ。バリバリの晴天でした。いや、よかったんですけど。暑…。
2010年03月08日
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チャランのビーチに着きました!(前の日記の続き)まずするべきことはといえば…そう、腹ごしらえです!腹が減った、腹が減ったしかしあっという間にご飯を終わらせた男性陣(10/13人)。いつもの長ったらしい食後の一服もそこそこに、いずこへか視界から消えてしまいました。ま、まずい…!(引率としては)そこで追ってみると、釣りを始めていました。みんなMy釣竿持参だった。。そ、それでか…!「海に行きたい、海に行きたい、ピクニックに連れて行け~、連れて行け~」と煩かったのは…!!釣りに来たかったのか、君たちは~~~!!!(まあ、いいけどね)いつも仕事をしている姿しか知らないスタッフたちが、思いっきり釣りを楽しんでいる姿はなかなか新鮮でした。ムラボーって特に娯楽もないし、ムスリムはお酒を飲んだりするわけでもないし、どんなレジャーをしているのだろう?と思ったら、そうか、釣りだったのですね。しかし釣りに夢中の男たちを引率するって、ほとんど不可能…。連なる岩を超えて、さらなる漁場を求めて行ってしまいました。ま、まって~(泣)写真だと怖さが伝わらないかと思いますが、この岩を伝って行くのって、怖かったです。結構。しかも途中一箇所、岩と岩が丸太的倒木でつながれている場所があって。そういう場所を一緒に来たスタッフの子供(8歳)とか、ひょいひょい渡っていくのですよね。ああ、この子が落ちたら責任重大…とか、スタッフが落ちたら責任重大…とか、そもそも自分が落ちたら一巻の終わり…とか、こわい想像がぐるぐるします。小心者ですから!でも渡る。苦労して(苦労したのは私だけですが)やってきた甲斐あって、なかなかの釣りスポットを見つけたようです。ひたすらもくもくと釣り続ける人(そんな特技があったんだ~)、釣りなのにひたすらしゃべり続ける人(いつものとおり)、新しく買った釣竿が自慢な人(むしろそれのみ?)、いろいろです。あまりにも激しい緊張と運動を強いられたために、岩の上で大の字になって寝ていました。そうしたら、空がこんなでした。やっぱり海は(空だけど)いいなあ。戦利品です!みんな満足したかのかな?帰りは恒例の、これです。つ、疲れた~2年前の話ですが、今だったら、間違いなく、丸太から海へまっさかさまですね。アチェではレジャーにもリスクがつき物。楽しみたかったら、自己責任でね!というお話でした。
2010年02月18日
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2008年12月に戻ります。12月13日土曜日。スタッフのみんなと、ヒミツのピクニックに行ってきました。なにがヒミツなのかとか、どうしてヒミツなのかとか、ここでさらしている以上、もうヒミツでもなんでもないんじゃないかとか、全てスルーで。。アチェ州のチャランというところに行ってきました。ビーチがきれいで有名なところです。昔は週末には海水浴を楽しむ人たちでにぎわっていたそうですが、どうやら地震の前から廃れてしまっていたそうです。総勢13名(だっけ…?)3台の車で出発です。道程は「3時間弱ですよ~」と聞いていたのに、4時間くらいかかったような…。あ、あいつらめ~~道すがらの景色です。なんか、唐突に崖が出現!?と思ったら…なんと森林の伐採後でした。あまりにも均一に伐採されて、しかも残りの木が多分燃やされた(?)後が、白く、崖のように見えたのでした。やっぱりというかなんというか、雨水が吸収されなくなったようで、大きな湖のような湿地が出現していて、さらに道路も水に沈んでしまっていました。ここを通るのに、20分くらいかかったかなあ。。ビーチに着くまでも、みんな楽しそうでしたが、私的には戦々恐々でした。。なんといっても引率の先生(?)役なので…。ああ、楽しめない。ドキドキする…。しかも途中で一回、警察に止められてしまった。。どうやら車両の許可証が云々とか言われている様子。ぎょえええ~~と思ったら、我らがスタッフの一員、医師で地域の名士とも親交が深い(らしい)Dr.Mがささっと現れて、何事が話して、にこやかに開放されました。。ああ、持つべきものは地域権力と癒着…じゃなかった、親交のあるスタッフ。。そんなこんなで着きました!チャランのビーチです。なんにもない~~ ほんとビーチだけ。。つづく…。
2010年02月17日
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「何が見えるの、看護婦さん、あなたに何が見えるのあなたが私を見るとき、こう思っているでしょう。気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく、目もうつろにさまよわせて食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない。あなたが大声で『お願いだからやってみて』と言っても、あなたのしていることに気付かないようで、いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる、おもしろいのかおもしろくないのかあなたの言いなりになっている、長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり……、これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか。でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私が見えていないのですよ、私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が、あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、あなたの意思で食べているこの私がだれなのか。私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて兄弟姉妹がいて、みなお互いに愛し合っていました。十六歳の少女は足に羽をつけて、もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。二十歳でもう花嫁。私の心は躍っていました。守ると約束した誓いを胸に刻んで二十五歳で私は子供を生みました。その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。三十歳、子供はみるみる大きくなる 永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて。四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった。でも夫はそばにいて、私を悲しませないように見守ってくれました。五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました 私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです。暗い日々が訪れました。夫が死んだのです。夫のことを考え、不安で震えました。息子たちはみな自分の子供を育てている最中でしたから。それで私は、過ごしてきた歳月と愛のことを考えました。いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です。老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ かつて心があったところには今では石ころがあるだけ でもこの古ぼけた肉体の残骸にもまだ少女が住んでいて 何度も何度も私の使い古しの心をふくらませます。私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す そして人生をもう一度愛して生き直す。年月はあまりにも短すぎ、あまりにも早く過ぎてしまったと思うの。そして何者も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。だから目を開けてよ、看護婦さん 目を開けてください。気むずかしいおばあさんではなくて、『私』をもっとよく見て!」-------重い認知症で生涯を終えたイギリスの老婦人(ヨークシャー・アシュルティ病院)の遺品の中から見つかった一遍の詩。(選択2009年12月号「還りのいのち還りの医療 自然死への道を求めて」米沢慧より抜粋)
2010年02月16日
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「優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。」(塩野七生 ローマ人の物語 ハンニバル戦記(下)新潮文庫より)およそ2200年前のカルタゴ(現北アフリカ)の勇将ハンニバルを評しての塩野女史の言葉です。ハンニバルのローマ進行で始まったポエニ戦役も後半になって、前半の勢いもなく、祖国からの支援も望めず、状況は悪化するばかりだった頃。言葉も通じない別々の地域からの傭兵で成り立っていたハンニバルの軍からは、それでもハンニバルを見捨てた兵士が一人もいなかった不思議について。マキアヴェッリは「その原因は彼の厳しい態度の畏怖の念」から来ていたと述べていたそうですが、女史はそれに加えて兵士たちの「天才的な才能を持ちながら困難を乗り切れないでいる男に対しての、優しい感情」を挙げて、上記のように書いています。リーダーというのは、集団に対して、その力量と人となりでもってダイナミズムを起こす人のことだと思います。しかしそれを逆風でも持続していくことがどんなに難しいことか。祖国から見捨てられ、敗将となったハンニバルに最後まで従っていった兵士たちは、一体何を彼の中に見ていたのだろう。今現在、異国にて思いっきり逆風に吹かれている某リーダーを思いつつ。。
2010年02月13日
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ベネズエラで「電力不足緊急事態宣言」が出されたそうです。(REUITERS2月10日)お騒がせチャべスさん曰く、「我々は電力不足緊急事態を宣言する準備がある。なぜなら本当に緊急だから」とのこと。しかもこの宣言、『Suddenly Chavez(突然のチャべス)』というラジオ番組で発表されたそうなのですが、なぜ突然のチャべスなのかというと、ラジオを聴いていると本当に突然チャべス大統領が話し始めるかららしい。。その番組は民族音楽を奏でるハープの音から始まるのですが、ハープ音楽を聴いていると、「突然チャべスがやってくる。夜中でも早朝でも、いつ何時といえども」(つまり、時間は決まっていない?)しかもその内容が、「電気がない。さあ、電気を消せ!」というものでは、国民の心臓にも悪そうです。。数ヶ月前にも同大統領は「水不足緊急事態」を国民に呼びかけ、曰く、「シャワー中に鼻歌を歌うな!」(涙)自分はシャワーなんて3分で済ませるが、今だ臭いなどといわれたことはない。(それは気を遣って…)シャワーなど、2-3分で十分!国民のなかには、よりによってシャワー中に悠長に鼻歌など歌う輩がいる。とんでもない!シャワーはさっさと済ませろ!というもの。そのニュースを読んだときに、よかったベネズエラ人じゃなくて…と思ったと同時に、どうしうベネズエラに行って(行かないと思うけど)頭が痒くなったら…と恐ろしくなったのでした。私は最近軽い頭皮アトピーみたいなものになってしまって、シャンプーとリンスの後は、頭皮を念入り~~~に洗い流さないと、頭が痒くなってしまう人になってしまったのです。。ネットで調べた予防・治療法を読んで、毎日洗い流すだけで、絶対3分以上のシャワーを使っているので、その度にチャべス氏の発言を思い出しては、心を痛めています(が、かゆさには勝てない~…)しかしながら水不足というのはベネズエラに限らず、今世紀の世界中の大問題です。なんでもかんでも国民に負担を強いて、鼻歌にまで文句をつけるのはいかがなものかですが、実はそのくらい気合を入れて節水に励むべき!??一方、水を原因とする病気には、汚い水や汚染された水を使って罹るもの以外に、使う水が少な過ぎて罹る病気もあります。皮膚病や目の病気ですね。こんなお笑いコントみたいな大統領嫌だなあ…と思いつつも、やはり笑える。国民は笑ってる場合じゃない?いや、やっぱり笑ってたりして??
2010年02月11日
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日本国政府もようやく重い腰を上げ、ミャンマー難民の日本国内受入れを検討し始めたそうです。2月5日のThe Asahi Shinbunによると、2010年度には30人、2012年までには全部で110人の受入れを計画していて、現在初年度30名の選考をタイのマエラキャンプで実施中とか。110人…アメリカが60,192人(2007年~2008年)、オーストラリアが11,006人(2008年)、カナダが10,804人(2008年)の難民を受け入れているのを見ると、笑っちゃうような数ですが、日本国政府としては精一杯のスタートラインなのかも。きっと選考とかも、蟻の子一匹逃さないような緻密さで行っているんだろうなあ。。(でも信じられないようなことでポカしたりするんだろうなあ…)でも初めてのことでビビっているのは、日本政府だけではありません。難民もビビっている。「日本は地震とか火山の噴火などの災害が多い危険な国だ」という(まあ本当ですが)噂が難民キャンプ内に流布しており、オファーを蹴った難民もいたとか。日本国政府としては、難民を受け入れるからには、リスクを最小限にしたいつもりなようで、実際キャンプ内でアメリカへの移住許可証が売買されているのを知って、ショックを受けたりしているそうです。タイのマエラキャンプということは、多分カレン族のキャンプなのだと思います。移住したい気持ちはあっても、一緒に苦楽を共にしてきた親戚や村の住民たちと離れ、まったく知らない土地で家族だけで一から生活を始めるというのは、たとえ若い夫婦であっても、相当の覚悟とパワーが要ると思います。(日本政府は小さな子供のいる若い夫婦を優先しています。)それに難民の人たちには、本当にひょっとしたら、ほんの少しでも、元いた自分たちの故郷に帰れるかもしれないという、望みがあるのかもしれません。ぎりぎりまでキャンプという移行空間に留まっていたいというか。。ただの想像ですが。私は、日本として始めて受け入れるなら、ミャンマー人(カレン族)は、悪くないのでは?と思いました。カレン人は多くがクリスチャンなのですが、ロヒンギャ族などのムスリムの人たちよりは、文化的に適応が可能かもしれないし。主食は米だし。顔立ちも似ているといえなくもないし。なんといっても「和」を尊ぶ日本人のメンタリティーに一番しっくりくるのはミャンマー人だと思うし(カレンはちょっと違うかもしれませんが)。それにしても、世界には住む場所のない人々(難民)がなんと多いことか。住む場所のある人々は実質その多くを無視してきています。移住者として受け入れられる人なんてほんの一握り。でもこういう難民人口圧も、いつかおおくの地域と国にとって無視できないものになっていくのかもなあ。そしてそこで生まれたから、暮らしているから、というだけでは、その場所のすべての権利を主張できる時代ではなくなってくるのかも。。とにかく難民の人たちには、日本に無事移住してからも、なんとかたくましく暮らしていって欲しいものです。
2010年02月10日
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カンボジアはプノンペン市街の中心に位置するセントラルマーケット、別名プサータメイ(新市場)が、新装オープン!…しつつあります。私がインドネシアから帰ってきた時分には道半ば。。という感じでしたから、多分2年以上かけて修復している模様。まだ終わっていない。でもきれいになってる!ということで、新たなるセントラルマーケットの様子をUpしておきます。青空に鮮やかな黄土色(?)が映えています。もともとセントラルマーケットが建設されたのはシアヌーク政権時代というので、わりと古いです。フランス人デザイナーが手がけた構造は、なかなかアールデコ。ドーム型の市場中心建物はまだ修復中で周りだけ営業中。前よりちょっと静かかな?でも売り子さんたちの手強さは変わらず。中はこんな感じ。やっぱり色がきれいになったので、前より明るい感じ。それに床も整備されて歩きやすい。前は思わぬところに水溜りがあったり、落とし穴(?)があったりして、あなどれなかったものなあ。それにトイレができていて、感動!これで長時間のショッピングにも耐えられる~~ もちろん前にもトイレは(ある、といううわさが)あったのだけれど、行く気がしなかったというか、なんというか…。営業を始めているのは、観光客相手のおみやげ物屋さんが多かったです。ローカルの食堂や野菜、肉、魚などの生鮮市場はまだのよう。けっこう見るのも、買うのも楽しかったんだけれど。どこぞの高級ブランドで売っているはずのカバンから、
2010年02月09日
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ぽっと。すみません、こんな話題で…。あんまりおかしかったので、思わず書いてしまいます。3週間ほど前、イギリスのロンドン大学キングスカレッジの研究グループが、(一部の人々にとって)たいへんショッキングな研究結果を発表しました。曰く、「Gスポットなんて、存在しない(G-Spot may be a Myth)。」これに猛反発しているのが、ドーバーを越えたお隣の国、フランス(の、研究者、婦人科医、外科医、フェミニスト、の皆さん)。曰く、「研究結果は女性の発言を根本から無視している!」まず、びっくりしたのが、そんな研究してたんだ、キングスカレッジ…!当スポットを発見したドイツの医師 アーネスト・グラヘンバーグ氏以来の大掛かりな調査で、1800人の双子の女性を対象にして、遺伝的観察を行ったとか。その結果が、「そうしたスポットがあるという確証は得られなかった。」というもの。さらにおもしろいなあ、と思ったのが、こうしてなんでも喧嘩…もとい、意見が合わず議論している両国陣営。。ケンカの歴史もバラエティーも半端ありません。物事を究明せずにはいられないアングロサクソンの国、イギリスと、物事のあいまいさを受け入れながらそれを享受する、フランス。その差がくっきりと現れたトピックだったように思います。こんなに医学的、学術的に議論されるようなスポットだったとは知らなかったけれども、これはとてもパーソナルである上に、個人の身体や心理状態も影響するし、社会的・文化的な背景やプレッシャーなどからも無縁ではないので、“解明”はそう簡単にはいかなさそう。だし、そもそも解明する意味なんてあるの?とあいまいなれしているのか、思ってしまう。相方曰く、「スポットの探求に血道を上げてるフランス人に、そんなこと言っちゃかわいそうだよ。」いや、そういう話でもないんだけど…。
2010年02月04日
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MISHIMA-a life in four chapters (1985)「ミシマ 11月25日、快晴(仮題)」監督:ポール・シュレイダー(タクシードライバー脚本)久々のおススメ映画。でも日本では発表当時(1985年)、故三島夫人の反対ともろもろの事情とやら(多分妨害とか)により、劇場未公開となった幻の作品。25年経った今でも、日本ではDVDさえ発売されていない。日本人として、とっても残念。Criterion Collection → ☆ Criterionから最近発売されたDVDAmazon.co.jp → ☆ 昔のDVD。ジャケット怖い。絶対ジャケ買いしなさそう。。Wikipedia → ☆三島由紀夫の伝記的作品。三島の生涯を彼の回想がモノクロームで、「金閣寺」、「鏡子の家」、「奔馬」の3作を象徴的なセットと共に、そして彼が自衛隊市谷駐屯地で自決した、1970年11月25日の1日が描かれている。映画そのものが、よくできたアート作品。テンポよく、25年という歳月を感じさせない新しさがある。3作品の解釈(描き方)も挑戦的で面白い。(特に「金閣寺」)私はあまり三島作品に傾倒したことはなかったので、反ってそれで楽しめたのかもしれない。ファンには作品以上の作品なんてありえないだろうし。それにしても、三島って凄い、日本人離れというか、すべての人類から離れて、Specialな人だったんだなあ。。思考を言葉にしてきただけでも凄いのに、言葉(ペン)と行動(剣)を一体化させようと、方向性ややり方はともあれ、立ち上がってしまった、立ち上がらざるを得なかった。その具現化が「死」であるというのが、またデカダンなんだけれども、彼は戦後というより、戦争をまだ生きていたような気もする。未公開の理由は、「(三島)家族が赤裸々に描かれているため云々」とネットで見たけれど、「どこに家族が…??」というくらい、全然そんな場面はなかった。確かにちょっと彼のホモセクシュアリティに触れる箇所があったけれど、三島を知っている人だったら、そんなの今更だし、なぜに??多分嫌だと思ったら何を言われても描かれても嫌なんだろうけど、だったら最初からOKしなければいいのに…DVD特典についていた製作者たちの恨み節もなかなかに切実(笑)天皇を描いた映画「The Sun」を観たときも思ったけれども、時にその存在が日本人(や周囲の人々)にとって大きすぎて、その影響をよくも悪しくも受けてしまう日本人よりも、まったくの部外者である外国人のほうが、その存在の意味やありようを抽出して、うまく描けることがあるのかもしれない。三島を同時代人が描いていたら、理解(のしすぎ)や、羨望や、嫉妬や、同情やらで、こうは描けなかったろうと思う。製作者、ならびに出演者にも、そうそうたるメンバーが。これだけ海外にも強い影響を与えた作家だったんだなあ。。と改めて感じました。だからこそ、日本人としては、観ておきたい(っていうか、せめて観られる環境になってもらいたい)作品。製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ(!)、ジョージ・ルーカス(!!) 製作:山本又一朗、トム・ラディ 監督:ポール・シュレイダー 脚本:ポール・シュレイダー 原作:三島由紀夫 音楽:フィリップ・グラス (おお!)美術:石岡瑛子 ナレーション:ロイ・シャイダー キャスト緒形拳 - 三島 …軍服姿はキまっていた(?)けれども、大蔵省時代とか、あまりにも似合わなくて、笑える。。 利重剛 - 三島の青年時代 … 利重さん、こんなところにもー!大谷直子 - 三島の母加藤治子 - 三島の祖母塩野谷正幸 - 森田必勝 … 三島と一緒に自決した人ですね。必勝って凄い名前。。三上博史 - 「盾の会」隊員 立原繁人 - 「盾の会」隊員 織本順吉 - 自衛隊真下総監 小林久三 - 文学者の友人新井康弘 - 新聞記者 細川俊夫 - 『鹿鳴館』のプロデューサー 坂東八十助 - 溝口 (『金閣寺』)…うまい!びっくりした。 佐藤浩市 - 柏木 (『金閣寺』)…若い!昔からヒール顔。 萬田久子 - 真理子 (『金閣寺』) 沖直美 - 女 (『金閣寺』) 高倉美貴 - 女 (『金閣寺』) 辻伊万里 - マダム (『金閣寺』) 沢田研二 - 収 (『鏡子の家』)…ジュリーが…。 左幸子 - 収の母 (『鏡子の家』) 烏丸せつ子 - 光子 (『鏡子の家』) 倉田保昭 - 高井 (『鏡子の家』) 横尾忠則 - 夏雄 (『鏡子の家』) …すごい素人っぽいと思ったら。李麗仙 - 清美 (『鏡子の家』) 平田満 - 悪漢 (『鏡子の家』) 永島敏行 - 飯沼勲 (『奔馬』) 池部良 - 尋問官 (『奔馬』) 誠直也 - 剣道教師 (『奔馬』) 勝野洋 - 堀中尉 (『奔馬』) 根上淳 - 蔵原 (『奔馬』) 笠智衆 - 和尚 (『金閣寺』)…このときには既に判別不能なほどおじいちゃんでした。でも台詞読みはおんなじ。当時は妨害や誹謗を恐れて、出演依頼を断った俳優さんも多かったそうです。(DVD特典より)本当は主人公三島は高倉健さんにオファーされていたらしいのですが、こちらの健さんは、一度は受けたものの心配で心配で眠れずご飯も口を通らず、やっぱり降りてしまったとか。健さん~~(涙)そう考えると、偉い!緒形の拳さん。きっとすごいプレッシャーだったんだろうなあ。。でもそのプレッシャーって一体なに??今でもあるのかなあ。。と、2010年の海外から思うのでした。
2010年02月02日
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先月日本に帰った時、実家から仕入れてきたメソッドその2です。バナナで美白。これは日本のテレビで紹介されていた方法らしいのですが、最近50代になっても若々しくてとてもその年には見えない女性のことを「魔女」と呼ぶとか。で、その魔女な女性が紹介していたやり方らしいです。「皮が黒くなって痛んできたバナナをアルミホイルに乗せてオーブントースターで焼き、出てきたバナナ液を顔につけ、しばらくしたら洗い流す。」だけ。母はアルミホイルをサランラップにして、オーブントースターを電子レンジにしてアレンジ。で、それが私に伝承されました。1.皮が黒くなって痛んだバナナを使用。新しいバナナではバナナ液が良く出ない。2.かるくラップにくるんで、耐熱容器に入れて、電子レンジでチン。だいたい1分くらい。3.ラップを取り除き、ザルにあげるなどして、バナナ液を容器に入れる。4.バナナ液が冷めたら、顔にそのままアプライ。5.しばらくしたら、ぬるま湯で洗い流す。残ったバナナ液は小さな容器に入れて冷蔵庫に入れておくと、ゼリー状になります。次に使うときは、手のひらで人肌に暖めてからアプライ。効果のほどは…。シャイニング…!!ということで、びっくり。短期効果だけだったら、そんじょそこらの美容液より効くかも。カンボジアでも試してみたのですが、「バナナによる」ということがわかりました。美白効果だったら、日本で売っている普通のバナナが一番いいみたい。モンキーバナナでやってみたのですが、肌はつるつるになるけれども、美白効果はあんまりかな。あと、アプライ中にはアリに注意。
2010年01月29日
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アチェの2年(2007年~2009年)復活です。2009年1月から。2008年12月にはおやすみをいただいて、カンボジアに帰ってきていました。2009年1月5日より、業務開始。開始と同時にいろいろ問題が待ち受けていました。でも今から考えると、問題ともいえないような、小さな問題でした。この後に起きる出来事を思い起こすと…。現場では浅井戸の建設が着々と進んでいました。しかしながら、この工事現場を見ると、怖くて足がすくむというか、腰がくだけて沈みそうです…。あ、あぶないーーーー!頼むから子供を工事(つまり穴)に、ち、近づけないでーーー!!せめてバリケードを作るとか…。あと、前にも書いたかもしれませんが、この村のワーカーさんたちは、自分たちの慣れ親しんだ竹製用具を使っていて。。何かあったときの責任が取れないから、トライポットを使って。。と頼んだのですが、まだ使っていますね。まあ本当をいうと、慣れているなら実はそっちの方が安全に使用できるかもしれず、一概に判断しずらいところです。そんなこんなで浅井戸ができてきました。こちらはプラットフォーム(洗い場)の様子。洗い場から近くの溝までの水路は各家庭の責任で延長してもらったのですが、おおむねきれいに整備されていました。洗い場がぎざぎざなのは、洗濯板の要領でしょうか。石鹸や歯ブラシ入れの小箱なんかもできていて、なんだかうれしそう。。そして(珍しく)出張にも行きました。担当地だったムラボーからアチェ州の州都バンダアチェまでは、小さな飛行機(12人乗り)が週に4回ほど運行していました。こちらは空から見た、チャランという町の様子。平らですねえ…波がざぶんとくるわけだ。。この飛行機はずっと海岸線を通って運行しているので、「なにかあっても海に不時着できるから、実はジャンボジェットより安全」という、かなり嘘っぽい気休めが私たちの中では横行していました。途中チャランで一回停まって、オイル補給をするのですが、なんかオイルが本当にドラム缶に入っていたり、滑走路が小石や雑草でがたがただったり。。結構飛行機って、なんでも飛べる(し、着ける)んじゃん、と認識を新たにしたのでした。
2010年01月28日
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これはさすがにヤバイということに夫婦ともに唐突に気がつき、(ずっと気がついてはいたが、放置していた。。)突如ダイエットを始めることにしました。本当は適度に運動して、食事制限はあんまりしないほうがいいのだろうけれど、ウチの夫は本当に頑固で絶対運動しないし(なんで??)、しかも代謝がすごく悪いので、これはもうインプットもコントロールするしかない…ということで。とりあえず、できるだけ(←弱気)週に1,2回、夕食をすごく軽めにすることにしました。でもそうやって食べていると、別に夕食は少なくても、二人とも満足であるということを発見。。今まで調子に乗って、作り過ぎていたのかも…。最近の「とっても軽い夕食」の強い見方なのが、野菜スープです。日本に帰ったときに母に教わったものを手に入る材料を元にテキトーにアレンジしました。材料たまねぎ 1個セロリ あったら1本にんじん 1/2~1本大根 1/4本しょうが お好みで 1かけ干ししいたけ 1個昆布 ちょっと水 なべに入るだけ↑けっこう大目です。材料をおなべにどかんと入れて、ひたすら煮ます。途中で戻したしいたけと昆布と水も足して、弱火でとろとろひたすら煮る。野菜がくったりしてきたら火を止めて、(私の場合は)少し寝かせます。そしてこれを野菜を食べずにスープだけいただきます。味付けは塩、昆布茶、しいたけ茶。。などで。野菜は最後はざるにとってスープをしっかり切って…捨てます。捨てるの、もったいないかなあ。。と思って、豚肉とかで甘辛くしてみたのですが、やっぱりエキスを搾り取っているためか、あんまりおいしくなかったです。ダイエットの日は、スープと半熟卵とごはんを軽く、とかの献立にしています。やっぱり何か作りたくなってしまうんだよなあ。。夫はスープとクラッカーだけでいい!というのですが、リバウンドも怖いし。。あんまりおなかが空くと、返って吸収がよくなっちゃいそうですよね。母の場合は、たまねぎとセロリがなくて、ごぼうと大根の葉っぱなどを入れていました。そうすると、もっと根っこっぽい味(?)になってちょっと何かのお茶のようでした。一方ウチのスープはバッチリスープ!って感じ。年明けと共に始まったダイエット…今年のおなかはどうなるのかな~
2010年01月21日
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よしながふみ作、モーニングKCに連載中の「きのう何食べた?」という漫画で、最近お料理中です。漫画のキャッチフレーズが、「2LDK 男二人暮らし 食費2万5千円也」ということで、ゲイの2人暮らしの主にお夕食の献立が中心のマンガです。現在3巻まで創刊中。内容はほとんど料理なので、ストーリーはあるんだか、ないんだか、進んでいるのか、動いてないのか…という感じですが、40代弁護士さんと美容師さんカップルの、二人暮らしや、家計やら、オヤとの関係やら、毎日のお買い物やら、フツーの生活がつづられています。もともとよしながふみさんのマンガには、料理や食べ物がちょっとした場面に出てきて、おいしそうだったのですが、これは彼女の料理と同性愛という2大テーマをどんと中心に置きながら、あっさり味にしたてた感じの作品。本棚にあるより、台所にあることが多いという、不思議なマンガ本。。これまで作ってみたお料理です。酸辣湯(サンラータン 四川風スープ)ブロッコリーと鶏肉のオイスターソース炒め肉みそあんかけチャーハンなすの南蛮漬けわかめスープなすとトマトと豚肉のピリ辛中華風煮込み豆腐と雑魚のサラダツナとトマトのぶっかけそうめん凝りすぎてもいないし、時間もそんなにかからないけれど、ちょっといつもと違う献立。。になるので、重宝しています。なすの献立が多くて助かった。。なすの南蛮漬けは簡単なわりに好評でした。残念ながら日本の季節の野菜を使ったお料理とかはできませんが、慣れたらいろいろ応用できそう。主人公はよく白だしを使うので、どんなもんかと思って思わず買ってしまいました。これからトライです。しかしプノンペンに日本の白だしが売っていたのも、オドロキ。よしながふみさんといえば「西洋骨董洋菓子店」が有名で、今は「大奥」なども描かれていますが、元はBL作家で(わからない場合は、スルー)、しかもS●の同人(わからない場合は、略)もやってたよなあ…と思うと、今こうなったのか~。。と感慨深いです。。しみじみしながら、最近作りすぎ(食べすぎ)てしまっているかも。。
2010年01月15日
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若いときほどひどくないのですが、時々貧血になります。特に生理前に、朝おなかがすいていたり、朝シャワーしていたりすると、血圧も下がって、急にくる。しかも下痢とセットになってくるときが多いので、トイレと友達になりながら、床とお友達になる(ベッドに寝ていると酸素が薄くて苦しいような気がして…)、という状態になります。女性だったら、多くの人が知っている経験だと思いますが。昨年末に帰国したときは、生理前ではなかったのですが、寝ていたら急に来ました。寝てるんだからそのまま寝かせてくれればいいのに~(;;)ちゃんと目が覚めて、ああ、貧血だ~~みたいな。それで真夜中にうんうん煩くうなっていたところ、隣の部屋にいた妹が来て介抱してくれました。前フリが長くなりましたが、ここで登場したのが、「ブドウ糖」です。固形ブドウ糖を2個ほどもらってお湯と一緒にとったら、あら不思議。あっという間に苦しさが引いていきました。まあ、血糖値が下がっているときなので、糖が効くのは当たり前かもしれませんが、昔ジムで走っているときにぶっ倒れたり、ウォーキングしていて倒れたりした際に砂糖水を飲んだり、飴をなめたりした覚えがありますが、ブドウ糖ほど即時に効果は出なかったように思います。やっぱり吸収が早いのでしょうか。ブドウ糖、偉大なり。と思ったしだいです。それで急にハマって、日本でブドウ糖を購入してきました。ひとつは妹のくれた固形のもの。これはちょっと疲れたときにお茶と一緒にとると、口の中でさっと溶けて、あまり甘みもくどくないので、飴などはあまり取らない私にはちょうどいいです。もうひとつは顆粒のもの。コーヒーやお茶に入れて採る用です。今、手元に顆粒の製品があるので、ちょっと見てみると、「脳のエネルギー源 Glu Couse(グルコース)で元気 ブドウ糖100」(ここまでが商品名…)表「脳のエネルギーはブドウ糖だけです。ブドウ糖は、脳の活動を維持するのに必要な栄養素です。スポーツや仕事、学習などの後におすすめです。ベスト補給 スティックタイプ 5.000mgx25本」裏[こんな方におすすめです]■朝あわただしくて、朝食をぬいた方朝一番、脳の動きを活発にするためにおすすめです。■試験勉強や長時間の会議、コンピューター作業が覆い方こんな時、ブドウ糖をコーヒー、紅茶に入れて召し上がってください。■エネルギー消費の多いスポーツの後にブドウ糖は、消化吸収が早いので、エネルギー補給に最適です。それにしても。。日本の商品って袋からしてすごい情報量ですね。(笑)知らない人にも買ってもらいたいという意気込みが感じられます。本当はきっともっといろいろ書きたかったんだろうなあ。。もともとあんまり甘いものを進んで摂取するほうではなかったのですが、今から考えると糖の足りないときもあったのかも。いずれにしてもブドウ糖は偉大。なようなので、適度に採るようにしたいと思います。
2010年01月12日
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昨年末PCが壊れたので、日本に帰った際に新ノートを購入してきました。前PCは東芝Dynabookで、6年くらい使っていたかなあ。。バッテリーに不備の出た型で、一回通知があってバッテリー交換をしました。が、その後もやっぱり稼動時の熱がすごくて、手首が痛くなったりした。故障時はファンが動かなくなって、まったく立ち上がらなくなりました。データは外付ハードにコピーしていたから、まあいいんだけど、それでもやっぱりこういう場所でPCが壊れるとビビります。で、結局新しいPCを買ったはいいのですが、そのOSが新しいWindows7 Home Premiumでした。(そしていろいろ見た結果、やっぱりまたDynabookにしてしまった…)Vistaは嫌なので、Win7のやつにしようと思って買ったはいいのだけれど。。私がアナログさんなのでしょうが、でもやっぱりXpのほうが良かったなあ。あのカキカキした感じ(?)が、使いやすかった。なんかより単純で扱いやすかったような気がする。まあ今のうちに新しいOSにも慣れておかないと、今後もっと大変になると思うので、いいのですが。でもさすがに読み込めないソフトがあるのは困る!今やっている通信コースの教材のソフトが、よりによって読めないんですね~。まあ、フォルダーに直接アクセスすれば、教材自体が読めないことはないんだけれど、でも微妙に困るよなあ。ネットで調べたら、やっぱりこれは問題(のひとつ)らしいですね。Win7 Business Editionだと互換ソフトをインストールできるらしいのですが、そこももれなくはずしている。。困ったなあ、、とぼやきながら、別段対策を取るでもなく、ぼつぼついじっています。ところでDynabookと迷った機種がPanasonicのノートだったのですが、丈夫を旨とするならいい機種なようですね。アチェで仕事をしていたときも、至急されたのはPanasonicのノートでした。象が踏んでも壊れないとか、コーヒーこぼしても大丈夫とか、実は軍隊仕様であるとか言われているそうです。確かに軽いし、丈夫だし、谷合いで車が事故った時も、パナのPCだけは無事だったことがあります。だけども、あまりにも四角い!そして装備にリーズナブルさが足りない。。ということで、Dynabookにしました。だけどもWin7が。。(上記に戻る)
2010年01月11日
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アバター(2009年) ジェームズ・キャメロン監督日本でも公開中でしょうか。「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督の最新作、アバターを観ました。3Dです。3Dではないバージョンもあるのですが、せっかく3Dなので、3Dで見てきました。あのメガネは昔日の緑と赤ではなくなったのですね~。普通のサングラスみたいだった。昔の3Dと撮り方も違ってきているそうです。今のは、人間の左目と右目の間隔をあけた、2台のカメラで撮影して、その後、加工しているとか。スクリーンで見るこれまでの映画とは一味違うし、もちろん生身の舞台とも違うし。なんとも未来な感じでした。未来といえば、内容もまあ未来SFなのですが、ストーリー的には非常にシンプルです。大人も子供も難しいこと考えずに楽しめるレベルというか。これは絵的に楽しむ映画だと思うので、凝ったストーリーは帰ってマイナスなのかも。この位のわかりやすさがないと、絵に集中できないのかもしれません。劇場映画は不調、といわれて長いですが、こうした体感型映画が増えると、また変わってくるかもしれません。これは家でDVDで見る感じじゃないし。なんかジェットコースターに乗ってる感じだし。3D、3Dと騒がれていますが、夫は片目なので、立体には見えなかったそうです。両目があって、初めて立体的に見えるのですね、3Dは。
2010年01月08日
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もうすでに2010年も2日目を過ぎようとしています。年末、あわただしかった…。あまりにあわただしかったので、書きとめておく。2009年12月2日 シンガポールからプノンペンに帰る。12月3日 PCがおしゃかになっているの発覚。プチパニック。12月8日 母方の祖父の訃報。あわててチケット確保。年末前の混雑時だったけれど、一人くらいなら、なんとかねじ込めるということがわかる。12月9日 プノンペンからシンガポールへ。インドネシアでのミッションを終えた元同僚と会う。12月10日 シンガポール早朝便にて成田へ。成田3時ごろ着。日本の場合はそこからが長い…。斎場に直行。5時からのお通夜になんとか間に合う、も、お焼香のやり方がわからなくて、赤っ恥をかく。(お焼香なんて20年くらいしてないよ!)12月11日 告別式。さらに驚愕の事実発覚。この後行くはすだった台湾旅行を急遽キャンセル。12月16日 シンガポールへ。12月16-18日 試験日だった…。機内で問題を解く。。という感じで、2週間くらいむちゃくちゃ忙しかった。シンガに帰ってきてからも、夫がいるので遊ばなくてはいけなかったり、クリニックに行ったり、 映画を見たり、クリスマスプレゼントを買ったり、親戚のクリスマスの集いがあったりして、そしてその嵐が過ぎたら、今、すっごい暇です。訳あってまだシンガポールにお留め置きの身なのですが、もう暇で暇で、バイトでもしたい感じ。こんな風に生きている人間は日々ばたばたと過ぎ去る日々を過ごしていくわけですが、祖父のしは、私にとって久しぶりの身近な人間の喪失でした。その直後を見た母や妹とは、私の感じ方はまだまだ遠く、ドライなのだと思います。それでも人の死によって、生きている人間の家や、家族への思い、葛藤、軋轢、などが浮き彫りになること。またお葬式や、お仏壇や、お墓というものが、死んでしまった家族をも含めて、家族の結びつきを改め、生きている人間のよりどころとなっていく様をみて、「ああ、これが日本の家族なんだなあ。。」と再確認させられるような経験でした。不謹慎だけれども、無理を押して帰ってよかった。祖父の死を他の家族と共有できてよかった、と思ってしまいました。特に外国暮らしも長い(そしてこれからも続く)ので、ちゃんと自分の中で意識していないと、回りに流されて、ふわふわ~っとなくなってしまいまそうです。日本の家や仏教や神道や先祖供養というものは、別にかっちり教義のあるものでもなくて、なんとなく日本の家にいたら当たり前にあったり、行ったりして、特に意識する必要もなく、地味にイベント化していたりしているものなので。まあ、地域や家によってはもっとかっちりしているのかもしれません。そんな差異が当たり前にあるのも、また日本らしいのかも。
2010年01月02日
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あっという間に今年ももう少し...。2週間くらい前からシンガポールに来ています。2週間はそんなに長くないはす。。でも、長かった...やっぱりなんにもしない2週間は辛い。こちらシンガポール○島屋の恒例のクリスマスツリー。恒例とは言っても、デコレーションは変わります。写メっている観光客の隣で激写。今月は、仕事をやめてから取り組んできたことを終劇にすべく、動いた(とまっていた)日々でした。でも停滞モードって苦手なほうなので、できれば早く動き出して欲しいところ。早く来年になってもらいたい。
2009年11月27日
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久々にシリーズ(?)「インドネシア アチェでの2年間」の更新です。2008年12月から…。この頃には、カウンターパート機関のボランティア活動も本格的に動き出していました。ボランティア。。とは言っても、無給ではなく、有給で有る程度の責務を持っている活動体であることは、以前の日記に書いたとおりです。さて、この週はボランティアさんたちより、「Personal Hygiene Kit Distribution(衛生キットの配布)を行いますから、来てください」とのこと。キットの内容などは、以前から話し合っていました。私は大体、物を買うときとか、お金のかかることには煩いけれども、やり方については結構お任せ。。という人だったので、「お、そうか、(本当に)やるのか」という感じで見に行きました。とある村での配布活動の様子。住民の出席率は、これまでになく、よい。やっぱり各世帯が対象になると、関心も当然ながら高くなります。いわゆるバラマキでしょうが、バラマキはいまや世界の潮流(?)ですよね。こちらが配っている内容。歯ブラシ、歯磨き粉、爪きり、石鹸、洗剤。。などが見えます。住民にとっては見たこともない…ということは決してないのですが、買物としては、プライオリティが低く、使ったほうがいいのは知っているけれども、あえてあんまり使わない。。というのが歯ブラシや爪きりのようです。こうして「もらって」「使ってみて」使い続けてもらうことが目的です。こうしたボランティアさんたちの活動をわりと放任にしていていたのは、第一に私の属していた団体とカウンターパート団体の関係性からして、私がいちいち指示を出すのはちょっと難しい構造にあったこと、またやり方として、人に指示されて完璧に行うのと、自分たちで考えてそこそこのものにするのだったら、後者のやり方の方が、本人たちには楽しいし、持続性もあるのではないかと考えていたからです。(あと、まあ、忙しくて後回しにしていたというのもある。)…だけどもさー彼らの配布活動を見に行って、びっくりしたのは、本当に「配布」しかしていなかった…!ということです。配って、さようなら。住民も、あれーこれで終わり?という感じ。おいおいおいおい。。せっかくこんなに住民が集まっているのに、言うことないの?なんかスピーチでもしたら?配るだけでいいわけ??と言うと、おおそうか、という感じで、早速スピーチをしてくれました。これは別の村ですが、スピーチの様子。しゃべれ、というと、即興でわりとまともなスピーチができちゃうのが不思議なところです。できるならやれよ~最初から、という感じですが。日本人だと準備は万端で、肝心のスピーチでこけたりして…。インドネシア人は結構人前でしゃべるのに慣れているというか、好きみたいですね、注目を浴びるのが。こんな感じで始動し始めたボランティア活動ですが、あぶなっかしいながらも、この後、だんだん良くなっていったような気がします。それはまた別の日記で。。ちょっと宣伝。11月14日にBS朝日で関連の番組をやるとか。私は観れないのですがー
2009年11月13日
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私が9月に行っていた大学は、隣のタマサック大学の広大な敷地の一部を買い上げた土地にありました。この大学にも学生寮、教授やスタッフらの住宅をはじめ、生活に必要なひととおりの設備は整っているのですが、さすがに隣のタマサックはとても大きかった。町全体が大学街で、日本で言うところの筑波みたいな感じかな?…と、いうことを前、日記に書いたんだか、まだ書いてなかったんだか…。とにかく大きな大学でした。あまりにも大きくて人も多いので、なんとなく、楽しい。。ある晩、タイ人のクラスメートたちに、ナイトマーケットに連れて行ってもらいました。この日は食べ物を売っている方に突進!いろいろあって、楽しかった~揚げ物蒸し物焼き物(魚)ベトナムのパンケーキにも似た卵焼き?そして、ミニミニ寿司!ちっちゃい~ ホンモノの半分くらい?その分値段も抑えられています。人気は上々のようす。。戦利品の数々。。ゴミにも見えますが…。4人で行ったのですが、4人ともコーフンして(?)たくさん買いすぎてしまい、思わずBig Dinnerになってしまいました。やっぱりナイトマーケットは楽しいですね。隣では学生のカラオケ大会みたいなイベントが開催されていました。…と、いうことを既に日記に書いたんだったか、書かなかったんだか…。そういえばここのキャンパスでは「Free Hug」のサインボードを掲げて立っているおにいちゃんを見かけたのですが、彼は日本人だったのでしょうかね~
2009年10月28日
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Julie & Julia (2009)メリル・ストリープ、エミー・アダムス主演ノラ・エフロン監督2つの実話に基づく物語。50年前。アメリカ外交官夫人として、フランスはパリに暮らすことになった女性ジュリアと、現代のニューヨークに夫と猫と暮らす派遣社員のジュリー。一見なんの接点もない2人を結ぶのは、料理への情熱!ジュリーは自分への挑戦も兼ねて、ジュリア著のフランス料理本「Mastering the Art of French Cooking」のレシピ全524品を、1年365日の間に全品制覇(調理!)するという目標を掲げ、その挑戦をブログに綴っていく…。という内容です。当時のパリで自分が夢中になれることを探すジュリア(メリル・ストリープ)と、現代同じく自分探し中のジュリー(エミー・アダムス)の2人の物語がパラレルで語られていきます。ちなみに二人とも実在の人物なのですが、ジュリアさんはとても背の高い女性だったようです。そんなところもコミカルに(ちょっと悲しく)描かれています。監督さんも女性です。映画館で見たのですが、観客もやっぱり女性が多かったような?もちろん男性も、カップルでも家族でも楽しめますが、女性が見てとっても楽しい映画だと思います。なぜ女性に楽しいのか?といえば、それはやっぱり日々の料理のお話でもあるからですね。特にジュリアがとっても料理を楽しんでいるのが伝わってきて、観終わると、早く家に帰って料理したい!って気持ちになります。影響されて、早速特大バターを買ってしまいました♪
2009年10月23日
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香港から高速フェリーに乗って約1時間。マカオにも行ってきました。マカオといえばカジノが有名ですが、世界遺産にも登録されているポルトガル植民地時代の古い教会や建物のある歴史市街地区も有名です。香港の喧騒を脱すべく、行ってきました。観光の出発点、セナド広場の様子。あちこち修復中でした。正面にど~んと中国建国60年記念はりぼてが置いてあって、いろいろ台無し、 今のマカオを感じさせます。後ろを振り向くと民生総署。こちらも修復中。聖ドミニコ教会。中は静かです。教会があると、急に“西洋”を感じますねーストリートの様子。古い建物を修復して、1階にはショップがたくさん入っています。ここもやはり。。人が多い…。観光の目玉、聖ポール天主聖堂跡です。正面の壁だけ残っています。それから地下のお墓も残っていて、17世紀にマカオに渡ってここで亡くなった、日本人クリスチャンの方々の遺骨も収められています。というか、ガラスケースに入った白骨を見ることができるので、ちょっとびっくり。。当事は日本も鎖国前で開かれていて、海を渡ってきた日本人も多かったのですね。ちょっと裏に入ると急に中国。狭いストリートに小さなお店がたくさんあって、とってもノスタルジックです。苦労して探し当てたポルトガルレストランでの遅いランチの後、カテドラル前の広場までたどり着きました。狭い場所なんだけれども、どうも入り組んでいて、さっと着かない感じですね。そこもまた城郭都市の名残を感じさせます。450年以上も東洋と西洋が融合してきた街。。ということで、なかなか味のある街でした。ポルトガル料理も、素朴でとっても美味しかった!旧市街の建物の向こうに高くそびえるカジノホテル。。というのも、マカオならではの風情でしょうか。機会があったら、別の島にも行ってみたいですね(^^)
2009年10月22日
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休暇で香港に行ってきました。東京の半分くらいの面積らしいけれど、人口は東京の倍くらいいるのではないかと思った。とっても人が多い。これは中環の様子。昼時に行ってしまって、ほんとうに人が多くて、どうしようかと思った。。ピークより、香港湾を囲むビル群。ああ、ビルも多い。このビルの一部屋一部屋に人が住んでいるのかと思うと、すごい。。夜景。有名な100万ドル(だっけ?)の夜景ですね。やっぱりきれい。繰り返しになりますが、人が多かった。北京に行ったときもそう感じたけれど、やっぱり人口13億は洒落じゃないですね。でも10-20年前の東京も思い出してみれば、人が多かったかな。いや~ やっぱり中国の比じゃないな。どこもかしこも人が多くて、ビビッてしまって、買物できませんでした(笑)。帰ってきたら、シンガポールが広々として見えます。
2009年10月16日
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昨日はシンガポールのリー・シェンロン首相が、鳩山首相への表敬訪問を行ったそうですね。リー首相、世界で一番乗り。これも民主党政権の「アジア重視の外交政策」に応えたものでしょうか。民主党の外交政策というのが、いろいろ言われているようです。私のイメージとしては、アメリカさんとの距離をつくりつつ、アジア(中国、韓国、東南アジア)ともっとお近づきになりたい、、って感じ?軍隊を持たない(持ってないはず。。)の日本にとっては、安全保障上でも経済的にも、アメリカはこれからも第一にConcernしないといけない国であるのは変わらないと思うけれど、この外交を多角的にしようという方向性自体は、評価したいな~と思います。昔むかしミャンマーで働いていたとき。仕事柄、日本の外交官の方々とお話する機会があったのですが、ミャンマーの話をしているにも関わらず、「アメリカ次第ですね~」とか、「アメリカがなんていってくるかなあ。。」とかいう発言を聞いたり、人づてに聞いたりして、うわ~日本の外交って、本当にアメリカに向いてならえなんだなあ。。という印象を持ちました。もちろん外交官の方々の中には、そういう状況を自身でも分かっていて、困ったものだと思っている方もいたのだと思いますが、やっぱり一番の国の方向性を担うレベルの人たちがアメリカアメリカなので、下のレベルだけでどうこうできることではなかったのでしょう。国の安全保障を他の国にお任せしてしまっているというのは、こういうことなんだなあ。。と思いました。それは分かるけれども、でも素人ながらに、なんだか危なっかしいなあ。。と思った覚えがあります。外交って、こんなにリニアでいいのか?とも。他の国ではどうか分かりませんが、ミャンマーというのは、大国の思惑が反映しやすい問題国家でしたからね。ちなみに今はそのアメリカさんがミャンマーへの制裁解除の方向で動いています。なぜなら世界経済第2位にのし上がろうとしている中国さんがミャンマーへの援助をやめないからですね~。このままではみすみす指をくわえてミャンマーの豊富な天然資源が中国さんに直行するのを見ることになるので、この辺でマダム スー・チーにもそのお役目を終えていただこうというところでしょうか。。(ひどい…)そんなこんなで、民主党政権になり、外交路線も、とりあえず、変えようという気持ちはあるようです。このままアメリカの傘の下に入っているのもリスキーですが、独り立ちして世界の泥沼の中に漕ぎ出すのも超リスキーでしょうね~~。でもいつかはそうなると思うので、今がんばれ、という感じ。雑誌からこんな一説を見つけました。-----双方(日本、欧州)の首脳に共通するのは、イラク戦争の失敗と金融危機で米国一極支配体制に幕が下がり、多極化した世界を舞台に地域ブロックがしのぎを削る「国際戦国時代」に本格的に突入したとの認識だ。(選択2009年10月号「鳩山「友愛論」のルーツは外国」より抜粋)国際戦国時代だってさ!がんばれにほん~
2009年10月07日
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バンコクのショッピングセンターにて。バンコクでは買物しかしなかったなあ。大いなる反省。。
2009年10月02日
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昨日バンコクから帰ってきました。ようやく家(プノンペン)について、ほっと一息…。最後の2日間で鬼のように買物してしまい、それまでの清貧学生生活が水の泡に。。ああ、人生ってなんだろう。。写真は飛行機から撮った、トンレサップ川の様子です。トンレサップは、カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖であり、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) という意味がある。一年のうちほとんどの期間、水深は1mに留まり、面積は2700平方kmしかない(このためプノンペンとシェムリアップを結ぶ定期船が暗礁に嵌りかける場面がよくある)。形状はひょうたん形である。しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も9mに達する。(Wikipediaより抜粋)→ Wikiという訳で、今、拡大中です。見渡す限り、水浸し。今頃地上では、漁が盛んに行われているのだと思います。早速市場に行ってみねば。
2009年09月29日
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いま、最終試験が終わりました。つ、疲れた~~~(><)日ごろ使っていない脳を使ったので、疲れもひとしおです~~2週間でアサインメント、プレゼン、試験。。とあったので、思ったよりキツかったなあ。。でもこれが(本来の)学生というものなの(だったの)かも。でも良かったのは、クラスメートたちととっても仲良くなれたこと。最初は女性一人で大丈夫かなあ。。と思っていたけれど、アユタヤやナイトマーケットに行ったり、ほとんど毎日夕食を一緒に食べたり、プレゼンや試験の前には、一緒に勉強したりディスカッションがあったりと、楽しい時間と辛い時間を共有した感じです。こういうこと、少なくとも15年くらい前にやることだよなあ。でも同じくらいの歳の人もいたので、現代社会においては、勉強は時間のかかるものなのですね。またおいおい書きます。バッテリーが。。
2009年09月25日
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一昨日からタイに来ています。バンコクから1時間ほどのアジア工科大学での1年ちょっとの通信教育コースを受講することになり、最初のコース受講のために2週間ほどこちらに来ています。タイの大学。初めてですが、郊外の大学はまるで小さな町か街のようで、興味深いです。広い!皆自転車で移動している。。受講者は6人。タイ人3人、カンボジア人、フィリピン人、日本人(私)。女性は私一人でした。さびしいです~(;;)教授陣はインド・バングラが4人と、フィリピンが2人。見渡すと教授たちにはインド人が多いです。アジアのアカデミック担当はインド人なのね~。勉強なんて10年ぶりでドキドキです。。宿題とか、テストとか。。これを20年もやっていたのかと思うと、過去ながら気が遠くなりそー。
2009年09月15日
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はっと気づけば、今日は9/11。アメリカ同時多発テロの発生した日ですね。2001年。早、8年が経ちました。8年前の今日はミャンマーにいたのでした。テロ発生は、アメリカ時間の朝。ミャンマーでは夜の7時くらいだったと思います。ちょうどその日は大使館のアレンジで、日本からの衆議院議員の方に、ミャンマーでのNGOの活動を説明するための食事会に参加していました。ちょうど私が活動説明を(だらだら)しているとき、大使館職員の方の元に緊急コールがかかった来たのでした。「今、日本からの連絡が入ったのですが。アメリカで航空機が世界貿易センターに激突したそうです。」これだけでもびっくりなのに。激突したのは2機、しかもテロの可能性があるとのアメリカ側の発表…ということで、非常にびっくりした覚えがあります。「これが本当なら、世界は大きく変わる。」との、その時の議員さんの言葉が印象的でした。この驚きは、アメリカ市民の皆さんにんは本当に申し訳ないけれど、なんというか、驚いてがっかり力が抜けるというよりも、驚いてハイになる感じの出来事でした。その後しばらくは、ミャンマーでも皆ハイ(?)でした。国際ニュースなど見られない一般市民ですが、ニュース映像がVCD(当時)にコピーされて大量にマーケットに出回っていて、皆わーわー言いながら見ていた。ミャンマー人の誰かが、「これでアメリカがミャンマーを攻撃する日は遠くなったね。まずはテロ、それから北朝鮮、ミャンマーはその影に隠れていられそうだね。」と、言っていたのを覚えています。あれから8年。イラク戦争、フセイン拘束、グアンタナモ…テロとの戦いは続いています。ミャンマーはまだ隠れている感じ?でもそろそろ表に引きずり出されたりしてね。。
2009年09月11日
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あれは確か2008年10月か11月、深井戸の引渡式が終了して、すぐのことだったと思います。とある雨の日、現場の村々をモニタリングして回っている時のこと。同じく現場にいたカウンターパート団体のスタッフから、ある村の深井戸の水が出なくなっているという報告を受けました。慌てたのなんのって。。正式に深井戸を村に引渡してから、まだ数週間しか経っておらず、まさかもう壊れたのかと、現場に着くまで戦々恐々でした。雨の降りしきる中、井戸の周りをうろうろと調べる私たち。。そのうち村人や、水管理委員会の人たちも、なんだなんだと集まってきます。「水が出ないの?」と聞くと、「うん、出ない」とのこと。ぎょえええ~~~(泣)泣きながら掘削を担当してくれた団体(の友人)のところに電話をしてしまいます。彼も水が出ない=壊れたとは信じられない様子。一体どうしたのか??するとエンジニアのスタッフが、わかったわかったとニヤニヤしながらやってきました。「村人はどうやら、配水管を設置したらしい。」「でも井戸から配水管に繋ぐ場所が間違えている。」本当は一旦タンクに溜まった水を配水管に流すようにパイプを設置すべきところを、深井戸からの水が直接出てくるメンテナンスパイプにパイプを設置してしまったために、配水管からの使用量が増えると、水がタンクに溜まらずに“タンクからの”水が出なくなっているようです。あ~~~ びっくりした。でも。。。!?配水管!???この事業では、深井戸と給水のためのタンク、蛇口、洗い場は造りますが、各世帯までの配水管の設置は行いません。もともとこの深井戸は(くどいようですが)飲料水用なので、全世帯の全用途に対応するようには設計していなかったのです。しかしそれはこちらの計画。もちろん説明はしましたが、村は村で深井戸が出来てから話し合いを持ち、村のお金でパイプと蛇口を購入して、全世帯に水道を設置することにしたのだそうです。…し、知らなかった~。確かにもう供与は終わりだよ!後は自己責任でね!!と引渡しの時には言ったけれど、相談してくれれば技術的なアドバイスはできたのにな~。この村に関して言えば、運よく出水率は高かったので、配水ができるくらいのキャパシティはありそうです。完璧ではありませんが。とはいえ。こうして援助したインフラが村人たちの考えを元に、村人たちの手によって、より使いやすく向上してくのを見るのは、うれしいものです。ヒヤッとさせられましたが、一転、嬉しい驚きに変わりました。その後聞いたところによると、パイプは村全体のメインロードを通して、日本円にして3万円くらい。その後、それぞれの家がメインロードから自分の家までパイプを買い足してつなげるそうです。全世帯100軒あまりの小さな村です。それでも日本円にして3万とは、村人にとって決して小さなお金ではありません。しかしこの村は比較的マネジメントがしっかりしていて、村所有の結婚式用のテントや飾りものの貸し出しや、共有地にあるゴム畑やドリアン林の賃借料やなにやらで、村にいくばくかのお金があったそうです。まだ配管設置の工事は終わっていないとのことでしたので、次の工事には呼んでもらえるようにお願いいしました。で、工事…。こんな感じです。手で掘っているところが、なんとも。。村人総出で、金曜日の「ゴトロヨン」と呼ばれる公共奉仕の日に行います。鍬もありますが、数が足らないようです。事業を通してこうした活動を活発化してもらい、必要な道具類も供与することにしていました。配管の状態です。やればできる。(ちょっと曲がってるけど。。)やろうと思えば、結構なんでもできるんだよなあ。やろう!と思い至るまでが、大変なんだろうなあ。。この村では、以前は乾季には往復2時間以上かけて水を汲みに行くというほど、水へのアクセスの難しい村でした。今では「蛇口をひねると水がでる!前は夜水を汲みに行くのが怖かったけど、今は家で水がいつも得られる。」と、お母さんたちは、嬉しそうでした。一度蛇口から水の得られる生活に慣れてしまうと、もう後戻りはできない、というか、したくないでしょう。深井戸を大切に長持ちさせてもらいたいし、これからもイザと言うときのために、お金をためてもらいたいものです。この村の例は他の村も刺激したようで、ウチもお金をためて、配水したい!と言い出す村も出てきました。あくまでも外部に頼ろうとする村もありますが、こうして(とっとと)自分たちで動く村もあるわけで、その差もおもしろいです。よいこらさ。
2009年09月10日
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