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「元気」や「明るい」は、それ自体は美徳ではない、という記事を書いたので、続きを。 どんなに「元気」な人間だって、「元気」でないときはあるし、「元気」ではいけない場所だってあるだろう。 どんなに「明るい」人だって、「明るく」ないときだってあるし、「明るく」してはいけない場所だってあるだろう。 ひとつ、思い出すことがある。 教育関係者という卑劣な生き物の、独善的な愚かさの典型のようなエピソードだ。 私が小学校五年生のときだったと思う。 「モンスターペアレントごっこ」に書いた、ムラキだかムラセだかという卑劣な女教師は、小学校四年生のときの担任だったから、その次の年の担任の話だ。 私たちの男子の仲間は、明るい奴らが多くて、いつも陽気にふざけあったり、空き地で野球をしたり、缶けりだとかをしたり、他愛ない遊びをしていた。 その中でも、私は周りを笑わせるようなことを言って、おちゃらけたところもある子供だったと思う。 五年生になって、例の、ムラキだかムラセだかという女教師から、タカダだかタカタだかという独善的な中年男教師に担任が代わった。 たぶん、クラス替えもあったと思うけれど、仲のいい友人は結構同じクラスになったはずだった。 タカダだかタカタだかという教師は、ことあるごとに私たちを怒鳴り、ときにはひっぱたき、毒づき、説教をたれた。 子供が自分で選択していいはずの発表テーマなどにも、自分が気に入らないと、ことあるごとにケチをつけた。 そんなタカダだかタカタだかが、家庭訪問にきて、私と私の母親に向かって 「彼は暗い」 と言い放った。 私は、そんなことを言われたのは初めてだったので、びっくりしたし、私の母親もびっくりしていた。 どちらかといえば、明るくておちゃらけているだろう、という評価が私自身も私に下されるのが常だと思ってきたし、私の母親もそう思っていたはずだ。 そのことで、特に悩んだわけでもなかったが、そのカラクリはすぐにわかった。 私の友人たちの明るい奴らもみな、家庭訪問において 「暗い」 と言い放たれていたのだそうだ。 私たち明るくすごしていた仲間たちは、タカダだかタカタだかという、クズのような独善的な教師の前でなど、明るく振る舞えなかっただけなのである。 誰が、シャブ中毒でラリって刃物を振り回している人間の前で、その現場で明るく振る舞える? タカダだかタカタだかは、自分が、私たち子供にとって、シャブ中毒でラリって刃物を振り回している暴漢と同じ存在にすぎないことに気づいていないだけなのだ。 愚かなクズだ。 教育関係者の典型ともいえる。 その証拠に、タカダだかタカタだかは、その後、卑劣の中の卑劣、キング・オブ・卑劣、である、校長へと昇進したらしい。 私たちの担任だった当時から、女子には猫なで声で「さん」付けで呼び、男子には呼び捨てで怒鳴りまくる、典型的な気色悪い教師だった。 そして、えこひいきしていた女子にも気持ち悪がられていたことを、本人だけが知らなかった。 人間は多面体。 タカダだかタカタだかに 「暗い」 と言い放たれた子供たちは、みな明るい子供たちだった。 人間は多面体。 でも、立場の弱い者に対して、卑劣な教育関係者という生き物は、他にいい部分があろうが、そんなものは認めない。
2014年03月31日
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先日、ブロ友さんのTTrocoさんの演奏を聴いてきた話はしましたけど、 今度は、私たちのイラストを描いてくださった、まころんさんから、素敵な贈り物が届いた。 まころんさんは、以前にもご自分の作成した絵本をくださった。 まず、絵本は 「はいいろのきんぎょ」 ひらおか真子・作 新風舎・刊(2007年) 素敵な内容ですよ。 ただし、この出版社は、現在はありません。 次に今回贈ってくださったのは、CDでした。 尾本喜代美さんというまころんさんのお友達の歌手の方のCDです。 「演歌ひとすじ女節」 CDの裏ジャケットには、見慣れた、まころんさんのイラストで、尾本喜代美さんの姿が描かれています。 ぜひ、聴いてみてください。
2014年03月31日
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「あの人は元気だね」 とか 「明るい子だね」 というのは、 多くの場合、ポジティブな評価としてなされる。 それ、違うよ。 「元気」とか「明るい」なんてのは、それ自体は、全くニュートラルなものにすぎない。 その「元気」や「明るさ」が、どう波及していくか(他人に対しても、自分に対してさえも) 「元気」で暴れ回って暴力ふるっている人間にも 「あの子は元気だけど…」 なんて言い方をする。 “けど”が入るということは「元気」自体を美徳と考えてしまっているのだろう。 同じく 「病気だけどがんばっているね」 「障害があるけどすごいね」 これって、「病気」や「障害」を既に忌み嫌っているからじゃないのか。 それ自体を既にネガティブだと捉えているからじゃないのか。 仮に、一過性の病気やケガだったとしても、それは、その時点でのその人の属性にすぎないのではないか。 「元気」や「明るい」「障害」なんてものも、それ自体はニュートラルな属性にすぎないのではないのか。 元気があっても、優しさの欠片もない人間より、病気だけれど優しい人間のほうが、よっぽど素晴らしいだろう。 「元気」だとか「明るい」なんてのはそれ自体は美徳でもなんでもない。 それ自体は単なるニュートラルなものだ。 しかも、それは流動的で脆い。 「元気」をどう生かすか。 「明るさ」をどう生かすか。 「あの人は毎朝早起きで元気ねえ」 なんて褒められている人間が、朝早くからでかい音をたてて近隣に迷惑をかけていたら、その「元気」は害悪にすぎない。
2014年03月31日
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ちゃりこの中学校にも付属があるのだが、付属の小学校から上がってくる生徒を内部生、公立の小学校から受験して入ってくる生徒を外部生と呼んでいる。 内部生はすでに小学校時代に人間関係や上下関係などができていて、外部生がどういう扱いになるかは想像がつくだろう。 おかしいんだよ。 学校説明会では、中学校から入学した子供に対して、小学校から在学している子供たちが、とても親切に優しくしてくれる、みたいなことをさんざん言っていたんだけど… フタを開けてみたら… だったら、学校説明会が詐欺行為だよね。 で、思うんだけど、同じ学校に通っていて、「外部」なんて言われるの、おかしいだろ、って言ったんだよ。 だって、「外部のものは立入禁止」とか、外部ってそういうときに使う言葉だろ。 でも、そういう主張すると、明確な返答なんてしないんだよ。 教師なんてどこもかわりゃしないよ。 そんな差別するくらいなら、学校説明会のときに前もって言ってくれなきゃ、おかしいだろ。 それも言ったんだけどね。 で、もちろん、内部生による外部生へのいやがらせってのがひどかったんだけどね。 生徒指導部の対応なんかもひどかったなあ。 出来上がった集団が仲間意識を持って、排外する… 小学校から私立に入っていたってことは、やっぱり経済的に裕福なんだろうけどね… つるんで仲間意識、排外… 下品だよね。 清貧、って言葉もあるしね。 経済的に裕福って、下品だよね。
2014年03月30日
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付属のある学校。 学校なんて個々の子供より経営を優先するのが、当たり前だから、付属のある学校では、上に行くにつれて、生徒、学生を増やしたい、あるいは評判が悪くて減っていくのをせめて補充していきたいと考える。 中学高校一貫校で完結しているくらいならまだしも、大学、小学校まで引っ付いていると、その排外的な空気の下品さといったら呆れるほどだ。 マンモス大学でもよくあるだろう。 たとえば、一万円札の肖像画が創設したところなんて、幼〇舎なんて名前の小学校からあるが、大学から入った学生よりも、高校から入った生徒のほうが、経済的に裕福な家庭が多いだろうが明らかに下品だ。 高校から入った生徒よりも中学から入った生徒のほうが、中学から入った生徒よりも幼〇舎から入った生徒のほうが、経済的に裕福で、下品だ。 金にもの言わせて、というスタイルや、仲間内でつるんで、自分たちの仲間しか肯定できなくなる、そんな空気が下品さを生む素地になるんだろうな。 そして、大学を出たら、財閥系の会社にでも入って、出世でもして、学生時代の体育会をOBとして休日は応援にでもいき、現役選手に偉そうにして、自分のところのチームにとって不服な判定でもされようものなら、観客席から審判を口汚く罵る。 会社じゃ若い女性社員から「OBになってまで熱心ですね」とでも言われて悦に入っているものの、陰ではただの嫌われ上司にすぎないことに本人だけが気づいていない… ありそうだね。 排外的な奴っていうのは、他者を排外した自分たちの中でしか通用はしない。 ところが、その世界の狭さに気づかないまま、人生を終えていくのだろう。 教育関係者みたいだな。 それはそれで結構なんだが、せめて、他人に危害を加えるのだけはやめてほしいものだ。 〇ズバッの司会やってた芸能人の子供で窃盗で逮捕されたのなんて典型かな。 金がある、とか、金を儲けりゃいい、とか、肩書きを得るとか、学歴を得るなんてのは、 逆に言えば、金を失えば、肩書きを失えば、学歴を失えば(一度得た学歴というか卒歴はなくならないが) 何の意味もなくなる、ということだ。 そういうものにこだわっていることは、 下品だ…
2014年03月30日
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貧困層にいる、といっても、娘はかなりおっとりとしていて上品なタイプだと思う。 何をもって上品、下品とするかは、明確な規定がないわけなので、感性や輪郭をつかんでいくしかない。 そのおぼろ気な輪郭を言葉にしていくとしたら、 自分だけ(自分たちだけ)の欲望を達成するために、自分だけ(自分たちだけ)を手段を選ばす(他人に危害を加えてさえ)優先する、それを下品、と呼ぶのではないか。 あるいは、「ツールと体験」に書いたけれど、すぐに“ツール”のほうにばかり走る奴、下品だな、と思う。 “肩書き”をひけらかす奴、下品だな、と思う。 たとえば、「不登校ノススメ」にも書いた、ちゃりこの卒園した幼稚園の園長のババア。 外面は上品そうに見える。幼稚園を長きに渡って経営してきたのだから、人脈も築いてきたのだろう。 しかし、一皮剥かれたときの下品さといったら… 自分の思い通りに他人が動かないと、弱い立場の者に対しては暴力的にふるまうまでする。 登園しぶりをし、園内で、自分の孫娘が、他の園児の首を絞めるなどを指摘されると、被害にあった側の園児が怖がっているのを、腕を掴んで引きずりまわす。 先日も「教師、保育士なんてDV野郎と同じ」にも書いたけれど、そんなものだ。 「不登校ノススメ」に書いた“落井幼稚園”は、幼稚園の他に、ピアノやらリトミックやら体操教室やらも行なっていて、繁盛してしまっている。 経済的には裕福なんだろうね。 でもね、考えてみるがいい。 三歳、四歳くらいの女の子が、他人の首を絞めてまわるんだよ。 どれだけ下品な躾をすれば、そんな女の子が育つのだろう? 「将来は殺し屋にでもお育てですか」 と言っておいてやったけどね。 ちなみに、上品ぶった幼稚園だが、制服ブレザーのボタン、事務所で買おうとしたら、他の園児が落としたボタンを売りつけられた保護者がいたそうな。 園長ババアの駄目亭主が事務所長かなんかやっていたが、風邪をひいて欠席の連絡を入れても“お大事に”の一言も言えないんだ。 園児のことなんて、金儲けの道具としか考えていないんだろうね。 まあ、世間一般の教育関係者なんてそんなもので、信じている人たちが騙されているだけなんだけど。 原発は安全です、って言われていたのと同じだ。 「あんた」って呼ばれると、もう駄目みたいなんだ。 “園長せんせえ”って呼んでもらわないと気がすまないバカ。 そして、こちらが正当なことを言っても、それこそ子供と親を別人格と捉えることのできない虐待ババアだから、気に入らない親の園児には平気で暴力的行為、いやがらせをする。 園長がそんなだから、幼稚園教諭たちも 「園長せんせえがおっしゃっています」 なんて、平気で保護者に対してほざく。 正解は 「うちの園長が申しております」 だろ。 こんな社会常識さえわからないバカが、学校にいくのが当たり前、なんて非常識なことを常識と思い込んでいる。 幼いうちから、ビアノだバレエだ、と習い事を詰め込んで、やれ発表会だ、とドレスかなんか着させて、世の中が自分中心に回ってでもいるかのような子育てともいえないような“飼育”。 そんなことをやっているから、経済的裕福な下品、が育っていくんだろうね。 送迎バスのない幼稚園だったから、ほとんどの家庭が自転車で送り迎えしていて、周りの住宅環境から“車での送迎は禁止します”だったんだけれど、 殺し屋さん志望の園長の孫娘だけは、車で送迎されるケースもあったな。 我が身を正さずに他人にばかり押しつける。そして都合の悪いことは口封じ。 これこそ、経済的裕福の下品の典型、と言うべきだろう。
2014年03月30日
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岩国の宿のご主人が、ちゃりこにいろいろと話してくれた中で、やはり出てきたのは、 「先生なんて呼ばれてる職業の奴らにはろくな奴はいない」 と。 やっぱり、そう思っている人は多いみたいだね。 また、代議士が金で汚いことをやったのが発覚したみたいだし。 猪瀬なんかが引っ張ってきたオリンピックなんて返上しちゃえばいいのにな。 国民全てが歓迎しているかのような報道して、メディアを使って煽動しているけれど、新しい施設を造ることで、立ち退きたくないのに立ち退かされる高齢者が多いみたいだね。 脳みそ筋肉でいわゆるお偉いさんの言うことを聞くように躾られているスポーツ選手を利用して… その日一日暮らすのに苦しんでいる、お年寄りや障害者の生活も改善できないで、企業や政財界の人間が儲けようって魂胆で、何がオリンピックだか… 代議士、教師、弁護士… どうしようもないね。 「せんせえ」なんて呼ばれないと気がすまないバカども。 裸の王様だって、わからないまま、人生を終えるのかね。 せめて他人に危害を加えずに、申し訳なさそうに生きていってほしいものだ。
2014年03月28日
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旅行なんかに行ってきて言うのもなんだけど、ウチは貧困層に入るんだと思う。 もちろん、もっともっと辛い生活をしている人だっているだろう。 旅行なんてできるのは幸せだ。 ネット予約して、ちゃりこと二人で一泊、四千、五千円代なんてのを探している。 夏の自転車旅行でキャンプ泊が多かった頃なんて、一泊三百円なんてところもあったよ。 倹約して、なんとか、最低年二回の旅を体験できるようにしている。 福祉系の仕事って(福祉系に限らないんだろうけれど)、実働している人間に貧困を味あわせておいて、どこが搾取しているんだろうね。 たとえばウチは、ちゃりこと二人暮らしだ。 日常の暮らしの中で食材だって、無駄にしないように、工夫して、きちんと手料理を毎日作ってきた。 安い店をはしごしてね。 たとえば、一丁三十五円のお豆腐を二丁買ったとする。 二人分の麻婆豆腐を作るのに、豆腐は一と三分の一丁、使う。 残った三分の二丁は、次の日の夕食を和食にして、チビオカズ(と、ちゃりこは呼んでいる、メインディッシュでないおかず)に冷奴二人分として使う。 お豆腐は安いときは一丁、二十八円のときもあったが、アホノミクス以来は、ない。 一昨年まで、秋には、しめじは三パックで百円で買えた。 お味噌汁に使い、翌日に洋食のメニューのチビオカズにしめじバターを作り、もう一袋使えた。 アホノミクス以来、しめじは一パック、七十八円になった。 ヒジキも値上がった。 国産の鳥むね肉は、百グラム三十八円だった。 頻繁に、二十八円のときがあり、バカ安値のとき、グラム九円なんてのがあった。 鶏肉を使ったメニューはたっくさん、ある。 でも、 鳥むね肉は四十八円になり、安売りはほとんどなくなった。 豚挽き肉は、グラム四十八円だったが、六十八円になった。 ロールキャベツ、餃子、シュウマイ、ピーマン肉詰め、オムレツ、コロッケ、麻婆豆腐、ナスミソ炒め、スコッチエッグ、メンチカツ… お好み焼きやスパゲティにも使ってきた。 万能だったのに。 豚肉切り落としは、安値でグラム五十八円のときがあった。 そんな日はもうない。 八十八円で固定だ。 アホノミクスって、なんだよ。 消費税、あげた分は、年金、医療、福祉にあてます、だって? うそつけ! お前ら搾取階級は、災害復興にあてるはずの税金、別のことに平気で使ってきただろ。 よく恥ずかしくもなく、搾取階級のバカどもって、ブクブク太れるよな。 半島の北の指導者しかり。 浅田真央にケチつけた老人しかり。 サリン真理教の教祖と変わらないよな。 でもね、 いじめる側でなくてよかった、と同じく、 搾取する側でなくてよかった。 タイヤ会社が、いくつ星なんて評価しているお店の料理より、 自分の手料理を、ちゃりこが「おいしいね」って言ってくれれば、 それが、幸せというものだ。 くたばれ、八パーセント! 注・私はサヨクではありません。 誠実に慎ましく、娘と暮らしているだけです。
2014年03月28日
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いじめをうけて、不登校。 耐えられなくなって不登校、とか、バカバカしくなって不登校とか、軽蔑しきって不登校とか… どこまで我慢して、というのは千差万別にしても、不登校になるくらいですめば、 いじめる側の人間でなくて、いじめられる側の人間でいる子供のほうで、よかった(ちょっと誤解を招くかもしれないけど)と思うことがある。 他人をいじめて、平気で学校に通っている、という図々しさを身につけて、腐った生き物として生きていくよりも、いじめられる側にいると他人の痛みがわかるようになるしね。 被害者側は、足を踏まれて、「足、踏んでますよ」と伝えているだけなのに、 加害者や教師は 「足を踏んでるなんて言わせねえよ」 と口封じしながら、意図的に足を踏み続ける… それが教師たちの学校でのいじめの構図だからね。 もちろん、命まで落としてしまった子供のことやご遺族に関しては、いじめられる側でよかったなんて言えないし、後々まで長く後遺症に苦しめられる人もいるわけだから、 加害者や教育関係者なんて反省も謝罪もしないんだから、絶対に許す気なんてないけど。 いじめる側になるなんて最低だし、 世の中全般で考えても、 搾取する側に回ったら、仮に裕福になったとしても最低だよね。 搾取される側や、いじめられる側のほうが、人としては誠実に生きている人が多いだろうしね。
2014年03月28日
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帰りの電車。 最後、東京に入っていくときに、私たちの住んでいるエリアに帰るのに、東海道線から湘南新宿ライナーっていうのに上手く乗り継げるとかなり早く家に帰れるんだ。 ただし、通勤時間しか走っていないし、どの駅で乗り継げるか、ちょっとはっきりしないんだ。 駅員さんに聴いてみても、今日は要領を得なかった。 ちゃりこと私が話しているのが聴こえたのか、隣に座っていた若い男の人が、ご自分の時頃表のページを開いて、差し出してくれた。 「横浜で乗り継げるみたいですよ」 普段は、乗り継げるにしても、国府津か平塚からなので、びっくりした。 彼も、私たちと同じく、青春18きっぷで、熊本から二日かけて移動してきたらしい。 昨日は神戸に泊まった、と。 新入学して、地元熊本を離れて、東京で一人暮らしを始まるそうだ。 私たちが去年、九州を走り、熊本を通った話もさせてもらった。 イケメンの彼。 新しい街での新しい生活にエール。 そして、乾杯。 大都会の変な色に染まらずに、がんばって! 旅の最後に、うれしいプレゼントをもらえた気持ちです。 ありがとう!
2014年03月28日
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あとは、東京への帰途だけ。 旅はリフレッシュさせてくれるし、いろんな発見もあるし、出会いがあって素敵だ。 だけど、イヤなことを目にする機会も多い。 まあ、旅に限ったことではないけれど。 たくさん人がいるところで、小さな子供を走り回らせておいて、ろくに注意もしない親って、なんだろうね。 で、叱ってやったり、親に「きちんと躾しろよ」と注意してやると、逆ギレしたり、ふてくされたりする。 「ほら、怒られるわよ」なんて言う、ババア。 怒られるわよ、って他力本願はなんなんだ? てめえが叱れよ、バカタレが。 だいたい、自分の子供を、ちゃん付け、くん付け、で呼んでいるような親はまともに子供を育てるなんて、できないね。 とっとと親業を廃業でもしろよ、って思う。 甘やかして、自分の子供さえよけりゃいい、こういうのが真のモンスターの典型になるんだろうな。 あとはやっぱり、バカ教師なんかの引率する集団だな。 今回もICINOMIYA MINAMI JUDO CLUB なんてネーム入れてるガキどもを引率している頭の悪そうな教師が、ガキにいい教師と思われたいのかね、ガキと一緒になって車中ででかい声出してたよ。 脳みそ筋肉ってしょうがないのかね。 あの競技って、メダリストがレイプしたり、全日本女子メンバーがコーチ陣に体罰されるはセクハラされるは、だろ。 そのくせ管轄省庁相手だったりすると、あんな腐った文部科学省にもペコペコしちゃう。情けない奴らだよな。 格闘技って、ルールの上とはいえ所詮、弱い者を倒すということだから仕方ないのかね。 以前に高知でも、愛産大〇河って高校の〇スケット部がホテルでうるさくしていたときに、顧問の教師を生徒たちの前で怒鳴ってやったことがあるんだけど、教師って何の根拠もない体裁とかメンツばかり大事にしやがるから、逆に、子供たちの前で徹底的にこき下ろしてやるのがいちばんいいんだよね。 それでも反省しなけりゃ、社会的に排除する… 元々が隙間産業の卑劣集団だし。
2014年03月28日
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昨日、夜遅く、岩国に着いた。 二年前の春旅行のときにお世話になってからやりとりをしていて、去年の夏に、九州縦断こころ旅・自転車旅行のときにも、帰りにお世話になった宿だ。 ちょっとだけご主人と飲んでね。 ちゃりこも一緒にいて(彼女は奥さんにココアを入れてもらっていた)、ご主人が 「そのうち、おとうさんを置いて、一人でバイクでおいでよ」 とか 「彼氏はできないのか。男は顔じゃないぞ。全力で女を守れるようなヤツじゃなきゃだめだ」 とか言われ、一方で 「誰にも守られないで、一人で生きていけるようにならなくちゃだめだ」 みたいなことを言っていたので、 ちゃりこに突っ込まれてた。 「さっきは、一人で生きていかなきゃ、って言ったじゃないですか」って。 まあ、私たちが着く前からお酒も入ってたみたいだし… ぼちぼちで切り上げて、今朝はやく、帰途に。 車窓から見える瀬戸内海は、一昨日の天候が恨めしく感じるほど、キラキラと光っている。
2014年03月28日
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別府タワーにいたサラリーマン二人の会話で、一人は地元の人らしくて、もう一人は別府の人ではないらしくて。 地獄巡りって、それぞれの海地獄とか血の池地獄に入ると思っていたらしいんだ。 でも、地獄巡りの温泉は湯温が九十度とか、低くても七十度台だから、とてもじゃないけど入れない。鑑賞するだけだよ。 って、知らなければ、そう思うのも当然だよね。 私だって、知らなかったときは、血の池地獄に入浴できるのかと思っていたもの。 知らないことっていうのは、知っていくことが大切で、知らないことをバカにしちゃいけなくて、知っている人はバカにするんじゃなくて、教えていかなくちゃね。 たとえば、原発のことや、学校制度が実はとんでもなく卑怯な奴らに運営されているんだってことなんかも。 せっかくの旅行話なのに、学校制度のことなんかに言及することもないか… 地獄巡りでなくて、温泉にも入ったよ。 別府市街の竹瓦温泉に行った。 レトロな温泉で外観も、道後温泉に負けないくらい渋いんだけど、なんと、入浴料が一人、百円! 東京の銭湯より、遥かに安いじゃないか! 高めの四十三度のお湯にゆっくりと浸かった… お昼は、地元名物の、だんご汁定食をいただく。 あっさり味のお汁に野菜、キノコ、きしめん状の麺が入っていて、ボリュームたっぷり。 おいしい! 駅前に手湯。 そして、別府よ、さようなら。
2014年03月27日
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晴天の中、ようやく春旅行らしい気分で、別府地獄巡り。 海地獄から始まって、八ヶ所の温泉地獄を回った。 もうもうと沸き立つ湯煙と、青空がマッチしていい気分だ。 ピラニアやワニを飼っているところもあり、それぞれのところが趣向を凝らしている。 血の池地獄と、竜巻地獄だけ、少し離れているところにあったけれど、上手くバスに乗りついで無事終了。 いちばんきれいだったのは、海地獄かな。 竜巻地獄の間欠泉はすごかったし、血の池地獄は静かだった。 かまど地獄の飲む温泉は、まずかったな。 おやつに大分名物、とり天も食べたよ。 柔らかくって、おいしかったなあ。 その後、市街に戻って、別府タワーに上った。 豊後水道、鶴見岳、高崎山、国東半島を臨める。 気持ちい~い。 別府タワーって、東京タワーより古いんだね…
2014年03月27日
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昨日の夜の時点で、八幡浜からフェリーに乗って別府入り。 短い日程で四国と九州と両方に入り込む旅人二人。 フェリーの揺れが気持ちよくて、ちょうどいい休憩。 別府港近くのホテルは、最上階の大浴場からの見晴らしが、海を臨めて… だめ、お天気悪かったんで… でも、気持ちいい温泉。 道後と別府のはしごなんて贅沢だなあ。 ぐっすり眠って、ホテル朝食をいただいた後、地獄巡りに出発! フロントのおねえさんに 「お風呂、素敵でしたよ。おねえさんほどじゃないけど…」 と朝から絶好調の私を置き去りに、ちゃりこ、スタスタ… 快晴! 暑いくらいだ! 山々の姿がきれい!
2014年03月27日
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道後温泉のお湯は気持ちよかったな。 三階に、坊っちゃんの間、というのがある。 見学自由なので、行ってみた。 大したことない、昔の部屋なんだけど、やっぱり行ってみないより、行ってみたほうがいい。 夏目漱石の顔写真が二枚、飾ってあった。 一枚は、おなじみの、お札の肖像になったもの。著者紹介、で出てくるもの。面白くもなんともない。 もう一枚のが、旧制松山中学卒業時の写真ということなんだけど、確かに漱石の若い頃なんだろうな、というものなんだけど、ふてくされてるというか、突っ張ってるというか… 「この漱石、生意気じゃね?」 と私がつぶやいたことから、 「盗んだバイクで走りだしてたんじゃね?」 「夜の校舎、窓ガラス壊して回ってたんじゃね?」 に始まり、お決まりの父娘脱線トーク… ナンセンストークでゲラゲラ笑ったり、呆れられたり… ふざけすぎて、食べようと思っていた、たい飯のお店のランチタイムが終わってしまって… 食事だけは上手くいかないな… その後あど雨も上がり、道後公園をお散歩。湯築城跡を見てまわる。 さらに、萬翠荘という洋館を見学。 受付のおねえさん、きれいだなあ、とちょっかいを出すと、ちゃりこが、ギヌロ! はい、おとなしくしてます。 松山から次の目的地に移動する最中に、大雨となった。 そういう意味ではラッキーだったな。 松山も満喫。 晴れてれば、もっと素敵だったけれど…
2014年03月26日
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今治から松山へ。 本当なら、レンタルサイクルも考えていたところだけれど、お天気いつ崩れてくるかわからないし、松山は路面電車の一日パスがとってもオトク。 ということで、路面電車で気持ちよく揺られて、松山城へ。 今治城とはスケールが違う。 ロープウェイを利用して上まで。 係の女性は袴履きでレトロな雰囲気を醸し出してくれている。 松山城は門の多さにびっくり! 私たちが天守閣に入ると同時くらいに雨が激しくなって、ちょうど、お城で雨宿りというかんじだった。 中は資料館のようになっているけれど、床がリノリウムではなく、重厚な木製(けして板敷きなどではなく)なので、雰囲気がある。 最上階の天守閣にも、よくあるような“記念バッジ自販機”みたいな余分なものがなくて、いい感じだった。 雨が弱まってきて、路面電車で道後温泉へ。 温泉地に着くと、雨上がる。 神の湯、大広間休憩コースを選んで、ちゃりこ、女湯へ。私、男湯へ。 当たり前か。 ゆっくりと浸かってきた。 もちろん、私は右手をお湯に入れないように。 湯上がりはお茶とお菓子をいただける。 いい気持ち~
2014年03月26日
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伊予西条から今治へ来た。 あいにくの空模様だけど、小雨、雨上がったり、という中、今治城に来た。 天気がいいと気持ちいいだろうな、と思える、海水をひいたお堀。 ずいぶん平坦な道のりでたどりつけたお城で楽だった。 天守閣からは、しまなみ海道が臨めるはずなんだけど、曇っていて、今治港までしか見えなかった。 でも、石垣や門も立派だったし、ちゃりこもバリィさんのマスコットをゲットしてご機嫌だし、ま、いっか。 バリィさんはお腹に今治タオルを巻いていて、造船の街だけに船の形の財布を持っている。そして、しまなみ海道の鉢巻きをしているのだそうだ。 仲間のいよのすけ?ってのもいる… 時間が足りなくて、スタンプラリーを全部捺せなかったら、おばさんが 「私、捺してきてあげましょうか」 って、親切だな。 申し訳ないので辞退して、次の街へ… ちなみに今治城、高校生以外は無料。 結構、珍しいんじゃないかな。 いいところは全国のお城に見習ってほしい。 あと、本当は天守閣入場は九時からだったんだけど、私たち、早めに着いて、周りを散策していたら、八時四十分には入れてくれた。 こういう、融通をきかせてくれるのって、うれしいよね。 ちゃりこ曰く 「熊本城とか姫路城みたいな大きなところじゃ、やってくれないだろうな…」 前にも、そんな融通きかせてくれたお城、あったよ。どこだったかな? おかげで次の目的地にも早く着けそう。 青空の下の瀬戸内海を見渡せればうれしかったんだけど… それはちょっと、残念…
2014年03月26日
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とか、なんとか言いつつ、 結局は今年の春も旅に出た… 先ほど、 四国上陸。 車中、ほとんど二人とも寝てましたけど。 ブロ友さんのお住まいのところを通過するときにメッセージを送ったり… 日数は少ないけど、遊ぼう…
2014年03月25日
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春の旅も、ゆっくりと青春18きっぷを使って。 桜がきれいな時期に、お城巡りをしたこともあったな。 浜松城、岡崎城、犬山城、名古屋城… とはしごした年もあったし、 彦根城、長浜城と甲賀忍者の里で忍者服を着て遊んだ年もあったな。 池を渡る忍術修行で、見事に私だけが池に落ちてしまった… 近江八幡の水郷巡りと、近江牛のお寿司は最高だったな(一貫ずつだったけど) 大津で雪に降られた。 岐阜城、大阪城、姫路城って年もあった。 もちろん、食い倒れツアーもした。 岩国城、広島城、福山城、岡山城の年は、安芸の宮島や原爆ドームやともの浦、倉敷の街並み、尾道にも行ったな。 そして、現地でレンタルサイクルなど使ってます。 今年は春旅行、行けるかな? 父娘とも、ヘトヘトだけど…
2014年03月25日
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たとえば、私たちは自転車旅行をしているが、高価格な最新型のかっこいい自転車に乗っているわけではない。 競技をやっていると、最新型のモデルのシューズを次から次へと履き潰すプレーヤーがいる。 わざわざ安価な自転車やシューズを選ぶわけではないけれど、私はあまりツールにはこだわらないほうの人間だ。 おかげで娘もおしゃれに無関心になってしまったが… ツールがあっても、その人間がどんな体験をしたか。 ツールだけでは体験には及ばない。 強いチームでようやくベンチ入りしても、ゲームに出番の全くない、上手いプレーヤーより、 弱いチームを背負って立ち続ける並のプレーヤーのほうが、 ゲーム経験を得る。 その経験は替えがたい。 もちろん、ベンチを温める経験も別の意味で替えがたいのは確かだけれど。 ツールはツールにすぎない。 だから、私は体験を大切にさせたい。 いろんなところへ行き、いろんな風景を見て、いろんな人に出会う… ツールは体験には及ばない。 学校なんてただのツールにすぎない。 ツールは体験には及ばない。
2014年03月25日
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今日の日中、また目にした。 保育園のお散歩だろうな。 集団の幼児たち、たぶん三歳、四歳くらいか。 保育士の引率。 しっかり前を向いて歩かないと、公道なので危ないのはわかる。 遅れて、集中できていない子供。 確かに、お前は事前に注意をしたんだろうよ。 でもな、お前の思うとおりになんて子供は動かないんだよ。 腕を掴んで引っ張り回していた。 ついつい、いつものことをやってしまうんだろうな。 同じことをお前がやられたら、他人が思い通りにならないからといって、お前に同じことをしたら、たぶん暴力行為だろうな。 乳児、幼児、小学校低学年、障害者、高齢者… 腕力で勝る相手、口封じできる相手なら、教師や保育士って強く出るんだよな。 卑劣が服着て歩いてるようなもんだな。 たぶん、同じことは、親の前ではやらないようにするんだろうな。 でも、ついつい出ちゃう奴らもいる。 「モンスターペアレントごっこ」に出てきた“落井”なんて教師はその部類だな。 こういう卑劣な教師や保育士って、 自分がDV野郎と同じだって、気づかないのかな。 たちは悪いし、 頭も悪い。 どうしようもないな。
2014年03月24日
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旅行をする習慣をつけておいてよかったな、とつくづく思う。 毎年夏の自転車旅行を始めるかなり前から、ちゃりこと私は夏と春、必ず旅行をしてきた。 全く知らない場所に旅行に初めて連れていったのは、ちゃりこが三歳の夏だった。 以来、夏、春、夏、春と繰り返し、 東日本大震災の春を除いて、毎回旅をしてきた。 ちゃりこが足を踏み入れたことのない県もあとわずか。 春は夏ほど長い旅はできないけれど、桜や菜の花がきれいで地元の人たちのお花見や祭がやっていたり、灯台巡りをすると海風がまだまだ冷たかったり、 いろんな街を見てきた。 夏の自転車旅行ほど、心が沸き立つ感覚はないけれど、のんびりした気持ちになれる。 ちゃりこにしてみれば、電車や路線バス乗り継ぎの旅だから、車でいいところまで運んでもらっている子供たちのように楽はできないんだけど。 現地でレンタルサイクルで走ったり… でも、こんな旅がいつまでできるのだろう… 今年は行けるのかな? できるあいだに楽しんでおかなくちゃ… 春の旅のことも、そのうち書いてみようかな…
2014年03月24日
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春はもの悲しい。 よく言われるのは出会いの季節、とか、別れの季節。 でも、これ全部、学校を中心とした年度代わりが三月、四月であることに起因しているんだろうな。 きれいな桜を愛でるのに、卒業式のシーズンだの入学式まで咲いててほしいだの… 結局は洗脳されてきているんだろうな。 生きていくことは、新たに得ていくこともあるけれど、実は喪失の連続だ。 新しい学校に入る、ということで、嫌な思いしかしてこなかった人間としては、そのイメージが季節にもすりこまれてしまっている。 大好きな沈丁花の香りに包まれても、 なんとも言えない喪失感におそわれる。 いろんなものに抗っても、 喪失感と疲弊感に覆われる。 ちゃりこも私も、懸命に自分たちを鼓舞しているけれど、 何もかも 投げ出したくなってしまうときも、ある。
2014年03月24日
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凄惨ないじめが起こっても、 「子供は悪くない」 とか 「加害者もまた、被害者だ」 とかほざく奴ら。 バカでね? 加害者は加害者だよ。 凄惨ないじめを行なったガキが、虐待なんかを受けてきた生育歴によって、そうなってしまったとしても、いじめを行なった局面では、加害者以外の何者でもない。 それを、被害者の前で平気で、 「加害者の子供もまた被害者だ」 とほざく奴ら。 頭、狂っているとしか言い様がないな。 〇〇ママとか夜〇りセンセーとか、このタイプだよな。 少年法なんていらないよ。 あの法律は、戦後の焼け野原で、生きていくために犯罪を犯さないとならなかった子供を、厳罰に処さないですませるために作られた法律だ。 今の世の中に全くマッチしていない。 いじめなんて言葉は軽いし、どんどん凶暴で陰惨ないじめをするガキどもを処罰するべきだろうね。 少年法は今や、悪法でしかない。
2014年03月23日
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娘が不登校のあいだ、くだらない屁理屈の書いてある本には、タイトルだけで頭にきたものだ。 「不登校を治す」 とか言ってるのを見ると吐き気を催す。 てめえの脳みそを治しなよ、ってなもんだし、 「不登校を克服する」 なんてのも、 卑劣な教師や教育委員会の奴らに、自分たちの卑劣さを克服させろよ、 ってなもんだろ。 一方で、もちろん、勇気づけられる書物というのはあるもので、 古いのもあるけれど、紹介しておきます。 「学校なんてなんでもない」 鎌田慧・著 「せめてあのときひとことでも」 鎌田慧・著 「勉強しなければだいじょうぶ」 五味太郎・著 「学校に行かなければ死なずにすんだ子供たち」 石坂啓・著 「わたしのいもうと」 松谷みよ子・著 「だんまりこおろぎ」 エリックカール・著 最近のものでは、 小川洋子のエッセイでいいのがあったな。 小川洋子さんは学生のときから一人で過ごして本を読むのがすきだったようで、こんなことを書いていた。 「グループに属するというのが、どういうことかわからなかった。入会申込書は必要なのか、やめるときはどうなるのか…云々」 そんな内容だったと思う。 彼女は修学旅行のとき、部屋割りでどこの部屋の扉にも自分の名前が書かれていなかったので、いちばん少ない人数のところに自分で自分の名前を書いて、その部屋で過ごしたらしい… そんなことも書いてあって、痛快だった。 穏やかな、しなやかな、柳のような強さを感じた。 あと、 「きみはいい子」 中脇初枝・著 の中の 『こんにちは さようなら』 という短編もいいですよ。 発達障害?の子供とお年寄りの話です。 では、また…
2014年03月23日
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「何かあったら俺が責任をとる」 「成績不振の責任をとって辞任します」 「責任の所在を明確にしろ」 だいっきらいだ。 「責任をとる」 なんて言って、責任をとった奴なんて見たことがない。 起こったこと、起こしたこと、って、なかったことにはできないはずだ。 なかったことにしようと躍起になって隠蔽する教育関係者みたいなのはいるにしても。 たとえば、開幕から十連敗して 「成績不振の責任をとって辞任します」 これ、おかしいでしょ。 責任なんてとってないよ。 百歩譲って、責任とる、なんて言う資格があるとすれば 「責任とって勝率五割に戻します」 じゃないのかな。 0勝十敗で辞任することが、どうして責任をとる、なんだろう。 言うべき言葉は 「私は無能だからやめます」 とか 「私は不適格だからやめます」 の間違いだろう。 覆水盆に返らず。 起こった出来事をなかったことには絶対にできない。 なかったことにするのは、 それは体験した人に対する、侮辱だ。 責任なんて誰もとれない。 起こってしまったことに対してできるのは、 反省と改善だけだ。 それすらできない人間が、 軽々しく 「責任」なんて 口にするな。
2014年03月23日
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視野や考え方の狭い人間は、ステレオタイプのものの見方、考え方しかできなくなる。 「学校はいかなきゃいけないもの」 なんてのが、その最たるものだ。 でも、その洗脳されたステレオタイプのものの見方に完全に嵌められた人間が、“お国のために”で戦争まっしぐらになったのが、前の大戦だったんだと思うよ。 自分の頭と心、感性で、物事を考えたり感じたりすることができない。 恐ろしいことだ。 無償のものの尊さ。 家事、育児だって職業にしている人だっている。 教育なんてものを職業のつもりにしているのが、教育関係者という卑怯者たちだ。 だけど、自分の家の家事、自分の子供の育児、自分の子供に対する教育… これらは賃金の発生しない、無償のものだ。 そして、これは職業として認められていない。それでも、それだからこそ、いちばん尊いものだと私は思う。 前の記事にコメントをくれたブロ友さんの言葉にもあったけれど、 「誰のおかげで飯が食えるねん」 なんだ、そりゃ! 賃金もらってるんだから、仕事するのなんか、当たり前だよ。 賃金がなくてもがんばっている家事や育児や自分の子供に対する、無償の教育をないがしろにするバカが、そんなことを言う資格があるのか? ねえよ! 金になることしかしないバカどものガキが、ろくでもないいじめをして、ろくでもない大人になっていくんだよ。 更に言うと、自分が賃金をもらって立派な仕事をしているつもりでも、お前がいなくなっても、必ず替わりはでてくるよ。 その仕事はお前でなきゃできないわけじゃない。会社の別の奴にもできることだ。お前は大したことをしているわけではないんだよ。お前なんかいなくても、会社はビクともしない。 仮にお前が消えて、お前の会社が潰れても、大丈夫だ。その業界はビクともしない。 仮にその業界が消え去っても、日本経済はビクともしないし、仮に日本という国が潰れても、人類全体はビクともしない。仮に人類が滅びても、地球はビクともしない。というか、地球を壊すばかりの種が消えて、他の動物たちにとっては喜ばしいことになるだろう。 お前が家事、育児という無償の尊い“仕事”を軽視して打ち込んでいるつもりの職業なんて、所詮、そんなものだよ。 一方で、 親の子供に対する、無償の家事、育児、愛情… それには、替わりがない。 もちろん、親のいない子供だっている。 そういう状況でも、親じゃない支援者のもとで愛情を受けて育っている子供だっている。でも、そこでもらっているのは“親の愛情”ではない。 替わりではない。 別物だ。 親がいるならば、無償のものを、子供は受けとるべきである。 そのことに気がつかない奴らが、虐待し、放置し、ろくな躾もできずに、金だけかけりゃいいと勘違いして、子供をおかしな大人にしていく… 貨幣経済、経済成長、稼げばいい、 そんなもののツケがいろんなところに現れているんだと思う。 巻き込んでほしくないな。 ごっこ遊び、にも劣る世の中に。 家事がスムーズでなくなった手を見つめて、 いつもよりも不器用な手つきで料理をしながら、 そう思った。
2014年03月22日
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ごっこ遊びと職業。 決定的な違いは、賃金が発生することである。 そして、当然、それにともなって責任というものが生じる。 権利と義務、のようなものだ。 トンネルごっこ、でお砂場で作ったトンネルが崩れても、誰も命を落とさないし、責任をとる必要はない。 トンネルを掘った子供は給料をもらっているわけではない。 しかし、建築会社が請け負ったトンネル工事には、莫大なお金が仕事に対する対価として支払われ、実際の人間の命が通るトンネルが造られる。 そこには、大きな責任が付随してくる。 当然のことだ。 トンネルを作る、というだけならば、技術レベルの違いが天と地ほどの差があるにせよ、ごっこも職業も同じだ。 賃金の発生、職業として認められること、そしてそこに大きな責任、が生じる、 はずだ… しかし、 たとえば、トンネル工事において、安価に工事を済ませようとして、資材を不適切なものを使ったり、手抜き工事を行なったとしたら、どうなるだろう? そして、崩落事故が起こったら、どうだろう? 責任を放棄したら、それは職業ではない。 ごっこ遊びだ。 しかも、責任を放棄して、ごっこ遊びで賃金をもらっているとしたら、 それは、詐欺だ。 事故が起こると、今度は責任逃れが始まる… 建築現場の崩落事故だけでなく、食品偽装、学校事故でもそうだ。 隠蔽、虚言、言い逃れ、責任回避、責任転嫁… これって、逆に言うと、 卑怯な奴らが、職業人だからこそ、 起こるんだと思う。 責任を追求されるから、職を失うから… だから有事の際には卑劣な責任逃れをするんだと思う。 ごっこ遊びなら、すぐに、ごめんなさい、と言えるものを、 体裁や保身ばかり考えて、謝罪できない、責任逃ればかり考える。 その最たるものが 現在の学校現場だよ。 教育関係者たちだよ。 だから、奴らのやっていることなんて、 「学校ごっこ」 にすぎないんだよ。 ごっこ遊びの延長が職業になるのか、 職業を真似てごっこ遊びが始まるのか、 どちらもあると私は思うよ。 人類が貨幣経済に入る前の生活では、 職業とごっこ遊びの明確な境界線はなかったはずだから。 でもね、現代の職業人たちの、有事の際の卑劣な言い逃れや隠蔽、虚言を見ていると、 職業とごっこ遊びが未分化だった頃の人類より、 劣ってきてしまっているんじゃないか、って、 つくづく思う。 そんな意味でも、 教育なんて、 職業として 成り立たせてはいけないんじゃないか、 って思うよ…
2014年03月22日
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仕事とか職業って、賃金が発生するもの差さないのかもしれないけれど、その枠をはずして広く考えた場合、家事とか育児ほど、大変で尊いものはないと思う。 私のところは一人親だから、全てをやらなければならなかったわけだけれど… ちゃりこがもっともっと小さかった頃。 幼稚園就園前の頃。 平日の昼間に子供と過ごすということが、どれだけ大変か、ということを、たぶん、ごく普通に(くだらない言葉だ)朝から晩まで会社に勤め夜になると酒を飲んで上司や取引先と付き合いあるいは上司や取引先の悪口を言い、帰ったら子供のことを甘やかしたり、夫婦喧嘩になると専業主婦に向かって「誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ」と言ったり思ったりする亭主みたいなのって、 最低だと思う。 そんなのに限って、休日で複数の家族かなんかでバーベキューかなんかやったりすると、いい父親を演じたりしようとして、調理なんかをがんばろうとするんだよな。 そして、気づいてないのは、 調理や料理って、日常であり、 その日常の調理や料理って、 献立を考え、食材を選んで買い込み、そして料理を作り、食したあとの食器を洗う… そこまでなんだってことが、 まるでわかっていないのが多い。 育児だって、たまの休みに無理して子供と一緒にいるんだなあ、ってわかるようなのって、どこかに連れていっても子供を甘やかしてるのが一目瞭然だし、そういう輩って、大勢の人がいる中でも、自分の子供のことしか見えない、自分の子供さえよければいい、みたいで、世の中のバランスみたいなの、全然考えられないみたいなんだよね。 男に限らずだけどね。 女性でも、自分がバリバリ外で仕事しているつもりの人って、子供を育児の機関に任せっきりにして、見えなくなっていくんだろうね。 ベーシックインカムとか、 ワークライフバランスなんて 概念、言葉があるけれど、 世の中にこれだけ陰湿ないじめが学校で、そして、学校で容認されてきたことで社会に出てからもあることで、 もう少し、いろんなこと、考えたほうがいいんじゃないかな、って思う。 稼ぎゃいいのか? 本当に大事な部分は何なの? 自分自身で意志的にチョイスしていかないから、 洗脳された人間がどんどんふえていくのだと思う。
2014年03月22日
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昨日の卒業式の日に、もうひとつのイベント? があった。 イベント? 少なくとも儀式ではないから、 有害なものではなかったんだけど… それは、 手術だ。 まいった。 卒業式の前に病院に行って血液検査とか心電図とって、 卒業式なんてくだらなくても、娘が出ていて参加可能な行事は必ずでることにしているので、式に出て、 眠たい話を聴いて、 そのあと、ちゃりこたち四人の女子中学生のにこやかな写真をとれたからいいものの、 戻って手術。 あっ、病気でなくて、ケガなんで、大丈夫ですけど。 私は教育関係者のことを怒っているけれど、普段からそんな人間ではないので、 どちらかというと、ふざけるのも大好きなので、 手術中も、くだらんことを言って、執刀医や看護師さんを笑わせることに終始した。 手術室でレントゲンを撮られて 「しまった!」 「えっ! どうしたの、ちゃり父さん!」 「笑顔で写るのを忘れた!」 これはうけたな! 卒業式に出席して戻ってきたのをみんな知っていたから、 「卒業式より手術室のほうが泣けるぜ」 とか 「麻酔より校長の話のほうが眠いぜ」 と軽口叩いていたら、 井戸端会議みたいな手術になってしまった…(爆)! 手の指なんだけど 「今、いちばんやりたいことは、お米を思いっきり研ぐことです」 と言っておいた。 これは本音かな。 家事、育児より尊い仕事って、ないんだよ。
2014年03月21日
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要するに、「終わりよければ全てよし」なんてのは、言葉だけにしておけ、ということだ。 卒業式のときだけ、「ありがとうございました」なんて言って、さんざんいじめみたいなことをしてきた人間が気分よくふるまっていても、在学中にずっと何年もいじめられてきた人間にとって、それがどうした、ってことだ。 視野狭窄で、場当たり主義の教師なんてのは、まさにこんなことをマッチポンプで自ら演出したり、陰湿なガキに騙されたりする。 運動会なんかでもそうなんだけれど、ちゃりこの中学校でも、閉会のときに 「うちの生徒たちは最高だ」 なんて涙ぐんでいたんだよ。 冗談じゃない。 日常で陰湿ないじめみたいなことをやっていて、たかが運動会を一日だけ無難にこなせたくらいがなんだっていうんだ? 脳筋肉体育教師の自画自賛、ふざけるな、と思っていたら、案の定、帰りに、スコアで負けた上級生が、スコアで勝った下級生に脅し入れてた。 笑える。 指摘してやったが、返答は来ない。 どこもそんなもんだ。 自分たちに都合の悪いことは、被害者がいたとしても、見ようとしない。 多くのスポーツ選手なんかを見てみれば、わかる人もいるとは思うけれど、 人間っていうのは、上手くいっているときになんて、誰だって気持ちは大きくなる。自分が気分がいいのだから、多少、他人に対しても緩やかな気持ちになれるだろう。 真価が問われるのは窮地に陥ったときである。 卒業できた、とか、運動会を無難に終わらせた、とか、試合でいい結果を出せた、とか、オリンピックでメダルをとれた、とか、十年連続二百本安打が打てたとか、… 上手くことが運んだときには真価が問われているわけではないのである。 二百本安打を打ったメジャーリーガーだって、審判の判定が不服だと 「同じフィールドに立っていたくない」 なんてほざくわけだから。 上手くことが運んだときの結果だけが大切なわけではない。 審判の判定に不服なだけで、どついてしまうようなのが競技のトップレベルで監督なんてやっているんだしね。 私の古い知り合いで、高校レベルではトップクラスのレベルだった格闘技の選手がこう言っていた。 「格闘技の強い先輩で、優しい人なんて、絶対にいない」って。 もし、優しければ、それは単なるお気に入りとされているだけであったり、利用価値があるからだけだ、って。 わかるような気がするね。 昨日も、卒業式のあと、教室でクラスの子供が一分ずつスピーチをしたらしいんだけど、ほとんどの子供が泣いたらしいんだ。 でも、ちゃりこともう一人の子だけは泣かなかったって。 卒業式の日だけ、そんなことされてもね、って気分だろうね。 そこに至るまでの過程こそが、問われるべき部分なのだ。 だから、儀式、行事… そんなもの、 平静の日常がまともなものでなかったら、 無用の長物でしかないのだよ。 いや、長物でさえない。 無用で、汚物だ。
2014年03月21日
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昨日、卒業式だったので、儀式と日常について。 儀式や特別行事と、平静の日常生活は違う。 学校というのは、洗脳されて通わされている子供にとって、洗脳されて通わせている保護者にとって、それは、日常だ。 生活だ。 しかも悪いことに、子供にとって、一日の大半の時間をそこで過ごすことを余儀なくされる。 日常と儀式。 学校てひどいことが起こっていたり、崩壊状態にも関わらず ふんぞり返って 「見に来て、眼で確かめてください」 などと言われることがある。 これもすり替えだ。 ちゃりこの小学校にも伝えたことがあるが 「いくらひどいいじめをしているガキや教師でも、運動会のトラックのまん中で、学芸会のステージの上で、いじめをするヤツはいないよ」 と。 で、その仕組まれた儀式だの学校行事を見せてさも、まともな学校のようなふりをする。 元々が、プロパガンダ用の行事であり、教育委員会への報告材料なのだから、儀式や行事なんて意味がないのだ。 平静、日常でさんざん嫌な思いをさせている学校や、いじめをしているようなガキが、そんな儀式でだけ、いい顔をするなんて、意味があるかい? ずっと欠席していて、 「卒業式だけは出ようね」 なんて、余計なお世話だろ。 平静の日常をしっかりできていなければ、儀式だの行事なんて、やる資格はない。
2014年03月21日
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「不登校の卒業式」から三年経って、 今日、ちゃりこの中学校の卒業式だった。 「学校なんていらない」 と私は本気で思っている。 理不尽に学校ごときに苦しめられ、命を奪われる子供なんて、一人だっていちゃだめだ。 命を奪われるまでいかなくても、心や感性をズタズタにされてしまう子供はたくさんいる。 そういった子供たち、学校被害者に対する、教師、学校、教育委員会の無責任な言い訳、言い逃れ、虚言、隠蔽… こんな状態で改革なんてしてくれなくて結構だ。 過去の悲惨な事件を反省せずに、涼しい顔して “改革したでしょ” “よくなったでしょ” “学校っていいでしょ” そんな言い分は認めない。 それは ひき逃げしておいて 「今は安全運転してますよ」 と言っているようなものだから。 過去のことを文部科学省以下が ひどい学校制度しか提供できずに、子供や家庭を苦しめて悪かった、と謝罪できなければ、スタートラインにも立たせたくない。 一方で、ちゃりこと私は別人格だ。 ちゃりこも、今でも「学校嫌い」のスタンスは変わらないが、中学校には通ってきた。 なぜか。 自分が不適応で小学校を不登校になったのではない、と必死になって証明したかったのだと思う。 苦労して入った私立中学校。 ちゃりこと私はこういう約束をした。 「もし、また、小学校のときと同じようなひどいことが起こり、子供に解決不可能で、教師も解決を放棄するようなら、いつでも、また、不登校で構わない。いつでも、また、ホームスクーリングでいいよ」 と。 入学した中学校でも、陰湿なこと、ひどいことはあった。 学校の対応なんて、教師の対応なんて、程度の差こそあれ、スタイルは同じだ。 組織の保全、体裁がいちばんに置かれる。 被害者の心をいちばんに置く学校なんて、ない。 「残された子供たちの心のケア」なんてほざいて、加害者や傍観者を優先するくらいだからね。 いや、それとて嘘っぱちで 「残りたい自分たちの体裁のケア」 なんだけど。 学校なんて集団狂気だ。 本質はカルトとさほどかわらない。 それでも、許容範囲なら、踏ん張る力はちゃりこには、もちろんある。 一年次、欠席日数・1 二年次、欠席日数・1 三年次、欠席日数・0 不適応でないことは見事に証明できたと思う。 嫌な役回りはたくさん引き受けたようだった。 不適応の子供、不登校の子供、いじめられる子供… そういった子供の気持ちを痛いほど理解しつつ、ちゃりこは自分が不適応ではないことを証明した。 自分よりもっと辛い思いをしている子供に寄り添い、すごしてきたようだ。 その、不適応ではないちゃりこを、 暴力、いじめ、いやがらせ、虚言、隠蔽、捏造、無視、黙殺… そんなことで徹底的に痛めつけた、 クソのような区立小学校とそこの教師たち、加害者のガキ、地域エゴPTA、地域エゴ住民、税金泥棒である教育委員会、文部科学省のクズどもに、 ちゃりこの卒業を、 突き付けてやりたい。 そして、ちゃりこと別人格である私は、これからも 「学校なんていらない」 と訴えていく。
2014年03月20日
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公募ガイド第一回誌上エッセイ佳作 「不登校の卒業式」 その半月前、東日本大震災が起こった。報道される惨状に、東京の私達も呆然とした。 娘は私立中学に合格し、四月から通うことになっていた。目前に迫った新生活へは、期待より不安のほうが大きかった。 小学校でいじめにあい、三年生の秋から不登校となった娘。以来、父親の私とホームスクーリングで頑張ってきた。不登校になった初めの頃、毎朝、泣いていた。登校できない自分を責め、眠れない夜も続いた。改善の約束もせず、隠蔽さえする学校。腹をくくって始めたホームスクーリングが軌道に乗ってからは、主要教科だけでなく、音楽、図工、書道、家庭科も父娘でこなした。体育は公園でやった。跳び箱はないから、娘は私の背中を跳んだ。登山やプール、スキーなども頑張った。夏休みには、自転車旅行で日本各地を走った。急な上り坂も歯を食いしばり、豪雨の中も濃霧の中も、走り抜いた。三年半の不登校、三年半のホームスクーリング。三回の自転車旅行・千五百キロを走った。旅先で出会った人たちは、娘を励まし続けてくれた。 ゆっくりと、しっかりと、培ってきた力で受験を乗り越え、中学校に入学する。 「よく、頑張ったね。おばさんのところへ、挨拶に行こう」 娘を見守ってくれた、同じマンションのおばさんのところへいった。 「小学校の勉強は終わりです。中学校には頑張っていきます」娘がおばさんに約束する。 私が手作りした卒業証書をおばさんが読んでくれる。 「卒業証書。小学校の全課程を修了したことを証する。感謝の心を忘れずに。ホームスクーリング。」 差し出された証書に、娘がすっと背筋を伸ばす。 おばさんの家の玄関先、沈丁花の香る中、三人だけの卒業式。 空は真っ青に晴れ上がっていた。 たくさんの思いがこみ上げる私に、娘がにっこりと微笑んだ。
2014年03月20日
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とりあえずの書き終えです。 フィクションの形にしましたが、もちろん… タイトルももちろんアイロニーです。 モンスターティーチャー、モンスタースクール、モンスター教育委員会、モンスターPTA モンティ モンスク モン教委 モンばあさん そんな陰湿なのに叩きのめされないように… 凛として 生きないとね… 読んでくださったみなさん、 ありがとうございました。
2014年03月20日
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§・45 記憶の断片が束になって押し寄せてくる。 ひっそりとした井戸の中のような寒さに包まれて、背筋を伸ばした娘の姿を思い浮かべた。 その姿は、小さな水溜まりを揺らすさざ波のように、私の心に染み入ってきた。 時は惜しみなく奪っていく。 緩やかに流れる時間であれ、速く進みすぎて人を振り落とすような時間であれ、時は惜しみなく奪っていく。 そして、失われたもの、損なわれたものは、永遠に失われ、損なわれてしまうのだ。 一方で、時を経て。ゆっくりと、しっかりと、蓄えていくものもある。 迫りくる壁に押し潰されるような閉塞感の中で、なだらかな坂道を上っていくように、ゆっくりと、しっかりと… 景色のほんの少し向こう側を見定めようと、小さく、小さく、積み重ねてきたもの… 千二百日もの、昼と夜… ここに至るまでの道のり… 午前の試験の合否は、もうすぐ掲示板に貼り出される。 でも、もう、そんなものは、どうでもいい気がした。 試験を終えて戻ってきた娘を、 ただ、抱きしめて、 感じることが出来れば、 もう、 それだけで、 よかった… (了)
2014年03月19日
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§・43 「これ、おたくのお嬢さんをいじめてる子供たちだよね!」 川中さんの旦那さんが気色ばんでいる。 手に持っているのは“馬野ニュース”という複数の町会による地域新聞だ。 馬野チャラーズという少年野球チームのことが、とても素晴らしいチームとして紹介されている。 「苦情言ってきてやる!」 旦那さんの怒りは収まらない。 「よしなよ。こんな子供たちは地獄に堕ちるんだからさ」 奥さんが旦那さんの怒りを吸い込むようにつぶやく。 川中さん夫妻は、私たちの上の階に住んでいる、町内では数少ない理解者だ。 お子さんのいない老夫婦だ。 “ぶっとばしちまえ”というのが旦那さんの口癖だ。 奥さんは北七小学校まで足を運んでみたこともあるらしい。 すると、教師たちは、なぜちゃりこが学校に来ないのかわからないし、なぜ私が怒っているのかわからないと言ったらしい。 警察の生活安全課長のときと同じだ。 「どうせ、あんたたち、隠蔽してるんでしょ!」 と最後は吐き捨てて帰ってきたそうだ。 奴らは、ありとあらゆる人たちに、ありとあらゆる嘘をつく。 万引き、いじめ、暴力、いやがらせ… そんな野球チームのガキが金属バットを持ってウロウロする。 地域新聞、町会、ウスラバカPTAがそんなものを正当化する。 青少年健全育成事業にも欠格事由などないらしいし… そのうち、窃盗も暴力も薬物も、健全育成事業で表彰されるかもしれない。
2014年03月19日
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§・43 受験の日の朝は寒くて、バス停で吐く息は白かった。 乗車する前に娘は何かを口ずさんで笑っていた。 「えっ? 何て言ったの?」 「フフフ、今年も今年も鼻についたぞ~って」 「なんだ、コマーシャルの歌か」 花粉症のコマーシャルだ。 何日か前にテレビで見て、二人でゲラゲラ笑ったことを私も思い出した。 バスを降りたときは、少し緊張した顔をしていた。 今度は私が唄った。 「今年も今年も鼻についたぞ~♪」 娘が小さく笑った。 私はコートのポケットからカードを取り出して娘に渡した。 “がんばってきたんだから 大丈夫” (似顔絵入り) 歩きながら目をとおした娘が 「ありがとう」 と小さく言って、カードは娘のコートのポケットへ吸い込まれていった。 坂道を上った。 何度も上ってきた坂道を。 街路樹はみな、葉を落としている。 でも、やがてまた、葉を繁らせるのだ。 ゆっくりと、ゆっくりと、坂を上った。 この坂道が、ずっと続いてもいいのに、と私は思った。
2014年03月19日
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§・42 「もしもし、指導できない主事の白木さんいますか?」 「………」 「ほら、お断りしているにも関わらず、無理矢理押し掛けてきたときに、不法侵入で警察に通報して、排除して差し上げた、不登校の子供の家庭ですけど」 「………」 「職務上知り得た個人情報で居住地にお断りしているのに無理矢理押し掛けてくるなら、お前らの居住地も私に対して申告しなさいって言ったはずなのに、他の数々の件と同じで全く返答しないね」 「………」 「あのさ、いじめられて、教師がいじめをなかったことにするためにいじめられた側の私の娘を嘘つきに仕立て上げるなどされて不登校になったにも関わらず、お前らが隠蔽、無視、黙殺ばかりするから、私が抗議しているのを、元々頭の悪い地域エゴPTA軍団どもがいやがらせをしてくる話はずっとしているよな」 「………」 「で、どんどんエスカレートしているから、お前らが“広報きたばし”誌上で、『北橋第七小学校と北橋区教育委員会が隠蔽してきたせいで、地域エゴ住民が、ちゃりこ様のご家庭にいやがらせをしています。そのようなことをしないように、ひとえに北七小学校、教育委員会の責任です』って、きちんと謝罪しなさい、って教えてやっただろ」 「………」 「こないだ、区営プールにまで娘宛てに電話かけてきて『おばあさんが倒れました』なんて嘘のいやがらせしてきたんだよ」 「…ひどいですね」 「そのひどいの、お前らが煽動したんじゃないか? 副校長の二乃瀬が地域の人間に、私たちの居住地まで特定して『いじめなんて全くないのに勝手に怒って学校に来させない親がいる』って、触れ回ったじゃないか」 「………」 「はやく、広報きたばしに謝罪文、載せなよ」 「………」 「わかりましたね。指導できない主事さん」 「………」 広報きたばしは毎週土曜日発行され続けている。 新聞にも折り込みで入ってくる。 地域の催し物のお知らせとともに、謝罪文が掲載されないか、と気にしているが、もちろんそんなものは載ったことはない。
2014年03月18日
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§・41 北橋区教育委員会・学務課学事係へ 学校選択制が導入されている折、正しい情報を採り入れることが出来ずに、お子さんがひどい学校へ入学させられることを危惧しております。 次年度に就学されるお子さんをお持ちのご家庭に、以下の資料を配布、提供されてはいかがでしょうかと思って、ご提案差し上げます。 北橋第七小学校から子供を守ろう。 いじめ児童集団 うそつき教師集団 陰湿PTA集団 隠蔽教育委員会 (挿し絵入り) 北橋第七小学校いじめ隠蔽被害対策委員会
2014年03月18日
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§・40 娘が百メートルを泳ぎきれたのは、六年生の夏休みだった。 少しずつ、距離を伸ばしてきた。 泳ぐフォームはハクセキレイの飛行のように頼りないかもしれない。でも、ハクセキレイは飛行機とは違う。墜落することはない。撃ち落とす人さえいなければ。 泳ぎきった娘と喜んでいると、プール監視員の女性が娘の名前を呼んだ。 顔見知りになって、よく話もしているが、名前までは知らないはずだ。 「ちゃりこさ~ん、いますかあ~」 監視員さんも、顔と名前が一致して呼んでいるわけではなさそうだ。 娘の名前を呼んで、プールサイドを歩いている。探している。 私が返事をして、水の中から上がった。 「おばあさんが倒れたので、すぐ家に帰ってください、って、電話がかかってきています」 心配そうな表情を浮かべて、監視員さんが話す。 「電話は保留になっていますから、こちらへどうぞ」 私は娘に、泳いでていいよ、と言ってから監視員室へと急いだ。 足を拭いてから室内へ入り、受話器をとって、もしもし、と言うと、通話は無言で切れた。 悪意の塊のような切れ方だった。 「…切れちゃいました。電話をお借りしていいですか?」 「いいですよ」 女性監視員は深妙な顔つきのままでいた。 電話をかけてみると、祖母はピンピンしていた。プールにいることを話すと、あまり日焼けばかりさせちゃだめだよ、と小言まで言われた。 「いたずらでした。大丈夫です」 と、私は申し訳ない気持ちで監視員に告げた。 彼女はようやく、表情をやわらげてくれた。 「娘の名前宛てでかかってきたんですよね」 「そうです」 「フルネームで」 「そうです」 彼女のやわらいだ表情を曇らせたくなくて、話をそこまでにした。 私は礼を言ってプールに戻り、娘とビーチボールで遊んだ。 私たちの自転車はプール前の自転車置き場で待っていることだろう。 やがて広がってきた雲が、夏の空を覆い始めようとしていた。 降ったとしても、それはただの夕立ちだ。
2014年03月18日
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§・39 背負っては降ろす…背負っては降ろす… もう何回目だろう? でも、娘の高ぶった感情が私にもうれしくてたまらない。 筆箱を取り出す。ノートを取り出す。筆箱から鉛筆を出す。 「おとうさんは今度はせんせいね」 ついさっきはクラスの男の子役を演じさせられたばかりだったのに… やれやれ、と思って、私は架空の教壇に立って、“おはようございます”と言った。 「だめ! せんせいなんだから、もっときちんとして!」 娘は笑いながら、真剣な眼で言った。 その頃、大切にしていたランドセル。 希望を抱いていた学校。 ピンク色のランドセルは、玄関の脇でずっとうずくまっている… うっすらと埃を積もらせて、三年半ものあいだ、うずくまっている。
2014年03月17日
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§・38 北橋第七小学校が東京都知事から、青少年健全育成で表彰を受けたのは、娘が完全不登校になってから三年以上も経った頃だった。 健全育成? 何かの間違いじゃないかと思った。 たちの悪い冗談かとも思った。 確かに北七小は、蔓性の植物を育てて、緑のカーテンと称したものを作ってはいる。 夏はそれで覆われることによって、室温が下がり、冷房費を節約できたり、CO2の排出量を減らすことも出来るということで、一般家庭や会社にも広まっている。 で、それがどうしたというのだ? 蔓性の植物を育てて緑のカーテンに覆われた校舎の中では、陰湿ないじめ、暴力行為、教師のいじめ隠蔽、学校による虐待、がおこなわれてきたのだ。 色は緑のカーテンでも、本質はドクロマークの暗幕だ。 隠蔽用の漆黒のカーテンだ。 その蔓性の植物は、腐った野菜以下だ。 都庁の青少年健全育成担当に問い合わせをしてみた。 「いじめで三年以上不登校になっている子供のいる学校が、健全育成にあたるのだろうか?」 「欠格事由にはあたりません」 とシオザキという女の職員は、きっぱりと言った。 「いじめを隠蔽するような嘘つき教師ばかりでも?」 「欠格事由にはあたりません」 とシオザキという女は、何物をも入り込ませる余地なく、言った。 「いじめで自殺している子供だって、全国にたくさんいるのに?」 「北七小で誰か死んだんですか? 死んでから言ってください」 とシオザキは言った。 死んでから、何を言えというのだ?
2014年03月17日
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このあいだの土曜日、お天気がよくてポカポカだった日に、ちゃりこと音楽祭に行った。 川崎市麻生区(新百合ヶ丘)のホールで 「2014あさおサウンド&ビジョン」 という催しがあって、地元のセミプロから素人さんまでのミュージシャン二十一組が出演した。 ジャズバンドから高齢者の人たちのギター、ストリートで演奏しているサラリーマンミュージシャン、家族バンドには小学一年生の女の子ドラマーがいたり、キッズダンス、ウクレレ奏者、オカリナ… バラエティに富んでいて、飽きることなく楽しめた。 ちゃりこの不登校中も、一緒にいろんな音楽を聴きにいってみたんだ。 音楽大学生のギター演奏や、テルミンという不思議な楽器、パイプオルガンのコンサートや、ワンコインで楽しめるようなチェロやフルート、バイオリンなんかのコンサートを聴きにね。 久しぶりに、そういうお出かけしてみようか、って、「あさおサウンド&ビジョン」に行ったのには、TTrocoさんという人が出演するからだった。 TTrocoさんとは、彼女が私のブログを見つけて読んでくださってからのブログ友達です。 塾の講師をしながら子育てと音楽活動、と忙しくがんばっていらっしゃいます。 彼女がmayurinさんと組んでの演奏。 この日は二曲の演奏(彼女はギターとボーカル、mayurinさんはピアノ)でした。 「この星を抱きたい」 「いちるの光」 幼くして戦火に巻き込まれている子供たちが、世界にはたくさんいるんだ… そんなことを訴え、人として大切なものは何? 私たちが持たなければいけないものは何? メッセージ性の強い曲を書き、活動をされています。 休憩中には直接お目にかかれて、ちゃりことも話してくれました。 ブログで知り合って、直接会えるなんて、不思議なかんじもしましたけれど、きれいな人でした。 TTrocoさんのブログもご覧になってみてください。 「日々悲喜こもごも」http://ameblo.jp/ttroco/ 今回の「あさおサウンド&ビジョン」 ちゃりこ父の選んだ、ベストスリーは 第三位・141chan(いしいちゃん) サラリーマンギタリストだそうです。 「アホでええやん」という曲が最高でした。 第二位・オカリナhanaさん 懐かしい曲を、ほっこりするオカリナの音色で聴かせてくれました。 そして、堂々の 第一位は、ジャガジャガジャガジャガ、ジャン! TTroco&mayurinさんです。 メッセージ性の高い曲と、ヤマハじこみの澄んだ歌声で文句なしっ! ちゃり父グランプリの贈呈でした…
2014年03月17日
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入学してまもなく、娘は言った。 「おとうさん、私は高校と大学にはいかないよ」 彼女が幼稚園の頃に、世の中にはいろんな人がいて、いろんな学校があって、ということを話して説明するために “小学校と中学校はみんなが行く学校、高校や大学は行きたい人がけが行く学校” と言ったことがあった。 たぶん、娘なりに、学校のひどさをはやくも受けとめて、行かなくていい学校になったら、もう行かないぞ、幼いながら決めたのだろう。 既に、暴力、いじめ、いやがらせの嵐は吹き荒れていたのだ。 入学前に、まぶしそうに眺めていた雑誌を、娘が開き直している。 入学直前特集号。 広げたページには“こまったときには、なんでも、せんせいにそうだんしよう”と書いてあり、モデルの女性が片方の手を腰にあてて、もう片方の手を大きくまっすぐに上げていた。その周りに子供たちが集まっている。 そのページを見ている悲しそうな娘の上に吹き出しを付けるとしたら、こうだろう。 “おかしい。だまされたのかな?” 問題は、下敷きが無地か、キャラクターものかどころではないのだ。
2014年03月17日
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§・37 「わあ、ありがとう、ピンクだあ」 娘は、作りたての宝石のように、目を輝かせた。 初めての学用品を揃えるのに、あちこちの店を駆け回ったが、ピンク色の下敷きがなかなか見つからずに、残念がっていた。 生まれて初めて使う下敷き。 入学前の学校説明会で“下敷きは無地のものを”という学校側の話だったので、せめて色くらい、大好きなものを使わせてやりたいと探していたのだが、ピンクの無地の下敷きがなかなか見つからなかったのだ。 家から少し離れた町の商店街の一角に、傾きそうな文房具店を見つけて入ってみると、 “在庫一掃閉店セール”の中で無地のピンク色の下敷きが眠っていた。 古びた商品だからと格安だった。少し汚れも目立つ。 それでも、娘が欲しがっていたピンク色の下敷きが目の前に現れたときには、私の視界が薄暗い商店の中で、大きく明るく広がった気がした。 家に帰ってから、よく磨いて、娘に渡した。 「わあい、うれしいな」 「キャラクター入りの下敷きを使っている子もたくさんいるんだよ」 と娘が言ったのは、入学して一週間くらい経ってからだったろうか。 苦労して無地のピンク色を探したことを思い出して、スーッと力が抜けていくかんじがしたが 「でも、その子たちはきっと、絵の書いてある下敷きを使っちゃいけないっていうきまりを、まだ知らないと思うんだ」 と娘は言った。 私はうれしくなって、娘の頭の上に手を載せた。
2014年03月16日
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翌日、私は校長に、メッセージの入れ方がおかしいし、礼儀を知らないなら、あの年寄り、私に預けなさい、言葉遣いから躾をして差し上げよう、と告げた。 校長に連れられてやってきた手良師は、おどおどする校長を尻目にふんぞり返っていた。 「私が、何かしましたか」 と手良師が口を開くのに被せて 「謝りにくるのに、何日かかっているんだ?」 と私は言った。 「いや、いや、いや…」 ととりなすつもりらしい校長に対し 「出直してきなさい。友人と居酒屋トークをするのと違うんだからな」 と私がいい放つと、校長は狼狽えながら、手良師はふてくされながら、帰っていった。 当日、おたふく風邪で欠席していた娘に関しては、何一つ語られなかった。 おたふく風邪は出席停止扱いだ。管理職が知らないわけがない。 何かが完全におかしい。 娘が完全不登校になってから、いじめによるPTSDの話をすると、手良師は 「診断書はあるんですか」 と言った。 「おまえじゃ話にはらないよ。卑怯者の親玉を出しなよ」 と私は言った。 手良師は異動して校長になり、定年まで勤めた。 公立学校で定年まで校長を勤めると、自動的に叙勲される。 何もかもがおかしい。
2014年03月16日
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§・36 私はきちんと名乗ったあとで 「一年一組の児童の保護者です。いつもお世話になっております。担任の落井先生はいらっしゃいますでしょうか」 と言った。 副校長の手良師が電話に出て 「ちょっと待ってね~」 と言ったあと 「オチイせんせい、でんわだよ~ん」 という声が受話器の向こうではっきりと聴こえた。 何かがおかしい。 別の日に電話をすると、担任が休んでいたので 「二組の高峯先生でも結構です」 と言ってみると、やはり手良師は、 「ちょっと待ってね~」 と言ったあと 「たっかみねせんせい、でんわだよ~ん」 という大声を受話器の向こうで出していた。 やはり、分厚いガラス越しに福笑いが並んででもいるかのように、何かがおかしい。 私は校長に 「おたくの副校長は、応対がおかしいし、保護者には、後妻に入れば十六歳の母親がいる可能性だってあるわけだが、そういった人にも敬意を払って話すことができるのか、と訊いてみた。 私の携帯電話に、手良師からのメッセージが入っていたのは、その夜のことだった。 “え~、話があるので、折り返し、電話をするように~” とだけ入っていた。 やっぱり、何かがおかしい。
2014年03月16日
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§・35 たぶん、最前列に座っているあれだろう、とビデオカメラをまわしながら見つめていた。 ぴんと張りつめた緊張感を、幼いながらも漂わせていた。 校長の話は例によって退屈だったが、それでも新小学一年生にも少しはわかりやすいような語り口をしていた。 後部の父兄席からだと、娘の姿は後頭部と微かな横顔しか見えない。 せわしなく体を動かしたりする子供もいるなか、静かに背筋を伸ばしている。 「みなさんは、お花がお腹をすかせていたらどうしますか」 と校長が言った。 少し、話がとまったが、大して気にとめる者もいなかったはずだ。 娘がまっすぐに手を挙げた。 「はい、あなた」 と校長が娘を指差した。 娘は静かに立ち上がって 「お水をあげます」 と静かに答えて、静かに座った。 緩やかな時間のなかで緩やかに空気が流れた。 大半の人たちは、気づくことすらなかったようだ。 入学式が終わって、教室で担任の話があるなかで、既に、ぶっ殺すという声があがっていた。 校庭に出ると満開の桜の木々が並んでいた。 桜の木はどこに植えられても、桜の花を咲かせるのだ。
2014年03月15日
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