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@@@@@@ 仕返し しない 心で 解けゆく@@@@@@ いま世界に目を向けますと、争いが争いを呼び、報復がさらに報復を生む……そのような出来事が絶えません。「やられたからやり返す」その思いは一見当然のようでいて、実は争いを終わらせるどころか、むしろ長引かせてしまう力を持っています。 これは遠い国の話だけではなく、私たちの日々の人間関係の中にもある姿ではないでしょうか。 お釈迦さまは、こう説かれました。「怨みに報いるに怨みをもってしたならば、 ついに怨みは息まない。 怨みに報いるに怨みをもたずして、 はじめて怨みは息む。」『法句経』恨みに対して恨みで返すのではなく、恨み返さないとき、はじめてその恨みのやりとりは静まっていくのです。 この教えは、法然上人の人生にも深く刻まれています。九歳の時に武士の父親を殺されてしまいます。その間際「自分を殺した相手を恨んではならない。これは前世からの因縁によるものだ。もし恨みを抱けば、その報復の連鎖は何代にもわたって終わらなくなる」と遺言されました。どれほど無念であったことでしょう。敵討ちが定石の世で「恨むな」と我が子に託したその言葉は、仕返しの繰り返しを断ち切る仏教的願いの表れです。その遺言を支えに、法然上人こと勢至丸は出家します。 私たちは、傷つけられたとき、何か仕返しをしたくなるものです。けれども、仕返しをしたところで、心は晴れるのでしょうか。むしろ、怒りやわだかまりを抱え続け、苦しんでいくのは自分自身かもしれません。 仕返しをやめたとき、強張っていた自分の心がほどけ、相手とのわだかまりも、少しずつ和らいでいくのです。「許す」ということは、自分の心を「ゆるめる」ことにもつながっていきます。条件をつけず許すことは簡単ではないですが、複雑な心を解きほぐし、安らぎへと向かう最善の道なのです。 では、その怒りや恨みの感情は、どこへ向ければよいのでしょうか。我慢するのではなく、そのやり場として仏道修行である生活を丁寧にしていくのです。また「南無阿弥陀仏…」と声を出して称える中で、自分の抱えている怒りや恨みなど負の感情を、仏さまに心で告白しお預けするのです。 すると、争いのただ中にあっても称えるお念仏の中に、恨みを手放し、心の安定・平安へと向かう道が開かれて、絡み合った心が解(ホド)けていくのです。合掌南無阿弥陀仏専称寺亀山政臣拝
2026.04.29
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4月7日(火)【ともいき会】いたします。11時〜住職法話11時30分〜念仏12時30分〜昼食参加費: 志椅子席あり木魚たたいてお念仏仏さまと向き合い、自分と向き合う時間食後の歓談が人生勉強皆さんの感想聞いて学びを深めます🙏どなたでも参加できます。ご希望の方は、専称寺までお電話ください。075-741-3061
2026.04.04
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