日本語で話そう

December 12, 2010
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聖徳太子の生母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)といい、その母は蘇我氏の出だ。用明天皇の皇后でもある。蘇我氏と物部氏の政変の時、一時、丹後地方に避難していた。奈良に戻る時、世話になった丹後の人たちに自分の名前の「間人」をお礼として与えた。しかし、土地の人はそれをそのまま頂くのは恐れ多いと、読み方を「皇后が丹後を退く」という意味の「退座」の発音をもって、「間人」=「たいざ」と読み。それ以来この地は「間人」と呼ばれるようになったのだという。
「てんきてんき道の駅」の店長さんにこの話を聞いた時、納得しながらも何故か喉元に引っかかっていたことが有った。実は間人皇女の名は以前から知っていたから自分の知っている話と何か違う!と感じたのだった。

そしてその疑問は今朝の牽牛子塚古墳のTV番組で判明し思わず膝を打ったのだった。私が知っていた間人皇女は斉明天皇の娘の方だったのだ。

はるばる丹後まで旅行し、目に付いたのはたくさんの古墳だった。どうしてそこにこんなに古墳があるのだろうか、という疑問とともに、高松塚が発見された当時飛鳥に通いつめた私の古墳熱がこの旅行中、再燃の予感を抱え始めていた。

おーっと、今日の御題から大きくそれてしまった。

「今日は鳴きません?」

「何が?」
「これが鳴きません」↓

IMG_6730.JPG

IMG_6732.JPG

rikizuki さんのマーチで今夜の旅館に送ってもらう途中、砂浜を歩くと「きゅきゅと鳴くという」琴引き浜に連れて行ってもらった。
そしてこの看板。

鳴かないのは海辺の砂なのだ。
その日は天気の加減でどうやら鳴かないようだ。

しかし、この看板は私達には大うけ。

擬人法は大好き。


宿の名は「夕日が浦、一望館」

部屋の石風呂からは夜の日本海と遠くで漁をする漁火が見える。

IMG_6733.JPGIMG_6734.JPG


もちろん料理は「おなかいっぱい蟹料理」



昨日のコメントで ringo さんがおっしゃる通り、2人とも無言で蟹を食べていた。
蟹のおつくり、蟹の箸休め、蟹のお寿司、茹蟹、焼きがに、蟹入り茶碗蒸し、蟹の天ぷら。

IMG_6742.JPG


それぞれが2杯食べ終わったところで、お腹いっぱいに成ってしまった。

仕方が無いので、お給仕の仲居さんが座をはずした隙にお行儀悪くちょっと横になる。

仲居さんが廊下をやってくる足音で急いで座りなおし、3杯目の蟹のしゃぶしゃぶ開始。

もう駄目、お腹いっぱい。死にそう。



最後は、古代日本からの悠久の歴史の中にあって、幻想的な海と夕陽の中にある丹後の国を旅しながら旅人2人は現実的な蟹にむさぼりついて夜はふけていったのだった。


蟹に追いかえられる夢は見なかった。
















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Last updated  December 12, 2010 11:30:48 PM
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